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第十話 動き出す世界

「これで……三回目か」


執務室に、低く落ち着いた声が響いた。


窓から差し込む夕日が、一人の男の銀髪を淡く照らしている。


鋭い眼差し。

整った顔立ち。

若くしてアルミガルド王国騎士団を束ねる男――騎士団長、アルマスター・レイン。


彼は机に置かれた報告書を静かに見つめていた。


その傍らには、一人の女性騎士が立っている。


桃色の髪を肩まで伸ばした、知的な雰囲気を纏う女性。

アルマスターの腹心、リュビレットだ。


「はい」


リュビレットは淡々と補足する。


「最初はケルドの町、その次はシルキ村。そして三件目がヘルメス領です」


アルマスターは報告書を机に置いた。


そこには共通した一文が記されていた。


――謎の魔物暴走(スタンピード)発生。


「リュビレット君」


アルマスターが椅子にもたれながら口を開く。


「君は、この件をどう見る?」


リュビレットは一瞬考え、答えた。


「……おそらく何者かが仕組んでいるのかと思います。」


迷いのない返答だった。


アルマスターは小さく頷く。


「私も同意見だ」


しかし、そこで言葉を切った。


「だが、妙なんだ」


「妙……ですか?」


「本来、魔物を従えることはできない」


リュビレットも頷く。


魔物は理性を持たない。

生まれた時から本能のみで生きる。


食べる。

眠る。

繁殖する。


それ以外をほとんど知らない。


群れを作ることはあっても、誰かに忠誠を誓うことはない。


だからこそ――


魔物暴走(スタンピード)は極めて稀だ。


自然発生すること自体が珍しい。


それが。


一年のうちに三回。


しかも各地で。


「偶然にしては、出来すぎている」


アルマスターの目が細くなる。


「何者かが裏で糸を引いている……そう考えるのが自然だ」


リュビレットが静かに言う。


「次がいつ起きるか分からない以上、我々は備えるしかありません」


「そうだな……」


アルマスターは深く息を吐いた。


「これがもし憎き魔人族の仕業だったら話は早いんだが」


彼は皮肉っぽく笑う。


「すぐにでも殲滅戦を始められる」


その言葉に、リュビレットはすぐ反論した。


「それは不可能に近いかと」


「理由は?」


「魔人族と全面戦争になれば、他国がその隙を突きます」


リュビレットの瞳が鋭くなる。


「東の大国、北の軍事国家、南の商業連盟……どこもアルミガルドが弱るのを待っています」


「……だろうね」


アルマスターは苦笑した。


「分かってるさ。軽い冗談だよ」


だがその表情はすぐ曇る。


「本当に……なぜ我々人族は、未だに同じ人族同士で争っているんだろうな」


リュビレットは答えに詰まった。


「それは……」


沈黙。


アルマスターは立ち上がり、窓の外を見た。


王都の街並みが広がっている。


「魔人族、龍人族、海人族、獣人族」


彼は指折り数える。


「どの種族も、内部で大きな争いは少ない。

 皆、一つにまとまっている」


そして振り返った。


「なぜだと思う? リュビレット君」


リュビレットは考えた末に答える。


「欲……でしょうか」


アルマスターの眉がわずかに上がる。


「ほう?」


「我々人族は、他種族より欲が強いと思います」


彼女は言葉を選びながら続ける。


「金が欲しい。力が欲しい。権力が欲しい。名声が欲しい誰もが違う欲を持ち、それを求めるだから衝突する」


アルマスターは静かに聞いていた。


「他種族は比較的欲が単一です。価値観も近い。だからまとまりやすいのではないかと」


話し終えると、アルマスターは微笑んだ。


「80点かな」


「80点……?」


リュビレットは肩を落とす。


「かなり自信あったんですが」


アルマスターは小さく笑った。


「惜しい。だが核心には届いていない」


彼はゆっくり言う。


「答えを教えよう」


リュビレットが息を呑む。


アルマスターの瞳が鋭く光った。


「人族が争う理由」


「その答えは――()だ」


「王……?」


リュビレットは首を傾げる。


「アルミガルド王のことですか?」


「違う」


アルマスターは即答した。


「そんな一国の王の話じゃない」


静寂。


彼は一歩、前に出る。


「私が言う王とは」


一語一語、重く響く。


「この世に存在する全ての人族を束ねる王」


「――()()()だ」


リュビレットの目が見開かれる。


「そんなの……無理です」


「本当にそう思うか?」


アルマスターは問い返した。


「魔人族には魔人王。

龍人族には龍人皇。

他種族には皆、絶対的支配者がいる。

だが人族にだけ、それがいない。」


彼の声に熱が宿る。


「王はいる。だが、それは国の王でしかない」


アルマスターは断言する。


「彼らは王ではない、偽物だ」


リュビレットは息を呑んだ。


王国騎士団長とは思えない発言だった。


だが否定できない。


今の王たちは、自国しか見ていない。


世界を見ていない。


種族を背負っていない。


「だから人族は弱い」


アルマスターは静かに言った。


「我々に必要なのは、国王ではない、種族の王だ」


彼の声が重く響く。


「全人族が命を捧げ、忠誠を誓い、従いたいと思える王。多種族との戦いを制し、全てを導く王

 そうだな、強いて言えば。――()()()


リュビレットはその言葉を繰り返した。


「人類王……」


その響きだけで胸が震えた。


そんな存在が本当にいれば。


人族は変わる。


きっと世界も変わる。


「ですが……誰がそんな王に?」


アルマスターは少し考え、首を振った。


「今はいない」


リュビレットはすぐに言った。


「私はアルマスター様が相応しいと思います!」


アルマスターは目を丸くし、吹き出した。


「ははっ」


「笑わないでください! 本気です!」


リュビレットが頬を膨らませる。


アルマスターは優しく笑った。


「すまない。嬉しかったんだ」


そして静かに首を振る。


「だが、違う、私ではない

 私には力不足さ」


リュビレットは絶句した。


アルマスター・レイン。


若くして騎士団長。

圧倒的な実力。

絶大なカリスマ。


誰もが認める存在。


その男が、自らを否定した。


「では……どんな人物が人類王に?」


アルマスターは少し空を見上げた。


そして答える。


「英雄だ」


「英雄……?」


「ああ」


アルマスターの声は静かだった。


だが、確信に満ちていた。


「自分のためではなく、誰かのために剣を振るえる者

 誰かを守り、救い、導ける者、絶望の中でも、人々に希望を見せられる者」


彼は微笑む。


「そんな英雄(ヒーロー)こそ――」


その瞳が、未来を見るように細められる。


「人類王に相応しいと、私は思っている」


執務室に静寂が落ちた。


リュビレットは、アルマスターの横顔を見つめる。


彼がここまで真剣に未来を語る姿は珍しかった。


「ですが……」


リュビレットが慎重に口を開く。


「そんな英雄、本当に現れるのでしょうか」


「現れるさ」


アルマスターは迷いなく答えた。


「……え?」


あまりに即答だったため、リュビレットは思わず間抜けな声を漏らす。


アルマスターは小さく笑った。


「なぜそんなに驚くんだい?」


「い、いえ……あまりにも断言されるので」


「断言できる理由があるからだよ」


アルマスターは机に置かれた剣へ視線を落とした。


年季の入った鞘。

無数の戦場を共に駆け抜けた愛剣。


「歴史を見れば分かる」


彼は静かに語る。


「人族が本当に追い詰められた時、必ず常識外れの存在が現れる」


「常識外れ……?」


「ああ」


アルマスターの口元がわずかに上がる。


「才能か、努力か、血筋か

 あるいは、神の悪戯か、

 理由は分からない

 だが、時代が英雄を求めた時――必ず誰かが現れる」


その言葉には、不思議な説得力があった。


リュビレットは胸の奥が熱くなるのを感じる。


「なら……その英雄を、私たちは待つしかないのですか?」


アルマスターは首を横に振った。


「違う」


「待つだけじゃ足りない」


彼はリュビレットを真っ直ぐ見る。


「英雄は、守られた平和の中では育たない」


「……!」


「英雄が生まれるには、試練が必要だ」


アルマスターの声が低くなる。


「絶望、苦難、喪失。乗り越えられない壁

 そういった地獄の先でしか、本物の英雄は生まれない」


リュビレットは息を呑んだ。


「それって……」


「そう」


アルマスターは窓の外を見た。


「これから世界は荒れるだろうね。

 おそらく魔人族が動いている、それだけで終わるはずがない、近いうちに、もっと大きな災厄が来る」


リュビレットの背筋に寒気が走る。


「アルマスター様……何か知っているんですか?」


数秒の沈黙。


やがて彼は静かに答えた。


「勘だよ。だが、嫌な勘ほどよく当たる」


彼はふっと笑った。


だがその笑みは、どこか冷たかった。


「もしその時が来たなら王でも、騎士団長でも、軍でも救えない状況になるかもしれない。そんな時――」


彼の瞳が鋭く光る。


「世界は英雄を求める」


風が吹く。


カーテンが揺れた。


「そしてその英雄は」


アルマスターは小さく呟く。


「案外、どこかの辺境で、まだ名もない子供として、剣を振っているのかもしれないな」


リュビレットは目を瞬かせた。


「子供……ですか?」


「ああ」


アルマスターは微笑む。


「英雄は、最初から英雄じゃない」


「最初は皆、ただの凡人だ、泣いて、迷って、傷ついて。それでも立ち上がった者だけが英雄になる」


彼はそう言って報告書を閉じた。


「さて」


空気が切り替わる。


いつもの騎士団長の顔に戻っていた。


「……少し喋りすぎたな」


アルマスターは小さく息を吐き、いつもの冷静な表情に戻った。


「次の魔物暴走(スタンピード)に備えよう」


「はい!」


リュビレットは背筋を伸ばし、力強く敬礼する。


――その時だった。


ドタドタドタッ!!


静まり返っていた執務室の外から、慌ただしい足音が響いた。


ただ事ではない。


リュビレットが反射的に扉へ視線を向ける。


次の瞬間――


バァンッ!!


執務室の扉が勢いよく開いた。


息を切らした若い騎士が飛び込んでくる。


額には大量の汗。

顔は真っ青だった。


「ア、アルマスター様!! 大変です!!」


「落ち着け。報告を」


アルマスターの一言で、騎士はかろうじて呼吸を整える。


だが、その声は震えていた。


「西の辺境――パビブの森にて、魔物暴走(スタンピード)発生!!」


リュビレットの目が見開かれる。

騎士は叫ぶように続けた。


「魔物の群れが森を突破しました!!」


「このままではパビブ村、及び周辺集落に甚大な被害が及びます!!」


一瞬。

執務室から音が消えた。

静寂。

あまりにも最悪の報告だった。


リュビレットはごくりと喉を鳴らす。


まるで、アルマスターの予感が現実になったかのようだった。


彼女は恐る恐るアルマスターを見る。


だが。


アルマスターは驚いていなかった。

いや、正確には驚きを一瞬で押し殺していた。

その銀の瞳には、すでに迷いがない。


「……なるほど」


静かな声だった。

だがその一言に、場の空気が張り詰める。


「どうやら」


アルマスターは立ち上がった。

椅子が静かに引かれる音が響く。


「世界は、もう動き始めているらしい」


その声音に、騎士もリュビレットも背筋を正した。


アルマスターの雰囲気が変わっていた。


先ほどまで思想を語る男ではない。


今そこにいるのは――戦場を支配する騎士団長。


アルマスター・レインだった。


「リュビレット君」


「はい!」


「直ちに王都にいる全騎士へ緊急招集をかけろ。第一・第二・第三部隊を編成

 治癒術師も全員同行、補給班に三日分の物資を用意させろ」


「はっ!」


リュビレットは即座に動き出す。


だがアルマスターは続けた。


「それと伝令を飛ばせ」


「どこへでしょう!」


アルマスターの目が鋭くなる。


「西部全領地だ。村人を避難させ、戦えない者は即座に後方へ

 老人、子供、負傷者を優先し一人でも多く生かせと。」


「了解!!」


リュビレットは駆け出した。


パビブ村まで騎馬で全速でも数日はかかる


魔物暴走(スタンピード)は、一度村に到達すれば数分で全てを蹂躙する。


間に合う保証はどこにもない。


だが。


アルマスターは迷わず答えた。


「絶対に間に合わせる」


短い一言だった。

その一言にリュビレットは強く頷く。


「はい!!」


彼女は走り去った。


執務室にはアルマスターだけが残る。

彼は壁に掛けられた愛剣を手に取った。


カチャ――


剣を腰に差す。


窓の外を見る。


「パビブ村、か……」


彼は静かに呟く。


脳裏に、先ほど自分が口にした言葉が蘇る。


――英雄は、案外どこかの辺境で。


――まだ名もない子供として。


アルマスターは目を細めた。


「もし本当に、運命が動き始めたのなら……」


風が吹く。


カーテンが揺れる。


彼の銀髪がなびいた。


「そこで何かが生まれるのかもしれないな」


そして。


アルマスター・レインは歩き出す。


王国最強の騎士として。


迫り来る災厄を迎え撃つために。



---



一方その頃――


西の辺境、パビブ村。


夜の静寂を破るように。


遠くの森から、地鳴りが響いていた。


ドドドドドドド……


大地が震える。


木々が揺れる。


鳥たちが一斉に飛び立つ。


そして村の見張り台にいた男が、それを見た。


「なっ……」


闇の中。


無数の赤い光。


目だ。


魔物の目。


数十。


いや、数百。


いや――


「そんな……」


男の顔から血の気が引く。


その数は、もはや数えられない。


黒い濁流のように、魔物の軍勢が森から溢れ出していた。


魔物暴走(スタンピード)だァァァァ!!!!!」


絶叫が、夜空を裂いた。


村に警鐘が鳴り響く。


ゴォォォン!!

ゴォォォン!!

ゴォォォン!!


災厄が来る。


破滅が来る。


そしてその中心には――


まだ誰も知らない、一人の少年がいた。


後に世界を変えることになる少年。


その名は――アッシュ・リグレット。


彼の英雄譚は、ここから本当の意味で始まる。


その頃アッシュは、迫り来る災厄など知る由もなく、静かに眠りについていた。





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