第1節:謎の少年・アオイ――1 / 3
―― 1. モザイク状の2026年――
激しく明滅するスマホの画面、チラチラと万華鏡のように入れ替わる窓の外の通行人の服装――。
「キシくん、ここから出ましょう……!」
サツキに腕を引かれ、キシはサイバーブルーに染まった『シャ・ノワール』のドアを飛び出した。背後からは、存在しないはずの神アニメ『アルカディアの残光』の爆破音と、それに熱狂するオタクたちの歓声が、まるで遠い世界の出来事のように遠ざかっていく。
雑居ビルの階段を駆け下り、再び秋葉原の路上へと這い出た二人は、その光景に言葉を失った。
街が、モザイク状に壊れていた。
2026年の近代的な高層ビルの狭間に、突如として20年前の、看板が剥げかけた怪しい雑居ビルが割り込むようにして建っている。道路を走る車も、最新の電気自動車と、平成初期の角張ったセダンが交互にすり抜けていく。
時間が、狂っている。インターネットの海で膨れ上がった「オタクたちのノスタルジー(執着)」が、2026年の現在を、過去の記憶でパッチワークのように侵食していた。
「嘘……私の知ってるアキバが、混ざり合ってる……」
サツキは、変わり果てた街並みを見上げて呆然と呟いた。30代後半の彼女がリアルタイムで見てきた「過去の景色」が、望まぬ形で物理的に目の前に具現化している。それはノスタルジーという名の、暴力だった。
―― 2. 闇に立つ、あまりにも綺麗な少年――
「だから言ったでしょ? もうすぐ、全部ひとつになるんだよ」
雑路の奥、自動販売機のチカチカとした蛍光灯の光に照らされて、あの少年が立っていた。
黒い詰襟の学生服を律儀に着こなしたアオイだ。
街全体がどれほどグチャグチャに歪もうとも、アオイの存在だけは、異質なほどに鮮明で美しかった。サラサラとした黒髪が夜風に揺れ、大きな瞳がタクヤをじっと見つめる。その姿は、誰もが手を差し伸べたくなるほどに儚く、めちゃくちゃ可愛い。
アオイはトコトコと軽い足取りでタクヤに近づくと、その綺麗な顔を至近距離まで寄せてきた。
「ねえ、お兄さん。僕、お兄さんのことが大好きなんだ。だって、あんな埃っぽいジャンク屋の底から、誰にも見つけられなかった僕たちの『ビデオテープ』を見つけてくれたんだもん。お兄さんは、僕たちの仲間だよ?」
アオイの細い指先が、キシのマウンテンパーカーのジッパーに触れる。
その甘えるような上目遣いと、圧倒的な純粋さ。大学の退屈な日常に心をすり減らしていたキシにとって、アオイという存在は、自分の孤独をすべて癒やしてくれる究極の「理解者」のように思えてしまう。
(この子の言う通りにすれば、俺の求めていた『熱いアキバ』に行けるんじゃないか……?)
キシの足が、無意識にアオイの方へと一歩踏み出しそうになる。
――3. 手渡された「鍵」――
「待ちなさい……っ!」
サツキがキシの前に腕を出し、アオイの視線を遮った。サツキの呼吸は荒く、その瞳には恐怖と、それを上回る「意地」が燃えていた。
「アオイくん。あなた、自分が何をしているか分かっているの? ネットの妄想を現実に引っ張り出して、今を生きている人たちの日常をめちゃくちゃにして……! あなたのバックにいるのは誰!? どんな組織がこんなシステムを動かしてるのよ!」
サツキの鋭い追及。しかし、アオイは首を小さく横に振った。その顔に悪意や狡猾さは一切なく、ただ胸が締め付けられるほどに、寂しそうな微笑みを浮かべるだけだった。
「組織なんて、最初からどこにもいないよ、サツキさん。動かしているのは、みんなの『寂しい』っていう気持ち。……お姉さんだって、本当は寂しいくせに」
「え――」
アオイはサツキの言葉を拒むように一歩後ろに下がると、カバンから何かを取り出し、キシの足元へそっと転がした。
カラン、と乾いた音を立てて転がったのは、1本の古い、しかし錆びていない「鍵」だった。
「これ、あの地下倉庫の、さらに奥にある部屋の鍵。お兄さんがどうしても『現実』がいいって言うなら、そこを開けてみて」
アオイはそう言うと、最高の、けれど今にも消えてしまいそうな儚い笑顔をタクヤに向けた。
「でも、そこを開けたら……お兄さんは僕を、大嫌いになっちゃうかもしれないね」
次の瞬間、通りを大型のトラックが駆け抜けた。ヘッドライトの光が激しく三人の視界を遮り、トラックが通り過ぎたときには――アオイの姿は、影も形もなくなっていた。
足元に残された、1本の鍵。
タクヤはそれを拾い上げ、狂っていく街のノイズの中で、冷たい金属の感触をじっと噛み締めていた。




