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龍の箱庭  作者: 揚羽渓名
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「そうですよ。鈴さん、すみません。私の躾不足のようです。先程の楽の言葉は忘れてください。どのみち結界があるので楽はこの屋敷の外には出られません。私達はゆっくり食事をしましょう」


 千尋はサンドイッチを片手に握りしめたまま、自分の隣をポンポンと叩いた。それでも鈴は楽が心配だったのだが、そんな鈴の心を見透かしたかのように千尋が言う。


「少しだけね、頭を冷やして欲しいのですよ、楽に」

「頭を?」

「ええ。あの子はさっき自分で言ってたように、都を追放されたようです。私とは違って自ら望んだのではなく、強制的に」

「何故そんな事に……?」

「私の暗号を盗んだのは、楽ではないかという疑いをかけられたのです。初に」

「!」


 どうしてそんな事に……。鈴はそんな言葉を飲み込んで俯いた。


「間違いなくそれは初の嘘ですが、それでも楽は初には従わなければならない。龍の世界は優劣がとてもハッキリしているので」

「そそ。だからね、あの子の濡れ衣を俺たちが晴らす間、ちょっとだけあいつをここに置いてやって欲しいんだよ。鈴さん、あんな奴だけど仲良くしてやってね」

「もちろんです! そうだったんですね……楽さんは、お二人の事をとても尊敬していらっしゃるのですね。それなのにサンドイッチだったばっかりに……すみません」


 どうして今日はこんなにもタイミングが悪いのだ! よりによって洋食の中でも一番フランクな食べ物を昼食に選んだばっかりに!


「何も鈴さんが謝る事は無いですよ。でも珍しいですね。久しぶりにサンドイッチを食べた気がします」

「それは……千尋さまは最近お仕事が立て込んでいると雅さんが仰っていたんです。食事の時間をそろそろ潰さないとなって仰ってたので、サンドイッチならおにぎりみたいに片手で食べられるし、千尋さまは洋食がお好きだから少しでもお仕事がはかどるかなって思ったんですが……」


 そう言ってシュンと項垂れた鈴を見て、正面に居た流星が持っていたサンドイッチをポトリとお皿に落とした。


「あ、大丈夫ですか? すぐに替えをお持ちましょうか?」


 鈴が立ち上がろうとすると、それを流星は手を振って笑った。


「いや、大丈夫! ごめんごめん。いやービックリした。人間って凄いねぇ、千尋くん」

「そうでしょう? 情緒のほとんど無い私にはもう鈴さんは眩しくて眩しくて」

「そうだろうね。こういう子が良いんだね、君は」

「ええ。とても大切にしてくれそうでしょう?」

「確かに! いや、鈴さんは良い子だね。お兄さんビックリしちゃった」


 そう言って流星はサンドイッチをあっという間にぺろりと平らげたけれど、鈴にはどうして褒められたのかさっぱりだ。


 きっと不思議そうな顔をしていたのだろう。千尋が笑いながら説明してくれた。


「龍というのはね、あまり他人に干渉しないのですよ。それは別に無関心とかそういうのではないのですが、自分の面倒は自分で見るものだと言う認識があるんです」

「それは人間もそうですよ?」

「いいえ、人間よりもずっとそうなんです。例えば今流星が驚いたのは、私の仕事が立て込んでいるからと言って、あなたは私の為に食事の内容を考えてくれましたよね? そういう事を龍はしないのですよ」

「そ、そうなのですか? たとえ夫婦やえっと、番であっても?」

「ええ。夫婦でも番でも、お互いの事にはあまり干渉しないんです」

「それは……お互いを尊敬して尊重しているからですよね?」


 何だか千尋の言い方では良くない事のように聞こえたが、鈴には良い関係のようにも思えるのだが、違うのだろうか?


「とても良い解釈をするねぇ、鈴さんは。そうそう、龍は個人を何よりも大事にしてる。そのね、もっとも代表的なのがこの人だったんだよ」

「流星、余計な事は言わなくていいんですよ」


 この人、と言われた千尋は少しだけ不機嫌そうに流星を睨んで小さく咳払いをした。


「流星の言う通り、以前の私は誰にも興味などなく、誰からも興味を持たれたくありませんでした。それこそ以前鈴さんが言ったように、煩わしいのは苦手だったんです。ですが、あなたがここに来てから屋敷の雰囲気が変わった。それは、あなたのその思いやりや優しさが招いた結果なのだと知りました。確かに楽の言う通り、そういう意味ではあなたが来てから私は変わったのかもしれませんね」


 微笑みながらそんな事を言う千尋に、鈴は自分の頬が赤く染まるのを感じていた。面と向かって誰かにそんな風に言われた事などない。千尋はいつも鈴をこんな風に褒めてくれる。


「そ、それは神森家の皆さんがとても優しくしてくださるからです。もう帰る場所の無い私を置いてくださって、それどころか色んな行事をしてくれたり、歌を歌っても踊っても叱られなくて……私こそ、いつもいつも皆さんに、千尋さまに貰ってばっかりで」


 それはまるでこんな鈴でも良いと言ってくれているようで、いつも泣きそうなほど嬉しくなる鈴だ。それどころか、もしかしたら鈴は国を守るという役目も担えるかもしれないのだ。


「いえ、それを言うなら私の方が――」

「はい、ストーップ! お兄さんね、別に君たちの惚気話聞きに来た訳じゃないんだ。でも安心した。鈴さんなら多分楽もすぐに懐くんじゃない?」

「どうでしょうね。楽は少し初に感化されすぎているようですから」

「そこなんだよ。鈴さん、先に俺からも謝っておくね。楽はきっと君が、君たちが傷つくような事を言ってくる事があるかもしれない。でもそれが龍の価値観なんだ。もっとも今もそんな事を考えているようなのは一部なんだけど、その一部の人と長く居すぎたせいで楽はちょっと、その……何ていうか捻くれちゃってるっていうか、とにかく! イラっとしたら遠慮なく殴っていいからね!」

「突然放り出すのは止めてくださいよ。鈴さん、正直に言うとその一部の人たちは極度の人間嫌いなのですよ」

「え?」

「人間は姿形は私達と似ているけれど、龍に姿を変える事も出来なければ、力もない。それはただ単に進化の過程でそうなっただけなのですが、龍の中にはそういう所を持ち出して優劣をつける方たちが居るんです。というよりも、ほとんどの高官や高位の龍はそう思っていると思います。そして、それは以前の私もそうでした」

「……」


 千尋の言葉に鈴は言葉を失った。元々、千尋は人間が嫌いだった。その事実は鈴にとっては衝撃だったのだ。


 そんな鈴を見て千尋は何を勘違いしたのか申し訳無さそうな顔をするが、鈴が衝撃を受けたのはそこではない。


「やっぱり千尋さまは凄いですね……」


 思わず漏れた鈴の声に千尋はおろか流星までキョトンとしているが、鈴は今、とても感動していた。


「えっと、鈴さん? 今は私が最低だったという話をしているのですが……」

「最低なんかではありません! 嫌いだった人間を守るために地上に自ら降りて来られたのでしょう?」

「え? ええ、まぁそうですね。罰というのはそういうものなので」

「そんな罰をあえて選んだというのが凄いと思うのです。やっぱり、千尋さまは愛に溢れた方でした!」


 鈴の言葉に、正面の流星が噴き出した。それに気づかず鈴は続ける。


「嫌いな種族を守ろうだなんて、そしてそれを実際にやってのけるなんて、そうそう出来る事ではありませんから。千尋さまは単なる義務感でそれをしていたのかもしれませんが、千尋さまが私達の為に心を砕いてくれていた事を私も知っているので」

「そ、そうですか……?」

「だって、花嫁をあれほど厳選するような方です。適当に守ってくれている訳ではない事ぐらい、私にも分かります。雅さん達がずっとここに居るのも、きっとそう思っているからに違いありません」

「……」

「あ、すみません……つい生意気を言ってしまいました」


 黙り込んで片手で顔を覆った千尋を見て鈴が慌てて謝ると、千尋はポツリと言った。


「ありがとう……ございます。今のあなたの言葉で何だか全てが報われたような気がします」


 と。

 

 

 

 どうして鈴はこんなにも千尋の心を救ってくれるのだろう。


 千尋は自分の顔が赤くなっているのを見られないように鈴にお礼を言うと、やっぱり自分は間違っていなかったと確信していた。


 鈴と番になりたい。婚姻を結びたい。この娘でないと嫌だ。


 一人きりで長い年月を過ごしてきたけれど、どうして今までこんなにも単純な気持ちに気づかなかったのだろう? 


 その理由はとても簡単だ。千尋の周りに居た誰も、鈴では無かったからだ。


「はぁ、今の龍の都に必要なのはこういう子だよ。人間なのが惜しいなぁ。あ、先に言っとく。俺の番、息吹って言うんだけど絶対に君の事好きだと思う。もしこれから先会う事があったら仲良くしてやってね」

「? はい」


 そう言って流星は首を傾げて曖昧に頷く鈴を見て笑った。


 そんな話を聞きながら、龍の都に鈴がやって来た未来を何となく想像してまた赤くなる。


「それにしても美味しかったな。話は戻るけど、サンドイッチだっけ? 千尋くんは毎日こんなの食べてんの?」

「ええ。羨ましいでしょう?」

「羨ましいよ! えー、だからこの間売店の食べなかったんだー。ま、気持ちは分かるよ。自分の為だけに作ってくれた物とそうでない物はやっぱ全然違うよね」

「そうなんですよ、私もそれを地上に下りて初めて知りました。喜兵衛の料理もそれはそれは美味しいんです。ねぇ? 鈴さん」

「はい! それはもう、本当に絶品なんです!」

「へぇ! それも食べてみたかったな!」

「流星さまはここへ遊びに来られたりはしないのですか?」


 千尋は100年に一度里帰りをする事が許されているが、よく考えれば都の方からこちらへ遊びに来る事はないのだろうか? 


 鈴が疑問に思って尋ねると、流星はちらりと千尋を見た。


「それがね、千尋くんが呼んでくれないんだよね。別に禁止されてる訳じゃないのにさ」

「そうなのですね。千尋さまはもしかしたら罰を受けたのにそれは良くないと考えられたのですか?」

「え? いえ、別にそういう訳では……」


 真っ直ぐな鈴の目を見ると、とてもではないが面倒だったという理由で今まで呼ばなかったとは言えなくて千尋は曖昧に頷いて笑った。


 そんな千尋を流星が白い目で見てくるが、流星の中で株が下がるよりも鈴の株が下がる方が嫌だ。


「……今度、誘います」


 ポツリと千尋が言うと、鈴は花が綻んだように笑う。


「はい、是非! たまには息抜きも大事だと思います!」

「息抜き……」


 むしろ鈴を膝の上に乗せて力を流し込んでいる時が今の千尋の一番の癒やしなのだが、流石にそれは言えない。


「ふはっ! こんな千尋くんが見られるの新鮮!」

「流星!」

「いや、だって言い淀む千尋くんとかハッキリしない千尋くんは金いくら払っても見られないからね! この人、それはもう怖い人だったんだから!」

「怖かったのですか?」

「怖い怖い! いっつも笑顔でさ、何考えてるか全く分かんないんだよ。で、笑顔で失敗した事を責めるの! この人法議長だからさ、何か決める時は絶対にこの人通さないといけないんだけど、同僚は皆嫌がってたよね」

「そうなのですね……千尋さまはお仕事には厳しい方なのですね。普段はとてもお優しいのに。でも、お仕事をしている千尋さまも少し見てみたい気がします」


 そう言って鈴は笑うが、千尋からしたらそれは絶対に避けたい。


「何も面白くありませんよ、仕事中の私なんて」

「そうですか? でもきっと格好いいと思います!」

「……格好いい……」


 初めて言われた褒め言葉に思わず千尋が目を輝かせると、そんな千尋を見てまた流星が笑う。


「千尋くんは案外単純だったんだね」

「自分で言うのも何ですが、そうだったみたいです。それで話は戻しますが、解決するのにどれぐらいかかりそうですか?」


 いつまでもここで鈴と他愛もない話をしていたいが、そうはいかない。目の前ににある問題を一つずつ解決しなければ、鈴と番になる事はおろか、婚姻を結ぶ事など絶対に出来ない。


 何よりも地上での鈴との婚姻も佐伯家に許可を貰わなくてはならないのだ。


「俺たちも相当危ないんだよ。楽を丸め込んだのは初だけど、俺は千眼に目をつけられそうなんだ」

「では自由なのは息吹だけ、という事ですか?」

「そ。おまけにその千眼の想い人がこれまたややこしい動きしててさ。今回楽が追放になったのを良い事に、君の無実を王に進言しだしたんだよ。その動きを初が勘付きそう」

「なるほど。私が無実であれば、初との番も解消されると思っているということですか?」

「そういう事。そしてそっちの勢力が凄い勢いで増してる」


 真面目な顔をして言う流星に、千尋は黙って頷いた。隣では鈴がハラハラした様子でしきりに千尋と流星を交互に見つめている。


「すみません、鈴さん。分からないですよね、こんな話」


 千尋が言うと、鈴は困ったように俯いてポツリと言う。


「すみませんは私の方です……私に何か力になれる事があれば、と思ったのですが、そもそもお二人が何のお話をしているのかさっぱりでした……」

「何も鈴さんが謝る事は無いのですよ。それにあなたには出来る事が沢山あるではないですか」

「そう……ですか?」

「はい。美味しい料理は作れるし、美しい歌も歌える。それ以上を望んだら、私は罰が当たってしまいますよ」

「千尋さま……ありがとうございます」


 はにかむように笑う鈴を見て千尋が満足気に頷くと、流星が白い目で千尋を見つめながら言う。


「とりあえず報告はしたからね。それから楽の事よろしく」

「ええ、分かっています。出来るだけ鏡は持ち歩くので、また動きがあったら教えてください」

「分かってる。それじゃあ俺はそろそろ戻るよ。鈴さん、今度は千尋くんがべた褒めしてたとんかつ食べさせてね」

「はい! あ、ちょっと待っててくださいね。千尋さま、少し席を外します」


 そう言って鈴は千尋に断りを入れて部屋を出て行ってしまう。鈴が出ていった途端に流星が身を乗り出して来て言った。


「それにしてもさぁ、千尋くん」

「はい?」

「俺思ったんだけど」

「ええ」

「君は人間にビックリするぐらい優しいんだね。鈴さんの事本当に愛してるみたいに見えるよ。おまけに思ってたよりも君はずっと激情型っぽいね」


 流星の言葉に千尋は言葉を詰まらせた。


「私がですか?」

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