第四十七話 それぞれの思い
エンセはメセルの頭を膝に置いたまま、ずっと俯いてボソボソと喋るだけで、彼女は何もしない。何も、できない。彼女は現実を受け入れようとしていない。何故なら、受け入れたくないからだ。
「う……嘘よ、嘘……メセル……」
テミスはそんなエンセを無視して、すぐにメセルの方へと向かう。そして自分の羽織っていた上着を使い、どうにか血を止めようとしながら、大きな声でメセルに何度も呼び掛ける。
「メセル! 君を倒すのは僕だよ。ここで死ぬのは許さないから。絶対に目を閉じるなよ! 意識も飛ばすな!」
「…………テ、ミス……?」
姉であるエンセの呟きに反応をしなかったメセルは、テミスの大きな声には僅かに反応した。少しだけ意識を戻したメセルにテミスはホッとするが、それでも変わらず声を掛け続ける。もし声掛けをやめて、メセルの目が閉じてしまったら嫌だからだ。ここで彼女の命を終わらせる訳にはいかない。
そんなメセルやテミスたちの居る反対側では、頭から血を流すサフィナの止血をしようと、百花がハンカチを持ちながら焦っている。
「サフィナちゃん! 血、血を止めないと!」
「落ち着け百花、俺がやる」
そんな百花の隣に棚部がやってくる。棚部は自分のコートの袖を力任せに千切り、サフィナの止血を手慣れた様子でしていく。
「百花は広岡とコーネダリスさんに連絡してくれるか?」
「わ、分かった!」
百花がそう返事をするのとほぼ同時に、部屋の扉付近の壁に大きな緑色の魔法陣が現れる。そして、その中から先程名前が出てきた人物が登場した。それは広岡だった。
「やっほ、とりあえず怪我人だけでも先にこっちへ連れて帰るよ」
「雅埜さん!」
広岡の姿を見た百花は、彼の名前を呼びながら一切迷うことなく彼の元へと走り、すぐに広岡の手を取ってサフィナの方へと連れていく。
百花に手を引っ張られるまま、サフィナの元へと向かう広岡の後に続くようにして、コーネダリスたちも魔法陣から登場する。
「私もいるヨ! サントス! マトロポス! 手伝ってネ!」
コーネダリスが魔法陣に向かってそう言うと、マトロポスとサントスも魔法陣から顔を出す。
「はい、もちろん」
「サフィナの方には二人がいるから、メセルの方が先か……」
サントスは出血の酷いメセルの方へとすぐに向かった。そしてマトロポスも、一度サフィナの方を見た後、棚部や広岡が居るのを確認してから、すぐにメセルの方へと向かう。
おそらく魔法陣の向こうにいるであろう、百奈と何か会話をしているコーネダリスに、ノーザイがいつもより真剣な眼差しで話し掛ける。
「俺も手伝う、何かできることある?」
「もちろんだヨ。ノーザイちゃんには……」
コーネダリスがノーザイに指示を出している中、サフィナやメセルたちとは少し離れた所。そこでは、大きな声で言い争いをしているブレイクと徳札たちがいた。
刀を持ってエンセに近付こうとしているブレイクを、徳札と白金が頑張って止めている。
「ブレイクさん! 今するべきはそれじゃないでしょう!」
「せやで! 落ち着くんや!」
徳札がブレイクを羽交い締めし、白金は刀を持っている手をどうにか押さえながら、二人はブレイクに対してそう伝えるがブレイクは止まる気配がない。
「どいてください! その女を殺してからじゃないと、次また何されるか分からないだろうが! またサフィナが……!」
ブレイクの視線はずっとエンセの方を向いていた。メセルを手当てするためサントスやマトロポスから無理やり離され、床に座ったままメセルを呆然と見つめる事しかできていないエンセに、ブレイクは殺意を向け続ける。
全く殺意を隠そうとせず、徳札たちの話しに耳を傾けないブレイクに対して、白金は今までに聞いたこともない程、強く怒ったような声を出した。
「サフィナちゃんを助けるのが先やろうが! 君が誰よりも先に彼女の心配せなアカンやろ! 妹を放置して復讐しとる場合やない! 君はお兄ちゃんやろ! 今やるべき事が何か考えろや!」
「退いてください! っ、どけ! 邪魔をするな!」
「ブレイクさん! 後悔してからじゃ遅いんですよ!? 冷静になりなさい!」
何度も何度も説得する白金と徳札に、やはりブレイクは聞く耳を持たず、無理やり剥がそうとする。
怒りに身を任せたブレイクの力は強く、二人が押さえきれる限界を迎えようとしていた時、敵の処理を完全に終わらせた高峰が背後からブレイクに手刀を食らわす。
「……悪い」
「っゔ! なんで……サ、フィ……ナ」
怒りで周りが見えていなかったブレイクは、高峰の手刀を諸に食らい、サフィナの名前を呼びながら気絶した。
その一方で、応急手当を済ませたサフィナとメセルを魔法陣へ通して、サントスやマトロポスが『デルテの館』まで連れて行った後、コーネダリスの後を追う様にして魔法陣に半分だけ入った広岡が、上半身だけを魔法陣から出して二人の名前を呼ぶ。それは百花とテミスの名だった。
「百花ちゃんとテミスちゃんも戻ってきて。人手は多い方がいい」
「う、うん!」
「わかった!」
百花とテミスは強く返事をして、広岡の後に続いて魔法陣に入っていく。
コーネダリスが作った緑色の魔法陣がどんどんと消えていく。しかし、途中で消えかけていた魔法陣はピタリと止まる。棚部はどうしたのかと近付こうとしたが、中から出てくる相手を察してピタリと足を止めた。
「あ、そうだ本貴さん。これ渡しとく、それじゃあ後は頑張ってね」
「は? おいっ!」
消えかけていた緑色の魔法陣から、広岡がひょっこりと出てきた。そして棚部へ何かを投げると、すぐに魔法陣の中へと戻って姿を消した。そしてすぐに緑色の魔法陣も完全に消え、魔法陣があった所はただの壁に戻る。
棚部は投げられた物をキャッチした後、それが何かを確認する。それは、広岡が百花に渡していた簡易シールドが張れる魔法道具だった。おそらく広岡は念のため、残っている棚部にこれを渡してくれたのだろう。
周りがドタバタしていた頃、メセルをテミスに任せた後、端で何かをしていたキャルソンがエンセの近くまで戻ってきていた。
放心状態で座ったままのエンセを、立ったままのキャルソンが見下ろしながら、変わらない声と表情で呟く。
「あーあ、もう滅茶苦茶」
「キャルソンさん、あなた……自分が何をしたか分かってるの? あなたがメセルを……!」
エンセは座ったままキャルソンを睨み上げる。自分がメセルに大怪我をさせたと言うのに、特に気にした様子もなくテミスにメセルを任せ、すぐにどこか……部屋の隅へと行った男。
エンセはこのキャルソンという男が分からない。メセルに好意を向けられていたとしても、別に嫌ってはいなかったはずだ。少なくとも情はあったはずだと、そういう風に見えていた。だというのに、キャルソンはいつもと何一つ変わらない。声も表情も雰囲気も、何かもが普段と変わらない。
エンセは、そんなキャルソンが少し怖くも感じた。
キャルソンは見下すようにエンセへと視線を向け、普段よりも少し低めの声でこう言い放つ。
「それはこっちの台詞なんだが? そもそもお前が奇襲しなきゃ良かっただけの話だろ。被害者面すんな。まぁでも、この実験場は今日で全部終い、何もかも終わりだ」
「は……何を言って……?」
キャルソンの言葉にエンセは疑問符を浮かべ、周りを見渡す。そして今更になって、メセルがここに居ない事に気付く。
ずっと目の前で繰り広げられていた事に、エンセは気付かなかった。というより、視界には入っていたが、ちゃんと見ていなかったという方が正しいだろう。それは彼女が放心状態だった、という理由もあった。だが一番の問題は、きっと彼女のやりたかった事が、完全に失敗に終わったという絶望があったから。そこに妹のメセルが大怪我を負った。つまり、先程までエンセの頭は、ごちゃごちゃになっていたのだ。
「はっ! メセル……メセルはさっきまでそこに……あれ?」
「あんたの妹はこっちで預かってるよ。怪我してたから、適切な処置が必要でしょ」
ノーザイはしゃがんでエンセと目線を合わせ、優しく説明をした。エンセは少し表情を緩めた後、ノーザイにメセルについて聞く。
それに答えたのはノーザイではなく、ノーザイの後ろで立ったままの棚部だった。
「メセルは……メセルは無事なのね?」
「さぁな。結構深い傷だったからな、どうなるかは現時点では分からん。あいつらを信じるしかないな」
「そんな……」
そう言葉を溢して、悲しそうな顔をするエンセに、キャルソンは冷たく言い放つ。キャルソンがエンセを見る瞳には、なんの情も無かった。それはまるで、救いようがない哀れな相手を見ている様だった。
「お前がサフィナちゃんにあんなことしなきゃ、メセルもあんなことにならなかったのにな」
「あ、あれはあなたがやったのよ!? 私は……!」
「俺がなんでお前を襲おうとしたのか、それすら分からない程バカだったか? 悪意を持って誰かを傷付けたのなら、自分やその周りも、いつか誰かに悪意を持って傷付けられるかもしれない……って、そんな当たり前の事も忘れたか? ああ、いや、ここがどんな世界かも忘れたのか。ここでは、余程の弱者じゃない限り、やられたらやり返すもんだ。それが、この世の常だ。ま、今回の件で俺もお前に殺られる可能性が出てきた。俺も今後は、どっかの誰かさんに奇襲を仕掛けられないよう、背後に気を付けないとな」
そう言って、キャルソンは満面の笑みを浮かべた。そんなキャルソンの顔を見たエンセは表情を歪め、それ以上何も言葉にせず俯いて黙った。
完全に意気消沈したエンセから、近くに居た棚部へと視線を移したキャルソンは、エンセを指差しながらこう伝える。
「とりあえずこの女を監視しといて、俺は準備があるから」
「準備?」
「そう、準備。すぐ戻るからよろしく」
「あ、おい……」
それだけ言うと、キャルソンはそそくさと部屋から出ていった。
残された棚部は、キャルソンがなんの準備をするのか分からないままだが、とりあえずエンセを視界の端に入れつつ、ブレイクたちの方にも視線を向ける。
「……とりあえず怪我人はあっちに任せるとして……問題はこっちだな」
ブレイクの周りには徳札たちがおり、いつまにか移動していたノーザイが気絶したブレイクを起こそうと、頭を優しくペチペチと叩きながら呼び掛けている。
「ブレイク! 起きて~」
ノーザイの声と手でブレイクは意識を起こす。ハッと目を開けたブレイクは、すぐに周りを見渡してサフィナを探す。
その様子は、先程までの強い怒りが少し収まっているようにも見えた。
「ん……ハッ! サフィナは!?」
「あぁ、サフィナなら……」
心配で仕方がないという表情をしたまま、疑問を投げたブレイクにノーザイが答えようとする。
しかしその言葉は、すぐにこの部屋へと戻ってきたキャルソンの声によって遮られた。




