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第六話 異変

いきなり飛ばして3年後です

この小説はじめての戦闘回です

パビブの森の朝は、澄み切った空気に満ちていた。

木々の隙間から差し込む陽光が地面をまだらに照らし、吹き抜ける風が若葉を揺らす。

そんな静寂を切り裂くように、乾いた衝突音が連続して響いていた。


カンッ――!


「はぁっ!!」


アッシュが鋭く踏み込む。

木剣に纏わせた黄緑色の魔力が風を巻き込み、横薙ぎの一撃が唸りを上げた。

だが。


「――遅い」


淡々とした声。

白髪の少女、リリシィ・ルミリンスは、最小限の動きで後退すると、水色の魔力を帯びた木剣でその一撃を受け流した。

ぶつかった瞬間、空気が凍りつく。


アッシュの腕が一瞬だけ鈍る。


(また冷気か……!)


舌打ちしそうになるのを堪えながら、アッシュは即座に距離を詰めた。

風属性による加速。

八歳とは思えない速度で死角へ回り込む。


しかし。


「そこ」


リリシィの声と同時に、地面が凍った。


「っ!?」


足元を覆う氷。

動きが止まる。

次の瞬間には、リリシィの木剣がアッシュの胸元へぴたりと突きつけられていた。


静寂。


やがてアッシュは肩の力を抜き、苦笑する。


「……俺の負けか」


少し離れた場所で見守っていたエリィが、小さく拍手した。

金色の髪を揺らしながら、彼女は満足そうに頷く。


「三年でここまで来るとはな。正直、想像以上だ」


その言葉に、アッシュは汗を拭いながら笑った。


「リリシィ、今日も強かったな。最後の氷、完全に読まれてた」


リリシィは無表情のまま、ほんの少しだけ口元を緩める。


「アッシュも速くなった。でもまだ力みすぎ。風は押し込むんじゃなくて、流す」


「……師匠みたいなこと言うなぁ」


「エリィ先生に教わった」


「そのまんまだな!?」


思わずツッコミを入れると、リリシィは小さく笑った。

その姿を見て、アッシュは少し目を細める。


三年前。


森で出会った頃のリリシィは、今よりもっと感情が薄かった。

だが今は違う。

笑うことも増えたし、冗談めいた返しをすることもある。

もちろん天然な部分は相変わらずだが。


(……少しずつ変わってきたんだな)


そんなことを考えていると、エリィが腕を組みながら口を開いた。


「二人とも、まだ攻守に穴がある、攻守両面で戦えるようになれ」


「はい!」


「……ん」


二人が返事をすると、エリィは満足そうに頷いた。


「今日はここまでだ。午後は自由にしていい。ただし――森の奥には行くな」


その言葉に、アッシュが首を傾げる。


「何かあったんですか?」


「最近、魔物の気配が強くなっている。村の近くまで下りてきている可能性がある」


少しだけ真剣な声音だった。

アッシュも表情を引き締める。


「わかりました」


「よし。じゃあ私はガルド達のところへ行ってくる。……くれぐれも迷子になるなよ?」


「子供扱いしすぎですって」


「八歳は十分子供だ」


エリィはそう言い残し、森の奥へ消えていった。

残されたアッシュとリリシィは、並んで森の出口へ歩き始める。

しばらく無言が続いた後。


「ねぇ、アッシュ」


「ん?」


「森の奥、行ってみない?」


アッシュはぴたりと足を止めた。

木漏れ日の下、リリシィの白髪が淡く輝く。

その瞳には、珍しく好奇心の色が宿っていた。


「いやいや、エリィ先生が危ないって言ってただろ」


「だから気になる」


「その理屈はおかしい」


「大丈夫。私たち、前より強くなった」


確かに――そうだった。


魔装も扱えるようになった。


普通の成人冒険者相手なら戦える、とエリィも言っていた。

だが同時に、不安もある。


訓練ばかりで、本物の命のやり取りを知らないまま、本当に強くなれるのか。

そんな焦りが、アッシュの中にもあった。


「……少しだけだぞ」


リリシィの目がわずかに輝く。


「うん」


「危なくなったら即撤退。それが条件だ」


「了解」


二人は森の奥へ足を踏み入れた。

奥へ進むにつれ、空気が変わっていく。


木々は深く生い茂り、陽光はほとんど届かない。

落ち葉を踏む音だけが静かに響く。


アッシュは木剣を握り直した。


風の魔力を薄く纏い、周囲の流れを探る。

異変があれば、すぐ察知できるように。


「静かだね」


「まぁ、基本的に魔物なんて滅多に出ない場所だし――」


その時だった。


ぞわり、と。


肌を撫でる空気が変わる。

鳥の鳴き声が消えた。


風が止まる。

アッシュの背筋に、冷たい悪寒が走った。


「……リリシィ、止まれ」


前へ出した腕で制する。


視線の先。

茂みが揺れた。


「グルルル……」


低い唸り声。


次の瞬間、巨大な影が飛び出した。

灰色の毛皮。

異様に発達した筋肉。

鋭い牙と爪。

成人男性の倍近い体躯。


「――オーク!?」


アッシュは即座に木剣を構えた。


黄緑色の風が剣身を包む。

隣ではリリシィも静かに魔力を解放していた。

水色の冷気が周囲の温度を奪っていく。


「リリシィ。わかってるな?」


「うん。一緒に倒す」


「違う。危なかったら逃げる、だ」


「……わかってる」


二人は並んで立つ。

そして。

生まれて初めて、本物の魔物と対峙した。



最初に動いたのは、オークだった。


「グルァァァァッ!!」


地面を揺らす咆哮。

巨大な体躯からは想像もできない速度で、オークがアッシュへ突進してくる。

振り上げられた剛腕。


その一撃だけで、人間の骨など簡単に砕けるだろう。


だが――


(見える!)


アッシュの瞳が鋭く細まる。


三年間。

毎日のようにエリィと模擬戦を繰り返した。

雷属性による超高速の動きに比べれば、目の前の攻撃はまだ遅い。


「《風歩(ふうほ)》」


足元に風を纏う。


瞬間、身体が軽くなった。


アッシュは横へ滑るように回避し、そのままオークの死角へ潜り込む。


(今だ!)


木剣へ風の魔力を集中。


圧縮された風が刃の形を成していく。


「《風刃(ふうじん)》!!」


鋭い一閃。

風を纏った木剣が、オークの脇腹へ叩き込まれる――はずだった。


「グルァ!」


「っ!?」


オークの口元が歪む。

次の瞬間、先ほどより遥かに速い拳がアッシュへ振り抜かれた。


(罠――!?)


咄嗟に身を捻る。

だが避けきれない。


直撃する――そう思った瞬間。


「《氷ノ鎖(アイシクルチェーン)》」


静かな声が響いた。


ジャキンッ!!


氷の鎖が地面から伸び、オークの身体へ巻きつく。


「グルル!?」


巨体が止まる。

鎖から放たれる冷気が、オークの動きを急速に鈍らせていく。


「アッシュ、今!」


その声より早く、アッシュは動いていた。


「助かった、リリシィ!」


《風歩》で一気に加速。


風を纏った木剣を、凍りついた首元へ叩き込む。


「はぁぁぁぁぁっ!!」


風の刃が奔る。


次の瞬間。


ズドッ――と鈍い音が響いた。


オークの首が宙を舞う。

巨体がぐらりと揺れ、そのまま地面へ崩れ落ちた。

森が静まり返る。


「……勝った?」


アッシュが呟く。

数秒遅れて、全身から一気に力が抜けた。


「や、やった……!」


初めての実戦。

初めて倒した魔物。

アッシュは思わず拳を握り締めた。


「アッシュ、すごい」


リリシィが近づいてくる。

普段は感情の薄い彼女も、今は少し嬉しそうだった。


「いや、リリシィのおかげだ。あの鎖がなかったら危なかった」


「最初の攻撃、変だったから」


「気づいてたのか?」


「うん。わざと隙を見せてた」


アッシュは思わず感心する。


(すごいな……)


自分は完全に引っかかっていた。


だがリリシィは見抜いていたのだ。


「でもアッシュも、ちゃんと動いてた。かっこよかった」


「っ……そ、そうか?」


急に褒められ、アッシュは照れ臭そうに頬を掻く。


リリシィは小さく笑った。


その時だった。


「あ、そういえば」


アッシュが倒れたオークへ視線を向ける。


「魔石、回収しないと」


エリィから聞いたことがある。


魔物は頭部にある“魔石”を核として活動している。

首を落としても、魔石を破壊か取り除くかしない限り完全には死なない。

アッシュは警戒しながらオークへ近づいた。


額には、紫色の石が埋まっている。


「これか……」


木剣の先で引き抜く。


瞬間。


オークの身体がボロボロと崩れ始めた。

まるで灰になるように、巨体が崩壊していく。


「すご……」


リリシィが小さく呟く。

アッシュは魔石を握りしめながら立ち上がった。


「今日はこれで帰ろう。さすがに先生に怒られる」


「うん。たぶんすごく怒られる」


「否定しないんだな……」


苦笑しながら踵を返す。


――だが。


その瞬間だった。


ぞわり、と。


アッシュの全身を悪寒が貫いた。


「……っ!?」


空気が変わる。

風が乱れた。

森の奥から、何かが近づいてくる。


それも、さっきのオークとは比べ物にならないほど濃密で、不気味な気配。


「アッシュ?」


「……リリシィ、戦える準備を」


アッシュの声音が低くなる。

リリシィもすぐ異常を察した。

木剣を握り直し、冷気を纏う。


風が騒ぐ。


近づいてくる。


どんどん。


どんどん。


まるで“死”そのものが歩いてくるように。


そして――。


「なんだぁ? オレ様のオークの反応が消えたと思って来てみりゃ……」


茂みの奥から、男が現れた。

紫色の肌。

黒い角。

不気味に吊り上がった瞳。

口元には、獲物を見つけた肉食獣のような笑み。


その瞬間。


アッシュの背筋が凍りついた。


(なんだ……こいつ……!?)


圧力が違う。

存在感が違う。

近くにいるだけで、本能が悲鳴を上げていた。


逃げろ。


勝てない。


関わるな。


身体中が警告している。


「リリシィ!! 逃げるぞ!!」


アッシュは咄嗟に叫んだ。


「こいつは――魔人族だ!!」

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