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龍の箱庭  作者: 揚羽渓名
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「楽は都の私の家をずっと一人で守ってくれていたのですよ。こう見えてとても頼りになるので連れてきたのです。彼も一緒でも構いませんか?」


 慌てふためく鈴は可愛いしもっと見ていたいが、時間があまり無い。


 千尋が少しだけ早口で言うと、ようやく菫は納得したように頷いた。その瞬間、鈴があからさまにホッとした顔をして小さく千尋に頭を下げてくる。


 案内された部屋の前まで来ると、菫が珍しく緊張した面持ちで言った。


「お父様、神森家の皆様をお連れしました」

「ああ。入ってもらってくれ」


 中から聞こえてきた声に鈴がビクリと肩を震わせた。その目には既にうっすらと涙が浮かんでいる。千尋はそんな鈴の頭をそっと撫でると、続いて背中をさすってやった。


「ありがとうございます、千尋さま」

「いいえ。さあ行きましょう」


 そう言って千尋は菫に案内されて、ようやく佐伯家の当主と初めて顔を合わせたのだった。

 

 

 勇の声を聞いた途端、鈴は思わず零れそうになった涙を堪えた。


 勇が今までずっと鈴に「こちらを見るな」と言っていたのは、鈴を嫌っていた訳ではなかったのだと知ってから、ずっと会いたかった。


 けれどいざ会えるとなると心臓がパンクしそうなほどドキドキする。


 思わず襖の前で硬直してしまった鈴の頭と背中を、千尋はそっと撫でてくれた。ひんやりとした千尋の手は驚くほど鈴の心を落ち着かせる。


 部屋へ入ると、勇と真っ先に目が合った。


「……」


 何か言わなくては。そう思うのに何も言葉が出てこない。


 勇はしばらく驚いたような顔で鈴と千尋を見ていたが、いつものようにそっと鈴から目を逸らして口を開く。


「元気……だったか」

「! はい、とても」

「……そうか。随分と娘らしくなって……驚いた」

「は……はい!」


 相変わらずこちらは見てくれないけれど、勇の口から出てきたのはいつもの言葉などではなかった。それがどれほど鈴の心を救っただろう。


 思わず涙を零した鈴を見て、菫がツカツカと勇に近づいた。


「お父様、他にも何か言う事があるでしょう?」


 菫の声に勇は体をビクつかせると、それを援護するかのように雅が言う。


「そうだよ。あんた、あんだけ泣いて謝りながら手紙書いてたんだ。さっさと言っちまいなよ」


 それを聞いて勇の顔色が赤くなり、青くなったかと思うと続いて白くなる。


「ね、猫殿! そ、それは秘密だとあれほど!」

「ああ、そうだったっけ? もういいじゃないか、別に。隠してても仕方ないだろ? 娘にも大号泣してるとこ見られたんだしさ」

「そうね。お父様、時間が経てば経つほど言い出しにくくなるわよ?」

「……そ、そうだな。鈴」

 勇はそう言って何かを決意したかのようにようやく鈴を見ると、深呼吸をして鈴の名を呼ぶ。

「はい」

「俺は……その、別にお前を嫌っていた訳でも、憎んでいた訳でもない。手紙にも書いたがお前は本当に菊子によく似ていて……まるでそこに居るみたいで……俺……俺は……」


 そこまで言って勇はとうとう堪えられなくなったのか、口元を抑えて言葉を切った。そんな勇を見て鈴も鼻をすすりながら言う。


「叔父さま、私もっと沢山両親の話を聞きたいです。今まで聞けなかった分、今度ゆっくり聞かせてくれますか?」


 鈴の言葉に勇はハッとして顔を上げる。


「もちろんだ。俺もお前に聞きたい事が沢山ある。沢山……あるんだ」

「では沢山お話をしましょう。8年分なので、きっと長くなりますね」


 そう言って鈴が微笑むと勇は涙を零して頷くと小さく笑う。


「やはりお前は菊子にそっくりだ。そういう所が本当に……そっくりだ」

「嬉しいです……とても」


 鈴の思い出の中の両親を知っている人がここにも居る。その事実が何故かとても嬉しく思えた。


 鈴が涙を拭おうとすると、隣からそっと真っ白なハンカチが差し出された。千尋だ。


「どうぞ」


 静かで穏やかな千尋の声は鈴の心をそっと包み込む不思議な声だ。


「ありがとうございます」


 ハンカチを受け取った鈴は、勇に頭を下げた。


「叔父さま、鈴は神森家に嫁ぎます。両親の分までしっかりと生きます。必ず幸せになります。今まで、本当にお世話になりました」

 

 本来ならこの挨拶は今すべきでは無いのだろうが、どうしても感謝の言葉を伝えたかった。

 

 そんな鈴の言葉を聞いて勇はさらに涙をこぼす。


「鈴、お前……今それを言うな。お前はまだ……俺の娘だ」

「……はい」

 

 娘だと言われた事に驚いた鈴だが、何故か鈴以外は勇の言葉に頷いている。


「鈴さん、事情があってこのお二人はあなたに辛く当たらなくてはならなかっただけで、今まであなたのお薬を手配していたのはご当主で、届けていたのはあなたも知っている通り菫さんです。あなたは本当に愛されていたのですよ、この家でこの二人に」


 千尋の言葉は鈴の体の中にスッと染み込んだ。その瞬間、涙が溢れ我慢出来ずに勇と菫にはしたなく抱きつく。


「ちょ、鈴! あんた結納の席でみっともない事しないの!」

「す、鈴、は、離れなさい!」

「嫌です! 私、私……ずっと知らなくて、何も知らなくて……たまに無性にこの家から逃げ出してしまいたいだなんて考えたりして……本当にごめんなさい! 本当に……ごめんなさい……」


 とうとう泣き崩れた鈴に困ったような菫のため息が聞こえてきた。


「そう仕向けたのは私達なんだから、あんたは別に謝らなくていいのよ」

「そうだぞ、鈴。だが問題は何も解決してはいない。鈴、離れなさい。このままではいつまで経っても結納が進まないだろう?」

 

 いつまでも離れない鈴に勇が言うと、鈴はようやくしゅんと項垂れて勇から離れて千尋の隣にきちんと座った。


 それを確認した千尋は思わず見とれそうなほどの優雅さで座り直して勇に話しかける。


「この度は鈴さんと、私、神森家当主、神森千尋との縁談をご承諾くださいましてありがとうございます。本日はお日柄もよろしいのでこれにて両家の婚約式を行いたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします」

 

 千尋が挨拶を終えると、その場に居た全員が頭を下げた。今回は仲人も居ないのでかなり形式は簡略化する手はずになっている。


「神森よりの結納の品でございます。幾久しくお納めください」


 千尋が言うと、雅と楽がすぐさま動き出した。千尋が用意したのは鈴の為の支度金だけだ。


「本来であればこちらに結納の品々をお持ちするのが習わしですが、鈴さんとの結婚式は神森家で行うため、結納金だけをお持ちしました」

「ありがとうございます。幾久しくお受けいたします」

 

 鈴はもうここへは戻らない。そう思ったのか、勇は下唇を噛み締めて千尋からの支度金を受け取っている。


「こちら、佐伯家からの受書でございます。幾久しくめでたくお納めください」


 勇が受書を出そうとしたその時、ふと千尋がそれを拒否した。


「いえ、佐伯家からではなく、あなたの旧姓からの受書にしていただけますか?」

「え?」


 突然の千尋からの申し出に勇は思わずポカンと口を開ける。


「鈴さんは佐伯家の人間ではありませんから。ですから私は正式な結婚の申し込みの書面にあなたの旧姓を書いたのですよ」

「あ、あれはそういう……」


 キョトンとした勇は何かに気付いたように頷くと、受書の名前をすぐさま書き直した。その顔は何故か安堵しているようにも見える。


「ありがとうございます。お手数をおかけしてしまい申し訳ありません。ですが、こちらとしても佐伯家との縁が繋がるのは避けたいので」


 そう言って苦笑いする千尋を見て勇も申し訳無さそうに頭を下げた。


「こちらこそ、私の個人的な意図を汲んでいただいてありがとうございます。鈴は折を見て戸籍をうちの実家の的場に移す予定でしたから助かりました」

「では、あなたはとうとう佐伯を出る決心を?」

「ええ。今回の事を菫から聞いて、これはもういけない、と。今回も前回もたまたま鈴は助かりましたが、何事も三度目の正直と言うではありませんか。ですから三度目が起こらないよう、私は菫と鈴を連れて佐伯を出るつもりでした」

「もう的場のご家族にもお話はされているのですか?」

「もちろんです。どれほどの金銭問題が発生したとしても、必ず二人を連れて戻れと。今回の事と前回の事を合わせて包み隠さず話しました」


 神妙な顔でそんな事を言いだした勇を見て鈴は思わず首を傾げたが、何故か鈴と楽以外は何の事だか分かっているようだ。


「そうでしたか。でしたらご当主、ご迷惑でなければその支度金をお使いください」


 ふと思いついたかのように千尋が言うと、流石の雅も驚いたようでおもむろに千尋の肩を掴んできた。


「ちょ、突然何言い出すんだよ!? あれは鈴の支度金だろ!?」

「そうですけど、だって鈴さんの嫁入り支度は既に済ませてしまっていますし、これ以上何か必要でしょうか?」

「そりゃ色々ある……いや、特に無いな。むしろ今更桐の箪笥とか持ち込まれても困るもんな」

「そうでしょう? でしたら鈴さんの戸籍の為に使うのが一番では?」

「その通りだね。よし勇、あんたその金使って佐伯家を出な。そうすりゃ万事解決だ」


 雅が言うと、勇も菫もギョッとした顔をしている。


「あんた正気……なの?」

「こら菫! 流石にそういった事に鈴の支度金を使う訳にはいきません」


 思わずいつも通りの素が出てしまっている菫の口を勇は慌てて塞いで、受け取った支度金を千尋に返そうとしたが千尋は受け取ろうとはしない。


「何も差し上げる訳ではありません。私はあくまでも鈴さんの戸籍の為にそのお金を使って欲しいと言っているだけです。あなたがこの家を出なければ、いつまでも鈴さんに災いが降りかかるかもしれないのです。私は夫としてそれを看過する訳にはいきませんから。ですからそのお金は立派な鈴さんの支度金ですよ」

「っ! ……ありがたくお受けいたします……ありがとうございます……本当に……ありがとうございます」

 

 一歩も引かない千尋を見て勇はとうとう折れた。異様に分厚い支度金を震える手で握りしめて、畳におでこを擦り付けた。そんな勇の隣で菫も涙を浮かべて千尋に頭を下げている。そんな二人を見て思わず鈴も千尋に頭を下げた。勇がこの家から出たがっているということを、鈴も知っていたからだ。そこへ千尋の優しい声が聞こえてくる。


「皆さん頭を上げてください。この結納が済めば私達はもう親戚です。何か困りごとがあればいつでも頼ってください。できる限りの事はしますから」

「……龍神様とご縁が繋がるなど、身に余る光栄です……」


 勇は言った。その声は震えていて、そこには色んな感情が含まれているようで思わず鈴まで泣き出しそうになってしまう。


「鈴を、今後ともどうぞよろしくお願いいたします」

「こちらこそ、末永くよろしくお願いいたします」


 千尋がそう言って微笑むと、雅が手をパンと叩いた。


「よし! これで成立だ。楽、菫、あんた達しっかり聞いてたね?」

「もちろんよ」

「ああ。ちゃんと一言一句漏らさず聞いてた」

「良し! ちゃんと証人も居る。それじゃあそろそろ引き上げよう。でないといつ帰ってくるか分からないからね! 鬼嫁がさ」


 意地悪に笑ってそんな事を言う雅に勇が困ったように笑う。


「雅、余計な事は言わなくていいんですよ。それでは鈴さん、行きましょうか」

「は、はい! あ、ちょっと……すみません……」


 千尋に言われてすぐさま立ち上がろうとした鈴は、足に強烈な痺れを感じてすぐに立ち上がる事が出来なかった。


「ああ、痺れました? あなたは本当に正座に弱いですねぇ」


 思わずよろける鈴を千尋がしっかりと支えてくれたのだが、その口調にはどこかからかいを含んでいて思わず鈴は千尋を見上げて頬を少しだけ膨らませた。


「わ、私の足が特別正座に弱く出来ているのです。多分」


 苦し紛れにそんな事を言うと、千尋はそれを聞いて小さく笑う。


「それは困りましたね。では次の体で生まれてくる時は私が神様にお願いしておいてあげましょう」

「千尋さまが頼んでくれるのですか?」

「ええ」


 千尋の言葉を聞いて鈴はパッと顔を輝かせた。


「是非お願いします! 千尋さまがお願いしてくだされば、きっと神様は正座に強い足を授けてくれるはずです!」

「えっと……尽力してみます……」


 あまりにも食い気味だった鈴に驚いたのか、千尋がそっと鈴から視線を逸らせた。そんな相変わらずな二人を見て雅と菫が二人して眉を釣り上げる。


「あんた達は相変わらず場所もわきまえずにすぐ戯れようとする!」

「全くだわ! あなたね、せめてこういう場では自重しなさいよ! 鈴は素直なんだからあんたの言う事何でも鵜呑みにするのよ!」

「私のせいですか?」


 思わずキョトンとした千尋に雅と菫が揃って頷いた。それを見て鈴は楽しそうに、楽と勇は困ったように笑っている。


 その時だ。突然玄関が開く音が聞こえてきた。その音に千尋以外の全員が固まった。

 

 

 楽しい雰囲気をぶち壊したのは、聞き覚えのある蘭の声だった。


「もう最悪だわ! 菫、居ないの? 荷物を運ぶのを手伝ってちょうだい」


 その声に菫の顔が強ばる。それと同時に鈴の顔も強張った。


「蘭……ちゃん?」

「どうかしましたか? 鈴さん」

「あ、いえ……蘭ちゃんが怒鳴ってる所なんて初めて聞くなって思って……」


 そう言って鈴は心配そうに菫の手を掴んだ。そんな鈴の手を菫はしっかりと繋いで鼻で笑う。


「機嫌が悪いといっつも怒鳴ってるわよ。あんたの前では猫かぶってたんでしょ」


 そんな菫の言葉に勇は視線で菫を窘めて鈴に向き直る。


「鈴、次は結婚のときだな。お前の晴れ姿を楽しみにしている」

「は……はい!」

「雅、鈴を裏口から連れてって。その間私が玄関であの二人を足止めしとくから。あと、私の下駄があるからそれ履いて行ってちょうだい」


 それだけ言って菫は部屋を出ていく。そんな菫を見て勇は座り直した。そんな勇の前に千尋は楽と一緒に座りなおす。


「分かった。千尋は――」

「私と楽は表から堂々と出ますよ。雅、鈴さんをお願いしますね。靴は私が回収しておきますから安心してください」

「ああ、頼んだよ。それじゃあ鈴、行くよ」

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