第1話:世界の理と、魔女の孫娘
男女比は7:3。女性の方が魔法の適性が高く、優遇される現代社会。
人々が扱うのは「火を灯す」「汚れを落とす」といった、穏やかな『生活魔法』のみ。それがこの世界の当たり前だった。
指先から、ぽっ、と小さな温もりが灯る。
「うん、ちょうどいい温度。雫ちゃんも飲む?」
教室の窓際で、クラスメイトの女子生徒がマグカップを両手で包み込みながら微笑んだ。彼女の指先から放たれたのは、冷めた紅茶を適温に温め直す程度の『生活魔法』。この世界では、ごく当たり前の日常の光景だ。
現代社会。男女比はおよそ七対三と女性が少なく、必然的に女性が優遇されやすい社会構造が形成されている。その最たる理由が「魔法」の存在だった。
現代の魔法学において、主流となっている学説がある。――星や自然のエネルギーを自らの身体という『器』に降ろす魔法は、生命を育む機能を持つ女性の身体と根本的に相性が良い。しかし、強大な魔力を持つ女性が増えすぎることを防ぐため、星自体が全体のエネルギーバランスを保とうとする自浄作用が働き、女性の出生率は自然と三割に抑えられているのだ、と。
ゆえに、共学もあるにはあるが、より高度な魔法教育を受けられるのは女子校であり、私が通うこの私立藤ケ丘女子学園もそんな名門校の一つだった。
だが、高度な魔法教育と言っても、それはあくまで「生活を豊かにする」程度のものに過ぎない。服のシワを伸ばす、少しの汚れを落とす、指先で小さな明かりを灯す。かつてのファンタジー小説に描かれるような、炎で相手を攻撃したり、雷を落としたりする破壊的な魔法は、もう誰も使えない。
遥か昔、強大すぎる魔法の乱用による世界崩壊を防ぐため、当時の大魔女たちが人類全体の魔力回路に巨大な「リミッター」をかけたからだ。
しかし、そのリミッターを免れ、今もなお大魔女の力を色濃く受け継ぐ者たちがごく僅かに存在する。現代の裏側に息づく、五つの名家だ。
現在、各一族を統べているのは長女の『母』たちである(数千人に一人という突然変異の末に女性と同等以上の魔力を宿した、一人の『男性の族長』という例外を除いて)。だが、次代を担う長女たちの方が現当主である母よりも遥かに魔法に長けているため、彼女たちが十八歳を迎えた時、正式に一族の長を継承するというしきたりになっていた。
そして私は、その次期当主の誰よりも、圧倒的な力を持って生まれてしまったらしい。
なぜそんなことが分かるのかといえば、私の祖母が生前、静かにそう断言していたからだ。
『雫。お前の器は、五家のどの娘よりも深く、底がない。いずれ私をも超えるだろう。……だからこそ、決して悟られてはいけないよ』
真昼の空を深い夜闇に沈め、無数の流星を降らせた祖母。かつて「流星の魔女」と畏怖された彼女は、その強すぎる力ゆえに一族から疎まれ、数年前にひっそりと他界した。
唯一の理解者だった祖母の死後、私は息苦しい一族の元を去り、身分を隠してこの学園に入学した。
五家の人々は『流星の魔女の血を極めて色濃く継いだ者がどこかにいる』と警戒し、今も密かにその行方を追っているらしい。だが、彼らはそれが私であることには気づいていない。私自身も、今のところはただの『少し魔法が苦手な女子高生』として周囲に溶け込めているはずだ。
私にとって、自らの内で渦巻く規格外の魔力など、ただ孤独を深めるだけの呪いでしかなかった。
「雫ちゃん、また難しい顔してる。外に何かあるの?」
ふいに柔らかい声が鼓膜を揺らし、私は窓の外から視線を戻した。
そこに立っていたのは、白瀬結衣。ふわりとした亜麻色の髪と、春の陽だまりのような温かい笑顔を持つ、私が密かに心惹かれている人だ。
「ううん、何でもないよ。少しぼーっとしてただけ」
誤魔化すように笑うと、結衣は「そっか」と小首を傾げ、私の前の席にちょこんと座った。ほのかに甘い花の香りがする。結衣もまた、ごく普通の生活魔法を丁寧に扱う、心優しい普通の女の子だ。
(……もし、私が世界を壊せるほどの力を持った人間だと知ったら、結衣はどう思うだろう)
私は、自分の持つ恐ろしい破壊力に興味はない。炎も雷もいらない。ただ、亡き祖母から教わった無数の魔法の中で、たった一つだけ、病的とも言えるほど執着し、どうしても成功させたい魔法があった。
『自身の心象風景を、指定した相手の五感に直接共有する魔法』。
他者の精神に干渉する極めて繊細で危険な魔法だ。一歩間違えれば、相手の心を不可逆的に壊してしまう恐れがある。だから私は、完全にコントロールできるようになるまで、誰にもこの力を明かすつもりはない。
いつか、この魔法を完璧なものにして。祖母と一緒に見たあの圧倒的に美しく、そしてひどく孤独だった満天の星空を、大好きな彼女にだけはどうしても見てもらいたいから。
「ねえ雫ちゃん。今日の放課後、駅前の新しいカフェに行かない? あそこのパンケーキ、すごく美味しいらしいの」
「うん、行こうか」
無邪気に笑う結衣の穏やかな日常を守りながら、私は今日も、身体の奥底で暴れようとする星の力にそっと重い蓋をした。
2話に続く




