【11】忠誠の(2)
光など届かない、暗い闇の中にいた。当然だ。母の死、自らの昏睡、目覚めてからの数々の悲劇。身分を伏せたまま生きることを強いられ、挙句の果てに継ぐはずだった城は他人が君臨し、その娘の護衛となった。
君臨している王には、母の死に関与していると噂まであるのだから、憎しみは尽きず、希望など見えるはずもない。
そんな深い闇から沙稀を救ったのが、他でもない恭良だった。
「今日は外出の予定はございません。たまには中庭でも歩かれたらいかがですか?」
温和な大臣の声が聞こえたのは、護衛に就任してから二ヶ月後のこと。
「わぁ! 沙稀、行こう」
弾む幼い声に、妙に冷めた感情を覚えた。はい、と返事をしたかも定かではない。
幼い恭良ははしゃぎ、楽しげに前方を歩く。まだ十二歳──年齢を考えれば、はしゃいでいてもおかしくはないとぼんやり視界に捉えた、そのときだ。
「ねぇ、沙稀の好きなお花はないの?」
「え?」
「お花、嫌い?」
キラキラとした瞳。──そういえば、恭良はいつも輝いた瞳を向ける。護衛として、初めて紹介されたときから。
決して、誰に対しても人懐っこいわけではないのに。
「あ、いいえ」
「教えて」
──どうしてこの人は、わざわざ笑顔で構うのだろう。
ふと湧いた疑問は、胸をざわつかせる。
「この花です」
「あ~、きれい」
離れたところに咲く、ちいさな白い花が集まるものを指さす。すると、恭良は花のところまで駆けていき、しゃがみこんだ。
賢く利口で、清楚なちいさい背中。その背中を見つめ、黒い感情が渦巻く。
周囲の者は、誰もが恭良を鴻嫗城の姫として認めていた。それは、幼いながらにして、姫としての素質をきちんと兼ね備えていると示していたからに他ならない。──悔しいが、沙稀もそれを感じていないわけではなかった。
ただ、否定したい感情があるだけだ。王の娘、それだけの理由で。
──この娘が、王がいなければ。
何年もふたをしてきた、あふれ出そうな黒い感情。
その渦に呑まれたのか、気づくと恭良の背中に向かって剣を抜いていた。
「いいよ」
恭良が立ち上がる。
「何かがあってそう思ったんでしょ? 沙稀の気持ちが済んで、楽になるなら……いいよ」
背中を向けたままの無防備な姿。まるで、すべてを知っていて、殺されることを願っているような。
なぜ剣を抜いたのかと、息が詰まる。
──誰を殺そうと……。
誰に、剣を向けたのか。己の意識を取り戻すように自問自答を繰り返す。
カラン
手からは力が抜け、剣を落とした。思考がまとまらない。ただ、真っ暗な空間に閉じ込められたようで。
「沙稀!」
泣きそうな、幼い声がする。
「沙稀、大丈夫?」
目の前には、心配そうに涙をためた少女の姿があるだけだ。でも──剣を向けられたのは、その泣きそうなほど心配する人であって。
恭良が心配したのは、姫としての自覚、本能のようなものなのだろう。自らの身よりも、他の者を案じてしまうような。そんな姫は、この世界でただひとり。──鴻嫗城の姫、世に君臨する姫だけだ。
鴻嫗城の姫が世界に君臨するのは、それを周囲が認め、望んでいるからだ。神に等しいと崇められる唯一無二の存在、慈悲あふれる者。その尊さは、この世の誰よりも、沙稀が理解している。
──この方は、まさしく『鴻嫗城の姫』だ。揺るがない世界の君臨者と、一剣士。あまりにも、身分が違う。
沙稀は咄嗟に姿勢を変える。
「以前から申し上げていた通り、お好きに処分なさってください。ですが……ですが、もしお許しくださるのであれば! 今度こそ、俺を鴻嫗城の姫に仕えさせてください」
膝をつき、頭を地につくほど下げた。
──愚かだった。この人に、親の罪はない。剣を、殺意を向けた以上、報いは受けるべきだ。
沙稀は裁かれ、命尽きようとも後悔はないと覚悟した。
そのとき、一筋の光がまっすぐに沙稀を照らす。
「沙稀、仕える……と言われても、それより私は今のままそばにいてくれれば、うれしいだけだよ」
剣を、殺意を確かに向けた。──その相手に、言える言葉とは到底思えなかった。
沙稀は瞳に熱いものを感じ、微笑した。己は何とちいさいかと。
──憎しみは憎しみしか生まない。
そう示してくれた恭良を、沙稀は守り抜こうと決めた。鴻嫗城の姫として認め、接していくと。
翌日からだ。
「恭姫」
独自の愛称で呼び、沙稀が恭良に歩み寄ったのは。
そして、ふたりの距離は急速に縮まっていく。
いつしか互いに向けられた心は、いつ触れ合ってもおかしくないほどに。
姫と護衛の恋愛は厳禁。それを承知の上で。互いにその想いを秘めて。