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龍の箱庭  作者: 揚羽渓名
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 初めて鈴が神森家にやって来た時はあまりにも痩せ細り顔色も悪くてどうしようかと思ったのだから。


「雅ではありませんが、鈴さんはもう少し怒ってもいいと思いますよ。あなたは温厚すぎます」

「千尋さままで! 私は別に温厚な訳じゃないんです。自分自身にはよく怒りますし……」

「自分自身にって……そりゃあんた怒るって言わないよ。あんたと千尋は案外相性がいいのかもしれないねぇ」

「そうですか?」

「そうだよ。千尋も怒らないからね」

「そう言えばそうですね。千尋さまが怒っているのを見たことがありません!」

「それは別に誰も怒るような事をしないからですよ。理由が無ければ怒らないでしょう?」

 

 何故かキラキラした目で鈴に見つめられて千尋は居心地悪く答える。千尋の場合は温厚なのではなくて、大して興味がないのだ。だから怒らない。それに尽きる。


 そんな千尋の心を読んだかのように雅が意地悪に口の端を上げて言った。


「そんな事言って、あんたはあたし達が怒られそうな事をしても怒らないじゃないか。あんたの温厚と鈴の温厚は全然違うよ」


 まるで釘を刺すかのような雅の言葉に千尋は思わず咳払いをしてその場を誤魔化した。


「ところで千尋、あんたどこ行ってたんだい?」

「もうじき龍の都に戻るので、皆にお土産を買ってきたんですよ」

 

 話が変わった事に安堵しながら千尋が答えると、それを聞いて鈴が驚いたように言う。


「龍の都? 千尋さま、戻られるんですか?」

「ええ。とは言え一ヶ月ほどですが。私は龍の都では罪人ですから」

「罪……人?」

「ええ。前に神森家について話した事がありましたが、そもそも私がこの地にやってきたのは、龍の都を追放されたからなのですよ」

「ちょ、千尋! あんた……いいのかい?」

「別に構いません。今更この話をして鈴さんが私を軽蔑するとも思えませんし」


 万が一軽蔑されたとしたら、残念だがこの婚約は破談になるだけだ。そういう意味では良い機会だとも言える。鈴は案の定真剣な顔をして千尋を見ていた。


「ですが、こんな所でする話ではありませんね。帰ったら全てをお話しましょうか」

「はい」


 真剣な顔で頷いた鈴を見て柔らかく笑った千尋の笑顔を、何故か心配そうに見ていた鈴の顔がとても印象的だった。



 フルーツパーラーを後にした三人は、それから屋敷に辿り着くまでずっと無言だった。何か話したい事も無いし、今更何かを取り繕う事もない。

 

 そんな三人の異様な空気を察したのか、迎えに来た弥七は心配そうに鈴を見て何か言おうとしたが、すぐに口を閉ざしてまっすぐ家まで送り届けてくれた。


「雅、喜兵衛に今日の私と鈴さんの食事は少し遅めに私の部屋へ運ぶよう伝えてくれますか?」

「分かった。鈴、大丈夫かい?」

 

 鈴を気遣う雅に鈴は少しだけ微笑んで頷いた。


「私、先に着替えてきますね。せっかくのお洋服を汚してしまったら大変です」

「ええ。では着替えが終わったら私の私室へ来てください」

「はい」

 

 それだけ言って鈴は荷物を持って弥七に礼を言って屋敷に入っていく。


「千尋、分かってると思うけど初の事は――」


 雅の言葉を遮って千尋は口を開いた。初の事は伏せておけと言いたいのだろうが、それは出来ない。


「もちろん話しますよ。私が追放された事と初は切っても切れませんから」

「……そうかい。好きにしな。それで振られたってあんたはすぐに割り切れるもんね」

「雅」

 

 嫌味とも違う、どこか悲しげな雅のセリフに千尋は少しだけ眉を潜めた。そんな千尋を見て雅が鼻で笑う。


「珍しいね。あんたのそんな顔、初めて見たよ」

 

 一体どんな顔をしていたのかは分からないが、雅はそれだけ言ってさっさと屋敷に戻ってしまった。

 

 そんな雅の後ろ姿を千尋はため息をつきながら見送る。

 

 フルーツパーラーでは千尋と鈴の相性が良いのではないかと言ってみたり、今のように振られたってすぐに割り切れるだろうなどと言ってみたり、雅の言う事はチグハグだ。一体どうすれば雅は納得するのか、千尋にも分からない。


 自室に戻ると、それからすぐに鈴がやってきた。


「失礼します、千尋さま」

「そんなに畏まらなくてもいいですよ。自分の部屋だと思って楽にしてください」

「そ、それは無理です!」

「そうですか? もうすぐここがあなたの家になるかもしれないのに?」


 何だか鈴らしい反応に思わず千尋が笑うと、鈴はキョトンとして首を傾げる。


「これから話す事が私からの最後の質問です。これを聞いて、あなたが最後の判断をしてください」

「私が、ですか?」

「ええ。最後の決定権はあなたにあります。今までこんな話を誰かにした事なんて無かったんですけどね」


 苦笑いを浮かべて言った千尋に鈴は薄く口を開き、すぐに閉じた。まるで何かを言おうとして無理やり口を噤んだようだ。


「いいですか?」


 そんな鈴を問い詰める事もせずに千尋は最後の確認をした。


 これで振られてしまったら、鈴にはある程度の金銭を渡して出て行ってもらおう。雅の言う通り、鈴はもっと世界を知ったほうがいい。自由を謳歌すべきだ。


 けれど、もしも鈴がこの家に居る事を選んだその時は、できる限りの事を千尋はするつもりだ。それこそ鈴が千尋の愛を一瞬足りとも疑ったりしないように振る舞う事もしてみせる。人間の寿命など、龍にとっては瞬きをするほどの時間しかないのだから。


 真っ直ぐに鈴を見ると、鈴は珍しく千尋から視線を外さなかった。そして、ハッキリと言う。


「はい」


 と。

 

 それを聞いて千尋が鈴にソファに座るよう手で促すと、鈴は大人しくそこに腰掛けた。その正面に千尋が腰掛ける。そこへ、ちょうど雅が食事をお茶だけを持ってやってきた。


「はいよ。食事はもっと後にしてもらったよ」

「ええ、ありがとうございます」

「どういたしまして」


 雅はそう言って鈴の頭を撫でて無言で部屋を後にした。そんな雅の仕草に鈴は少しだけ俯いて泣きそうな顔をしている。


「あなたは雅が本当に好きなんですね」

「え?」

「顔がね、全てを物語っています。少しだけ……羨ましいですね、雅が」


 そんな風に誰かに愛情を向けられた事が無い千尋は、何だかそんな光景が羨ましかった。そんな千尋に鈴は不思議そうな顔をして言う。


「千尋さまにはご両親やご兄弟はいないのですか?」

「え?」

「雅さんに撫でられると、何だか両親に撫でられた時の事を思い出すんです。私が雅さんに撫でられてそんな風に思うと言うことは、きっと雅さんがそんな思いを込めて撫でてくれているのだろうなって思って」

「ああ、なるほど。もちろん私にも両親は居ますが、私は両親に撫でられた記憶は無いですね」

「一度も?」

「ええ、一度も。私は子どもの頃に養子に出されたので」

「!」


 何故かショックを受けたような顔をする鈴を見て千尋は困ったように笑った。


「龍の世界では日常茶飯事なのですよ、鈴さん。だからそんな顔はしないでください」

「そ、そうなのですか?」

「ええ。優秀な子や見目の美しい子や水龍はしかるべき所に預けられ、しかるべき教育を受ける。そして成人したら養子縁組は解除されます。立派な龍を育て上げた家にはそれなりの見返りがあるので、皆少しでも優秀そうな子どもを引き取ろうと躍起になる。それが龍の世界なんです」

「そんな……それは辛いですね。本人が望んだのならともかく、幼い頃に両親と引き離されるのは……辛いです」


 そう言って視線を伏せた鈴を見て、何かを思い出したかのように珍しく千尋の胸がギュっとなる。実際に幼い頃に突然両親と別れる羽目になってしまった鈴には、もしかしたらとてもよく分かるのかもしれない。


「それが当然なので誰にもそんな風に言われた事はありませんでしたが……そうですね。幼い頃の私も、もしかしたら泣いたのかもしれませんね」


 もう記憶にも無い両親の姿をいくら思い描こうとしても無理だった。何だかそれが酷く寂しい。そんな千尋に鈴は言った。


「きっと、泣いたと思います。泣かない子なんて……居ません」


 珍しく強い口調で返してきた鈴に千尋は微笑んだ。


「あなたは優しいですね。そしてとても強い。あなたが他人に怒らないのは心の器が大きいのでしょう。私とは真逆です」

「? そんな事はありません。私よりも千尋さまの方が器が大きいに決まっています。国一つを守るなんて、凄い事です」

「いえいえ。私の場合はただの義務感ですから。そのせいで龍の都を追放されたのです」

「どういう……意味ですか?」

「それを今からお話します。私は龍の都で法議長という仕事をしていました。そんな私には幼馴染が居たんです。龍の王の二番目の姫の、初という女性です」

「初、さん」

「ええ。私が養子に行ったのは高官の家でした。必然的に幼い頃から王の娘である初とは顔見知りだったんです。幼い頃からよく知っていた為、将来は初と番になり、婚姻関係になるのだろうと周りからは期待されていました。ちなみに番というのは、こちらで言う恋人同士のようなものです。ここまではいいですか?」

「はい」

「ですが、周りの期待とは裏腹に私は誰かと番になるつもりはありませんでした。そもそも仕事が忙しくてそんな事を考える暇すら無かったのです。そんなある日、私は王に呼ばれました」

「王様にですか?」

「はい。理由は、誰かが私の暗号を使って都のお金を横領したというものでした」

「暗号?」

 

 不思議そうな顔をする鈴に千尋は頷きながらお茶を一口飲んで続きを話す。


「都には莫大な財産があります。その財産を一人の龍が管理していたらいざという時に危ないので、数人で管理するのですよ。そしてそれを引き出す為の暗号という物があるのですが、私の暗号が誰かに使われてしまったのです」

「え!?」


 鈴は青ざめて千尋を見つめてきた。


「そ、それは大変な事なのでは?」

「大変です。もちろん私が横領した訳ではありませんが、暗号を管理していたのは私です。その情報がどこかから漏れ、悪用されてしまった。その事で王に呼ばれたのです」

「は、犯人は見つかったのですか?」

「はい。割と早い段階で。ですが捕まってはいません。あと一歩の所で逃げられてしまい、犯人の家には手紙が残されていました。犯人は女性で、お金に困って明日寝る場所も食べる物も無いというような生活を送っていた彼女に、誰かが私の暗号を教えたそうです。それを使って彼女は都の金庫からお金を盗みました。けれどもちろん都の金庫などそう簡単に開けられる物ではありません。そこで私の幼馴染である初が利用されたのですよ」

「!」

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