2 尋問
不本意ながら、シャロンが王家の森に侵入してから一日後の夜、彼女は牢屋の中にいた。
遠ざかって行く足音を耳にしながら、彼女はのそりと頭を起こした。ずきずきと痛む腕を手前に持ってきて前方を見据える。いかにも頑丈そうな鉄骨だ。
そこから数歩離れた場所には古びた、しかしそうそう壊れることはないであろう椅子。槍を構え武装をした男がこちらを見張るようにして睨んでいる。
…なかなかスペシャルな体験だなあ。
若干遠い目をしながら、彼女は頭上の小さな小さな鉄格子の窓から覗く月明かりに照らされていた。
魔法が使えぬ専用の、鎖付きの手錠が巻き付いた状態で。
あぁ、床が冷たい。てか、体が痛い。腕が痛い。ついでに頭も痛い。くそう、あの人達本当にあり得ない。絶対あれ死んでもいっか的なノリだった。
ぷるぷると肩を震わせ、ここに来るより前の事に思いを馳せた。
☆☆☆☆
狂気の目をしていた男に手刀で眠らされていたシャロン。目覚めるとそこは狭く暗い部屋で異様な雰囲気に包まれていた。目の前には不気味な老人と幾人かの真っ黒な装束に身を包んだ集団。
(あれ、これ百年前の魔女裁判的ななにか?)
一度目を閉じて無かったことにしようとしたが、自身の状態に気付きそれも難しそうだと考えを改めた。
彼女は古びた椅子に両腕と足を固定されていた。力を込めてみたが見た目に反してそうそう壊れることはなさそうな、魔法がかかった特別性のようだった。
「おやお目覚めになられましたかな。小さな魔法使い殿」
「……」
シャロンは口を開かず老人の出方を見ることにした。
「おお、その反抗的な目。状況が理解できていないようですな」
目の前の好好爺然とした老人は長い髭をさすりながらこちらを値踏みするように言った。
(いやこの状況理解できる人間いたら逆に凄くないかな。自分らの格好一回確認した方がいいよ。犯罪の容疑者より怪しいよ。初対面の人間はそりゃ戸惑うよ弁えてよそこらへん)
と、思う事はたくさんあるがそのまま喋る訳にもいかず、かと言って何も喋らないわけにもいかず。彼女は言葉を探しながら何とか口を開いた。
「ごめんなさい…?えぇと、あなた達は……ここは…」
とりあえず無害な一般人Aを装うことにした。
「ふむ。まぁ質問するのは我らの方じゃ。其方は聞かれた事に素直に答えれば何も怖い事なぞない」
どうやらこちらの質問に答える気はなさそうだ。頭を抱えたいがそれも難しい。最悪の事態を想定してこの固定具から逃れる方法を模索する。
「あぁ、脱走などと余計なことは考えられぬほうが賢明じゃよ。自害もまた然り。その座席は少々特殊な細工を施しておりましてな。不審な動きをすれば死なない程度の毒物を注入するものじゃ」
「えっ」
ガタ、と思わず身じろぎをしてしまう。
なるほど容疑者の取り調べにはうってつけの椅子のようだが、シャロンにとっては非常に不味い事態でもあった。万が一の策が通じない可能性が高い。
「お分かり頂けたところで、質問を始めますぞ?」
この質問という名の尋問は、彼女にとって不利すぎるのだ。
シャロンに非はほぼないが、容疑はかの王家の森の不法侵入。そして現行犯。『知りません気付いたらあそこにいました』と言って『そうかいそうかい可哀想になあ』と無罪放免の可能性はゼロだ。
仮に素直にあの親子を引き合いに出すとすると、更に最悪のシナリオが出来上がるのは確実。彼女たちならば公爵家に僅かながら影響あるにせよ、即刻シャロンの断首刑を求めるだろう。
『どうぞ、不出来な義娘を処罰して下さいまし。私共も手を焼いておりましたの』と顔色ひとつ変えず王家に進言しそうだ。
「では、まずひとつ。どうやってあの森に踏み込まれたのかの?」
早速断首系の質問だ。
冷や汗をかきながらなんとか口を開く。
「じ、実は私、魔法が使えまして…!」
「でしょうな。そなたの魔力は溢れ出しそうなほど、器に籠っておりますからの。実に良い質のものじゃ」
「ロイド老師…!」
「おお、すまぬ。そうじゃな。年甲斐もなくはしゃいでしまったの」
老人はすぐに周りの男たちに咎められていた。恐らく喋りすぎたせいだろう。一切語らず全てを相手に吐き出させるのが尋問の基本だ。
「こほんっ、それでは続きを」
わざとらしく咳をし、続きを促す老人。
だが聞き間違えでなければ彼はロイドと呼ばれていた。ロイドとは、あの一国すら屠る魔法を持つという伝説の王宮お抱え魔道士のことだろうか。とんでもない大物が目の前にいる、と彼女は息をのんだ。
「えぇと…それでその…私、無意識で魔法を使ってしまったみたいで…」
「ほう。意識せず転移の魔法を使った結果、王家の森にいたと…?」
「ええ、はい、まあ、そうです…」
正直言って、かなり無理のある言い訳だ。
だがシャロンはそれ以外何も思いつかなかった。
魔力の高い者は、初めて魔法を使う際にそれを制御しきれずに暴走させてしまうものがいる。年に一度いるかいないかの割合だが、それほどの高魔力の者はそれなりに国に管理されているのでほぼ嘘と分かる。
だが国の管理の手からこぼれ落ちる物も居なくはない。
「器溢しのう…。確かに其方の魔力は不思議な流れをしておる…嘘とも言い切るのは難しい。ではいつ頃からその前兆があったのじゃ」
「全くありませんでした。だから森の中では何がなんだか分からなくて…」
しらっと嘘をつき困惑する子供を演じるシャロン。
それに反応を返したのは周りの黒装束の男たちだった。
「馬鹿を言うな!あそこには老師が、手ずから作った無力化結果が張り巡らされているのだぞ!?無意識で行われた素人の魔法なんかで破れるはずがない!」
「これこれ。落ち着きなさい。器溢しで破れるか否かは置いておいて、彼女に偽りの証言の自覚があるのならばそれはこれから分かることじゃ」
「…?」
腕に違和感を感じふと目線を下げたその時だった。
「───ッッ!」
突然全身に鋭い痛みが走った。
そして僅か一分後、鼻から血が溢れ動悸が激しくなる。
「すまぬの、これもしておかねばならぬのじゃ。ではもう一つの問うぞ。…そなたの先程の証言に嘘偽りはないかの?」
「ゲホッ…ヒッアッ…」
「喋るのも辛いじゃろう。首を縦に振るだけでかまわぬ。もし何かしらの偽りがあった場合、その毒はそなたをゆっくり死へと導く。無かった場合は、自動的に解毒薬が注入される」
「──ッッ!」
質問に答える事を放棄しシャロンは考えた。痛みが走る数分前からあった僅かな痺れ、直後の激しい痛み。吐血、激しい痛み、呼吸困難。覚えがあった。
黄色い悪魔と呼ばれる劇薬、マリノリスクだ。
初期症状は酷く重いものの、体内に入った毒が少なければ死までの時間は半日もある。
(これは尋問だからすぐ殺すような量は使わないはず…原因が分かれば対処法は編み出せる…)
ロイドは今、解毒薬がこの椅子に備え付けられている事を示唆していた。それが本当に解毒薬かどうかを確認して、なんとか体内に取り込みたい。
「何を考えようと無駄じゃ。そなたに嘘の自覚がある限り、その魔道具は反応するんじゃからの」
冷や汗が膝に落ちて血と混じった。
その光景を見て、彼女は死の恐怖に呑まれかける。
(苦し紛れに頷いても無駄なら、いっそ本当の事を喋ってしまおうか。ああ、まだ死にたくない!)
「…っ、ほ…ガハッ!」
喋ろうとするが口にも痛みと痺れがきていた。もはやまともに喋ることも難しい。これは尋問に向かない毒ではなかろうかとか、もしかしたら毒の量見誤ってるのではと頭をよぎる。
(なんで私がこんな目に合わなきゃ…くそ、くそくそくそ…っ!)
「ほれ、痛いじゃろう。辛いじゃろう。早く答えれば楽になれるぞ」
あの女絶対に殺してやる、とシャロンが意思を固めた時。
走馬灯のように脳内を記憶がかけめぐった。
父親が死んだときの周囲の手助け。いつもあの女の背後にいた外国の男。幼少期に出会った少年の口癖。彼から教わった時に暴走した魔法。それをコントロールしてみせた少年のあの方法…。
パキンッ、と椅子から異音が鳴った。
「なんじゃと…ッ!?」
「老師!離れてください!」
右腕に巻き付けられた鉛からあがる煙り。
腕の拘束組付近から溢れ出す緑色の液体。
(これだ…っ!)
走馬灯の少年の様に魔力をコントロールして、液体を手繰り寄せ右腕の傷から体内の血液へとまわした。
「──ひぅっ、かはっ!」
まだ上手く息が吸えないが、動悸は緩やかになりつつあった。しばらくすると血も止まり、普通に喋れるようになるだろう。
爆発の衝撃で腕には傷がいくつもできていた。
(さっきの毒ほどじゃないから我慢はできるけど…。あー死ぬかと思った。火事場の馬鹿力ってやつかなぁ。あんな緻密でスピード勝負な魔力コントロールもう二度とできる気がしないよ)
床に寝転び、息を整えるシャロン。
周囲がやけに静かだなとそちらを見れば黒装束の男たちがロイドを守る陣形で囲み、杖を持ってこちらを威嚇していた。
状態は好転したわけではなさそうだった。