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龍の箱庭  作者: あげは渓名


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2

 鈴にまわしてくるような縁談なのだからあまり大きな家柄ではないだろうと思っていたのだが、神森家は侯爵家だ。


 けれど、それを差し引いてもお釣りが来そうなほど曰く付きの家柄でもあった。


「何か不服か? お前には丁度良いだろう?」

「……はい」


 きっと勇は鈴の容姿の事を言っているのだろうと察した鈴は、ただその決定に従う他なかった。


 呆然としたまま廊下に出ると、そこには菫が大きな目をこちらに向けて、ほとんど睨みつけるように鈴を見ている。


「おはよう、菫ちゃん」

「ふん、あんたが居なくなったらせいせいするわね。やっとこの家も元通りだわ!」

「うん……今までごめんね。ありがとう」

「ほんとよ。あんたが居なくなったらあんな蔵さっさと潰して私の部屋にするんだから! 荷物ちゃんと全部忘れず持って行きなさいよね!」


 そう言って菫は鼻を鳴らしてドカドカと廊下を歩き去ってしまう。そんな後ろ姿をしばらく見送って少しだけ俯いて鼻をすする。


 昔は今ほど仲が悪かった訳ではないような気がするけれど、最近の菫はこうやっていつも突っかかってくる。別に意地悪をされる訳ではないけれど、菫の意図が分からなくていつも戸惑ってしまう。


 けれど菫の態度などまだマシだ。間違いなくこの家の中で誰よりも鈴を嫌っているのは久子だから。


 何故そこまで久子が鈴を嫌うのか、その理由はこの時はまだ知らなかった――。

 

 

 翌朝、いつものように朝食だけを作り、身の回りの荷物を風呂敷にまとめて勇から受け取った衣装に着替えて蔵を出ると、いつの間に置かれたのか蔵の前にいつもの風呂敷を見つけた。


 風呂敷の中には三角とも俵とも言えない鈴の大好物の梅とおかかのおにぎりがいつもよりも多く入っている。


 見かけはいつも不格好だが、このおにぎりが涙が溢れるほど美味しい事をもう知っていた鈴は、それを胸に抱きしめて蔵へ戻ると机の上に今までの朝食のお礼に折り鶴を残して家を後にした。


 出る前に母屋に寄って声をかけたが、誰からも返事は返ってこない。蘭は今日は学友と朝から出掛けているし、菫は頭痛が酷いと言って部屋で休んでいる。勇と久子は言わずもがなだ。


 万が一神森家に追い出されても、鈴がもうここへ戻る事はないだろう。鈴はこの家にとって厄災の種であり厄介者でしか無かったのだから。


 久子はもしも鈴が追い出されたら一生蔵に閉じ込めると言っていたが、これ以上手を煩わせるのは嫌だ。その時は潔く一人でどこかで生きていこうと鈴は心に誓った。

 

 

 神森家との約束の時間にはまだかなり余裕があった。神森家は鈴の為にわざわざ家まで迎えを寄越すと言ってくれたけれど、鈴はそれを丁重に断った。道中一人になる時間が欲しかったのだ。

 

 鈴は一人きりで家を出て、その特徴的な髪と目を隠すために帽子を目深に被り乗合バスに乗った。

 

 神森家は街の中心から外れた山の中にあった。山の入口までは乗合バスと人力車を乗り継ぎ、そこからは神森家の人が送ってくれるという。


 生まれて初めて乗ったバスからぼんやりと景色を眺めていると、このままどこかへふらりと行ってしまいたいような衝動に駆られたが、先立つものが何も無い小娘がそんな事出来るはずもない。

 

「……神森家……どんな所なんだろう……」


 神森家は巷でも噂の変わった家だった。家柄こそ侯爵家という身分で華やかだが、今までに何人もの人たちと縁談をしたにも関わらず、そのどれも一方的に破談にしてきた家だった。


 さらに怖いのは戻ってきた娘たちは皆、何故か神森家で過ごした日々をすっかり忘れてしまっていたという。あまりにも誰も覚えていないのでその度に狐に化かされたのか、何かショックを起こすような事があったのかと話題になるのだが、家族がどれだけ訴えても警察は一向に動こうとはしなかった。


 それだけ聞けば相当おかしな家だが、何故か実際戻ってきた人たちは神森家の事を覚えていないにも関わらず、皆がもう一度あそこへ行きたいと言うのだそうだ。

 

 余裕を持って家を出たが、ようやく街を抜けた頃には辺りはすっかり薄暗くなっていた。人力車を降りると街灯の明かりだけが森に向かって伸びていく。


 その明かりを頼りに森の入り口に向かって歩いていたのだが、何だか森の入り口が騒がしい事に気付いて咄嗟に身を隠した。


 目を凝らしてみると森の入り口で数人が何やら頭を突き合わせて話している。その脇には時代錯誤も甚だしい豪華な女乗物が置いてあった。

 

 耳を澄ませると静かな夜景に男たちの声が聞こえてくる。


「次の花嫁は合格かな?」

「どうだろうなぁ。あの方はああ見えて厳しい人だから」

「そろそろ早く決めてもらわないと、いつまで経っても力を持つ子が生まれないぞ!」

「それは困る! あの方だって永遠にここに居られる訳じゃないのに! 誰がこの土地を守るんだ!」

「そうだそうだ! そもそも今どきこんなので輿入れってしてくるのかなぁ。これも絶対に気味悪がられてる原因だと思うんだけど」


 鈴は草陰に隠れてしばらくその話を聞いていたのだが、不意に後ろから誰かに足を叩かれた。


「ひっ!」


 あまりにも集中していた鈴が驚いて振り返ると、そこには一匹の黒猫がおすわりをしてこちらを見上げている。


「にゃぁ」

「あ……びっくりした……猫か……」


 ポツリと言って猫を抱き上げようと両手を伸ばしたけれど、生憎猫は鈴の手をひらりと避けて何を思ったか男たちの元へ駆けて行ってしまう。


 しばらくすると、一人の男がこちらに気づいて近寄ってきた。

 

 それに気づいて咄嗟に逃げなければと思い立ち上がって走り出そうとした所で――。

 

「待って! もしかして佐伯の所の娘さん、ですか?」

「!」


 その声を聞いて恐る恐る振り返ると、そこにはやたらとリアルな狐の被り物を被った青年が立っている。


 それを見て思わず悲鳴を飲み込んだ。あまりにもその被り物は精巧で、まるで本物の狐が二足歩行をしているかのようだ。


「そうです……けど」


 怪訝に思いながらも答えると、青年の声が嬉しそうに跳ねた。


「ああ、良かった! あ、挨拶が遅れて申し訳ありません。僕は神森家の使いの者です。どうぞこちらへ。神森家までご案内いたします」

「あ、ありがとうございます」


 何だかよく分からないし怖いけれど、どのみち鈴にはもう神森家に向かうしかない。


 鈴が覚悟を決めてゴクリ息を呑み、青年に付き従う形で時代遅れの女乗物に乗り込むと、目の前で引き戸が容赦なく閉じられた。


『これからどうなるんだろう。私もすぐに追い出されて記憶が無くなるのかな……もう佐伯家にも戻れないのに……』


 鈴は佐伯家が嫌いではなかった。母親の菊子からよく聞かされていた勇も、優秀で優しい蘭も、菫の嫌味だってもう聞けないかもしれないと思うと寂しい。ただ久子だけは本当に鈴を嫌っていた。あの事故の時だって――。


 鈴が上の空でそんな事を考えていると、女乗物が止まり外から威勢の良い女性の声が聞こえてくる。


「着いたよ。ようこそ神森家へ。今期70人目の花嫁候補さん」

 

 それと同時に女乗物の引き戸が開けられた。


 乗物の中から外を伺うと、眼の前に見たことも無いほど豪華なお屋敷が建っていた。洋風の見た目はモダンで、いつか蘭が見せてくれた鹿鳴館の写真とよく似ている。既に神森家の敷地内なのか、道にあった街灯とは比べ物にならないほど辺りは明るい。


「何してんだい? さっさと降りといでよ」

「あ、はい」


 何だかちゃきちゃきした人だなと思いながら恐る恐る乗物から降りて、顔を隠すために伸ばした前髪越しにチラリと女の人を盗み見ると、目の前にスラっとした艶やかな美女がこちらを見下ろして立っていた。


「あたしは雅だよ。って、こりゃ驚いた! あんた異人さん? さっきは全然気づかなかった!」

「あ……えっと私は……」


 鈴はしまった! と心の中で呟いて慌てて目を隠すように帽子を深く被りなおす。

 髪はいくらでも帽子で隠せるが、日本人離れした甘ったるい顔立ちや瞳の色はどうやっても隠せない。


 どれほど世間離れしている神森家でも、佐伯の家に居る娘の目が青磁色などとは思いもしていなかっただろう。


 だから勇はあれほど鈴に「こちらを見るな」と言ってきたのだ。あまりにも父に似すぎた鈴の姿が許せなかったに違いない。


 神森家は一度縁談を持ちかけた家には二度と声をかけない。そこにどれほど美しくて評判の娘が居ても、だ。


 だからこれでいい。どうせ断られる形だけの縁談だと久子も言っていた。その為に鈴はこの縁談を受けたのだ。世間体を気にする久子のため、お世話になった佐伯家に何か恩返しが出来ればそれでいい。


 そう思い直した鈴は静かに頭を下げた。


「申し訳ありません。私は蘭でも菫でもありません。佐伯家に居候させていただいている、鈴と申します」

「こりゃご丁寧にどうもね。で、どうして二人はこないんだい?」

「蘭は佐伯家を継がなければなりません。そして菫はまだ女学園に通う身です。なので私が自ら名乗り出たのです」

「なるほどねぇ。まぁ確かに世間様は随分様変わりしたもんねぇ。しかしこりゃ困ったね。あんたは佐伯とは円も縁も無い訳? 正真正銘ただの居候?」

「一応佐伯の当主とは叔父と姪の関係にありますが、叔父は婿養子で私に佐伯の血は流れてはいません……」


 すぐさま追い出されるのを覚悟で言うと、それを聞いて後ろで女乗物を担いでいた人たちが息を呑んだのが気配で分かった。


「なんだ。あんた佐伯の血は流れてないけど当主とは血が繋がってんだね。ここでは血がね、重要なんだ。それ以外は何もいらない。歴代の花嫁達は皆そう。人形みたいにニコニコ愛想よくしてればいいんだ」


 そう言ってふふんと鼻で笑った雅に思わず引きつると、お屋敷の奥から男の声が聞こえてきた。


「雅」

 

 たった一言なのに男の声はとても甘く優しげで、それなのに独特の艶のある声に鈴が身体を強張らせて視線を上げると、目に飛び込んできたのは濃紺色の長い髪に、明るい紫がかった青い目の儚げで端正な顔立ちの男だ。


「げ、千尋。居たのか」

「居たのか、ではありませんよ。鈴さん、ようこそいらっしゃいました。私が神森家の当主、神森千尋です。どうかよろしくお願いしますね」

「あ、はい。えっと……追い出さないん……ですか?」

「追い出す? まだ私はあなたの事を何も知りません。あなたも私の事を何も知らない。それなのにどうして追い出すのです?」

「だって、私……蘭ちゃんでも菫ちゃんでもないのに……」


 それだけ言って俯いた。そんな鈴を見て千尋は困ったように微笑む。


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