巫女が犯した罪
巫女のお話です。
わたしは恋というものを甘くみていた。
心を捕われる愛しい存在に巡り合って恋をして、叶わぬ想いに涙して互いに抱き合う。切なさに心震わせながらも、高潔な高ぶりに身を焦がし慄き幸福に浸る。互いを特別な存在として認め高め合う。その先にある物を知らなくて、愚かなわたしは恋し、愛する人を失った。
神より与えられし特殊な力を有する者は巫女と呼ばれる。巫女の誕生は巫女によって予言され、わたしも生まれる前より巫女となる役目を担い、生まれて間もなく神殿に引き取られた。産んでくれた両親の存在は知るものの、何処で何をしているかなど所在は知らされない。それを寂しいと感じる間もなく当たり前のように育った。神の声を聴いて時に力を使い信仰を集める。それがわたし達巫女に与えられた役目だ。
巫女の力というものは純潔を失うと同時に消滅すると言われているが、実際にどうなるかなど誰も知らなかった。戒律を守り役目を果たすだけの巫女には考える必要がない。わたしは巫女の力を通じて特殊な力を宿せる神殿聖騎士と呼ばれる存在に守られ、神殿という小さな世界で生きていたのだ。そんな世界に現れたのが一人の男性、クレフという名の神殿聖騎士。
周りにいる騎士は皆女性ばかりで男性という存在を初めて知った。正確には奇跡を求めてやって来る人々の中に認めたことはあったが、自分を守る存在として側にやって来たのは初めてだ。神殿聖騎士という職業にある彼らが間違いを犯すなど有り得ないが、万一を考慮され巫女の側仕えは女性騎士と定められていた。
なのに何故クレフがやって来たのか。それは女性騎士の数が足りなくなっている現実に由来する。
神の力を巫女に与えられる神殿聖騎士は、男女ともに純潔でなくなろうが力を失う訳ではない。神殿聖騎士の力は遺伝によって継承されるのが一般的で婚姻も推奨されている。結婚出産で一時的に職を辞する、あるいはそのまま辞してしまう女性騎士がいた為に背に腹を変えられなくなったのだ。過去に戒律を破ったものが存在しないという事実に甘えが出たのかも知れない。
年若かったわたしは俄かに現れた異性の存在に大いなる興味を抱いた。娯楽の為に侍女がこっそり差し入れてくれた物語にでてくる王子様と守ってくれる騎士を重ねて来たけれど、彼女たちはけして王子様に成りえない。そこに本物の異性が現れたのだ。心は浮足立ち目は常にクレフを追った。初めての存在に恋して熱を上げてしまうのにさほど時間は必要なくて。クレフも巫女という存在に向けられる特別な感情に戸惑いを示しながらも拒絶せずに相手をしてくれる。ままごとの様なやり取りが長く続いたある時、わたしの気持ちを揺るがす事件が起きた。
クレフに結婚話が持ち上がったのだ。他の巫女に仕える神殿聖騎士が相手でクレフの方にも断る理由がない。婚約を整えたと挨拶に訪れたクレフを、わたしは激高し縋り付くように駆け寄って胸を幾度も殴りつけた。
「わたしでは望めない幸せを手に入れるのね。けして裏切らないと誓いを立てたくせに嘘つき。大好きなのに、好きだと返してくれたのに抱けない女なんて嫌だったんじゃない!」
二人の間で男女の愛を誓った訳ではなかった。好きだと返してくれたのも他の女性騎士と同じように巫女を愛しているという意味だとも解っていた。けれどわたしは得られない現実に気付かされ、得られるクレフを裏切りと罵り罵倒したのだ。この時のわたしがどの程度クレフを愛していたかなんてよく覚えていない。ただわたしを置いて男女の幸せを手に入れ、家庭を築けるクレフに嫉妬し八つ当たりした。その翌日、クレフは婚約を破棄し神殿聖騎士の職を辞してしまう。
この頃のわたしは自分がいったい何をしでかしてしまったのかよく解っていなかった。巫女であり、神の力を有するわたしが進撃に訴えてしまった事柄がクレフに及ぼす影響も。ただクレフが結婚も仕事も辞めてしまったのはわたしのせいだというのは解った。神殿聖騎士にとって巫女の願いが何よりも一番なのだ。だからこそこれまでの様に祝福を与えなければならなかったというのに。
それからどれ程が過ぎただろう。詳しい時の数は覚えていない。草木も寝静まった深夜、眠りについていたわたしの元へ闇に紛れて侵入する者があった。
本来なら誰かが気付いたはずだ。けれどその侵入者に気付く存在はなく、気配を感じて目を覚ますとクレフが黙って私を見下ろしていた。
「私の愛しい巫女よ。貴方の願いを叶えに参りました。」
「クレフ、どうして―――」
「愛しい巫女よ、私は貴方を裏切りは致しません。どうかこの身を捧げます故、我が愛を疑いなさるな。」
唇を重ねられわたしは声を失った。それだけではない。その夜わたしはクレフに抱かれ巫女の資格もなくしてしまったのだ。
前代未聞の出来事だった。
わたしが巫女の力を失ったというのは同じ巫女たちが瞬時に察し、少し遅れて聖騎士たちも気付いた。現れた騎士たちによってクレフは拘束され、わたしは極秘のまま神殿を出される。何が起きてしまったのか把握するより、クレフが極秘に処刑されたという事実が齎されるのが先だった。巫女の純潔を奪い大切な力を一つ失わせたのだ。命をもって償われるに等しい罪である。
その時はじめてわたしの言葉がクレフを惑わしてしまったのだと気付かされた。言葉は力だ、神の力を有した巫女の言葉なら尚更。わたしはクレフを惑わし死なせてしまった現実に慄き身を震わせる。どう償う、償いなどできようはずがない。
好きだった、本当に好きだった。けれど命を賭けさせるほどではなかったはずだ。憧れと我儘から生み出された罪に、償えぬ現実に慄くわたしもまた処罰対象。クレフと同じ罰を望めば、年長の巫女よりクレフの最後の言葉を教えらる。
『来世で幸せに―――』
いくつも意味を有する言葉だ。
来世で幸せになろう。来世でこそ望むように生きて幸せになってくれ。
涙するわたしに年長の巫女は情けをかけ、同じ死を与えてくれた。
*****
来世があるのかと言えばあると答える。わたしは再びクレフと出会った。前世と同じ巫女と神殿聖騎士として。
出会ったクレフに過去の記憶はない。けれど彼がわたしをみる目には明らかな熱を孕んでいて、わたしは罪の意識に苛まれ悟った。わたしの罪はけして許されないのだと。死して来世を経験する度にクレフは側にいて、叶わぬ恋に悲しむのだろうと。愛している、でも二度とその手を取るわけにはいかない。二度目の世界でわたしは強く願った。彼の魂がわたしより解放されることを。彼の負うべき罪は全てわたしに課せられることを。
そうしていくつかの死と生を繰り返すに従い、彼の熱は男女のそれから親愛へと変化し性別も違えるまでに至った。けれど彼が生きる生涯はけして幸せではなく、わたしは臍を噛み続ける。
そんなある日、イルファーン王国への巫女の輿入れが決まった。巫女の一人が神殿を出てイルファーン国王と名ばかりの婚姻を結ぶのだ。ふとクレフの生まれ変わりである神殿聖騎士の横顔を見上げた。背格好ばかりか髪と瞳の色や顔までクレフと同じ、けれど性別を違え、親愛の情を抱いてくれる神殿聖騎士を。わたしから受けてしまった呪いを僅かに残しながらも別人として生まれ変わった彼女に意識が向く。感じたのだ、ふと何かを。大きな悪しき風貌の男が脳裏を過った瞬間、わたしは迷わず手を上げていた。
「長巫女よ、わたくしが参ります!」
声を上げたわたしに年長の巫女がゆっくりと視線を向けた。それは生まれ変わる度にわたしを見守ってくれる、彼と同じ死を与えてくれた巫女の目だった。
これにて完結です。
沢山の方に読んでいただいて感謝しています。
ありがとうございました。




