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龍の箱庭  作者: 揚羽渓名
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「それしか考えられないけどね。どんな手使ってくるのか分かんないけど、千尋くんはどのみち刑期を無事に終えるか無罪になるまでこっちには戻って来られる訳ないんだよ。でもさ、この感じだと初は君を無罪にする為に何かをでっちあげそうじゃない?」

「そこまでしますか?」


 ちょっともう初への認識が甘すぎた自分が恥ずかしいほどだが、思わず驚いた千尋に二人は真顔で頷いた。

 

「好きな奴の為なら何でもしちゃうよ、あれ」

「実際私達だって最初は滅茶苦茶嫌われてたからな! 千尋が私達に仕事の連絡をしょっちゅうしてきてくれてたから仲良くなれたんだよ」

「あなた達もまた利用されたと言うことですか?」

「いや、それはお互い様だから。それにそれを餌にしたのは僕たちだからね」

「なるほど」


 こんな会話をしていると、龍の都に戻ってきたのだなと実感する。だから余計に鈴や雅と話していると楽なのかもしれない。

 

 高官の職についた日から毎日がこんな会話ばかりだった。誰かを出し抜いたり踏み台にしたり、利用したりされたり、もううんざりしていた所にあの事件である。

 

 初達が何かを仕組んで千尋に罪を着せたというのなら、今はそれに感謝すらしているぐらいだ。

 

「私は都を出て良かったです、本当に」

「どうして?」

「でなければ、きっと初と同じようになっていたでしょうから」


 そう言って千尋は買ってきたおにぎりと卵焼きを食べたが、一口食べて箸を置く。

 

「食べないのか?」


 そんな千尋を見て息吹が不思議そうに言うので、千尋はそっと残りのおにぎりと惣菜を全て息吹の前に押しやった。

 

「ええ。食べますか?」

「いいのか!? ラッキー!」

「鈴さんのご飯が食べたい?」


 喜ぶ息吹の隣で流星がおかしそうに言うので、千尋は静かに頷いた。

 

「よく分かりましたね。喜兵衛のだし巻き卵と、鈴さんのとんかつが食べたいです。ああ、高菜と昆布のおにぎりもいいですね」

「毎日美味いもの食べてたんだね、千尋くんは」

「ええ、それはもう」


 そう言って微笑んだ千尋を見て、流星も息吹も呆れたような顔をしている。

 

 その時だ。楽が青ざめた顔でノックも無しに部屋に何かを握りしめて飛び込んできた。その手には千尋の手鏡が握られている。

 

「ち、ち、千尋さま!」

「ああ、誰かから通信が入りましたか?」


 調べ物は流石に邪魔されたくなくて部屋に置きっぱなしにしていた鏡だったが、どうやら大晦日振りに連絡が入ったらしい。

 

 千尋は立ち上がって楽から手鏡を受け取り自室に戻って手鏡を覗き込むと、そこに映し出されていたのは喜兵衛だった。

 

「喜兵衛?」


 この時点で何か嫌な予感がしていた。喜兵衛の顔は青ざめて唇が震えている。泣いているのか、目まで赤い。何よりこの手鏡を雅以外が使う事など滅多に無い。いや、むしろこれが初めてだ。

 

『す、鈴さんが――』

「何かあったのですか?」


 喜兵衛の言葉を最後まで聞かずに千尋が手鏡に食らいつく勢いで尋ねると、喜兵衛はガタガタと震えながら目を擦った。

 

『た、倒れて……意識が、無いんです……』

「え?」


 鈴に何かあったとすれば間違いなく背中の傷だと思いこんでいた千尋は、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 

「どういう……事です? いつものではないのですか?」

『違います! いつもみたいに痛み止めを飲んで、それからすぐに気分が悪いと言ってそのまま……』 


 その言葉を聞いて千尋はピンときた。

 

「すぐに帰ります。私が戻るまで、出来るだけ胃の中身を吐かせておいてください!」

『は、はい!』


 手鏡の通信を切って千尋はすぐにリビングに戻り、流星を無理やり立たせた。

 

「流星、一生のお願いです。今すぐ地上への扉を開いてください!」

「……はあ!? なに、急に!」

「説明している暇はないので、これをお渡ししておきます。落ち着いたら連絡を入れるので」


 笑顔を何もかも忘れた千尋を見て、流星は何かを察したように頷いた。

 

「息吹、ちょっと行ってくるね」

「いや! いやいやいや! 千尋、お前まだ二週間も里帰り残ってるんだぞ!?」

「構いません。知りたい事はもう知れたので。流星、頼みましたよ」


 流星の腕を引っ張り無理やり連れ出そうとする千尋に、流星は困ったように言う。

 

「分かった分かった! もうほんと人使い荒いんだから! 流石千尋くんだよ!」

「ま、待ってください! 千尋さま! も、もう戻られるのですか!?」

「ええ。楽、すみませんが、屋敷の事頼みましたよ!」

「は、はい……行ってらっしゃいませ……お気をつけて……」


 しょんぼりとした楽に千尋は申し訳無さを感じながらも、いつも鈴にするように楽の頭を撫でて流星と共に屋敷を飛び出した。

 

 屋敷から地上への扉までは徒歩で10分ほどだ。千尋は珍しく全力疾走で坂を駆け下り、扉に到着するなり息を整える。

 

「あー、これ処分ものだろうな~」

「すみません。この分の刑期も伸ばしてくれと後で嘆願書を王に送っておきます」

「本当にね! 絶対だからね!? それじゃあ連絡待ってるよ。気をつけて」

「ええ、それでは」


 ゴゴゴ、と音を立てて分厚い扉がゆっくりと開く。その少しの時間さえ惜しくて変身を始めた千尋に後ろから流星の笑い声が聞こえてきた。

 

 

 雷鳴と共に里帰り期間を二週間も残して地上に舞い戻った千尋は、一目散に屋敷に向かった。

 

 気配を辿ると、どこに鈴が居るかがすぐに分かる。その方向に向かって走っていくと、何故か鈴を囲んで雅と見覚えのある少女が言い合いをしていた。菫だ。

 

 その隣で喜兵衛が水を持って右往左往している。

 

 そんな光景に珍しく苛ついた千尋は、無理やり二人の間に割り込み冷たい廊下に寝かされたままの鈴の体を無言で抱き上げようとしたが、菫が千尋の袖を掴んで叫んだ。

 

「触らないでよ! 鈴に触らないで!」


 千尋はその手を振り払い菫を見下ろして言う。

 

「邪魔です」


 その一言にその場に居た誰もが固まった。思っていたよりもずっと冷たい声が出てしまったが、今はそんな事に構っている場合ではない。

 

 千尋は鈴を抱きかかえて移動しながら怒鳴った。

 

「喜兵衛! 鈴さんが薬を飲んだ時の状況を教えてください」

「は、はい! 11時半頃に鈴さんは薬を飲まれていました! それから約20分ぐらいで気分が悪いと言ってお手洗いに向かって、なかなか戻らないので姉さんが見に行ったんです!」

「なるほど、ありがとうございます。雅! あなたはこんな時に何をしているのですか!?」

「っ!」


 千尋に怒鳴られてようやく雅は自分のすべき事を思い出したかのように動き出した。

 

 千尋はそのまま自室に鈴を運ぶと、寝台の上に寝かせて鈴の体に手を翳す。いつもは清らかな心音が、今はまるで濁った泥水のような音に変わってしまっている。

 

「心臓まで到達してる……まさか、致死量を飲んだのですか……?」


 千尋は鈴の胸に手を当てて少しずつ力を送り込んだ。弱っている体にいつものように大量の力は送り込めない。もどかしいが、仕方がない。

 

 呼吸がしにくいのか浅い息を繰り返す鈴の額には、玉のような汗がいくつも浮かび、時折激しく手足が痙攣する。

 

「千尋! とりあえずお湯だ。鈴の体は異常なぐらい冷えてるから温めるよ」

「ええ、お願いします。鈴さん、大丈夫です。もう何も心配しなくて良いですよ」


 そう言っていつものように鈴の頭を撫でて力を注ぐことに集中するが、一向に体の中が浄化されない。

 

 その時だ。ふと、鈴の唇が微かに動いた。

 

「鈴さん?」

「ちひ……ろ、さま……?」

「ええ、今しがた戻ってきました。ここに居ますよ」


 安心させようと鈴の冷え切った手を握ると、鈴がほんの少しだけ口元を緩める。

 

 微かな空気混じりの声はよく耳を澄まさなければ聞こえないほどだったが、どうにか聞き取ろうと千尋が鈴の口元に耳を近づけると、鈴は囁くように声を絞り出す。

 

「う、いさん……会え……ました……か?」

「ええ、会えました。あなたが選んでくれたお土産も喜んでくれましたよ」


 千尋が言うと、鈴は今度ははっきりと微笑んだ。

 

「よか……た……ごめ、なさ……い……私、お役に立てな……でも……千尋……さま、は……どうか……しあ……わ、せ……に…………」


 「なって」と、聞こえた気がした。千尋はそんな鈴を見下ろして、胸がギュっと詰まるのを感じる。

 

 鈴はきっと死を覚悟しているのだろう。鈴の頬を伝う涙と笑顔がやけに印象的だった。

 

 息が苦しい。この感情は一体何なのだろう? どうしてこんな時なのに鈴は千尋の幸せなど願うのだろう? どうすればそんな事が出来るというのだ。これが初の言う下等生物? 

 

 いいや、違う。少なくとも、鈴は違う。

 

 微笑む鈴の頬を撫でた千尋は、ようやくそれを理解した。

 

「……鈴さん、私は思いの外、あなたに会いたかったようです」


 冷たい頬を撫でながら言うと、千尋は決意した。

 

「雅、神通力を使います。皆を部屋から出してください」

「え⁉ わ、分かった!」


 千尋の言葉に驚いたのは雅だけじゃない。龍神が私用で神通力を使うという事がどれほどの事かを理解している喜兵衛も弥七も雅と同じように一瞬固まり、慌てて部屋から飛び出して行く。

 

 全員がその場から離れた事を確認した千尋は、そっと目を閉じた。指先から龍の姿に代わり、徐々に変身が解けていく。

 

 部屋いっぱいになった千尋は、小さな小さな鈴を囲うようにとぐろを巻き、神通力を使う。

 

 部屋の中には眩しいほどの光が溢れ、辺りの景色は真っ白に塗り替えられた。

 やがてその光は小さくなり、鈴をすっぽりと包み込む。千尋の神通力が次第に鈴の体に染み込み、鈴の体が淡く光り出した。

 

 少しずつ鈴の心音が落ち着き出した頃、千尋はようやく人の姿に戻りあぐらを組んで鈴を膝の上に抱え上げて強く抱きしめる。

 

「もう大丈夫ですよ、鈴さん。それから、もう二度とあなたを置いてどこかへ行ったりしません」


 数百年なんかでは足りない。この少女と悠久の時を生きたい。

 

 はっきりと鈴への気持ちに気づいてしまった千尋の心は、ようやく満たされていく気がした――。

 

 

 千尋が鈴を抱えたまま鈴の指に自分の指を絡ませていつものように浄化作業をしていると、ようやく雅達が部屋に戻ってきた。

 

「千尋……もう入っても大丈夫かい?」

「ええ、どうぞ」


 短く返事をすると、雅が猫の姿で戻ってきた。尻尾を垂らして耳を伏せ、この短時間で毛もバサバサだ。

 

「ごめん……あたし、何も出来なくて……ん!?」


 雅はそこまで言って顔を上げ、千尋と鈴を見て声を失っている。

 

「そ、それは一体何やってん……だい?」

「浄化中です。最近はよくこうして鈴さんの血を浄化していたのですよ」

「へ、へぇ……え!? そ、その体勢で!?」

「ええ。密着度が高いほど効果が早いので。ほら、大分息も落ち着いたでしょう?」


 そう言って千尋が鈴を見下ろすと、鈴は千尋にもたれかかったまま眠っている。

 

 雅は寝台に登ってきて鈴の顔を覗き込み、無言で鈴の顔にしきりに頬ずりをした。

 

 ポロポロと涙をこぼしながら、雅は何があったかを話し出す。

 

「ほんとだ、良かった……鈴、ごめんよ……本当にごめん……あたしのせいなんだ、千尋。あたしが蘭の薬を鈴に渡しちまったんだよ」

「ね、姉さんだけのせいじゃありません! 自分たちだって、症状が出てたのに強く止めなかったんです!」

「そうです! もしも姉御を罰するなら、俺たちも罰してくれ!」


 雅から遅れて部屋に入ってきた喜兵衛と弥七が縋り付くように近寄ってきて頭を下げる。そんな三人を見て千尋は真顔で言った。

 

「誰も罰したりしませんよ。あの薬をいつまでも置いていた私にも非があります。少し中身が気になったので本当の成分を調べようと置いていたのですが――どういう事か、説明していただけますか? 菫さん」


 扉の外には菫がしゃがみこんで泣いている気配がしている。

 

 千尋が声をかけると、その気配がゆっくりと動き、ようやく菫が部屋に入ってきた。

 

「お久しぶりですね、菫さん。先程は失礼しました」

「……いえ……私も……取り乱していたので」


 そう言って菫は緩慢な動作で近寄ってきたかと思うと、おもむろに千尋の膝の上で眠る鈴の頬を両手で愛しそうに包み込んだ。

 

「鈴……無事だった……助かった……良かった……本当に良かった……」

「あんた、鈴の事を嫌ってたんじゃないのかい?」


 猫の状態の雅がそんな菫に驚いたように言うと、菫も菫で喋る猫に驚いている。

 

「ね、ね、猫が……しゃ、しゃべっ!?」

「失礼だね! あたしはただの猫じゃない! 猫又の雅だよ!」


 猫と言われて雅はすぐに人型に戻りフンと鼻を鳴らすと、菫はとうとうその場に座り込んでしまった。

 

「ば、ば、」

「化け物とか言ったらあんたを頭から齧ってやる」

「っ!」

「雅、そんな意地悪を言うものではありませんよ。菫さん、私達はお察しの通り人間ではありません。雅は猫で、喜兵衛と弥七は狐、そして私は龍です」

「……?」

「すぐには理解出来ませんよね。まぁどのみちあなたの記憶はここを出る時に消してしまうのでどうでもいいです。それよりも、説明してもらえますか? どうして蘭さんが鈴さんに薬だと偽って毒を送って来たのかを」

「ど、毒!?」 


 千尋の言葉に雅達が叫んで一斉に菫を見ると、菫は拳を震わせて下唇を噛み締めた。

 

「鈴の前では……話せない」

「そうですか。どのみち龍の力を取り入れた鈴さんは3日ほど目を覚まさないと思いますが、仕方ありません。部屋を移動しましょうか。雅、喜兵衛、客室にお茶の用意をお願いします。弥七、あなたは先に菫さんを客室へ案内してください」

「分かった」

「はい!」

「はい。おい、こっちだ」


 そう言って三人は部屋を出て行った。

 

 三人を見送った千尋は名残惜しく思いながらも鈴を膝の上から下ろして寝台に寝かせ、掛け布団をかけると眠る鈴の頭を撫でて声をかける。

 

「少しだけ離れますね」


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