第33話 パズルとアルシエル
「あの、アルシエルさん、ベリアルが誰なのか見破る方法は、ないんでしょうか」
「……難しいと思う」
綾人の言葉に、アルシエルは端的に言った。
「というより、見破れるならベリアルの候補者たちを召喚した直後にやっていた。しかし私は幻術や変身の類を見破る魔法は得意ではない。ダジウスの輝石で魔神となっても、増したのは単純な暴力ばかりだ。すまないな……」
「――それなら、そういう魔法具はないんですか? 本当に、ベリアルを探せるものは、エレアントのどこにもないんですか?」
一瞬、頷きかけたアルシエルだったが、ふと思案を巡らせると、小さく声を出した。
「……もしかすると、この天空宮殿にならあるかもしれない」
「え、それじゃあ……」
「私はこの宮殿を占拠するときにベリアルへの復讐だけを考えていた。ベリアル・ゲームで必要な機能さえ覚えておけば復讐は完遂できる、その最低限だけ覚えておけばいいと、そう思っていたのだが――それは間違いだった。もしかすると宮殿内に私が見逃した機能や魔法具があるかもしれない」
その瞳に、一筋の希望が見えてくる。
「ベリアルは熱しやすく、冷めやすい魔神だった。ベリアル・ゲームを行っていた当時、奴は退屈しのぎのため、地上から魔法具を持ち込んでいた可能性が高い」
「じゃあ、もしかするとその中に幻術や変身を見破る魔法具があるかも~」
「可能性は十分にある。……来いっ、シャノン」
大声で階下へ叫んだアルシエルの元へ、一人の少女がやってきた。それは彩斗も見たことがある、蜂蜜色の髪をした、メイドの少女だった。
「はい。お呼びですか、アルシエル様」
「この宮殿の内部を記した書物を持ってこい。確かそういうものがあったはずだ。前にお前との会話で、ちらりと話していたな」
「はい。その通りでございます。ベリアル様は……いえ、ベリアルは、ここを統治していた当時、いくつかの隠し部屋を作り、秘密の遊び場としていました。それを記した本が、大宝物庫に保管されています」
アルシエルはすぐさま命じる。
「今すぐに持ってこい」
「……今すぐ、ですか?」
「そうだ。一刻も早く必要だ」
メイドの少女は、少し考えた。
「わかりました。ではガーゴイルを数体ほどお貸しいただけますか。広い大宝物庫のどこに本があるのか、私も正確にはわかりませんので……」
「許可する。なるべく急いで探してこい。いいな」
「かしこまりました」
礼をして了承するメイドの少女の手に、アルシエルは魔法を放った。少女の手の甲に花弁のような印ができる。花弁は八枚。それはガーゴイルを一時的に貸し与える魔法の印だった。
「八体を預ける。急げよ」
「はい、かしこまりました」
間もなくメイドの少女は小走りに部屋を出て行く。ガーゴイルの足音である硬い石の足音がいくつも響き、やがてそれらは遠ざかっていった。
大宝物庫なる場所に向かったのだ。
それで、一同の気持ちが弛緩する。
手持ち無沙汰になったのは全員同じだ。激闘が終わって、気力を消費していたせいもあり、一同は自然を張り詰めていた気を一旦緩ませ、それぞれ身を楽にする。
「夜空……本当に綺麗だ……」
床に腰つけながら、彩斗が短く言う。
「こんなに綺麗な空なのに、どうして、ベリアルはそれで満足できなかったんだろう」
「それは……奴の持つ、膨大な魔力のせいだろうな」
答えたのは、アルシエルだ。彼女はスララと軽く手を重ねながら、
「奴は生まれつき力ある存在だった。普通の魔物が何十年、何百年とかけて蓄える力を、わずか数年で極めてしまった。頂点を手に入れてしまい、魔神と呼ばれるようになったベリアルは、己の衝動に従い、暴虐の限りを尽くした。溢れる力を使って、使って、破壊の飢えを満たそうとした」
「そんな……」
「アルシエル・ゲームを開催していた私にはわかる。強大な力には、己を委ねたくなる魔力がある。あるいはそれは、本能と呼ばれる衝動。動物が子を成そうとするように、人が誰かを愛するように、それは止められない。私はベリアルへの復讐心からこのゲームを始めたが、そもそも魔神としての力に溺れていた面もある」
「……」
「ベリアルは、それに輪をかけてひどかった。奴は自らの膨大な力を使わずには、いられなかった。ベリアルの暴虐は全てそれに繋がる」
「そんな……」
彩斗の脳裏に、中学の頃の光景が浮かぶ。
修学旅行のときだ。土産物に行ったとき、彩斗は木刀を買った。それは取り立てて高価なものではなく、クラスの男子の何人かも買っていた量産品ではあったが、彩斗はすぐに気に入った。
強くなった気がしたのだ。木刀を握るだけで、胸の奥から高揚感が湧き出て、妙に浮ついた気持ちが体を包み込んでいた覚えがある。
武器は、力は、持ち主を暴力に酔わせる魔力がある。
彩斗が感じたものと、ベリアルの根源的な衝動は、同じ。
「力を使わずにはいられなかったのだ、ベリアルは。自らの湧き上がる衝動に身を委ねなければ、生きてはいられなかった。退屈を何よりもあいつは恐れた。奴の黒き大蛇も、石像庭園も、円環の鎧も、その他数々の魔法も、どれか一つだけならば、それを駆使して、普通の魔物として奴は生きていただろう。しかし全てを得てしまったがゆえに、使い続けなければならなかった。溢れる力を発揮させねばならない日々。……ある意味では誰よりも悲しい魔神と言えるかもしれない。誰かを不幸にしなければ自分が不幸になる。それが、ベリアルという存在」
その言葉は限りなくベリアルに近づけたアルシエルだからこそ言える。彼を身近で見て、彼を強く憎み、自身が魔神と呼ばれる存在になって、皮肉にも、初めてベリアルの心情がわかってしまった。
――強すぎる魔神の抱えた、悲劇とも言える習性。
「……」
ちくり、と彩斗はその言葉を受けて針のような違和感を抱く。それは、とても小さな違和感だ。
なんだろう……何か、アルシエルは今大切なことを言った気がする。
けれどそんなことを思っている間に、アルシエルは話を続ける。
「何にせよ、ベリアルを討ち滅ぼすという私の目的は変わらない。シャノンが戻ってくるのを待とう。話はそれからだ」
「……はい、そうですね」
そして絶景に再び皆の視線は戻る。天空の星々の鮮やかな輝きは、これまでの疲れや緊張を洗い流してくれるような感覚をもたらした。些細なことならば、気にすることはないのかもしれない。彩斗はごく軽く考えるようにして、隣のスララと星々を鑑賞した。
ふと、
「あ、ねえねえ。彩斗~」
「ん、どうしたの、スララ」
「さっきから思ってたけど、あそこ見て。パズルがある~」
全員の視線がスララの指さした方へ移る。
床にパズルが埋め込まれている。透紺色の石で構成された床のうち、数カ所に一片が一メートルほどの額縁が埋め込まれているのだ。
ピースの数はまちまち、絵柄は屈強そうな竜や巨人、可憐な妖精など、エレアントに住む生き物だ。
数えてみれば全部で六種類のパズルがある。床の上、直線で結ぶと、ちょうど六角形になるようにそれらは埋め込まれていた。
「……ああ、あれか」
アルシエルが首をかしげる。
「私もここを支配したときから気になっていたが、何の意味があるのかわからない。ベリアルの趣味の一つだろうと、無視していたのだが……」
「あ、ねえ、見て見て。外せるよ~」
「スララ。いきなり取ったりしたら危ないかも……」
その間にスララがリコリスを伸ばし、一ピース外してしまった。
スララから一番近い妖精のパズルを外したのだが、その後も、何も起こらない。それどころか彼女は弾んだ声で、
「ピースの裏にも絵が描いてあるよ~。なんだろうね、これ」
「本当だ。……竜?」
スララが伸ばしたリコリスを皆の目の前に引き寄せ、パズルの絵柄を見せる。そのパズルの裏面を覗けば、三つの眼を持つ竜が描かれていた。
「両面式のパズル……? ずいぶんと精密な絵だ」
「わたしの描く絵よりもうまいかも~。なんだろうね、これ」
スララが首を傾げ、アルシエルが危険性あるかどうか、軽く触れて調べてみる。
「……特に異常はないな。魔法的には何の変哲もない代物だ」
「ベリアルはたまにパズルで遊んでいたのかな~?」
「どうだろう。夜空を楽しむ情緒はあったくらいだから、不思議ではない。不思議ではないが……」
天空宮殿の中枢部にあるというのが気にかかる。わざわざそんなところにパズルなどはめ込むか……?
スララがリコリスでつんつんと竜の絵柄を突いている。けれども異常性は特にない。全くない。完全に遊戯物としてのパズルらしかった。
そのことをアルシエルが結論付けると、スララがはにかみながら、
「ねえお姉ちゃん」
「ん、なんだ?」
「シャノンが戻るまで暇だよね。みんなで、パズルの競争をしようよ~」
意外なことを言い出した。
「おいおい、スララ」苦笑する。「何もこんなところでしなくともいいだろう。確かに時間があるのは確かだが……」
「ダメかな~?」
笑い流そうとしたアルシエルだが、すぐに表情を切り替えた。スララの瞳を見て、そこに期待の色を見て、考えが変わる。
「パズル……か。そういえば集落にいたときは、遊びらしい遊びもしてやれなかったな……」
思い出らしい思い出などない。あるのはひたすら復讐に燃える日々で、口を開けばベリアルへの復讐かそのための研究ばかりを言っていた。
脳裏の中に姉妹の時間といえるものは、ほとんどない。
「……そうだな。うん。やろうか、スララ」
「やった~、嬉しいよ、お姉ちゃん!」
晴れやかなスララに、アルシエルも釣られて頬を緩ませた。それどころか久しぶりに遊び心が湧いたのだろう、ニヤッと子供のように笑ってさえいる。
「しかし、やるからには妹といえど容赦はしないぞ、スララ」
「わたしだって負けないよ~。絶対勝つ勝つ~」
華やかな笑みに端を発して、パズル組み立ての競争になった。全部で六つのうち、四つのパズルのもとへ彼らは散らばっていく。元の絵柄を全部取り出した。そして裏面の絵をはめていくという勝負。
「よーい、どんっ」
そして皆の準備が終わり、スララの楽しそうな声が響く。
彩斗は、中間くらいピース数、スララはそれより若干多いピース数、エルンストは多めのピース数、アルシエルは――一番ピースの少ないパズルに挑戦する。
「あ、お姉ちゃん、ずるい~。一番少ないピース選んでる」
「ふふ……パズル選びから勝負は始まってるぞ。妹よ、言っておくが敗者には罰ゲームもあるからな。一位になれなかった者は……そうだな、優勝者のお願いを聞かなければならない。それでいいな」
言いつつも次々とピースをはめていく。
「わ、ずるい~、お姉ちゃんずるっ子だよ~」
「なんて大人気ない……」彩斗が言った。
「まるで子供みたいなやり方であるな」エルンストが呆れた。
「なんとでも言うがいい。ふふ、さて、そうしてる間にも私はどんどん組み上げていくぞ」
「わ、わ、お姉ちゃんどんどんはめていく~。わたしも何とかしないと~」
リコリスを用いて、四刀流でスララはバババッと速度を上げていった。だがアルシエルも負けていない。両の爪のリコリスを大げさに広げ、芝居がかった仕草で妹にニヤリと笑みを送る。
「はは、私のリコリスは両手の爪だから十ある。お前よりも速度は遥かに上だぞ、敵うものか」
「なんて速い、む~、でも、わたし負けないっ」
スララはリコリスを振って、四つの分体を作り出した。八本の手で組み上げようとするが、それでもアルシエルには及ばない。
「ふふはは……見ろ、私のリコリスを! 分体を! スララには負けん、負けんぞっ」
「わーっ、お姉ちゃん十個も分体作ってる~! ズルいっ。どうしよう、彩斗」
「く……こうなったら、ボクはビリでもいいや。スララのパズルを手伝うことにする」
「ははは、無駄だ、無駄だ、スララには負けんっ! 私の勝ちだ、フフハハハっ!」
楽しそうだった。じつにアルシエルは楽しそうだった。輝く瞳でスララと彩斗が悔しがる様子を見ながら、十本の爪のリコリスと、十体の分体で次々とピースをはめていく。
「あ」
そのとき、スララのリコリスが強く動きすぎた。ピースが飛び、隣の彩斗の顔に当たったのだ。
「痛いっ」
「わ、ごめん、彩斗。だいじょう……わあっ」
焦っていたので周りの大量のピースに目がいかない。彩斗の顔を覗きこもうとしたスララは、手のひらをピースで滑らせてバランスを崩す。
巻き込まれた勢いで、彩斗ごと二人は倒れた。
はずみでスララの胸に、彩斗の手が、むにゅんと触れる。
「あ、ご、ごめん。スララ!」
「事故だから平気、気にしない~。それより、彩斗の顔に、」
「貴様ら――――っ! 何を抱き合っているかっ!」
アルシエルが青筋を立てて怒鳴った。
「彩斗、お前、スララの胸に触ったな! 私の妹に破廉恥な行為とは、許さんっ!」
「ええ!? いや、あの、違いますっ、わざとじゃありませんっ」
「それより彩斗、今がチャンスだよ。お姉ちゃんを抜かそう~」
「ふ、ふん。だが速度は私の方が上だ。お前たちには負けん」
するとスララは何やら考える仕草をした。
少しだけ悪そうな顔をし、彩斗の体に密着すると、
「お姉ちゃんに勝ついいこと思いついた~。……ぴと」
彩斗の胸に、スララが顔を埋める。
「す、スララっ、お前っ、男の胸に顔を埋めるとは、何を――っ」
アルシエルが顔をひくつかせる。その隙にスララはババババッと、ピースをはめてパズルの逆転だ。
「く、卑怯な、私の気を散らす作戦だとっ!」
ピースを早くはめようとする彼女だが、スララと彩斗の様子がが気になって集中どころではない。さらにスララは追い打ちのごとく、
「……ぴと?」
彩斗の太ももに顔を埋めた。
「スララーっ、お前っ、おと、男の太ももに、なんて破廉恥なことをっ!」
さすがに彩斗は顔が赤くなる。
「いや、あの、スララ……もうその辺で」
「……すりすり~」
彩斗の手を取って、スララは自分の頬に少し擦りつけた。甲にそっと唇を付ける。
アルシエルが――彩斗が――固まった。
「す……す……スララ。おま、お前、何して……っ」
「すすすスララ……!? ボクいま、とんでもないことされたような……っ!?」
「今のうちだよ~っ! 彩斗、急いで急いでっ!」
「あ、う、え、うん……っ」
硬直するアルシエルを差し置いて、リコリスを颯爽と動かす。やや時間を経て、スララのパズルが、見事完成した。
「やった~、お姉ちゃんに勝ったよ~! ありがとう、彩斗~!」
「……ボクは、喜んでいいのか、何と言ったらいいのか……あの、アルシエルさん、ごめんなさい」
スララが彩斗の手を取ってはしゃいでいる。
愕然として、アルシエルは体をわななかせていた。
「そ、そんな、私の妹が……スララが、あんなに嬉しそうに……まるで、仲の良い恋人のように喜んでいる……」
何やら床に向かってしゃべりだした。
「く、確かにスララは可愛くて、愛らしくて、どこに嫁に出しても問題ない世界一可愛いプリティーでキュートでラブリーな妹だが、だからといって人間が伴侶であるなど……いや、待て、スララを大切にしてくれるなら良いのか……? し、しかし……近年では価値観の違いからの離婚問題が多いと聞くし、そうしたらスララはとても悲しむだろうし、不倫事件とか起きたらどうしよう……でもでも、スララが選んだ男なら私は祝福するべきだし……っ、うう、く、彩斗、お前、スララのこと、末永く大切にしてくれっ! 頼んだぞっ!」
「あ、アルシエルさん! 悔しさのあまり、おかしな言動になってますよ!」
彩斗が叫ぶ。それでようやく、アルシエルは我に返った。
恥ずかしそうに皆を見て、顔を隠すようにして、わざとらしく彼女は咳をする。
「う、ん。では勝負はスララの勝ちだということだな。我が妹ながら見事だった」
「お姉ちゃんに勝った~。それじゃあ、約束通りお姉ちゃんに、勝者のお願いをするよ~」
スララが少し悪い顔になって姉を見上げた。
「お、お手柔らかに頼むぞ」
「――じゃあ、お願いするね。お姉ちゃん。これからずっと、わたしのそばにいてほしい~」
えっ、と目を瞬かせて、アルシエルは妹の顔を覗き込んだ。
「スララ、お前――」
「さっきみたいに、楽しそうな笑顔で、わたしと一緒に遊んだり、ふざけたり、笑い合ったりして時には過ごしてほしい~。憎しみは忘れて、新しい日々を送るの~。それが、わたしからの、お願いだよ」
「スララ……」
思わずぎゅっと抱きしめて、妹の胸に顔を埋めてアルシエルは震える。
そんな姉を、スララは優しく抱き返した。もっと色んな姉を見てみたい。子供みたいにはしゃいで、ムキになって、些細な遊びに全力で挑むアルシエルを知っていきたい。
紡がれなかった時間をこれから紡いでいこう。埋められなかった空白を二人でたっぷり埋めていこう。
罪滅ぼしの日々は、辛く険しいかもしれない。
けれど姉妹一緒ならば、苦しさは半分、辛さも半分、けれど喜びは二倍も三倍にも増えるから。
溢れる姉への想いを込め、スララはアルシエルを強く抱き返す。
「わたし、お姉ちゃんが大好きだよ~。もっと一緒にいたい。だから頑張ろう~。わたしも、お姉ちゃんに協力する。どうやって罪を滅ぼせるか考えてみる。ベリアルとも一緒に戦うよ。早くベリアルと決着をつけて、毎日遊ぶすら~」
スララの笑顔は太陽だった。
憎悪の氷に包まれていたアルシエルは、この時、一片の欠片もなく、憎しみを棄てることができた。
姉妹が抱き合う時間だけが静かに訪れる。優しい空気が彼女らを包み込んでいく。
低い嗚咽が、染み渡るように部屋へ広がっていき、スララとアルシエルは潤んだ瞳と濡れた声音で、いつまでも抱き締め合っていた。




