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出雲の祭日(春風駘蕩) - フェアリーテイルズ・オブ・エーデルワイス ep.2

 その娘は、神に最も近いところにいた。

 長い黒髪を水引で束ね、白衣と緋袴の上に千早を羽織った娘は、神に仕える巫女そのものであった。ただ、その手に、彼女の身の丈にも及ぶ長剣を携えていることを除けば。

 娘は、薄暗い場所のいちばん上座に立っていた。

 そろそろ夜が明けるころだが、ここに陽光が差し込むことはない。そして、冬の寒さも夏の暑さも、ここでは感じることがなかった。ここにはいつでも、春を思わせる穏やかな微風が吹いているのだ。

 その場所には、白装束の男女や濃紺の装束の男衆が詰めていた。仄かに明滅する燈火が、彼らの顔に張り付いた緊張の表情を浮かび上がらせる。

 誰もが息を潜めて、娘によって告げられる「言葉」を待っていた。

 そう……。

 神の託宣を。



出雲の祭日(Layer:3 Fairy Story)

 ―『フェアリーテイルズ・オブ・エーデルワイス』外伝―


 春の陽気を漂わせた青空から、それは飛来した。

 聞きなれないターボプロップの爆音に、航空自衛隊美保基地の飛行場勤務隊員は思わず空を見上げた。

 赤と白のツートンカラーの飛行機が、新緑の出雲半島の上空から滑走路の真上に進入してきた。通常の着陸コースとは、あきらかに違っていた。

 飛行機は、左に大きく旋回しながら、主翼の両端で回転する大きなプロペラを、エンジンナセルごと引き起こしていく。徐々に上を向くプロペラに合わせて、機体は減速しながら斜めに降下する。機体がヘリポートの上空に到達するころには、プロペラは完全に上を向いていた。

 双発のレシプロ機からヘリコプターに姿を変えたその飛行機は、ホバリングしながら真下に降下して、コンクリートのヘリポートにふわりと着地した。

 その異形の機体を見守っていた隊員が、思わずうめき声をあげる。

「AW609だと……」

 アグストウエストランド・AW609は、アメリカ軍のMV22オスプレイと同じ、ティルトローター機構を持つ飛行機だ。来年の実用化に向けてFAA(アメリカ連邦航空局)の形式証明を申請中であり、どこの国の軍隊も航空会社もまだ装備していないはずの機体だ。だというのに、この飛行機から発信されていたSIF(敵味方識別)コードは、航空自衛隊所属機のものだった。

 プロペラの回転が止まると、それを待っていたかのように、シルバーのメルセデスベンツSクラスが機体に横づけになった。フロントガラス越しに見える徽章は、将官クラスが座乗することを示していた。しかしAW609のドアから現れた人物は、少なくとも制服組の軍人には見えなかった。

 ネイビーのピンストライプのスーツに身を包んだ、長い金髪の偉丈夫な男と、淡いピンクに花柄を散らしたワンピースを身にまとった、小柄な少女だ。

 その少女の容姿に、隊員は呆気にとられた。

 日の光を受けた真っ白な長い髪が、春風に吹かれてふわりと広がる。まぶしそうに細めていたその目が見開かれると、そこにはルビーとサファイアの異色虹彩(オッドアイ)が現れた。

 敬礼をしながら、隊員はつぶやく。

「今日は四月八日の花まつりで、しかも年月日に三碧木星が揃う日だから、何かあるんじゃないかと思ったが……。これだったか」

 そんな独白が耳に届いたはずもないだろうが、隊員を一瞥した少女のオッドアイが、高貴な血統の猫のように悪戯っぽく笑った。


 §


 松江は、山陰地方で随一の規模を誇る都市だ。

 日本神話の舞台にもなった出雲地方の東端に位置し、出雲半島の山並みを背にして、広々とした宍道湖に面する風光明媚な町でもある。

 宍道湖から流れ出る大橋川の南と北で、街は大きく二つのエリアに分けられる。南岸はJR松江駅を中心とした新都心であり、北岸は松江城を中心とした城下町である。

 北岸のほぼ中央にあって松江城をすぐ近くに望む塩見縄手は、城下町としての松江の面影が色濃く残されているところだ。軒を連ねる武家屋敷の築地塀と、松江城の掘割に映る松並木が美しい通りで、「日本の道百選」にも選ばれている。

 その通りのはずれに、シルバーのメルセデスが停車すると、金髪の紳士と白い髪の少女が降り立った。

 少女は、赤と青のオッドアイであたりを見回すと、クリスタルを思わせる硬質な声で紳士に話しかけた。

「気が利くじゃないか、アーサー。今日一日を、この美しい街で過ごすというのは、じつに楽しそうなイベントだ」

 男性のような口ぶりの少女に、アーサーは微笑みかける。

「気に入ってもらえてなによりだよ、セシル」

 松の枝を渡ってきた春風が、ふたりの頬を心地良くくすぐる。

「仕事がなければ、もっといいのだがな。……で、これからどうするのだ」

 言葉づかいとは裏腹に、無邪気そうにオッドアイを細めるセシルに、アーサーは、すこし歩こうか、と告げた。


 並んで歩き始めたところで、アーサーは通り向かいの武家屋敷の前を歩いてくる四人組の男女に目をやった。

 その中の一人、黒髪が美しい日本人の女性に目を向けたアーサーが、ほうと小さく嘆息した。まるでそれに呼応するかのように、その女性が軽く会釈をしたのが見えた。クロアゲハの羽ばたきを思わせる、艶やかな仕草だった。

「なんだ、知り合いなのか?」

 セシルの問いかけに、アーサーがああと応える。

「以前に、大英博物館で会ったことがあるのだ。美しくて、聡明な女性でね。しかしまさか今日、この街で再会するとは……」

「カタブツのお前にしては、珍しいな。いよいよ、独身主義を返上する時がきたか?」

「いや、やめておこう。あの女性なら当然、もうお似合いの相手がいるだろうからな」

 ふっと笑ったセシルのオッドアイが、三人の男性の一人に縫いとめられる。ひょろりと背が高い白人で、くせのあるブラウンの髪の下でメガネのレンズが光を返す。彼はこちらを見やりながら、手にしていた菓子を慌てて袋に戻している。

「ふふっ。タロットカードなら、ずいぶん手際がよかったのだがな」

 セシルのつぶやきを、アーサーは聞き逃さなかった。

「あの中に、お前も知り合いがいるのか?」

「いや、わたしではない。アマーリエ=ミリアが、ちょっとな……」

 そう言ってオッドアイを伏せたセシルは、今度こそ誰にも聞こえないような小さな声でささやいた。

「運命の輪、か」


 アーサーは、すこし休んでいこうと言って、「石倉六角堂」という名の菓子舗に入った。

 その店のショウケースには、鮮やかな彩りと繊細な造形の創作和菓子が並べられていた。松江では和菓子を商う店は珍しくないが、この店は一風変わっていて、イタリア人だという青年の菓子職人が店番をしていた。

 緋もうせんが敷かれた床机台に腰掛けて、アーサーは新緑の色をした練り切りを、セシルは桜色のなかに菜種色が混じったきんとんを注文した。

 店の奥から盆を持って現れたのは、まだ高校生くらいに見える少女だった。アーサーとセシルに緑茶と和菓子を出した彼女は、セシルの顔を見て驚いたように息を飲んだ。

「あ、まただ……」

 少女がそう口にするのと同時に、店の奥から「玲子さあん」と呼ぶ声がした。少女は、はあいと答えると、「ごゆっくり」と言って頭を下げた。

 アーサーとセシルが店を出ようとすると、入れ替わるように二人連れの客が入ってきた。太い眉とシルバーの髭がいかめしい白人と、ブラウンの髪を外にカールさせたチャーミングな日本人の女性だった。ドイツ語の会話に、『教授』とか『秘書』という言葉が混じっていた。

 和菓子の並んだショウケースに目を輝かせて駆け寄る男性に、女性はやれやれといった表情で肩をすくめた。

 セシルが、ぼそりとつぶやく。

「日本人より、外国人の方が多いな」

 アーサーが哄笑する。

「グローバリゼーションというやつだよ。悪いことではない」


 塩見縄手を歩いて、アーサーとセシルは松江城に向った。

 城下町としての松江のシンボルになっている松江城は、関が原合戦の功績でこの地の領主となった堀尾氏によって慶長年間に築かれた城郭だ。黒塗りの天守閣は、国内で十二しかない現存天守のひとつで、千鳥が羽根を広げたように見えることから「千鳥城」の別名も持つ。

 満開の桜が咲き揃った本丸広場では、ちょうど「お城まつり」というイベントが開催されていて、雪洞があちこちに建ち並んでいた。

 広場の一角に設けられたステージの上では、子ども向けのヒーローショウが行われているようだ。「五百倍返し」がどうのこうのという決め台詞に、集まった観衆から歓声と拍手が沸き起こった。


 天守閣に登って町並みを眺めてから、アーサーとセシルは掘割を巡る屋形船の乗り場に向った。

 堀川めぐり遊覧船は、松江観光のハイライトであると同時に、松江の旧市街の観光スポットを結ぶ交通機関としての役割も担っており、それだけに観光客の姿は多かった。

 桟橋に下る階段で、三人連れの日本人の女の子たちとすれ違う。一人はボブ、あとの二人はロングヘアだった。三人とも可愛らしい顔立ちで、良く見ると面影が似通っていた。年齢も違うようだし、あるいは姉妹なのかもしれない。三人が口々に、「ダメ……」と言う声が聞こえてきた。

 乗り込んだ屋形船は底が平たく、茶色く濁った掘割の水面を滑るように航行する。船には、アーサーとセシルの他に、高校生くらいの男の子二人と女の子一人の三人組が乗り合わせていた。

 三人はとりたててはしゃぐわけでもないが、楽しそうに会話を続けている。なにかを集めるだとか、なにかを結ぶだとかいう単語が、とぎれとぎれに聞こえてきた。

 松江城の周囲をぐるりと半周すると、屋形船は市街地に張り巡らされた水路に進入した。桁の低い橋が行く手に現れるたびに、日焼けした初老の船頭は、屋根を折り畳んでやりすごした。

 一時間ほどの船旅が終わって船着き場に戻ると、高校生グループの男の子の一人が勢いよく船を降りた。その拍子に船が大きく揺れて、立ち上がろうとした女の子がバランスを崩した。もう一人の男の子が手を伸ばしたが間に合わず、女の子はセシルを船底に押し倒すように倒れ込んだ。

 先に飛び降りていた男の子が、悲鳴を聞きつけて慌てて戻って来た。女の子が助け起こされると、セシルは一瞬だけ残念そうな表情を浮かべた。

 もう一人の男の子が「ごめんなさい」と謝りながら、セシルに手を差し出した。その男の子を見たセシルは、感心したようにほうとため息をついた。

 陽光にきらめいた男の子の目は、片方が碧色に光っていた。

 二組のオッドアイが、しばし見つめ合う。

 男の子の手をとって立ち上がったセシルは、揃って頭を下げた三人に、軽やかな笑顔と穏やかな声で応えた。

「気にするな。今日は、特別な日だからな」

 三人組は、桟橋でもう一度頭を下げると、元気よくくるりと背を向けた。


(後編に続く)

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