17 青葉の君、鬼姫となる
沖の中将の屋敷の縁。
広い庭は手入れが行き届き、いろんな花々が咲いている。きれいに切りそろえられた低木は大きな池のふちを彩り、水面が月に照らされてきらきら輝いている。
白々と明るい月を眺めながら源春道と酒を飲んでいた。
春道は、とある貴族の子息である。
細かいことは気にしない人柄ゆえに付き合いやすく、沖の中将の飲み友達となっていた。
「やっと涼しくなったね」
「この酒は、今年初めて採れた酒だ。うまいだろう」
二人は縁に座り、気楽に飲んでいる。ときどき、侍女が来て空になった酒をつぎにやってくるだけだ。
「沖の中将、最近世間では鬼が夜な夜な歩き回っているという、うわさ知っているか」
「いや」
「侍従たちが日没後に使いから帰ってくると、頭から角を生やした巨大な鬼が通りを歩いているらしい。鬼は十二単を着ているとか。見た者はみな肝をつぶして気を失い、そうしている間に鬼がいなくなっていたという」
「ぶっそうだな」沖の中将は眉をひそめる。
「僕は鬼ではなく、昼でも夜でも十二単の美女に会いたいね」
「美女はみんな御簾の奥だよ」沖の中将はあきれたように杯を口にした。
「お、あそこに美女がおられる。一緒に飲もうではないか」
酔った春道が、屋敷の暗く長い廊下の向こうに何かを見て、手招きする。
沖の中将も視線を送るが、何も見えない。
春道には見えているのか、「こっち、こっち」とうれしそうだ。
うう、春道、変なのを呼ぶなよ……。
いやーな気持ちで、沖の中将が暗闇に目をこらしていると、ぼんやりと影が見えてきた。
廊下の向こうからやってくるらしい、その影は、徐々に女性であることがわかった。
沖の中将は、動揺する。心当たりのない人物じゃないか。誰だ。
沖の中将の気持ちには気づかず、春道は機嫌がいい。
「姫、よかったら我々と一緒に飲みながら、朝を待ちませんか」
春道の呼びかけに、姫の影はすごい速さでこちらにやってくる。まるで凍っている廊下の上をすーっと滑るようだ。
沖の中将の酔いは冷める。なんだ、あれは!
姫は、灯りの火が届く場所までやってきた。
ほのかな灯りの火でも、姫の着物は青い葉が舞い踊っているのが見えた。顔は大きな扇で隠している。
「中将、すばらしい姫が屋敷にいるのに呼ばないなんて。紹介してくださいよ」
春道はうれしそうに中将をつつく。
沖の中将は、戸惑う。
誰?なぜここにいる?……十二単………。嫌な予感しかしない。
姫は扇で顔を隠しているとはいえ、若い女性らしい生き生きした感じが全くしない。血のかよっていない人形のようだ。
姫が扇のふちから少し上げた瞳を見て、沖の中将は背筋が凍る気持ちになった。
「すみません、姫。えーと、どちらの姫でしたか……今日、我が屋敷に何か用事でも?」
「……ふ……」青い着物の姫は、つらそうなため息をついた。
「中将様、私を覚えていらっしゃらないのですね……。私は青葉の君です。この着物を中将様に褒めていただいた者です」
「ああ、青葉の君。覚えているよ……」
沖の中将は、うろたえながら答える。……どこで褒めたっけ。
「私は文をいただけるとばかり思い、毎日、朝も、夜もお待ちしておりましたのに……」
青葉の君は、悲しそうに声を震わせる。
「なんですと!それならば、この春道がすぐにでも書きましょう!」春道がすかさず姫の前に躍り出る。
青葉の君は、扇で顔を隠し、すすり泣きの声を出し始めた。
「……いや、私がすぐに……」
しどろもどろ、沖の中将が言っているのを押さえるように、青葉の君が大きな声を出した。
「うそつきめ!」雷が落ちたかの大音響。
同時に青葉の君の、か弱く美しい姿がみるみる膨らみ大きくなっていく。すぐに見上げるような小山の大きさになった。
長い黒髪には牛の角が生え、たおやかな黒い瞳はランランと赤く燃える炎色に変わり、つりあがっていく。
「……おお……!!」
沖の中将と春道は、肝をつぶして酒の杯を放り投げた。
「このうそつきには、どのように罰を与えてやろうか!」
鬼姫が沖の中将をわしづかみにしようと手を伸ばす。沖の中将はよけようとするが、酒に酔っているため足もとがふらつく。
「むう、姫、そんなことをしてはいけない!」
沖の中将が言うのに鬼姫は耳をかさない。沖の中将を大きな手でつかんだ。そのまま立ち上がる。
沖の中将を軒の高さまで持ち上げる。ニタア、と牙をのぞかせてうれしそうに笑った。
春道が近くに置いていた木刀で鬼姫の足をしたたかに打つ。
鬼姫は顔をゆがめ、沖の中将をぽとん、と落とし、手で足を押さえた。沖の中将は、なんとか受け身を取り、地面を転がった。
「ぐ、おおおおおおお……」鬼姫は、低いうなり声を上げた。
赤い瞳を吊り上げ、牙の生えた大きな口を開けて威嚇している。太い鬼の手を振り上げ、沖の中将めがけて振り下ろす。豪風とともに太い手が落ちてくる。
「中将!」春道が叫ぶ。
沖の中将の頭上から大岩が降ってくるかのごとし。逃げられない!
もう、だめだ。死ぬとは、こういうことか。沖の中将は目をぎゅっとつぶる。




