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平和

 ヒューベル軍が帝都で敵の注意を引き付けている間、一方の同盟軍はフーヴェン王国がこれまでに帝国に割譲した領土を奪還することに成功した。目標を達成した全同盟軍は帝国領から脱出し、防衛線の構築を行った。

 一連の戦いで帝国軍は将兵九万二千を失った。同盟軍は将兵五万七千を失った。ヒューベル軍は千三百二十九名を失う結果となった。戦いは帝国軍の敗北に終わったものの、同盟軍も少なからぬ損害を受けることになった。

 夜渡祇軍の強さや残虐さは帝国領全体に広まり、帝国人民は唯夜と彼が率いる軍を恐れた。また、アレキサンダー、ミネルヴァが大敗を喫したことにより帝国首脳部は同盟国との正面衝突は数年の間避けるべきとの意見が大半を占めた。

 同盟国はクロムバッハをはじめ使節団を派遣し、帝国との和平条約を締結することに成功した。しかし無期限ではなく四年のみの平和であった。

 これにて帝国と同盟国の戦いはひとまず終結を迎えたのだった。

 この功績によりクロムバッハはホーストン王国公爵に叙された。唯夜とコリントも侯爵となり、王国屈指の貴族となった。

 唯夜はマリアとの謁見で多くの財宝を賜った。

「卿を信じて良かった。私はいつも卿に救われます。これからもどうか私に力を貸してください」

 マリアは微笑んだ。

「私でよければ喜んで」

 祝勝パーティが開かれ、貴族や軍人たちが王都に集った。ヒューベル軍からは唯夜や将軍たちが出席した。

 唯夜はクロムバッハと酒を酌み交わした。

「今回はよくやってくれた。夜渡祇侯。まさか本当に皇太子を倒すとは思いもしなかったぞ」

「ははは。一回負けましたけどね」

「それも策のうちではないのか? ヒューベルに伏兵を置いていたと聞いたが」

 青年は肩を竦める。

「負けた時の保険として置いていたんですよ。できれば帝国領で勝つつもりでしたが負けてしまいました」

 イグニ平原で唯夜が率いる軍が帝国軍を食い止めている間に遠征に参加していなかった五万の軍が帝国領に侵攻し、帝国軍の側面に攻撃を仕掛けるという作戦を当初は立てていたが二日と持ちこたえることができず、作戦の変更を余儀なくされた。早馬を飛ばして本国に状況を伝え、第二の策を授けた。それが上手くいったのだ。

「まあなんにせよ勝てて良かったと思います」

「だが問題はこの四年間でどう帝国に対処するかだ」

 ワインの香りを試しながらクロムバッハが言った。彼は唯夜より先が見える。短い平和で何をすべきか、既に思いを巡らせているのだ。四年という期間はあまりに短い。帝国はこの四年で西方で領土を広げ、さらに国力を増加させるだろう。その中で同盟も国力を増強せねばならない。少なくとも帝国と渡り合えるくらいには。

「帝国は正面からの侵攻を避け、調略によって同盟内部を破壊してから軍を派遣してくるだろう。ゴエティアめがやったように卿を陥れる策を使ってくるのは間違いない」

「私もそう思いますが…どう対処すべきかわかりません。やっぱりそういう謀略には不向きですね」

 同じ懸念をレフトルも抱いていた。彼が言うには唯夜は賢いのだが自分のことになると考えが及ばなくなるらしい。

「卿は妻がいるか?」

 顔を寄せてクロムバッハが尋ねる。

「い、いませんけど…」

「では妻を持て。中央の有力な貴族の娘と結婚し、派閥を持つのだ。何なら私の娘でもいいぞ。年ごろで見た目も良い。器量良しだ。どうだ?」

「私はともかく娘さんの意思次第ですよ。私がいた国の価値観ですけどできればご自分の意思で相手を決めてほしいと思います」

 唯夜は笑った。結婚など考えたこともなかった。自分が誰かと結婚して家庭を持つ姿をどうしても想像できない。

「まあ卿は良い。今度娘に会ってもらうからな。問題は陛下だ。十九になってまだ独り身だ。できれば後ろ盾となれる貴族と結婚してお世継ぎを設けていただきたいのだが…」

「じゃあ閣下はどうですか?」

「私は妻一筋だ。それに妻は怒ると怖いからな。この前、宴会で美しい下女に鼻の下を伸ばしていたら髭を引きちぎられた」

「こわ」

 唯夜は震えた。一度、クロムバッハに招かれて彼の邸宅で夕食をご馳走になった時、彼の妻も同席していたがそのような恐妻のようには見えなかった。

「クロムバッハ卿、夜渡祇卿」

 女王の声が二人を振り返らせる。

「陛下」

 二人は頭を下げる。

「何の話をしていたのですか?」

 クロムバッハはさっと目を逸らした。

「クロムバッハ公が陛下にそろそろお世継ぎを設けてほしいと仰っていました」

「あら。相手もいないのに子は産まれませんよ」

 マリアは笑う。彼女は第一王女のイリアスが先王の寵愛を受けていた時代は王位争いを避けるために神官になることを命じられ、そのための教育を受け、禁欲的な生活をしていた。それは王位についてからも変わらず、質素で穏やかな生活を送っている。酒ばかり飲んでいる唯夜とは大違いだ。

「お世継ぎがいなければ王朝は安定しません。陛下には一刻も早く、できれば帝国との戦いがひと段落し、平和であるうちにと恐れながら愚考している次第でありまして」

 クロムバッハがマリアにワインを注ぎながら言った。

「では公は誰が私の夫に相応しいとお考えですか?」

「新たに同盟に加わったフーヴェン王国の王侯貴族の子息が良いかと思われますが適当な家が見つからずといった状況です。同盟国は元より血縁関係が結ばれておりますので。特定の国家と必要以上に婚姻関係を結ぶと他国からの警戒を招くかと。対して国内には敢えて縁を結ぶべき家柄の者は…」

 王国は先の内乱で貴族の多くが処断されたことにより、有力貴族と呼べる家は三家のみである。古くから王国を支え、近年は没落の一途を辿りながらもマリア王女に味方して復権を叶えたクロムバッハ家、貧乏貴族の末子であったが武功のみで成り上がったコリント家、軍事・政治に秀でた異世界人が初代当主となり、一国に匹敵する領土を有する夜渡祇家。

「私の三人の息子は既に結婚しておりますし…コリント侯は老齢で子はいません。となると夜渡祇卿しかいませんな」

「えー」

 確かに唯夜は独身だ。部下たちからも夜渡祇家を安定させるために妻を持てと言われている。彼はいつもいい加減な返事で躱しているのだが。

「夜渡祇殿は未だ国内の貴族から警戒されている。陛下と関係を密にすればその疑惑も晴れましょう」

「夜渡祇卿は家庭を持つつもりはありますか?」

 マリアが唯夜に尋ねる。クロムバッハ公はその隙にそそくさと逃げ出した。逃げ足の速い貴族である。ここが公の場でなければ後ろ髪を掴んで引き戻しているところだ。

「え、ええ…。まあ状況が落ち着いたら…」

「では今度、二人で食事しませんか? いつも私を支えてくれる貴方のことをもっと知りたいのです」

 マリアは頬を少しだけ赤らめて言った。

「私でよければ是非!」



 パーティを終えた唯夜らは王都を歩いていた。酔いを醒ますためだ。セレスはアリクブケに唆されて酒を飲み過ぎてしまったらしく気分が悪そうだ。仕方なく唯夜が彼女を背負った。

「誰か手を貸してやれよ。俺も飲み過ぎて吐きそうなんだけど」

「酒の席での部下の不始末は上の者の責任にて。お屋敷はもうすぐです。さあ頑張ってください」

 将軍たちは笑いながら唯夜と彼に背負われているセレスを見た。唯夜はアリクブケやグルンドスを見上げて言い返す。

「お前らは絶対酔い潰れるなよ! お前らみたいな巨人背負ったら押し潰されるわ!」

「がははは。儂はそこまで軟ではないわ!」

 唯夜は舌打ちする。薄情な部下たちである。

「うう…申し訳ございません…。唯夜様…」

 セレスが呻くように言った。

「慣れてるからいい。もうそんなに飲むなよ。てかどんだけ飲んだんだよ」

「つぶれるまで…」

 呂律が回っていない。アルコールが混じった吐息が耳に当たる。唯夜の師はよく酔っぱらっていた。そんな彼女を介抱するのが唯夜の役割だった。

「唯夜様…私、重くはございませんか…」

「…重くないよ」

「何ですか今の間は…」

 唯夜は彼女を背負ったまま屋敷に戻った。彼らをアルムら子供たちが出迎えた。唯夜らを迎えるために遅くまで起きていたらしい。

「おかえりー! また帝国軍を倒してきたんだろー⁉ そん時の話聞かせてくれよー!」

「あー、アルム。今はあまり大きな声を出さんといてくれ…。頭に響く…」

「また酒飲んでんのかー。大人はみんな酒が好きだなー」

「違うな。酒が俺たちのことを愛しているんだ。だから離してくれないんだ」

 アルムは唯夜らを部屋に案内した。王都の財政が回復したことで貧民救済政策が進み、他にも孤児院ができたためここに宿泊している子供の数は最盛期の三分の一以下にまで減った。職員たちの負担も減っている。良い傾向である。

 唯夜はセレスをベッドに寝かせた。体が冷たく顔も青白い。一人にするのは危険かもしれない。唯夜自身も眠気を覚えていたが子供たちに酔っ払いの看病させるわけにもいかないし孤児院の職員たちも寝ている。将軍たちもすでにベッドに潜り込んでいるし助けてくれるとは思えない。溜め息を吐いてベッドに腰を下ろす。

「唯夜様…今日は唯夜様がいつもより…魅力的に見えます…」

「だいぶ酔ってんなお前。吐くなよ?」

「大丈夫です…。城の御手洗いで吐きましたから」

「ああそう…」

 唯夜は欠伸をした。

 酔っ払いの世話は慣れている。かつての師が酒飲みでよく酔い潰れていたからである。


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