【7】儚い美形(2)
「きゃあ、羅凍様よ」
美しく長い漆黒の髪は、雪国育ちの白い肌には一層美しく映る。高い位置で一本にまとまった髪が、ゆるやかになびく。
「間近で見ると、桁違いの美男子ね」
歓喜の悲鳴が次々に上がったかと思うと、
「本当、格好よくて美しいなんて、罪なお方。ため息しか出ないわ」
と、今度は囁かれ始める。
儚さを宿した瞳。それでいて、子どものように笑ったり、怒ったりとクルクル表情を変える。男らしい低音の声と、見た目のきれいな顔立ちを持つ者とは思えないそうした一面が人々を惹きつけ、魅了するのだろう。それでいて、百九十センチ近い長身。羅暁城の第二子だが、羅凍を羨まない男はいない。──それにも関わらず、
「いつも羨望の眼差しが向けられるんだ。やっぱり沙稀に憧れる人は多いよね」
本人はこれだ。うなずいて黄色い声に共感する羅凍を、沙稀は横目で見る。
羅凍は自らに向けられたものとはまったく思っていないようで、涼しい顔をしている。名まで呼ばれていたが、当の本人の鼓膜を振動せずに通り抜けたのだろうか。
「それ、本気で言っている? 俺がいつも歩いているところでこんな状態になるんだったら、毎日が異常としか言えない」
「あれ? じゃ、誰か他にも来客かな」
羅凍は周囲を見渡す。──その行動に甲高い声は増す。視線が合っただの、私を見ただの。
一緒に歩く沙稀は苦笑いだ。視線を奥へと向け、さっさと手合せの準備に取りかかる。
「さて、始めようか」
稽古場では、金属音が響いて──はいない。もっぱら鈍い音だけが聞こえる。ふたりの手合せは真剣ではなく、木刀だ。
もっとも、沙稀が稽古をつけるようなもの。それでも、羅凍は懸命に食らい付いている。
力は雲泥の差だ。
それはそうだろう。幼いころから実践を重ねてきた沙稀と、争いのない大陸で平和に過ごしてきた羅凍とでは、剣一本に対する重みも違う。ただし、沙稀はその重みを羅凍に強要しようとは思わない。
羅凍は嗜んでいるだけだ。好んで、親しんでいるだけ。責務で背負っているわけではない。
『この辺にしておこうか』──そう言おうとして、何度も言葉を呑む。息を上げながらも、羅凍の表情が生き生きしていて。
沙稀は羅凍の幼少期を知らない。初めて会ったとき、すでに十九歳だった。身長差は今の倍近くあった。それは、なかなか縮まらなかった。
貴族の男で十九歳といえば、多くが結婚している。美男子と有名な父似の羅凍に、指名がかからないはずがない。
ただ、貴族には建前が付きまとう。後継者の捷羅を差し置いて、誰も求婚できない状態だったのだろう。事情を知ってか知らずか、『兄に何かなければ、結婚の話は来ない』そう言った羅凍は、好都合だと言いたげだった。
苦しい片想いをして、告げたいと言っていた。しかし、歯切れは悪く、どこか迷っているようでもあった。羅凍が告白に迷う相手など、見当が付かない。羅凍が想いを告げれば、大抵の者は歓喜に舞うだろう。
『告白ではなく、羅凍なら娶るじゃないの?』──そう言った沙稀に対し、『それは考えていない。無理だから』と言った。
身分差だとしても、羅凍よりも身分が高いとすれば限られる。対応を見た限り、恭良ではない。そうだとすれば、身分は羅凍よりも下ということになる。それで、どうして断られる前提になるのか。
結果は聞いていない。ただ、想いは変わらないようだ。
稀に、結婚の話に触れられるときがある。そんなとき、沙稀は聞き返す。──『羅凍は?』と。すると、いつになく羅凍は悟ったように笑って、話題を逸らす。
羅凍は貴族らしくない。まず、城の雰囲気に慣れていない。城育ちにも関わらず。そして、兄の代わりに進んで城の外に出る。城内が息苦しいと言わんばかりに。
来たときは弾けんばかりの笑顔を振りまいて、帰る真際に大人びた表情を見せる。沙稀には理解できないことだらけだが、接していて伝わることがある。
羅凍は物事にまっすぐで、裏表のない人間だと。だからかもしれない。建前ばかりが飛び交い、本音を隠す貴族たちが性に合わないのは。
純粋なままでいるのは、難しいことだ。
「いやぁ、やっぱり強い」
時間にして二十分。羅凍は木刀を弾き、息を上げてフラフラと後退する足を止める。
「ありがとう、いい気分転換になった」
「それならよかった。船での長旅で疲れが残っているから、きつかったでしょう。それにしても、羅凍は筋がいい。これからも伸びると思う」
謙遜せず、羅凍は素直に照れて喜ぶ。──こんな羅凍が想いをよせる人を、沙稀は未だ知らない。
ひと休憩してから稽古場をあとにし、階段の裏を通って円柱をすり抜けていく。今度は恭良たちと合流するため客間へと向かうのだ。
クリーム色の円柱が、広々とした空間を我が物として、いくつもそびえ立つ。
「何回来ても、まったく覚えられない城だよね。複雑っていうか、開放的っていうか」
羅凍は上を見渡しながら言う。沙稀は、ああと相槌を打つと、
「たぶん、壁がほとんどないせいだよ。円柱が多く不規則に並んでいたり、重なっていたりして通路の妨げをしている。それが開放感を生むけど、円柱がどれも似ているから惑わされて現在地を把握させにくくさせているのは確かだ。長い廊下と入り組んだ階段が拍車をかけるし、ゆるやかな坂で階数を変える仕組みや隠し通路もあるしね」
かくいうこの廊下も、ゆるやかな上り坂だ。しかし、羅凍にその認識はまったくないだろう。
「これじゃ、侵入者は容易には入れないし、入ったら袋の中の鼠だね」
「一応、城自体も姫を守っているということさ。使用人も普段通るような限られた通路や部屋以外は立ち入ろうともしないしね」
「そっか……そうだよね。俺、沙稀がこうして案内してくれなきゃ、歩ける気がしない」
沙稀は大袈裟だというように笑う。
「鴻嫗城の道案内なら、得意だよ。いつでも任せて」
道はいつの間にか中二階へと辿り着く。その先に、赤紫の品のよい絨毯が客人を歓迎していた。左に曲がると、いくつかの客間がある。その一番手前の扉を沙稀はノックする。
「はい」
恭良の返事を確認してから沙稀は扉を開ける。一歩入り頭を下げる。
「遅くなり、申し訳ありません」
「あ~、噂をすれば」
凪裟の声で沙稀の視線は上がる。
「噂?」
沙稀の問いに、今度は恭良が口を開く。
「実はね、今まで沙稀の話をしていたの。沙稀は多趣味で絵画や音楽とか芸術にも関心が深くて、色んなことに博識で、料理もするし……そう、特製の野菜スープは本当においしくて、カレーとかハンバーグも作れて。それでね、何でもできるように思うのに、お肉は食べられないんだよって」
「何で俺の話なんですか」
言いたいことは色々とあったが、沙稀は言葉を呑む。すると、
「あ……そうね。どうしてだったかしら」
恭良は凪裟と顔を見合わせ、首をかしげる。よりによって、プライベートでの付き合いが一切ない捷羅にと、抗議はできない。
「楽しかったですよ。おふたりとも、とても楽しそうにお話してくださいましたから。それに私の知らない一面ばかりでしたので、関心深かったです」
「恐縮です」
沙稀の頭が深々と下がる。
「いいなぁ、俺も聞きたかった」
恥ずかしさに耐える沙稀の後ろから、羅凍は悪戯な笑いをした。弟の楽しそうな笑顔を見た捷羅は、満面の笑みを浮かべる。
「では、皆が揃ったのでそろそろ伝説の話をしましょうか」