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龍の箱庭  作者: あげは渓名


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 鈴はどうにか言葉を発すると、あまりにも人間離れした千尋の美しさや神森家にまつわる怪しい噂の全てに合点がいったと同時に、その場であっさりと意識を失ってしまった。

 

 

「さて、どうしたものですかね」


 千尋が目の前でバタリと倒れてしまった鈴を抱き上げて言うと、喜兵衛が眉を吊り上げて早口で捲し立ててきた。


「どうしたものですかね、じゃありませんよ! 千尋様、本当に結婚する気があるんですか!? 前回の結婚からもう150年経つんですよ!?」

「もちろんありますよ。だからこうやって一人ずつ吟味しているではありませんか。それに遅かれ早かれこの家の事や私達の事は伝えなければなりません。違いますか?」

「それはそうですが……ですが! もう少し時と場所と場合を考えてもいいじゃないですか! 久しぶりに良い方がいらっしゃったのに!」


 その喜兵衛の言葉に千尋は小首を傾げた。


「おや、喜兵衛はそう思うのですか? この娘が良いと?」

「え? ええ、まぁ。ここへ手伝いに来た方は本当に久しぶりだったので」

「なるほど。彼女はここへ手伝いに来たのですか。喜兵衛、ありがとうございました。それから、たまには洋食を食べたいのですが」


 千尋はそう言って喜兵衛が用意している朝食を見てポツリと言うと、喜兵衛は即座に答えた。


「無理ですね。それは諦めてください。自分は和食しか作れません」

「……残念です。またどこか出かけた時ですね……」


 言いながら千尋は鈴を抱いたまま炊事場を出ると、鈴を部屋に運んだ。

 

 自室に戻るとそこには雅が既に喜兵衛に話を聞いたのか、怖い顔をして立っている。

 

「聞いたよ。あの子、目を回しちまったんだって?」

「本当の事を言っただけなんですけどね」

「本当の事だろうが何だろうが、来てすぐに話すような事じゃないと思うんだけどね?」

「手間を省こうかと思ったんですよ。いい加減まどろっこしいでしょう?」

「だからってあんた! はぁ、まぁ天界から追放された龍神さまの考える事なんて、一介の猫又には到底理解出来ないんだろうさ」

「雅」


 雅の言葉に千尋が冷笑を浮かべて言うと、雅は肩をすくめて猫の姿に戻った。


「はいはい、あたしが悪かったよ。それから長年人の側で暮らしていたあたしからあんたに一つ忠告だ。いつまでもそんな態度で人間と向き合ってたら、いつか手酷いしっぺ返しを食らう事になるよ。それから、時代も変わったんだ。たまには花嫁候補と食事でもしてみたらどうだい? 引きこもりの龍神さん」


 それだけ言って雅は千尋の次の言葉も待たずに部屋の窓から飛び出して行ってしまう。

 

「手酷いしっぺ返し、ですか。それはもう十分に味わいましたよ。嫌というほどね」


 自嘲気味に笑った千尋は、歴代の花嫁候補達を思い出していた。


 雅が言ったようにニコニコしてただ笑っているだけの娘たち。千尋が龍神だと知るなり媚を売ってくる者も居た。家柄が物を言う時代だ。その選択肢しか彼女たちには無かったのだろう。結局誰も決まらないまま150年も過ぎてしまった。


 送り返した花嫁候補達には悪いが、それが千尋の地上での仕事なのだ。

 

 

 鈴が二度目に目を覚ました時には陽はすっかり落ちていて、辺りはそろそろ薄暗くなっていた。

 

「……もしかして夢……だった?」


 朝に一度起きたと思ったが、もしかしたら思いの外自分は疲れていて今の今まで寝こけていたのだろうか? 

 そんな事を考えながら上体を起こすと、寝台の上にあの時の黒猫がちょこんとこちらを見上げて座っている。

 

「そんな都合の良い夢があるもんか」

「!? 夢……じゃなかった……」


 突然口を開いた黒猫を見て鈴が驚いて目を丸くすると、黒猫は目の前で雅の姿になる。

 

「そうさ。まぁ大抵の娘はあたし達の事を知ったらあんたみたいな反応をする。気にしなさんな」

「は、はい。え? じゃあもしかして千尋さまも……」

「ああ、龍神だよ。この土地が出来た時からここを守り続けている龍神さ」

「そ、そんな方の元に私は嫁ごうとしているのですか?」

「そうだよ。なんだ、逃げないのか」


 おかしそうに笑った雅に鈴はコクリと頷いた。逃げた所で行くあてもない。それならば千尋に追い出されるまでは自分の役目をしっかりこなそうと思っている。

 

「へぇ、みどころがあるんじゃないの、あんた。で、そろそろ夕飯の時間だよ」

「あ、はい! すぐに着替えます」

「別にいいさ、そのままで。誰も気にしやしないよ」


 雅はそれだけ言って颯爽と部屋から出て行ってしまった。それを見て鈴は慌てて寝台から飛び起きて着替えようとしたが、雅がわざわざ呼びに来たということは、もしかしたら既に千尋は席についているのかもしれないと考え、結局割烹着だけを脱ぎ捨てて部屋を飛び出した。

 

 出来るだけ早足で食卓に辿り着くと、思った通りそこには既に千尋が座っていた。

 

「お、遅くなってしまって申し訳ありません」


 相手が龍神様だと思うと途端に足が震えそうになるが、子供の頃に父によく聞かせてもらった良き隣人だという妖精の話を思い出してどうにか震えずにすんだ。 

 きっと千尋も良い隣人の類なのだろう。そう思うことにする。


「そんなに慌てなくても、私も今来た所ですよ」

「そうですか……失礼します」

 

 にっこり微笑んだ千尋に鈴はもう一度頭を下げて席についた。眼の前にはクラクラするほど豪華な和食が所狭しと並べられている。中には見たことも無い料理もいくつかあった。


「さて、では冷めないうちに食べましょう」


 そう言って千尋は綺麗な所作で食事をしていく。それを見て鈴は手を合わせて小さな声で挨拶をすると、ようやく箸を進めた。


 しばらく二人は無言で食事をしていたが、不意に千尋が箸を置いて話しかけてきた。

 

「一つ聞いても構いませんか?」

「はい?」


 それを受けて鈴も慌てて箸を下ろして背筋を伸ばして座りなおす。


「あ、そんな畏まるような話ではないですよ。箸、もしかしたら苦手なのかな、と思っただけなんです」

「! も、申し訳ありません!」

「何故謝るのです? 別に私は不快になど思っていませんよ。ただ不思議に思っただけです」


 千尋の質問に鈴は声を詰まらせた。どう答えればいいのか迷ったが、正直に言ったら佐伯の家を悪く言ったように聞こえやしないだろうか。かと言って良い言い訳も思いつかない。

 

「その、私は父がイギリス人だったので洋食が主だったんです。だからその……」


 これは嘘ではない。両親が亡くなるまではずっと洋食だった。ただ、佐伯の家では作る事はあってもただの一度も洋食など食べた事はない。それどころかまともな食事をした事がない。

 

 オズオズと言った鈴の言葉を聞いて、何故か千尋が顔を輝かせた。


「そうだったんですね。もしかしてあなた、洋食を作れたりしますか?」

「え? はい、一通り有名な物は作れますが……」

「そうですか! では明日の夕飯はあなたにお任せしてもいいでしょうか?」


 突然の千尋の言葉に思わず鈴が頷くと、千尋は嬉しそうに笑って雅に何かを言いつけた。それを聞いて雅が黒猫に姿を変えて食卓を出ていく。


 まさか神森家にやってきて早々に食事の準備を頼まれるなどとは思っても居なかったが、何もする事が無いよりはずっといい。


「はいよ、あんたはこれ使いな」


 しばらくして戻ってきた雅は、鈴の前にフォークとナイフ、そしてスプーンを置いてくれる。


「あ、ありがとうございます」

「ああ。それじゃ、ゆっくり食事を楽しみなよ」


 雅はそう言って鈴の頭を徐ろに撫でると、また食卓から去っていく。誰かに頭を撫でられる事なんてもう思い出せないほど昔の事で、思わず鈴が撫でられた所に触れてポカンとしていると、そんな鈴を千尋は不思議そうに見つめている。


「どうかしましたか?」

「あ、いえ、誰かに撫でられたのなんて昔の事すぎて驚いてしまいました……あ、カトラリー、ありがとうございます」

「いいえ、どういたしまして。それにしても洋食を作れる方がうちに来るなんて」

「? 喜兵衛さんは作れないのですか?」

「ええ、そうなんです。喜兵衛は人に化けてしばらく割烹料理店で修行をしていたのですが、そこでは一切洋食は出なかったそうなんです」

「そうだったんですね。最近は女学校でも洋食を習うみたいで、菫ちゃんが絵を描いて見せてくれました」


 菫はいつもそう。新しい料理を習うと文句を言いながら鈴に習ったばかりの料理を教えてくれた。そして出来上がった物を食べて嫌味を言う所までがセットだ。


「へぇ、最近の女学校では洋食も習うのですね」

「はい。ですから私が特別に洋食を作れるというわけではないですよ」

「そうなんですか? ですが今までうちにいらした方たちは誰一人としてそんなものを作ってくれた試しなど無かったのですが」 

「それはきっと龍神さま相手にお出ししてもいいものか、と思ったのではないでしょうか? 恐れ多いと思ったのだと思います」


 実際、明日の夕食を担当してくれと言われても正直何を作ればいいのかさっぱり分からない。下手な物を作る訳にはいかない。特に喜兵衛のこの素晴らしい料理を堪能した後では。

 

 鈴の困惑とは裏腹に千尋は少しだけ笑い声を漏らして言った。


「果たしてそれはどうでしょうね。まぁ、そういう事にしておきましょうか。明日の夕食が今から楽しみになってきました。あなたの得意な物でいいですからね」

「が、頑張ります」


 じっと千尋に見つめられて思わず俯いてしまったが、先程の千尋の笑顔がどうにも鈴の心に引っかかった。

 

 緊張しっぱなしの食事を終えて部屋へ戻ると、そこには既に猫の姿の雅が我が物顔で寝台を占領していた。

 

「美味しかったかい?」

「緊張して味がほとんど分からなかったです……」


 正直に答えた鈴に雅は声を出して笑った。


「まぁそのうち慣れるさ。それで食事を残してここに持って帰ってきたのかい?」

「食事はその……一度に入らなかったんです」

「そりゃ災難だったね。そんなに緊張したのかい? あたしには大分慣れてきただろ? たった半日であたしを受け入れた奴は初めてだよ」


 そう言って雅は器用にお腹を抱えてケラケラと笑う。その姿はまるで幼い時に読んだ絵本に出てきた猫の妖精のようだ。

 

「雅さんは……何ていうかとても気安くしてくれるので。最初はもっと怖い人なのかなと思ってました」


 まだ会って間もないけれど、雅は鈴が思っていたよりもずっと鈴の事を気にかけてくれている。さっき頭を撫でてくれた時の事を思い出して鈴が言うと、途端に雅が二本足で立ち上がった。

 



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