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龍の箱庭  作者: 揚羽渓名


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「確かにそれもあるでしょう。ですが、それだけではありません。血の流れが清くなっていくのと対称的に体への負担が重くなっていく。今までは……ずっとそうでした」

「うーん、やっぱり龍の力は人間には少し荷が重いのかな」

「かもしれませんね。特に私は水龍です。毎月人の血を浄化しすぎてしまうのかもしれません」


 歴代の花嫁達は皆、苦しみはしなかった。最後はいつも眠るように穏やかに役目を終える。

 

 けれど、もしも今回も鈴がそうなったとしたら、千尋に耐えられるだろうか?

 

 そこまで考えて気付く。こんな事を考える時点で鈴は今までの花嫁達とは違うという事に。

  

「それにしても鈴が来てからまだ一ヶ月半ぐらいなんでしょ? それなのに今期の花嫁には随分肩入れするね」

「別にそういう訳ではないのです。今までどれほど望んでも花嫁たちは短命でした。それだけは何をしても覆りませんでしたが、今回はたまたま里帰りと時期が一致したので丁度良かったのですよ」


 本当はそれだけじゃない気もするが、今はまだ誰かに話すような段階でも無いと判断した千尋は、いつものように当たり障りの無い理由をでっち上げた。そんな千尋の答に流星は軽く頷く。

 

「なるほどね。だとしたら君が探してるここらへんの資料は、ハッキリ言って役に立たないよ」


 そう言って流星は千尋の目の前に積まれていた資料を脇に押しのけると、そのまま立ち上がって書庫の奥に消える。

 

「流星?」


 呼びかけても流星からの返事はない。

 

 しばらくすると、流星は数冊の本を持って戻ってきた。

 

「ここら辺に千尋くんが探してる答えが載ってると思うな」

「これは――龍と人との婚姻? 正気ですか?」

「正気も正気。どうやっても人間には龍の力は強すぎる。特に千尋くんは龍の中でもかなり力が強いのに、そんな力を毎月体に流し込まれたんじゃ、そりゃ弱るに決まってる。だから地上に居る間だけでも鈴さんと番関係を結べばいい」

「一時とは言え私に人間と番になれと? 初もいるのに?」

「うん。別に番は一人って決まりはないでしょ? 君が地上で鈴と番になったって、初は気付きようもないよ。不誠実だとは思うけど、どうしても鈴を長生きさせたいならそれしか無いよ」

「だからってそれだけの為に……」


 確かに鈴の事は気に入っているし、きちんと天寿を全うさせてやりたいとも思っているけれど、流石に人間と番関係になるのは無い。

 

 それに一度番関係を結べば、その関係を破棄出来るのは数百年後だ。そんな事をしたらその間鈴にずっと花嫁の役目を押し付ける事になってしまう。

 

 顔を顰めた千尋を見て、流星はおかしそうに笑った。

 

「だったら諦める事だね。鈴も30前後で亡くなるよ。ま、手っ取り早いのはその子を花嫁に選ばないことだけど」

「それが出来ないからこうやって探しているのですが?」

「そんな事言ったって無理だってば! 根本的に俺たちと人間では造りが違うんだから。長生きさせたいなら番にでもなって人間を抱いて力を直接流し込んで体を龍に近づけるしか無いんだよ。だからこの人たちはこういう文献を残してる訳だ」


 流星はそう言って持ってきた本の一冊を取り上げる。

 

「まぁこの人たちは人間を愛してしまって番どころか婚姻までして都に連れて来ちゃった人たちだから君とは少し訳が違うけど、一応こういう解決策もあるよってことで」


 流星の言う通り、大昔はそれこそ人間と龍が番になって婚姻まで結んだのは、珍しいがあった話だ。そして大抵人間が龍の都に嫁いできた。実際その子孫も都に居る。

 

 人間は龍と番になりその力を直接体内に取り入れる事で、いつしか龍と同じ年月を生きるようになるのだが、人間と番になるというのはそもそも龍の倫理観の問題だ。

 

「それはそうですが、人間と?」

「そう。鈴を長生きさせたいなら、番になって鈴を抱いて直接力を注ぐしかない。それか最初から花嫁に選ばないかの二択だね」

「……」


 鈴と番に? 流星の言葉に千尋は視線を伏せた。

 

 そんなにも長い年月を鈴と共に過ごしたいだろうか? 龍とも今まで番になりたいと思わなかったのに? 今は目新しい鈴の存在が気になるだけで、これが数百年となるとどうなのだろう? こんな気持ちがそれほど長い年月持続するものだろうか?

 

「まぁ、まだしばらく時間はあるでしょ。ゆっくり考えなよ」

「そうですね。いつかの為に参考にさせて頂きます」

「うん」

「それから初の事は……どうしましょうかね」


 鈴の事も気になるが、流星が持ち込んだ資料が本当であれば、初との番は即座に解消するつもりだ。

 

 けれど、流星のこの感じではまだ決定的な証拠を掴めている訳ではなさそうだった。

 

「番解消するの?」

「まぁ本当に初が千眼と手を組んでいたのなら解消しますよ。そうなると恐らく姫ではなくなるでしょうし、私はただの幼馴染というだけで番を継続するようなお人好しではありませんし、罪滅ぼしをする意味も無いですからね」

「流石だねぇ。番になっても鋼の理性で初に手を出してなかったのがここで報われるとはね。手出さなくて良かったね、千尋くん」

「姫に限らず誰にも出しませんよ。私が龍とそういう行為をする時は子孫を残す時だけです。そもそもそういう欲もほとんど無いんですよね、昔から。発情期は誰にも会わずにいれば当てられる事もありませんし」

「あはは、ぽいね。もう何ていうか君はおじいちゃんみたいに凪いでるもんね、感情が」

「私の事はいいんですよ。流星、そこまで調べたのであれば続きも調べてもらえますか?」

「あれ? いいの?」

「もちろん。事実が分からない限り私もどうしようも出来ません。何か決定的な証拠を掴んだその時は、すぐに知らせてください。ただ、さっきも言った通り公表はまだしないでくださいね」

「またそうやって俺たちを使おうとする~! まぁ乗りかかった船だし、っていうか、むしろ漕ぎ出したの俺たちだもんね。ちゃんと責任取るよ、最後まで」

「ええ、ありがとうございます。それから流星」

「うん?」

「鈴ではなく、鈴さん、ですよ」


 何なら佐伯さんと呼んで欲しいぐらいだが、それはそれで鈴がまだ神森家の花嫁ではない事を突きつけられているようで癪だ。

 

 千尋の注意に流星はポカンとしている。

 

「……へえ、驚いた。そんなにお気に入りなんだ。いつか鈴さんに会えるといいな」

「一生、会わせません」


 それだけ言って千尋は席を立ったが、流星はまだお腹を抱えて笑っていた。

 

 

 千尋が都に戻ってようやく二週間が過ぎた。最初のうちは大晦日や正月に忙しくてそこまで千尋の不在を感じる事は無かったが、落ち着いてくると段々と千尋が居ない事が気になり始めた。

 

「どうしちゃったんだろう、私……」


 何気なく部屋で恋愛小説を読んでいた鈴は、以前よりも主人公の気持ちが分かるようになってきた事に気付く。

 

 雅も喜兵衛も弥七も鈴にはとても優しいけれど、千尋の優しさは皆とは何故か少しだけ違うように感じる。


 いつもは柔和な物腰と優しい口調で常に一線を引いているような人だったのに、あの蔵に閉じ込められた時は少し違った。

 

 何よりも千尋がさりげなく鈴も知らない間に血を浄化してくれていたのだと知った時は、胸が熱くなったのを今も覚えている。千尋の腕の中は温かくて、その心音はとても安心出来た。

 

 けれど、千尋の心は永遠に鈴の手に入らない事を鈴は知っている。千尋には初が居るからだ。そんな二人の中に割って入ろうとは思わないし、それは思ってはいけない事だと言うことも鈴は分かっていた。

 

「雅さんが心配したのはこういう事だったのかな」


 あの時雅は何度も鈴に忠告してきた。それは千尋がとても魅力的で、きっといつか鈴が千尋の事をこんな風に思う日が来るだろうと言うことを知っていたからだ。

 

「流石だな。今までの人たちもきっとそうだったんだろうな」


 これがこの恋愛小説のような感情なのかはイマイチよく分からないが、歌を歌っている時に伴奏してくれたり、たまに意地悪をしてきたり、いざと言う時はとても頼りになったり、そういう所が多分、千尋の魅力なのだ。

 

 そんな話を正直に雅に話すと、雅は目を丸くして鈴を凝視してきた。

 

「やっぱり! ほら言わんこっちゃない! だからあれほどここに嫁ぐのは止めておけって言ったんだよ!」

「でも、あの時はこんな風になるとは思っていなかったので」

「どうすんだよ! いや、まだ自覚しちゃ駄目だよ。傷つくのはあんたなんだからね! それにしても……あんたには闘争心は無いのかい?」

「闘争心、ですか?」

「そうだよ。普通、そこまで行ったら初から奪ってやろう! ぐらいに思わないのかい?」

「そう言うものなのですか? そんな事考えた事ありませんでした」

「いや、あたしもよく分かんないけどさ」

「でもね、雅さん。あの千尋さまが選んだ方ですよ? 絶対に素敵な人だと思うんです!」

「いや、それはどうだろ……だって、罪滅ぼしで付き合い出したんだぞ?」

「絶対にそうに決まっています! 最初は罪滅ぼしでも、本当にそれだけって事は無いでしょうし、それに何ていうか千尋さまには本当に幸せになって欲しいんです」

「あいつは十分幸せだと思うけど?」

「いえ、早く龍の都に戻れたらいいのになって思うんです。その時には私はもう居ないかもしれないけど、千尋さまがずっと笑っていられたらいいなって」

「そういうもんかね?」

「そういうもんです。嫉妬とかヤキモチとかお話にはよく出てくるのですが、私にはまだよく分かりません」


 鈴が知っている愛情は両親からの愛情や雅達の愛情だけだ。そのどれも受動的な物で、積極的な愛についてはまだよく分からない。

 

 正直に告げた鈴を見て雅が困ったように笑った。

 

「それじゃあさ、地上に居る間はあんたが千尋を幸せになしてやりな」

「はい! 頑張ります」


 鈴の寿命など龍の千尋からしたらそれこそ一瞬だろう。そのほんの一瞬だけでも鈴がここに嫁いできて良かったと、鈴と居て幸せだったと思えるように頑張ろう。

 

 鈴が拳を握りしめて力強く頷くと、雅はやっぱり困ったように微笑んだ。

 

 けれど、この決意がこの後すぐに叶えられなくなるかもしれない事など、この時はまだ誰も知らなかった。



 その日の夜、深夜に窓を叩く風の音で鈴は目を覚ました。何だか急に冷え込んだようで、手足が冷たくなっている。それと同時に背中まで軋み出した。

 

「っ……雪、かな」


 千尋はこの痛みは気圧の変化のせいだろうと言っていたけれど、今回の痛みは少し酷い。恐らく体が冷えていた事もあるのだろう。

 

 鈴は手探りで明かりをつけると、引き出しを開けて戸惑った。どちらの薬を飲もうかと考え、蘭の薬を手に取り飲んだ。やはり舌が痺れるが、以前ほどではない。

 

「本当にこれで治るのかな……」


 蘭が嘘をつくとも思えないし、それが薬の好転反応だと言われてしまえば、それを信じるしかない。何よりも蘭の薬は本当に良く効いたのだ。

 

 それから鈴は、やはり冬の間は蘭の薬を飲もうと決めた。痛みは大抵深夜にやってくる。

 

 佐伯家に居た時のように冬はずっと寝不足になってしまって迷惑をかけてしまうという事なく、少しでも早く眠りについてきちんと神森家を支えたかった。

 

 心のどこかで、神森家から追い出されたくないという思いがあったのかもしれない。

 

 最初のうちは舌の痺れや目眩ぐらいだったが、それは好転反応だと自分に言い聞かせ、どうにか耐えていた。

 

 ところが、少しした辺りからそこに倦怠感や息苦しさが加わりだしたのだ。

 

 流石に心配になって蘭にすぐに手紙を書いたのだが、蘭からの返事はやはり同じだった。

 

 「それは好転反応だと先生が言っていた。途中で止めると全て台無しになってしまうから、きちんと最後まで飲みなさい」と。

 

 蘭は鈴にとって、佐伯家で唯一心を許して話せる人だった。疑うだなんて、そんな事ほんの少しも考えなかったのだ。

 

「鈴、あんた大丈夫かい? 何だか最近顔色が悪いよ」

「そうですよ、鈴さん。少し休んだ方がいいのでは?」

「大丈夫ですよ。最近寒いので、もしかしたら色んな感覚が鈍ってるのかもしれません」


 手足が痺れるのも、きっと寒さのせいだ。そんな風に自分に言い聞かせながら鈴が答えると、雅も喜兵衛も納得してくれた。

 

 翌日、昼食の準備をしている時にいつもに増して激しい痛みに襲われた鈴は、初めて蘭に言われた分量の薬を飲んだ。

 

 けれど、それから20分もしないうちに気分が悪くなって喜兵衛に断ってお手洗いに向かったのだが、お手洗いに辿り着く前に鈴は動けなくなってしまった。

 

 最初は手足の痺れだ。それから目眩、腹痛と続き、嘔吐が始まり、呼吸が出来なくなる。

 

 しばらくしていつまでも戻らない鈴を心配したのか、雅が廊下で倒れている鈴を見つけてくれた。

 

 屋敷中に響き渡りそうな声で雅が叫ぶのが、やけに耳につく自分の心音の向こうに聞こえてくる。

 

「鈴!? どうしたんだい!? 喜兵衛! 弥七! すぐに千尋に連絡してくれ! 鈴、鈴!」


 その声を聞きつけたのか、途端に屋敷の中が足音で賑やかになる。

 

「みや……び……さ……」


 何とか意識を保とうとするが、体中の力が抜けてしまって動けない。

 

 力は抜けているはずなのに、まるで壊れたおもちゃのように自分では制御できない手足の痙攣に鈴は怯えていた。

 

 これは多分、ただ事ではない。それだけがはっきりと分かる。

 

 ちらりと脳裏に千尋のあの穏やかな笑顔と妖艶な声が聞こえた気がした。

 

 もしかしたらもう千尋には会えないかもしれない。もしかしたらもうすぐ自分も両親の所へ行くのかもしれない……。

 

 こんな時なのに何故か心はとても冷静で、浮かんでくるのは千尋のあの儚げな笑顔だった。本当はあんな笑顔じゃなくて、もっと心から笑っていてほしかった。千尋には、ずっとずっと笑っていて欲しい。

 

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