幼馴染と異世界転移した俺たちは、チート能力で魔王を倒し、10年越しに恋人になりました 前編
ながーい前編です。
正直、タイトルが内容の全てです。
なろう異世界転移です。
高瀬直哉は、どこにでもいる普通の高校三年生だった。
……と本人は思っている。
成績は学年でも常に上位。
運動神経もよく、剣道では全国大会への出場経験もある。
生徒会長を務め、教師や生徒からの信頼も厚い。
それだけ聞けば、絵に描いたような優等生だ。
ただ、一つだけ問題があった。
「会長。これ、お願いできますか?」
「いいよ」
「えっ、いいんですか?」
「うん。困ってるんでしょ?」
直哉は、頼まれると断れない。
正確には、困っている人間を目の前にすると、断るという選択肢が頭から抜け落ちてしまうのだ。
そのせいで、本来なら生徒会の仕事ではない雑用まで引き受けてしまうことがある。
「……またですか」
隣から呆れた声が聞こえた。
相沢玲奈。
直哉の幼馴染であり、生徒会副会長でもある。
「何が?」
「何がじゃありません。自分の仕事が終わっていないのに、どうして他人の仕事まで引き受けるんですか」
「困ってたから」
「その理由で何でも引き受けていたら、いつか自分が困ります」
「そのときは玲奈が助けてくれるだろ?」
「……そういう問題じゃありません!」
玲奈は頬を膨らませた。
直哉は悪びれる様子もなく笑っている。
昔からそうだった。
誰かが困っていれば助ける。
自分が損をするかどうかは、あまり考えない。
玲奈はそんな直哉を放っておけなかった。
だからこそ、勉強も運動も努力してきた。
直哉の隣に立っていたかったから。
「ほら、もう帰りますよ」
「もうそんな時間か」
「会長が余計な仕事を引き受けるからです」
「悪い悪い」
2人は並んで学校を後にした。
帰り道の会話は、いつも通りだった。
学校のこと。
明日の予定。
夕食のおかず。
玲奈の実家である定食屋の新メニュー。
親同士が大学時代からの友人だったこともあり、2人は物心つく前から一緒に過ごしてきた。
家族同然の関係。
周囲からは、付き合っているのかと何度も聞かれている。
しかし、2人は恋人ではない。
少なくとも、直哉はそう思っていた。
「直哉」
「ん?」
「明日、時間ある?」
「特に予定はないけど」
「じゃあ、うちに来てよ。新しい定食の試食をしてほしいって、お母さんが」
「いいね。楽しみだ」
「……本当に食べることばっかり」
玲奈は小さく笑った。
その横顔を見ながら、直哉も笑う。
そんな何でもない日常が、これからも続いていく。
2人とも、そう思っていた。
—————————
直哉の家は、少し堅苦しい父親と、穏やかな母親の三人暮らしだ。
父親は弁護士をしている。
曲がったことが嫌いで、少々頭が硬いところもあるが、困っている人間を放っておけない性格だった。
直哉の正義感は、間違いなく父親譲りだろう。
一方、母親はネイルサロンを経営している。
近所では評判の店で、技術はもちろん、店主の人柄も人気の理由だった。
ただし、息子に対しては少々過保護である。
「直哉、おかえりなさい。遅かったわね」
「ただいま。生徒会の仕事が長引いただけだよ」
「ちゃんとご飯食べた? 最近忙しそうだから心配なの」
「大丈夫だって」
「もう、直哉は昔からそうなんだから」
母親は笑いながら夕食を並べる。
父親は新聞を畳み、直哉に目を向けた。
「人の仕事を引き受けるのもいいが、自分の責任を疎かにするなよ」
「分かってるよ」
「分かっている人間は、そう簡単に仕事を増やさん」
「……気をつけます」
母親がくすくすと笑った。
いつも通りの夕食。
いつも通りの会話。
それが、直哉にとっての当たり前だった。
————————
それから数日後。
生徒会の仕事を終えた直哉と玲奈は、いつもの帰り道を歩いていた。
「そういえば、明日の小テストの範囲ってどこまでだった?」
「教科書の七十二ページまで」
「ありがとう。助かった」
「直哉、あなた成績いいんだから、そんなことくらい自分で確認しなさいよ」
「いや、玲奈に聞いた方が早いし」
「……もう」
玲奈が呆れたように息を吐く。
そのときだった。
足元が淡く光った。
「え?」
直哉が立ち止まる。
地面に、見たこともない紋様が浮かび上がっていた。
円形の魔法陣。
複雑な文字と幾何学模様が、青白い光を放っている。
「直哉、これ……!」
「玲奈、こっちに!」
直哉は咄嗟に玲奈の手を掴んだ。
次の瞬間、魔法陣が強烈な光を放つ。
視界が白く染まった。
音も、風も、感覚も。
すべてが消えた。
————————
目を開けると、そこは不思議な空間だった。
足元には白い床が広がり、周囲には果てしない青空のような景色が見える。
「……ここは?」
玲奈が周囲を見回す。
「分からない。少なくとも、学校の帰り道じゃないな」
「そんなことは見れば分かるよ!」
玲奈の声が少し震えていた。
そのとき、2人の前に光が集まり始める。
やがて、人の姿を形作った。
長い銀色の髪。
透き通るような白い肌。
人間離れした美しさを持つ女性だった。
「ようこそ、私の領域へ」
女性は穏やかに微笑んだ。
「私は、この世界を司る女神です」
直哉と玲奈は顔を見合わせた。
どうやら、冗談ではなさそうだった。
————————
「あなた方に、お願いしたいことがあります」
女神は静かに語り始めた。
彼女が管理する世界には、かつて多くの国と種族が存在していた。
人間、エルフ、ドワーフ、獣人。
それぞれが独自の文化を築き、時には争いながらも共存していた。
しかし、ある日を境に世界の均衡が崩れた。
魔王の出現。
魔王は強大な力を持つ魔物たちを従え、世界各地へ侵攻を始めた。
国は滅び、街は焼かれ、多くの人々が命を落としている。
「私の力だけでは、もう魔王を止めることができません」
女神が手をかざす。
2人の目の前に、映像が浮かび上がった。
燃え上がる街。
崩れた家屋。
逃げ惑う人々。
瓦礫の下で泣き叫ぶ子供。
魔物に襲われ、必死に抵抗する兵士たち。
「……これが、今の世界なのか?」
「はい」
女神は悲しそうに頷いた。
「どうか、この世界を救っていただけませんか」
直哉は映像を見つめていた。
助けを求める人々。
逃げ場を失った子供。
誰かを守ろうと戦う兵士。
その光景から目を逸らせなかった。
「俺たちに、何ができるんですか?」
「あなた方には、魔王を討伐していただきたいのです」
「ちょっと待ってください」
玲奈が口を挟んだ。
「私たちは普通の高校生です。そんなことができるはずありません」
「分かっています」
「それに、元の世界には家族がいます。突然いなくなったら、みんな心配します」
「……その通りです」
女神は申し訳なさそうに目を伏せた。
「ですが、私にはもう、あなた方に頼る以外の方法が残されていないのです」
直哉はしばらく黙っていた。
やがて、玲奈に顔を向ける。
「玲奈」
「なに?」
「俺、行こうと思う」
「……やっぱり」
「困っている人がいる。助けられるかもしれないのに、何もしないで帰るのは嫌なんだ」
「でも、私たちが帰れなかったら?」
「それは……」
直哉は言葉に詰まる。
玲奈の言っていることは正しい。
自分たちには家族がいる。
友人がいる。
帰るべき場所がある。
それでも、目の前で助けを求めている人々を見捨てることはできなかった。
「玲奈は来なくてもいい。俺だけでも行く」
「本当に、そういうところ……」
玲奈は俯いた。
「自分だけで全部背負おうとするんだから」
「そんなつもりはないけど」
「あるよ」
少しの沈黙。
玲奈は顔を上げた。
「私も行く」
「玲奈?」
「あなた一人で行かせたら、絶対に無茶するでしょ」
「いや、そんなことは……」
「あるの!」
玲奈は直哉の手を握った。
「私だって、誰かを助けたい。あなたの隣にいたい。それに……」
そこで言葉を止める。
「それに?」
「……何でもない」
玲奈は少しだけ頬を赤くした。
こうして2人は、異世界へ行くことを決意した。
—————————
「ありがとうございます」
女神は深く頭を下げた。
しかし、すぐに表情を曇らせる。
「ただ、一つだけお伝えしなければならないことがあります」
「何ですか?」
「私の力は、現在かなり弱まっています。そのため、あなた方を異世界へ送ることはできますが、転移を維持できる時間には限界があります」
「限界?」
「最大で十年です」
女神の説明によれば、2人が異世界に滞在できる時間は十年間。
魔王を討伐すれば、その時点で帰還できる。
仮に討伐できなかった場合でも、十年が経過すれば強制的に元の世界へ戻されるという。
「十年……」
玲奈が小さく呟く。
「長い時間になります。あなた方の人生を大きく変えてしまうでしょう」
女神はさらに続けた。
「異世界での生活によって肉体が老化することはありません。今の年齢を維持したまま過ごすことができます」
「つまり、十年間冒険しても、見た目は今のままなんですね」
「はい」
「魔王を倒した後は、ちゃんと帰れるんですよね?」
「約束します。討伐後、あなた方を元の世界へお送りします」
直哉は玲奈を見た。
「どうする?」
「……行くって決めたんでしょ」
「まあな」
「だったら、最後まで付き合うよ」
玲奈は苦笑した。
「ただし、私の言うことはちゃんと聞くこと。無茶は禁止」
「努力します」
「そこは約束しなさい!」
女神は2人の様子を見て、少しだけ微笑んだ。
「では、あなた方に祝福を授けましょう」
————————
「まずは、直哉さんから」
女神が直哉の胸に手をかざす。
眩い光が全身を包み込んだ。
身体の奥底から、力が湧き上がってくる。
「これは……」
「あなたに授けた祝福は『武神の加護』です」
女神の説明によると、その能力は肉体強化と剣術の極致。
筋力、速度、反射神経、耐久力。
あらゆる身体能力が人間の限界を遥かに超える。
さらに、剣に関する技術を完全に理解し、習得できる。
一度見た剣技は再現できる。
どんな剣でも、手にした瞬間に最適な扱い方が分かる。
「簡単に言えば、剣を持てば誰にも負けません」
「それはすごいですね」
直哉は自分の手を握ったり開いたりしている。
「次は玲奈さんです」
女神が玲奈に手をかざす。
今度は、紫色の光が身体を包んだ。
「あなたに授けた祝福は『万象の賢者』です」
あらゆる魔法を無詠唱で使用できる。
一度見た魔法は解析され、完全にコピーできる。
さらに、コピーした魔法を改良し、より強力なものへと作り変えることも可能。
魔力量にも、ほぼ上限はない。
「……え、それって何でもできるってことですか?」
「理論上は、そうなります」
「すごい……!」
玲奈の目が輝く。
「少し試してみてもいいですか?」
「もちろんです」
玲奈が指先を向けると、小さな炎が生まれた。
続いて水の球体。
風の刃。
そして、女神が周囲に展開していた防御魔法まで再現してみせた。
「……え?」
女神が目を見開く。
「もう解析したのですか?」
「はい。何となく仕組みが分かりました」
「それは……驚きました」
直哉も負けじと、近くにあった石を拾い上げる。
「俺も試してみていいですか?」
「どうぞ。ただし、加減してくださいね」
直哉は軽く地面を蹴った。
次の瞬間、身体が一気に前方へ飛び出した。
「うわっ!」
数十メートル先まで移動していた。
直哉自身も驚いている。
「……これ、すごいな」
玲奈が笑い出した。
「ちょっと、直哉! 加減してって言われたでしょ!」
「いや、今のは軽く蹴っただけなんだけど」
「それが問題なの!」
2人は何度も能力を試した。
剣を振れば風が巻き起こり、魔法を使えば周囲の空間が歪む。
女神は少し困ったように笑っていた。
「その力は、あなた方の想像を遥かに超えています。どうか、使い方を間違えないでください」
「分かりました」
直哉は真剣な顔で頷いた。
「この力で、できるだけ多くの人を助けます」
玲奈も頷く。
「私もです」
女神は2人を見つめた。
「どうか、ご無事で」
そして、足元に巨大な魔法陣が展開される。
光が2人を包み込んだ。
こうして、2人の異世界での生活が始まった。
————————
転移した先は、深い森の中だった。
「……森だね」
「そうだな」
周囲を見回す。
見たこともない植物。
空を飛ぶ大きな鳥。
遠くから聞こえる獣の鳴き声。
どうやら、本当に異世界へ来てしまったらしい。
「とりあえず、人のいる場所を探そう」
「そうだね。食べ物も必要だし」
2人が歩き始めた、そのときだった。
遠くから悲鳴が聞こえた。
「助けてくれ!」
直哉はすぐに走り出した。
「直哉!」
「声のした方だ!」
玲奈も後を追う。
森を抜けた先には、小さな馬車が横倒しになっていた。
周囲には数匹の魔物。
その前に、剣を持った男が一人、必死に立ち塞がっている。
男の後ろには、子供を抱えた女性がいた。
「下がっていろ!」
男が叫ぶ。
しかし、魔物は容赦なく襲いかかる。
直哉は考えるより先に動いていた。
「そこの人、下がって!」
魔物との距離を一気に詰める。
男が驚いて振り返るより早く、直哉の剣が魔物を切り裂いた。
一閃。
魔物の身体が地面に崩れ落ちる。
「なっ……!」
残りの魔物が一斉に直哉へ向かってくる。
直哉は剣を構えた。
相手の動きが、まるでゆっくりに見える。
どこに力を入れればいいのか。
どの角度で剣を振ればいいのか。
考える必要すらなかった。
身体が自然に動く。
数秒後、魔物はすべて倒れていた。
「直哉、後ろ!」
玲奈の声が響く。
森の奥から、さらに大きな魔物が現れた。
直哉が振り返る。
「大きいな」
「ちょっと、感心してる場合じゃないよ!」
魔物が口を開く。
その瞬間、玲奈が手をかざした。
「ファイアランス!」
巨大な炎の槍が放たれる。
魔物の身体を貫き、そのまま地面に叩きつけた。
爆発音とともに、周囲の木々が揺れる。
戦闘は終わった。
————————
助けられた男は、何度も頭を下げた。
「本当にありがとうございます。お二人がいなければ、私たちは全滅していました」
「間に合ってよかったです」
直哉は笑顔で答えた。
男は自分を商人だと名乗った。
近くの村へ向かう途中、魔物に襲われたらしい。
「もしよろしければ、村までご一緒しませんか? お礼もさせていただきたい」
「いいんですか?」
「もちろんです」
こうして2人は、異世界で最初の人間と出会った。
村に到着した2人は、そこで様々なことを学んだ。
この世界には魔法が存在すること。
魔物が各地に生息していること。
そして、魔王軍が各国へ侵攻していること。
女神から聞いた話は、決して誇張ではなかった。
村人たちは、いつ魔物が襲ってくるか分からない不安を抱えて暮らしていた。
直哉は村の人々を手伝い、玲奈は怪我人の治療を行った。
気がつけば、2人は村人たちから歓迎されていた。
その夜。
「ねえ、直哉」
「ん?」
「本当に来てよかったのかな」
「どうした?」
「私たち、これからどうなるんだろうって」
玲奈は窓の外を見つめる。
「十年もあるんだよ」
「そうだな」
「……怖くないの?」
「怖いよ」
直哉は素直に答えた。
「でも、ここで助けられる人がいるなら、やれることをやりたい」
「直哉らしいね」
「玲奈がいてくれるから、何とかなると思ってる」
「……そういうこと、簡単に言わないでよ」
玲奈は顔を赤くして、布団に潜り込んだ。
直哉は不思議そうに首を傾げる。
異世界での最初の夜は、静かに更けていった。
————————
街の中心部に、その建物はあった。
石造りの大きな建物。
入り口には剣と盾を組み合わせた紋章が掲げられている。
「ここが冒険者ギルドか……」
直哉は建物を見上げた。
異世界に来てから、こうした場所を訪れるのは初めてだった。
入り口からは、武器や防具を身につけた人々が次々と出入りしている。
中からは賑やかな話し声や笑い声が聞こえてきた。
「なんだか、ゲームみたいだね」
「実際にゲームだったら、どれだけ楽だったかしらね」
玲奈が小さくため息をつく。
「まあまあ。とりあえず入ってみようよ」
「そうね。いつまでも外にいても仕方ないし」
二人は扉を開け、ギルドの中へと足を踏み入れた。
広々とした室内には、数十人の冒険者がいた。
壁際には依頼書が貼られた掲示板。
奥には酒場らしきスペースもあり、昼間から酒を飲んでいる者もいる。
剣を背負った男。
杖を持った老人。
大きな斧を担いだ女性。
その光景に、直哉は思わず目を輝かせた。
「すごいな……」
「ちょっと。観光に来たんじゃないんだからね」
「分かってるって」
二人は受付へ向かった。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
受付に座っていた女性が、にこやかに声をかける。
「冒険者登録をお願いしたいんですが」
「かしこまりました。お二人とも、冒険者登録は初めてですか?」
「はい」
「では、こちらの用紙に必要事項をご記入ください」
差し出された用紙を受け取り、二人は記入を始めた。
名前、年齢、得意な武器や魔法。
直哉は剣術、玲奈は魔法と記入する。
受付嬢は用紙に目を通し、少しだけ首を傾げた。
「ええと……お二人は、まだお若いですよね?」
「はい。十八歳です」
「十八歳……」
受付嬢は二人の顔を見比べた。
冒険者として活動する者の中には若い人間もいる。
しかし、実戦経験のない若者が二人だけで登録に来るのは珍しいことだった。
「冒険者は危険な仕事です。魔物との戦闘や、護衛任務などもありますが、その点はご理解されていますか?」
「はい。大丈夫です」
直哉が答える。
そのときだった。
「おいおい、聞いたか?」
背後から男の声がした。
「冒険者になりたいんだとよ」
「ははっ! ここは子供の遊び場じゃねえぞ!」
振り返ると、三人組の冒険者が立っていた。
いずれも屈強な体格で、使い込まれた鎧や武器を身につけている。
その中でも、先頭に立つ大柄な男が、二人を見下ろすように笑っていた。
「お前ら、冒険者がどういう仕事か分かってんのか?」
「はい。危険な仕事だということは理解しています」
「理解してるだと? 魔物と戦ったこともなさそうなガキが?」
男は直哉を見て鼻で笑った。
そして、その視線が玲奈に移る。
「お嬢ちゃんは、こんなガキと一緒にいるより、俺たちと組んだ方がいいんじゃねえか?」
「結構です」
玲奈は即答した。
「おいおい、そう警戒するなよ。俺たちは親切で言ってやってるんだぜ?」
「必要ありません」
「お前、ちょっとは口の利き方ってもんを――」
「もういいだろ」
直哉が間に入った。
「俺たちは登録に来ただけです。迷惑をかけるつもりはありません」
「なんだと?」
「失礼します」
直哉はそう言って受付に向き直ろうとした。
しかし、男はそれが気に入らなかったらしい。
「おい、待てよ」
男の手が直哉の肩へ伸びる。
その手が触れる直前。
直哉は振り返り、男の手首を軽く掴んだ。
「……あ?」
男が眉をひそめる。
「離せよ」
「すみません。でも、やめてください」
「ガキが調子に乗りやがって!」
男は腕を引き抜こうとした。
だが、動かない。
もう片方の手も使い、力任せに引っ張る。
それでも直哉の手はびくともしなかった。
「な、なんだこいつ……!」
直哉は困ったように眉を下げた。
「だから、やめてくださいって」
そして、ほんの少しだけ手を押し返す。
「うおっ!」
男の身体が後ろに傾き、そのまま床に尻もちをついた。
周囲から小さな笑い声が漏れる。
「おい、今の見たか?」
「ガキに転ばされてやがる」
「うるせえ!」
男は顔を真っ赤にして立ち上がった。
「この野郎!」
拳を握り、直哉に殴りかかる。
しかし、その拳が届くことはなかった。
直哉は片手を伸ばし、男の額に手のひらを添えていた。
男の拳は、直哉の顔の手前で止まっている。
「なっ……!」
男がさらに力を込める。
それでも、直哉の手は動かなかった。
まるで壁にぶつかったかのように、男の身体は前へ進めない。
「落ち着いてください」
直哉は穏やかな声で言った。
「ここで喧嘩をしても、誰も得しませんから」
男はしばらく拳を押し込もうとしていたが、やがて力を抜いた。
周囲は静まり返っていた。
先ほどまで笑っていた冒険者たちも、今は誰一人として声を出さない。
受付嬢も目を丸くしている。
「……もういいだろ」
男は悔しそうに呟き、仲間に支えられながらその場を離れていった。
「大丈夫だった?」
玲奈が小声で尋ねる。
「うん。別に何ともないよ」
「そういうことじゃなくて……」
玲奈は呆れたように息を吐いた。
「本当に、あんたって昔から変わらないわね」
「そうかな?」
「そうよ」
受付嬢は、しばらく二人を見つめた後、慌てて咳払いをした。
「し、失礼いたしました。それでは、登録手続きを続けさせていただきます」
先ほどまでとは明らかに違う態度だった。
————————
「冒険者には、実力に応じたランク制度があります」
受付嬢は説明を始めた。
「依頼を受けるには、その依頼に定められたランク以上である必要があります。初めて登録される方は、通常、簡単な実力確認を受けていただくことになっています」
「実力確認ですか?」
「はい。剣術や魔法など、ご自身の得意分野を確認させていただきます」
「分かりました」
「では、まず高瀬様からお願いします」
案内されたのは、ギルドの奥にある訓練場だった。
広い空間には木剣や訓練用の武器が置かれており、数人の冒険者が稽古をしている。
「試験官を務めます、ガルドです」
そこにいたのは、身体の大きな中年男性だった。
顔にはいくつもの傷があり、長年戦い続けてきたことが見て取れる。
「剣術の確認をする。経験は?」
「少しだけあります」
「少しだけ、か」
ガルドは直哉を見て、苦笑した。
「まあ、無理はするな。まずは木剣を持ってみろ」
「はい」
直哉は木剣を手に取った。
その瞬間、身体の奥で何かが反応した。
剣の重さ。
握り方。
構えたときの重心。
それらが自然と理解できる。
まるで、以前から何度も使っていたかのようだった。
「準備はいいか?」
「大丈夫です」
「では、始めるぞ」
ガルドが木剣を構えた。
次の瞬間、地面を蹴る。
鋭い踏み込みとともに、直哉へと剣を振り下ろした。
その瞬間。
カンッ!
乾いた音が訓練場に響いた。
ガルドの手から木剣が弾き飛ばされ、数メートル先の床へ転がっていく。
「…………」
誰も声を出さなかった。
直哉は木剣を構えたまま、きょとんとしている。
「あの……終わりですか?」
「……今、何をした?」
「え?」
「いや、俺の剣をどうやって弾いた?」
「普通に、受けたつもりですけど……」
ガルドは床に転がった木剣を拾い上げた。
「もう一度だ」
「はい」
今度はガルドも慎重に構える。
先ほどよりも鋭く、しかし相手の動きを見極めながら踏み込んだ。
直哉の剣がわずかに動く。
カンッ!
再び木剣が宙を舞った。
「…………参った」
ガルドはしばらく呆然としていたが、やがて深く息を吐いた。
「お前、本当に何者だ?」
「高瀬直哉です」
「そういう意味じゃない……」
周囲にいた冒険者たちもざわつき始めた。
「ガルドさんの剣を二度も……?」
「今の、見えたか?」
「いや、全然だ」
「冗談だろ……」
直哉は困ったように笑った。
自分がどれほど異常なことをしたのか、まだよく分かっていないようだった。
————————
「次は、相沢様ですね」
玲奈は別室へ案内された。
そこには魔法の適性や魔力量を測定するための器具が並んでいた。
「こちらの水晶に手を触れてください」
担当の魔術師が説明する。
「光の強さによって、魔力量を測定します」
「分かりました」
玲奈は言われた通り、水晶に手を触れた。
すると、水晶が淡い青色に光り始めた。
「おお、なかなかの魔力量ですね」
担当者が感心したように頷く。
しかし、光はそこで止まらなかった。
徐々に強くなり、青白い輝きが部屋全体に広がっていく。
「……ん?」
担当者の表情が変わった。
水晶の内部に、細かな亀裂が走る。
「待ってください! 手を離して!」
「えっ?」
次の瞬間。
パキンッ!
水晶が音を立てて砕け散った。
「きゃっ!」
玲奈は慌てて手を引っ込めた。
「ご、ごめんなさい! 壊すつもりはなかったんです!」
担当者は床に散らばった水晶の破片を見つめていた。
「そんな……測定器が……」
「弁償した方がいいですか?」
「いや、そういう問題では……」
魔術師は震える手で破片を拾い上げる。
「この水晶は、かなり高い魔力量まで測定できるものなんだ。それが壊れたということは……」
彼は玲奈を見上げた。
「測定器の限界を超えた、ということか」
玲奈は困ったように頬をかいた。
「えっと……そうなんでしょうか」
「少し、魔法を見せてもらえますか?」
「はい」
玲奈は右手を軽く持ち上げた。
指先に小さな炎が灯る。
続いて、その炎が消えると、今度は水の球が浮かび上がった。
さらに風が渦を巻き、部屋の中を優しく吹き抜ける。
「火、水、風……複数の属性を扱えるのか」
魔術師は目を見開いた。
「少し、これを見てください」
彼は杖を構え、玲奈の前に半透明の防御壁を作り出した。
「これは防御魔法です。魔力を一定の形に保つことで、外部からの攻撃を防ぎます」
「へえ……」
玲奈は防御壁をじっと見つめた。
魔力の流れ。
構造。
維持するための仕組み。
それらが頭の中に流れ込んでくる。
「……こういう感じですか?」
玲奈が手をかざした。
すると、魔術師のものとまったく同じ防御壁が、彼女の目の前に現れた。
「なっ……!」
魔術師が目を見開く。
「今の魔法を……見ただけで?」
「はい。なんとなく仕組みが分かったので」
「そんな馬鹿な……」
魔術師は自分の防御壁と玲奈の防御壁を交互に見た。
さらに玲奈は少し考え込むと、指先を動かした。
玲奈の防御壁が形を変え、先ほどよりも厚く、滑らかな構造へと変化する。
「こんな感じにした方が、魔力の無駄が少ないかもしれません」
魔術師は言葉を失った。
自分が長年研究してきた魔法を、目の前の少女は数分で理解し、改良してしまったのだ。
「……一体、何者なんだ」
「相沢玲奈です」
玲奈は困ったように笑った。
————————
訓練場と測定室の騒ぎは、すぐにギルド全体へと広がった。
「何だって? 新人がガルドを倒した?」
「魔力量の測定器まで壊したらしいぞ」
「しかも、魔法を見ただけで覚えたって話だ」
そんな話を聞きつけ、一人の男が訓練場へとやって来た。
年齢は五十代ほど。
がっしりとした体格で、鋭い目つきをしている。
「騒がしいと思ったら、そういうことか」
男は直哉と玲奈を見た。
「俺はこのギルドのマスター、ジークだ」
「高瀬直哉です」
「相沢玲奈です」
「話は聞いている。少し、実力を見せてもらえるか?」
二人は顔を見合わせた。
「はい。構いません」
直哉が答える。
ジークはガルドから話を聞き、床に転がった木剣を確認した。
「なるほどな……」
そして玲奈の魔法も実際に確認すると、しばらく黙り込んだ。
「お前たち、どこでその力を身につけた?」
「それは……」
直哉は少しだけ言葉に詰まった。
異世界から来たことを説明しても、信じてもらえるとは思えない。
「旅をしているうちに、ということにしておいてください」
「そうか」
ジークはそれ以上追及しなかった。
「実力については疑いようがない。だが、冒険者のランクは強さだけで決まるものではない」
「そうなんですか?」
「依頼を達成した実績、仲間との連携、信用。そういったものも評価の対象になる。初登録のお前たちに、いきなり最高ランクを与えるわけにはいかん」
ジークは腕を組んだ。
「だが、実力を考えれば通常の新人扱いというわけにもいかない」
少し考えた後、受付嬢へ指示を出した。
「特例として仮資格を与える。通常の新人より上位の依頼を受けられるようにしておけ。ただし、正式な昇格には実績が必要だ」
「かしこまりました」
「お前たちの力は十分に分かった。あとは冒険者としての経験を積め」
「ありがとうございます」
直哉と玲奈は揃って頭を下げた。
周囲にいた冒険者たちの視線は、すっかり変わっていた。
先ほどまで笑っていた者たちも、今は二人を遠巻きに眺めている。
その中に、先ほど直哉に絡んできた大柄な男の姿もあった。
男は気まずそうに近づいてきた。
「……さっきは悪かったな」
直哉は男を見る。
「いえ、大丈夫ですよ」
「いや、そうじゃねえ。俺が悪かった。悪かったな」
男は頭を下げた。
直哉は少し驚いた後、笑顔で答えた。
「気にしないでください。お互い、気をつけましょう」
「……お前、変な奴だな」
「そうですか?」
男は苦笑し、仲間のもとへ戻っていった。
「本当に、あんたって……」
玲奈が呆れたように呟く。
「何?」
「なんでもない」
————————
「さて、依頼を探そうか」
手続きを終えた二人は、依頼掲示板の前に立っていた。
そこには様々な依頼書が貼られている。
薬草の採取。
街道の護衛。
魔物の討伐。
商隊の護衛。
中には高額な報酬が記された依頼もあった。
「せっかく特別な資格をもらったんだし、少し難しい依頼を受けてみない?」
玲奈が掲示板を見ながら言った。
「そうだね」
「だったら、これなんかどう?」
玲奈が指差したのは、街道に出没する魔物の討伐依頼だった。
しかし直哉は、その隣に貼られていた別の依頼書を手に取った。
「これにしよう」
「……何?」
「薬草採取」
「…………」
玲奈は無言で直哉の手元を見た。
「ねえ」
「ん?」
「私たち、さっき何をしたんだっけ?」
「え? 登録試験?」
「そう。あなたは試験官の剣を二回も弾き飛ばして、私は測定器を壊したのよね?」
「うん」
「それで、特別な資格まで貰ったのよね?」
「うん」
「なのに、最初の依頼が薬草採取?」
「まずは、この世界のことを知りたいし。簡単な依頼から始めるのもいいんじゃないかな」
「……はぁ」
玲奈は大きく息を吐いた。
「本当に、あんたらしいわね」
「そうかな?」
「そうよ」
直哉は依頼書を受付へ持っていく。
その背中を見ながら、玲奈は小さく笑った。
どれだけ強くなっても、直哉は直哉のままだ。
困っている人がいれば助ける。
目の前のことを一つずつ片付ける。
そして、自分の力をひけらかそうとはしない。
そんなところが、昔から変わらない。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
玲奈は直哉の後を追いかけた。
こうして、規格外の力を持つ二人の冒険者生活が始まった。
————————
依頼を受け、各地を巡る。
最初は駆け出しの冒険者として扱われたが、その評価はすぐに覆った。
直哉は剣を持てば、どんな相手でも圧倒した。
ゴブリンの群れ。
オークの集団。
巨大な魔獣。
そして、上級冒険者ですら苦戦するドラゴン。
どんな敵が現れても、直哉は一歩も引かなかった。
一方、玲奈は魔法の研究を続けた。
攻撃魔法だけではない。
治癒魔法。
防御魔法。
転移魔法。
結界魔法。
一度見た魔法はすぐに理解し、より使いやすく、より強力な形へと改良していった。
2人の噂は瞬く間に広がっていく。
やがて、王都から招待を受けることになった。
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王都では、国王との謁見が行われた。
国王は2人の功績を称え、正式に称号を授けた。
直哉には『剣聖』。
玲奈には『賢者』。
2人は王国を代表する英雄として扱われるようになった。
しかし、直哉は変わらなかった。
王族にも平民にも、同じように接する。
困っている人がいれば手を貸し、頼まれれば動く。
玲奈はそんな直哉を見て、何度も呆れた。
「あなた、本当に懲りないね」
「何が?」
「王宮の人にまで頼まれごとを引き受けて」
「困ってたから」
「はいはい」
玲奈は笑った。
そんな2人の姿は、いつしか王都の人々にとっても当たり前の光景になっていた。
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異世界での生活は、決して楽しいことばかりではなかった。
2人は多くの人と出会い、多くの場所を訪れた。
ある村では、魔物に襲われた子供たちを救った。
ある国では、王位継承を巡る争いに巻き込まれた。
雪に閉ざされた山岳地帯では、遭難した人々を救出した。
砂漠の国では、枯れかけた水源を魔法で復活させた。
旅の途中で仲間も増えた。
剣の腕を磨き続ける騎士団長。
人間嫌いだったエルフの魔術師。
元盗賊の獣人の少女。
彼らは最初こそ2人の力に驚いていたが、次第に信頼を寄せるようになった。
直哉は仲間を大切にし、玲奈は彼らの体調や装備まで気にかけた。
時には喧嘩もした。
直哉が無茶をすれば、玲奈が怒る。
玲奈が一人で抱え込めば、直哉が気づいて声をかける。
それでも2人は離れなかった。
いつしか、2人は恋人同士なのではないかと噂されるようになった。
「お前たち、まだ付き合っていないのか?」
仲間の騎士団長に尋ねられたこともある。
「何を言ってるんですか」
玲奈は顔を赤くして否定した。
「そういう関係じゃないですよ」
「そうなのか?」
直哉は首を傾げる。
「俺たちは昔から一緒だからな」
「……もういい!」
玲奈は怒って歩き出した。
騎士団長は苦笑する。
「お前も大変だな」
「何がです?」
「いや、何でもない」
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そして、九年目。
魔王軍の幹部は次々と倒され、人類側の連合軍は魔王城への進軍を開始した。
長い戦いの末、魔王城を守る最後の防衛線が突破される。
しかし、魔王の力は想像を遥かに超えていた。
魔王城へ向かう連合軍の兵士たちに、甚大な被害が出る可能性があった。
「ここから先は、俺たちだけで行こう」
直哉が言った。
「私も同じことを考えてた」
玲奈は頷く。
2人は仲間たちに別れを告げ、魔王城へと向かった。
——————————
魔王城の最奥。
そこには、巨大な玉座があった。
玉座に座る存在が、ゆっくりと立ち上がる。
「人間が、ここまで来るとはな」
魔王。
世界を脅かす存在。
その身体から放たれる魔力は、空間そのものを震わせていた。
「お前たちが、私の軍を壊滅させた者か」
「そうだ」
直哉は剣を構える。
「この世界の人たちを、これ以上苦しめるわけにはいかない」
「人間は愚かだ。争い、奪い、殺し合う。それを守る価値があると思うか?」
「それでも、守りたい人がいる」
直哉は一歩踏み出した。
「俺はそう思ってる」
魔王が笑う。
「ならば、その意思ごと砕いてやろう」
戦いが始まった。
魔王の攻撃は凄まじかった。
放たれる魔力の奔流。
地面を砕く衝撃波。
空間を歪める黒い魔法。
直哉は剣で攻撃を受け止め、玲奈は魔法で防御を重ねる。
しかし、魔王の力は圧倒的だった。
「直哉!」
「大丈夫だ!」
直哉は剣を握り直す。
十年間、積み重ねてきた経験。
何度も命を懸けた戦い。
仲間たちとの冒険。
そのすべてが、今の直哉を作っていた。
魔王の動きを見切り、剣を振るう。
玲奈は魔王の防御魔法を解析していた。
「分かった!」
玲奈の手が輝く。
「直哉、今!」
魔王を覆っていた防御魔法が砕け散る。
直哉は一気に距離を詰めた。
魔王が腕を伸ばす。
しかし、遅い。
直哉の剣が魔王の胸を貫いた。
「馬鹿な……」
魔王の身体から黒い光が溢れる。
「人間ごときが……」
「俺たちだけじゃない」
直哉は剣を握り締める。
「この世界で出会った、たくさんの人たちのおかげだ」
魔王の身体が崩れていく。
やがて、黒い光は完全に消え去った。
長い戦いが終わった。
魔王は討伐された。
————————
魔王討伐の報は、瞬く間に世界中へ広がった。
魔王軍は崩壊し、各地の国々は解放された。
人々は歓喜した。
そして、直哉と玲奈は英雄として称えられた。
剣聖。
賢者。
その名は後世まで語り継がれることになる。
しかし、2人にはもう一つ、果たさなければならない約束があった。
女神との契約。
元の世界へ帰ること。
魔王討伐から数日後、女神から連絡が入った。
「本当にお疲れさまでした。あなた方のおかげで、この世界は救われました」
「こちらこそ、ありがとうございます」
直哉は頭を下げた。
「帰還の準備は整っています。いつでも元の世界へお送りできます」
「一つ、お願いしてもいいですか?」
「何でしょう?」
「あと一日だけ、この世界にいさせてください」
直哉は続ける。
「お世話になった人たちに、ちゃんと別れを言いたいんです」
女神は優しく微笑んだ。
「分かりました。一日だけ、お待ちしましょう」
————————
その日、2人は各地を巡った。
最初に助けた村。
冒険者として登録したギルド。
王都。
共に戦った仲間たち。
出会った人々は、2人を笑顔で迎えた。
泣きながら別れを惜しむ者もいた。
それでも、最後にはみんな笑って送り出してくれた。
「また会いましょう!」
そんな言葉に、直哉は笑顔で頷いた。
「元気でな!」
玲奈も何度も手を振った。
もう二度と会えないかもしれない。
それでも、2人にとってこの十年間は、決して忘れることのできない時間だった。
————————
夜。
2人は王都を見下ろせる丘の上にいた。
街の明かりが、遠くまで広がっている。
用意した酒を飲みながら、静かに星空を眺めていた。
「明日には帰るんだね」
「ああ」
「なんだか、不思議な感じ」
「そうだな」
玲奈はグラスを傾けた。
「最初に来たときは、どうなることかと思ったよ」
「森で魔物に襲われたときか?」
「そう。直哉がいきなり飛び出していくから」
「助けなきゃと思ったんだよ」
「分かってる。だから怒ってるんじゃない」
玲奈は笑った。
「でも、あのときは本当に怖かった」
「悪かった」
「ううん。助けてくれてありがとう」
2人は笑い合った。
冒険者ギルドで初めて依頼を受けた日のこと。
王都で初めて国王に会った日のこと。
ドラゴンを倒したときのこと。
仲間と喧嘩したこと。
雪山で遭難しかけたこと。
魔王軍との戦いで、死にかけたこと。
思い出は尽きなかった。
「十年って、長かったね」
「長かったな」
「でも、あっという間だった気もする」
「俺もそう思う」
玲奈はグラスを置いた。
「ねえ、直哉」
「ん?」
「私、ずっと言えなかったことがあるんだ」
直哉は玲奈を見る。
「何?」
「私ね。直哉のことが好き」
玲奈は真っ直ぐに直哉を見つめていた。
「小さい頃からずっと好きだった」
「一緒にいるのが当たり前で、いつか気持ちを伝えようと思ってた。でも、幼馴染っていう関係が壊れるのが怖くて、ずっと言えなかった」
少しだけ俯く。
「異世界に来てからも、ずっと一緒にいたよね」
「うん」
「あなたが無茶をするたびに怒って、失敗するたびに助けて、何度も喧嘩して……」
玲奈は小さく笑った。
「でも、どんなときも隣にいたかった」
直哉は黙って聞いていた。
「だから、最後くらいはちゃんと言いたかった」
玲奈の声が少し震える。
「私、直哉が好き。これからも一緒にいたい」
直哉はしばらく玲奈を見つめた。
そして、ゆっくりと手を伸ばす。
「俺も、玲奈が好きだよ」
「……え?」
「俺はずっと、玲奈が隣にいるのが当たり前だと思ってた」
「うん」
「でも、それは当たり前じゃなかったんだな」
直哉は玲奈の手を握る。
「俺がここまで来られたのは、玲奈がいてくれたからだ」
「直哉……」
「これからも、隣にいてほしい」
玲奈の目から涙がこぼれた。
「……ずるいよ」
「何が?」
「そんなこと言われたら、泣いちゃうじゃん」
直哉は笑った。
玲奈も笑った。
そして2人は、ゆっくりと唇を重ねた。
十年間、ずっと隣にいた2人。
その関係が、ようやく変わった。
その夜、2人は互いの気持ちを確かめ合い、初めて結ばれた。
長い旅の終わりに、ようやく手に入れたもの。
それは、これからも一緒に歩いていくという約束だった。
————————
翌朝。
王都の広場には、多くの人々が集まっていた。
剣聖と賢者を見送るためだった。
騎士団長。
冒険者ギルドの仲間。
最初に助けた村の人々。
そして、共に戦った仲間たち。
誰もが2人の帰還を祝福していた。
「本当に、行ってしまうのですね」
騎士団長が言った。
「寂しくなります」
「こちらこそ、ありがとうございました」
直哉は頭を下げる。
「みんなと出会えて、本当によかった」
玲奈も笑顔で頷いた。
「みんな、元気でね」
やがて、女神の声が響いた。
『時間です』
広場の中央に、巨大な魔法陣が展開される。
直哉と玲奈は、集まった人々に向き直った。
「それじゃあ、行ってきます!」
直哉が手を振る。
「またね!」
玲奈も手を振った。
人々の声援が響く。
光が2人を包み込んだ。
そして、姿が消えた。
————————
目を開けると、そこは見慣れた帰り道だった。
見上げれば、いつもの空。
周囲には見慣れた建物。
何も変わっていない。
直哉は隣にいる玲奈を見た。
「……帰ってきたな」
「うん」
玲奈は笑った。
「帰ろうか」
「うん」
2人は並んで歩き出した。
十年分の思い出を胸に。
何も変わっていないはずの世界へ。




