36 迂闊
迂闊だったなあと、心底痛感したのは夜更けをかなり回った頃。
あれから、気まずい空気の流れる食堂をすぐ様出て寝床(牢屋)に戻った。ノデルは終始カラカラ笑って最高だなあおいと喋りかけて来たけどガン無視。
尿意におそわれトイレに行きたいですと見張り番に呼びかけた。そこでしろ、と右端にある穴を指され言われたが断固拒否。見張り番はこちらを紅部隊と知ってたため、押し問答の末に騎士隊の宿舎を借りることを許してくれた。彼はついてくるかくまいか迷っていたようだけれど、ノデルを見て居残ることを決めたらしい。道順を教えてくれ、すぐに帰ってくるようにと言われた。
「うぅ〜さっぶ…」
両腕をさすりながら歩いていると、宿舎が見えた。各々の騎士隊と男子寮と、数が少ない女性騎士のための寮が一つある。ここで、足を止めた。
いや、躊躇う必要などない。私は男だ。そうとも男だとも。例え結婚してもおかしくない身分ある公爵家の令嬢だとしても、誰が今の私に文句をつけられると言うのか。そんな輩がいるならすぐさま呼び出して部隊長の前に引きずり出してやる。あの獰猛な獣に頭から美味しくいただかれてしまえば良いのだ。
「うむ…!」
潔く覚悟を決め、男子寮の方へ足を向ける。半壊状態の所から修理工事を進めている場所が紅の宿舎だろう。恐らくすぐその隣にあるのが黒騎士隊の宿舎。こちらもところどころ破壊されているが、紅と比べると雲泥の差だ。
すぐ戻れと言われてるしとシャロンは何も考えず、手近な黒騎士隊の宿舎へ足を踏み入れた。深夜をかなり回っているので、出くわす隊員も居ないだろう。どこかでそう考えたのだ。ーーショドウェイがこの場面を見たら間違いなく言っただろう「面倒ごとを引きつける己を才能を省みるっす!どう考えても碧の宿舎一択っしょ!?」と。
「お邪魔しまあす…」
恐る恐る進み、入口の掲示板に目を通す。通達事項の紙などが雑多に貼り付けられていた。『私用での城内の魔法使用を禁ず』『麻袋を無くした者は即時解雇とする』『王家の森への調査隊数十名、募集中』『ククトン隊長の眠りを妨げるものに死を』『隊員は最低週に一度は風呂に入るべし』『紅には関わるな』『だから関わるなと言っただろう処すぞ』ーーなどなど。日常の注意から業務上の注意まで多岐に渡るものだ。
幾ばくか経つと、シャロンは目当ての物を見つけた。宿舎の案内掲示板である。
「右手を直進、突き当たり左ね…オーケー」
膀胱が既に悲鳴を上げている。なるべく振動を与えないよう、かつ速やかにシャロンは動いた。
「着いたッ」
もちろん、縦長の便器で用を足せるわけもないので、個室の方へと急ぐ。ぷんっと香ってくる厠独特の匂いはあまり気持ちのいいものでは無かったが、もうそんな贅沢な事を言っている暇もない。慌てて便器に座った。
「ふぃぃ…」
やっと一息ついたシャロンは、妙な気配を感じた。
複数人が扉の前に立っているような気がしたのだ。
えっ、まさか、ここ、出るの…!?
ザッと青ざめたシャロンは咄嗟にズボンを引き上げ、扉の前に立ち尽くす。どうしよう、これどうしよう、と額に汗を浮かべていると、扉を隔てた向こうで小さな小さな詠唱が聞こえた。
「〜〜〜…示せ」
突如、バケツ一杯分ほどの水が降ってきた。
愕然と立ち尽くすシャロンに、もういっちょとばかりに短い詠唱が聞こえたかと思うと、今度は茶色い物体が降ってきた。
「ぎゃっ!う、う、うんっ…!?」
こまで言わなかったのは淑女としての慎み故にだ。決して男集団に囲まれて粗野な態度が染み付いてしまった訳ではない。
咄嗟に魔法で弾き返すことも考えたが、城内では簡単には魔法が使えない事を思い出し、猫のように背後に飛び退いた。
「な、なななに、なんなの」
ここまでくれば流石に幽霊の類でないことは察しがつく。扉の向こうにいるのは人だ。恐らく、黒の隊員。べちゃっと床にへばりつく茶色い物体に視線を向けないよう気をつけるが、匂いだけは無視できそうもなかった。鼻がひん曲がりそう。
「「「…」」」
男たちは何も言わず、じっと佇んでいる。
いや、怖い。怖いよなんなの本当に。
「あの、何かご用で…?」
ご用も何も、明らかに嫌がらせをしに来たんだろうとは分かっていたが、どうにも扉を開ける気にはなれなかった。出来れば立ち去って頂きたい。僅かな明かりしかないものだから、薄暗く異臭のするこの辺りはとてつもなく不気味である。
数分後、男らは何を口にするでもなく踵を返していった。シャロンはその後も本当に帰っていったか確認のために扉に耳を貼り付け、音が消えてから十分ほどで扉を開けた。
なんだったんだろう…!なんで私はう○こを被りそうになったんだろう…!
こうなれば始めの水もただの水だったのか怪しい。慌てて服を嗅ぐ。別段変わった匂いはしなかった。ほっと息を吐き、急いで宿舎を出た。
寝床に戻ると、見張り番とノデルは何やら口論を交わしていたようだったがこちらに気付くと直ぐに声をかけてきた。
「おい、どうした」
心配そうに声をかける見張り番。
「おお?濡れ鼠みたいになってやがる。傑作だ!便所行っただけでどうしてそんなことになれんだ!」
ゲラゲラと笑うノデル。
とりあえず後者の男は殴り倒してもいいのではないだろうかと思案し、どうしようもないのでへらっと笑って見張り番に答えた。
「用を足してたら上からかけられちゃって…。替えの服とかありますかね?」
「上からかけられた?…ああ、とりあえず用意してこよう」
今夜の見張り番は随分と親切な人間らしい。株がぐぐっと上がった。
「ああ、クソする方に入ってたのか。だがなんで…おい、お前まさか黒の宿舎に転がり込んだんじゃねえよな」
「え?そうだけど。ついで…」
ついでにクソする筈の場所でクソを浴びそうになったけど。なんて口から出かかって慌てて閉じる。いけないいけない。この馬鹿に口調が汚染されかけてる。
「おいおい!馬鹿もここまでくると天晴れ天才だな!お前今黒の奴らにどんだけ恨まれてんのか分かって行ったのかよ!」
「馬鹿に馬鹿って言われたくない!大体そんな恨まれることもした覚えない!」
「くくっ…覚えがねえか!今黒の奴らはお前を火で炙ってミンチにしてたって治んねえ状況だってのによ。崇拝してる神を目の前でコケにされてんだぜ」
「ちょ、待ってよ。私そんな酷いこと言ってないよね?」
後になって聞いた。あの食堂にいた男は、黒騎士隊隊長のククトンだと。そして周りに居たのは黒騎士隊の面子ばかりだったと。
「そうだなあ。結界張ってるのはロイドの爺さんの魔力でだが、その基礎構築案を出したのはククトンだからなあ」
ーーー雑な結界張ってる方の問題なんじゃあないですかねえ?
馬鹿な女が、勢いで言ってしまった言葉が脳内を駆け巡った。そう、つまりだ。私はあの信者の前で、見事な基礎を作り上げた神様を馬鹿にしてしまったことに他ならないのだ。
「…謝って許してくれますかね…」
「いやあ無理だろ。あいつらとんでもなくカッカしてっから」
「ですよね…」
なんせうん○を魔法で飛ばされたのだ。これは序の口にすぎないのであろう。ああ、なぜ私はあの時あんな阿呆なことを言ってしまったんだろう。
城内で魔法が使えない私は、一般人よりも非力だ。なんなら下町のガキンチョどもの方が強いかもしれない。対して信者は国内トップを誇る魔法使いの集団。
ーーー頭痛がしてきた
「待たせたな。替えの服だ」
「ああ、ありがとうございます!」
濡れた服の上から新しい服を着て、濡れた方の服を脱ぐ。辺りは薄暗いとはいえ、男達に見られたくないが故の苦渋の選択だ。
「それから、これもやろう」
「へ?」
手渡された物は、二枚の毛布。
「こ、これ…っ!」
「そこの馬鹿と違って、宿舎がないからここに居るんだろう?見習いには今夜は堪えるだろ。使え」
王家の森で捕まったことは今や極秘事項だ。だから、目の前の親切な御仁はただの見習いが牢屋で寝泊まりするということを不憫に思って持ってきてくれたのだ。
「ありがとうございます…!本当に!このご恩は一生忘れません…!」
「ああ、構わん気にするな」
ノデルは何か言いたげだったが、私はウキウキと一枚の毛布を床に敷き一枚を体に被せた。
床の硬さがかなり和らいだ。一枚あるとじゃないとじゃ大いに違う。うっかり涙が出そうである。
ここに来て、はじめて人の優しさに触れたシャロンはほうっと息を吐き、夢の世界へと誘われた。
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