90 さらっておいで
俺とピノと、どうやら野良らしいカマキリのアリスは、盗賊ギルドの長のいる場所に案内された。
特別な建物ではない。ごく普通の民家だ。マフィアのボスというのは、得てしてこういうものなのかもしれない。
そう思いながら、俺は少女に案内されるまま、敷居をまたぐ。
民家の奥に、でっぷりと肥えた、中年の女がいた。太っているだけに迫力がある。この世界で太っているというのは、それだけ豊かな証拠でもある。
「あんたがカロンかい。まだ、ガキじゃないか……よく来たね。まあ、座りな」
太った女が椅子を勧めてきた。俺を案内してきた少女は、壁際に立つ。俺の話し相手は、太った中年の女に移ったようだ。
「俺は、この街ではそれほど有名ではないと思ったが……よく名前を知っていたな」
「盗賊ギルドに国境はないのさ。ゴブリン王カロンといえば、ちょっとした有名人だよ」
「……悪名か?」
「そうでもない。凄腕の剣闘士、冒険者、奴隷、死刑囚。大した肩書きだ」
『……カロン、悪い人?』
ピノの無音のつぶやきが、俺の耳に痛い。
「違う。誤解だ」
「どうだか。異世界に来て、はしゃいじゃったんじゃない?」
俺の頭の上に戻ったカマキリのアリスは、俺が恵まれた境遇であるという立場を変えないつもりらしい。
「罪を犯した覚えはない。避けられなかったんだ」
「海の上のことも?」
中年の女は、笑みを浮かべず、俺をしっかりと見据えていた。
「そこまで知っているのか?」
「海賊船に乗って、海軍の一師団を皆殺しにした。ちょっとした伝説だよ」
「七魔将、ホライ・ゾンに操られていたんだ。だが、皆殺しにはしていないぞ。制圧はしたが……噂が間違って広がっているらしいな。皆殺しにしたのは、海の民……いや……その……」
ピノは海底の民であり、海の民ではない。本人はそう言うが、その区別がどこまで正しいのかはっきりしない。俺は、ピノを意識して口ごもった。盗賊ギルドの頭は、俺が黙った理由を誤解した。
「ホライ・ゾンに操られていたと証明できるのかい?」
「……無理だな」
ホライ・ゾンの精神支配のおそろしさは、自分では操られていると気づかないことにある。後になって、思い出して、自己嫌悪する。だが、その最中は、自分では正しいことをしているつもりになっているのだ。心神喪失というわけではない。その場面だけを捉えれば、ホライ・ゾンの責任だという主張が通るはずがない。
「助けてくれて感謝はするが……代償はなんだ? 俺に何かをさせようというのか?」
「察しが良くて助かるよ。あの王子、山ほど恨みを買っていてね。食い散らかした女たちの前で、謝罪させなくちゃ治まらない。さらっておいで」
「……簡単に言ってくれるな」
「あんたなら、簡単だろう? ゴブリン王カロン、この街の周囲には、ゴブリンはいないけどね。どうやら……カマキリとも話せるようじゃないか。それほどの妖術師なら、姿ぐらい消せるんじゃないかい?」
「無理だな。それに……王子をさらってこいって言われてすぐに従うほど、俺はあんたたちから深い恩を受けたつもりはない。逃げている途中で、隠れる場所を提供されただけだ。命がけの仕事をする報酬としては安すぎる」
「ふん。がめついね……気に入った。損得で割り切れる男はわかりやすい。もちろん、王子に謝罪させたい女たちから、ただで頼まれているわけじゃない。私たちの受け取る金の一割をやろう」
「それだけでは足りない」
「……二割じゃどうだい?」
「金額の問題じゃない。ピノ……ホライ・ゾンがこの街を襲うのは何日後かわかるかい?」
俺は、落下して気絶などしたため、時間の感覚が曖昧になっている。何日後にホライ・ゾンが来るのか、正確にわからなくなっていた。
ピノは小さくうなずく。
『うん。3日後』
「聞いたか?」
「いや。何も聞いちゃいない。そっちの花嫁が、口をパクパク動かしたのはわかった」
忘れていた。ピノの言葉は、俺以外には聞こえないのだ。
「3日後、ホライ・ゾンの海賊船がこの街を襲う。俺はホライ・ゾンを倒す。そのための手助けをしてほしい」
「……突然、物騒な話になって来たね。相手は、あのホライ・ゾンだ。勝てる見込みはあるのかい?」
「ホライ・ゾンという海賊は、そんなに有名なのか?」
俺は、この世界の常識がない。現役の海賊を初めて見た。陸に生きている人間たちにとって、海賊という存在が、どんなものかすらわからない。
「海の上から出られないって噂がある。それが本当なら、あたしたちが直接襲われることはない。だが、とんでもなく強い配下を山ほど抱えていて、そいつらはホライ・ゾンの血で強化されているし、命令には絶対服従で、奴の命令なら、赤子でも殺すって噂だよ」
「……その噂は真実だ」
「……あんたが海軍を皆殺しにしたってのは、ホライ・ゾンに操られてかい?」
「それはただの噂だ。だが……そう命じられていれば、従っただろう」
「……なら、今でも操られていないという証拠は?」
「海底の魔女グラフィルに薬を調合してもらった。俺を操っているホライ・ゾンの血は、頭からは追い出されている。完全に体外に出すことが必要で……そのためには、新しい命を産む器に流し込まなければならない」
「……つまり……女の中? 本当かい? ただのスケベ根性のまやかしじゃないのかい?」
「魔女グリフィルに言われたんだ。俺は……地上で娼館を探すつもりだった。だが……ピノが追いかけてきた。海底の姫だったのに、俺のために、俺の呪いを代わりに受けてくれるつもりで……」
中年の盗賊ギルド長は、たるんだ顎の肉をぼりぼりと掻いた。
「ふん。お暑いことだ。海底の姫ってのがなんのことだか……海底の魔女ってのも、なんのことかわからないね。だけど……こっちのお嬢ちゃんがカロンのことを大好きだってのは見ていて疑う余地もない。ホライ・ゾンと戦う前に一発やって行きたいってのなら、別に止める理由もない。けど……その呪いを、出された女はどうなる? 平気なのかい?」
「ああ。ホライ・ゾンを殺せば、血は無効になるそうだ。だけど、殺せなければ死ぬかもしれない。だから、ホライ・ゾンがこの街を襲うぎりぎりまで待っているんだ」
「……そりゃ、難儀だね。2人とも、命がけってことかい。その話が本当だとして……あたしたちに何ができる?」
ようやく本題に入ったかと、俺は頷いた。
「ホライ・ゾンが陸に上がれないのは本当だ。街を襲うのは、配下の連中だろう。そいつらは俺なら勝てるが、俺が配下の連中をなぎ倒せば、呪いを解いたとホライ・ゾンにばれるだろう。俺はこの街のことを知らない。ホライ・ゾンと一対一で戦える状況に持ち込みたい。俺がホライ・ゾンの船に乗れるよう、手引きしてほしい」
「……具体策はなし。出たとこ勝負ってことだね。わかった。いいだろう。ホライ・ゾンが3日後に来るなら、明日には王子をさらってきな。次の日には、このピノって子と、好きなことを好きなだけするがいい。その後、誰を殺すのでも、殺されるのでも、カロンの自由だ」
「ああ。わかった」
盗賊ギルドの長が、拳を突き出してきた。ぷっくらとした丸い拳に、俺は拳を重ねた。
盗賊ギルドの隠れ家で一晩泊まり、俺はピノを置いて王子の誘拐に乗り出した。
ピノはついて来たがったが、ピノを探している、人間的に最低な男の前に、わざわざ餌をなげることはない。
俺が、上手くいったら明日は一日中一緒にいられるからと言うと、ピノは真っ赤になって頷いた。どうやら、一緒にいるという意味をしっかりと理解しているらしい。
だが、俺は1人ではなかった。頭の上に、カマキリのアリスがしがみついている。
「アリスの職業とレベルは?」
かつて会った猫のララは、話はしたが一緒に戦ったわけではない。ララが僧侶の経験者であることは聞いていた。アリスが協力してくれれば、これからは戦いが楽になるかもしれないと、俺は期待を込めて尋ねた。
「3よ。職業は言ったでしょ。僧侶。これ……転職できないのかしら……」
「レベル5なれば転職できるが……レベル3か? 俺よりこの世界に早く来ているんだろう? 低すぎないか? どうやって生活していたんだ?」
「仕方ないでしょ。私はカマキリなのよ。ゴキブリや蝶を狩っても経験値は入らないのよ。たまたま大物……死にかけのネズミを倒したときぐらいしか経験値が入らないのに、レベル上げなんてできないのよ」
俺は失望したが、それでも、俺とパーティーを組んで経験値が共有になれば、レベルアップは格段に早くなるはずだ。頭の上に乗せたアリスと色々と話しながら、俺は街中を疾走した。




