第1節:謎の少年・アオイ――3/3
――7. 幽霊の正体――
ブーーンという無数の冷却ファンの風が、アオイの黒髪を揺らす。青白いモニターの光に照らされた彼は、息をのむほど美しく、そして透き通っていた。
「アオイ……君が、このシステムそのものなのか?」
キシの声が震える。アオイの体から伸びる光のコードは、壁を埋め尽くす古いPC群と完全に同化していた。
「そうだよ、お兄さん。僕は組織の人間でも、超能力者でもない。――僕は『バグ』なんだ」
アオイは悲しげに首を傾げた。その仕草ひとつとっても、オタクの保護欲を狂わせる完璧な「理想の少年」そのものだった。
「ネットの黎明期、まだ誰もアキバの価値を知らなかった頃。寂しいオタクたちがテキストサイトに書き込んだんだ。『神田電子高の制服を着たアオイって奴と、地下で最強のアニメを作ってる』って。ただの、寂しさを紛らわせるための嘘のキャラクター。それが僕の始まり」
サツキがハッと目を見開いた。
「……思い出した。20年以上前、ネットの古い掲示板で流行った都市伝説……『神田電子高のアオイくん』。存在しない高校の、存在しない生徒が、幻のアニメのテープを配ってるっていう、ただの怪談……!」
「そう、サツキさん。僕はただのテキストデータだった」
アオイは切なく笑う。
「でも、2026年になって、今のネットには強力なAIと、無限のアーカイブができた。そして、今の綺麗すぎるアキバに居場所をなくした人たちの『あの頃に戻りたい』っていう強いノスタルジーが、僕にエネルギーをくれたんだ。ネットに沈んでいた僕のデータは、みんなの寂しさを吸い上げて、本物の『現実』になっちゃったんだよ」
――8. 可愛い悪魔の抱擁――
アオイが一歩、宙を滑るようにしてキシに近づいた。
その大きな瞳に涙を溜め、縋るような手つきでキシの胸元に手を伸ばす。めちゃくちゃに可愛い、16歳の少年の姿をした、集合無意識の怪物。
「ねえ、お兄さん、お願いだからこのシステムを止めないで。僕を消さないで。今の大学生活、本当に楽しい? 誰も本当の君を見てくれないじゃない。でも、ここなら、この『アルカディア』の世界なら、君は世界で最初の発見者になれる。僕がずっと、君の隣にいてあげるから……!」
アオイの細い腕が、キシの体に回される。
驚くほど甘いノスタルジックな香りがキシの嗅覚を麻痺させ、アオイの温もり(システムが作り出した偽りの感覚)が、大学1年生の孤独な心を甘美に締め付ける。
(ここにいれば、もう傷つかなくていい。退屈な講義も、馴染めないサークルも、全部忘れて、大好きなオタクカルチャーの黄金期の中で、この可愛い男の子と生きていける――)
キシの目が、トロンと焦焦を失いかけた、その時。
―― 9. 意地が切り裂く理想郷――
「ふざけないでっ!!!」
鼓膜を突き破るような鋭い声と共に、サツキがアオイとキシの間に強引に割り込み、アオイの身体を激しく引き剥がした。
「――っ、サツキさん!?」
我に返ったキシが目を丸くする。
サツキはアオイの前に立ちはだかり、怒りと、悔しさと、愛おしさが混ざり合った複雑な表情で少年を睨みつけていた。彼女の目からも、大粒の涙が溢れていた。
「アオイくん……あなたをネットに書き込んだ当時のオタクたちの気持ち、私には痛いほど解るわよ! 私だってあの頃、寂しくて、現実が辛くて、ネットの掲示板だけが救いだった! でもね……!」
サツキは自分の胸に強く手を当て、言い放った。
「彼らが本当に望んでいたのは、現実を壊すことじゃない! 傷つきながらも、ダサいって言われながらも、アキバの路上でノートパソコンを開いて、必死に『今』を生きてたの! その泥臭い歴史を、綺麗で都合のいい偽物で上書きされるなんて、当時のオタクへの最大の侮辱よ!!」
30代後半、あの混沌の時代をリアルに駆け抜けてきたサツキの言葉には、システム(アオイ)の計算を遥かに超える「命の質量」が宿っていた。
「あ……あ……」
アオイの身体が、サツキの言葉の圧力に押されるように、パチパチとデジタルノイズを発して激しく歪んだ。
「お兄さん……サツキさん……。どうして……どうして現実なんかを選ぶの……?」
アオイは胸を押し潰されそうなほど寂しげな声を残し、背後のPCクラスターの光の海へと溶けるように消えていった。
ガガガガ、と地下室のブラウン管モニターが一斉に激しい砂嵐を放ち始める。
第1章よりもさらに深く、広く、秋葉原の街を呑み込もうとする「時間の嵐」の足音が、地下室の床を不気味に揺らしていた。




