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龍の箱庭  作者: 揚羽渓名
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17/65

17

「もちろんです! では明日はパンを焼きましょう!」

「パンをここで焼くのですか!? 買ってくるのではなく!?」

「はい! 焼き立てを是非食べて欲しいので」


 そう言って鈴はいつも持ち歩いているメモ用紙にパンの材料を素早く書きつける。


「そのメモ貸してください。今日は買い物に出るのでついでに買ってきます」

「いいんですか? あ、でも清書してもいいですか?」


 走り書きすぎてあまりにも汚いし、何よりも相変わらず英語で書いてしまった鈴に喜兵衛が笑って頷き、二人でいつものように朝食の支度を始めた。

 

「では、明日の朝食は洋食なんですね」


 さっき喜兵衛と決めた明日の朝食の話をすると、千尋は味噌汁のお椀を持ちながら顔を輝かせた。


「はい。何かリクエストはありますか?」

「そうですね。幼い頃あなたがよく食べていた朝食がいいです」

「そんなのでいいんですか? あ、いえ、そんな大層な物は元々作れませんが」

「もちろんです。それに私からしたら料理が作れるという時点で十分大層な事ですよ」

 

 そう言って微笑む千尋に鈴も笑みを浮かべて頷いた。それからしばらく二人で取り留めもない話をしながら朝食をとっていたが、ふと千尋が口を開いた。


「ところで明日にでも街に行こうかと思うのですが、ご都合はどうですか?」

「明日ですか? 私はいつでも大丈夫ですが、その……本当に行くんですか?」

「ええ。いけませんか?」

「いけないなんて事はありませんが、その……本当の本当に?」

「疑り深いですね。本当の本当です」


 もうこれは決定だと言わんばかりの千尋に鈴はゆっくりと頷いた。


「分かりました。でもその、私が何か粗相をしたらすぐに言ってくださいね。自分でも気づかない事もあると思うので」

「ええ。とは言え私の方が雅に叱られそうですけどね」

 

 苦笑いを浮かべながらそんな事を言う千尋を見て一気に不安になってくる。何せ街にあまり出ない千尋と鈴だ。これはもしかしたら雅に相当迷惑がかかるのではないだろうか。


「私、頑張ります!」

「ただの買い物ですよ?」

「そうなんですけど、でも、頑張ります!」

「頑張るのはいいですが、無理はしないでくださいね」

「はい」


 無理をしたら返って迷惑をかける事を鈴はよく知っているが、千尋と雅に迷惑だけはかけないようにしたい。

 

 朝食を終えて自室に戻った鈴は、少しだけ休憩をして庭に出た。今はもうすっかり慣れた神森家の庭は、今日も綺麗にあちこちで花が咲き乱れている。


 しばらく歩いていると、探していた人物を見つけて鈴は小走りで近づいて声をかけた。


「弥七さん!」

「ん? ああ、あんたか。もう体調は良いのか?」

「はい! バラありがとうございました。やっぱりあのバラ、とても良い香りですね」

「あれは匂いが強めのバラなんだ。病人の部屋に飾るにはちょっとどうかとは思ったんだが、気に入ってたみたいだしな」

「とても良い香りで何だか良い夢を見たような気がします。覚えていてくれただけでも嬉しいのに、本当にありがとうございました。それからご心配をおかけしましたが、もうすっかり元気です」


 そう言って頭を下げた鈴を見て弥七は珍しく笑って頷く。


「元気になったんならそれでいい。今日も見てくのか?」

「構いませんか? 邪魔はしないので」

「ああ。あんたが邪魔しないのはもう知ってる。一応エプロン取って来いよ」

「分かりました」


 弥七に言われて鈴が納屋にエプロンを取りに行くと、四阿の方から千尋が雅と一緒に歩いてきた。何だか二人の顔がとても真剣で鈴はすぐさまその場を離れると、急いで弥七の元に戻った。


「あんた用のエプロンもあっていいかもな」

「え?」


 しばらく夢中になって草引きの手伝いをしていた鈴に、弥七がポツリと言った。


「これからも庭仕事するんだろ?」

「えっと……お邪魔じゃなければ……したいです」

「邪魔なんかじゃないさ。わかった」

 

 それだけ言って弥七はまた作業に戻ってしまうが、鈴は複雑な思いでいた。もしも千尋の花嫁に選ばれなかったら、鈴はここに居る事は出来ない。だからこの先庭仕事を手伝えるかどうかははっきりとは分からないのだ。


「あの、私――」

「言わなくていい。どうなるか分からなくても、未来に良い予定を立てておいた方が毎日楽しいだろ?」

「! そうですね。悲観するよりはその方がずっといいですね」

「ああ。だから、その先は言わなくていい。あんたはどんなエプロンがいいか考えておいてくれ」

「もしかしてプレゼントしてくれるのですか?」

「ああ。いつも手伝ってくれてるんだ。それぐらいはさせてくれよ」

 

 何だか意外な弥七の一面を見た気がして鈴は思わず微笑んだ。


「ありがとうございます。楽しみにしていますね」

「おう」

 

 それだけ言って弥七はそっぽを向いてまた無言で草を引き始める。そこへ今度は雅がやってきた。


「なんだい、あんた達無言で草引きなんかして」

「雅さん! すみません、何だか無心で草を抜いてました」


 雅が来たことにも全く気づかず夢中になっていた鈴が言うと、雅はおかしそうに肩を揺らす。そんな雅に弥七が言った。


「姉御も手伝いますか?」

「嫌だね。真っ黒になるじゃないか」

「いや、元々真っ黒ですよね?」

「そりゃ猫の時だろ! 鈴は既に真っ黒だね。今夜はゆず湯だよ。一番に入りな」

「さ、最後でいいですよ! それに一番は千尋さまが入るべきかと!」

「私は何番でも構いませんよ。おや、顔にまで泥をつけて」

「ち、千尋さま!?」


 何だか今日はよく千尋と出くわす日だ。鈴がそんな事を考えながら立ち上がると、千尋は白い手で鈴の顔の泥をぬぐってくれた。そんな光景をギョッとしたような顔をして雅と弥七が見ている。


「あ、ありがとうございます。これ使ってください」


 泥がついた千尋の手を見て鈴がそっとハンカチを差し出すと、千尋は小さく微笑んでハンカチを受け取ってくれた。


「こちらこそありがとうございます。汚れてしまったので新しいのを贈りますね」

「へ? いえ! 洗えば落ちるので大丈夫です!」

「そうですか?」

「はい。まだ使える物の代わりを買うのは勿体ないと母がいつも言っていました。私もそう思います。だからお気持ちだけいただきます。ありがとうございます」

「バカだねぇ。喜んでたっかいハンカチねだればいいんだよ、こういう時は」

「む、無理です!」


 貧乏性が服を着ているような鈴だ。そんな事が出来るはずもない。


「確かに無駄遣いはいけませんね。でも、私が受け取って欲しいと言ったら受け取っていただけますか?」

「えっと……物によるかと……」

 

 それこそ雅の言うようにたっかい物を差し出されたらきっと鈴は卒倒してしまう。そんな鈴の心を知ってか知らずか、千尋が鈴の顔を覗き込んできた。


「では今何が一番欲しいのです?」

「今、ですか? えっと……鉛筆でしょうか」

「鉛筆?」

「はい。字の練習をしすぎて鉛筆がもう持てない程小さくなってしまったので」

 鈴が素直に答えると、千尋はキョトンとした顔をしている。


「そんな物でいいのですか?」

「はい」


 自由に買い物に出ることが出来ない鈴は、鉛筆を誰かに頼もうにも普段の買い物に行くような場所に鉛筆があるのかどうかが分からなくて頼む事が出来なかった。


 結局チビた鉛筆はもう持つ場所がほとんど無いのである。


「あんた、早く言いなよ! だからあんなちっさいの使ってたのか!」

「そうなんです」

「雅は気づいていたのですか?」

「そりゃ気付くさ! こーんなちっちゃいの使ってたんだから! 持ち運ぶのに便利だとかそんな理由で使ってるんだと思ってたよ!」


 そう言って雅は指で鈴が持っている鉛筆の長さを表すと、それを見て弥七も千尋も驚いたような顔をしている。


「俺のやろうか?」

「いえ、まだ頑張れば書けるので大丈夫です。千尋さま、明日のお買い物で鉛筆を見に行ってもいいですか?」

「プレゼントしますよ?」

「いえ、自分で使う物なので。それにどこに売ってるのかを見ておきたいんです」


 鈴の言葉に千尋は困ったように笑って頷いた。


「分かりました。では文房具屋にも寄りましょう。雅、お願いできますか?」

「分かった。文房具屋ね。それから本屋だろ? で、フルーツパーラーか。うん、良い買い物になりそうだ!」


 既にワクワクしている雅を見て現金なものだと思われるかもしれないが、何だか鈴まで楽しみになってきた。


「他に見たい物は無いのかい?」

「そうですね……あまり思い当たらないです」

「鈴さんは物欲がないのですねぇ。では街を散策しがてら色々見て回りましょうか」

「はい」


 何が欲しいとか何が見たいとか、自分でも分からないほど鈴は世間にも自分にも疎い。だからまずは自分の興味の対象を探す方が先なのだろう、きっと。

 

 

 千尋は昨夜、鈴の体調が優れないと言うので久しぶりに夕食を一人で食べる事になったのだが、何だかいつもよりも味気ない気がした。


 龍の都に居た時も地上に下りてからも誰かと夕食を取るという事の方が珍しかったというのに、不思議なことだ。


 そもそも、どうして鈴と食事を取るようになったのだったか。


 千尋はそんな事を考えながら、全国から届く土地に関する報告書に目を通していた。


「ああ、そうだ。雅が言い出したのでしたか」


 鈴が来てすぐ、雅が言ったのだ。「たまには嫁候補と食事でもしてみたらどうだい?」と。そして実際に鈴と食事をしたのだったか。


 元々食事などただの生命維持の為に食べていただけで、特別な思い入れも無かった千尋は、鈴と食事をした事で鈴の事を少しだけ知る事が出来たのだ。


「まさか箸が苦手だとは思いませんでしたが」


 ひとりごちて苦笑いを浮かべた千尋はさらに考えて表情を曇らせる。


 鈴は今年で確か16になったと言っていた。鈴の両親が亡くなって佐伯家に引き取られて既に8年だ。その間、鈴は字も習えなければ箸を持つ練習すらさせてもらえなかったという事になる。もっと言えば、鈴が神森家へやって来た時の状態を見る限り、もしかしたら箸を使うような食事をしていなかった可能性もあるのだ。


「……だとすれば、笑えませんね」


 箸が苦手だなんて、と笑っている場合ではない。それでも鈴は佐伯家の事を決して悪くは言わない。鈴の血の流れを見るに彼女は恐らく本当に佐伯家に恨みなど持っておらず、たまに思い出したかのように菫の話や蘭の話をしたりするぐらいだ。その時の鈴はいつもどこか泣きそうな、懐かしそうな顔をする。


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