86 本当に、逃がしてくれるつもりがあるのですか?
俺の隠れている部屋に入るなり、チェルキーは大量の服を投げつけてきた。 女性ものだ。使用人である侍従たちが着ている服のようだ。
「その格好では出歩けないでしょ。早く着替えなさい」
チェルキーは舌打ちをして、扉を後ろ手に閉めた。目的ははっきりしている。ピノが邪魔なのだ。だが、ピノは王子を愛していない。むしろ嫌悪している。
ピノがいなくなればいいのだ。ピノもそれを望んでいる。
「……ありがとう」
俺は礼を言って、服を拾い上げた。ピノに渡す。
ピノは俺が渡した服を、じっと見ていた。
「……着方がわからないかい?」
自分で脱いで、現在は全裸である。服の着方がわからない。海底でも全裸に近かった。
「俺にも……いや……」
「皇女が着るような窮屈な服じゃないわ。メイドの服よ。そんなに難しいはずがないじゃない。いままで、どうやって暮らしていたのよ」
「……ピノは、最近まで服を着たこととがなかったです。責めないでください。この国に来てからも、自分できることは一度もなかったはずですから」
「……脱ぐ専門?」
チェルキーが侮蔑的な物言いをしたが、ピノは聞いていなかった。俺を見つめ、渡された服を見せた。
『カロンが着せて』
「……わかった」
俺は、ピノに服を着せるという大事業に取り掛かった。
その作業が楽しければ楽しいだけ、時間がかかった。ピノの肌はとても綺麗で、触っているだけで興奮した。興奮は具体的に俺の体に現れた。
ピノはそれを面白半分で触れていたが、俺もとめなかった。
終わった時、ピノは立派なメイドになるわけもなく、メイド服に襲われた華奢な少女に見えた。
「……似合わないわね。サイズが違ったかしら……」
「働いたこともなかったんです。体が細いのは、仕方ないでしょう」
「……本当のお姫様みたいね」
「お姫様ですよ。本物の」
俺はつい口走った。失敗したと思った。ピノの素性を誰かが知っているはずがない。ピノは一人で来たし、言葉を話せない。海底でお姫様をやっていました、などとわかるはずがない。
だが、チェルキーは侮蔑的に鼻をならしただけだった。
「なら、なおのこと、この城には置いておけないわ。本物の王子様とお姫様の結婚なんて、格差が広がるだけだもの」
急に経済的なことを言い出したチェルキーはとにかく、いずれ見つかるだろうと思っていた俺は、王宮を脱出するのには賛成だった。
「手引きしてくれますか?」
「ええ……あなたたちを外に放り出すつもりで来たのよ。ある意味では最も見つかりにくい、でも安全とは言えない道を教えてあげる」
「安全とは言えないって、どういう意味です? 近衛たちに見つかっては困りますが」
「その点では大丈夫よ。安全とはいえない、というのは、もっと具体的な意味だから」
それ以上は語らず、チェルキーは扉を開けた。
「ピノ、大丈夫かい?」
『うん。カロンが一緒でしょ』
ピノは俺の手をきゅっと握った。信頼されている。それは嬉しいのだが、その信頼が少しばかり重くもある。
チェルキーの意図がわからない。本当に、ピノを守れるだろうか。
最悪、チェルキーはピノを殺すつもりなのかもしれない。だから、俺は絶対にピノから離れない。
そう強く思いながら、俺はチェルキーの背中を追った。
チェルキーはさすがに権力者らしく、見事に衛兵には出会わなかった。途中で出会ったのは全て侍女たちだが、チェルキーを見ると深くお辞儀をした。意が通じているのは明らかだ。もともとチェルキー寄りの侍女か、金でも渡して取り込んでいるのだろう。
王宮の複雑な通路を迷わずに進むチェルキーに、よたよたとして追うピノを支えながら俺は従った。ピノの足取りは頼りないが、俺が支えているからか、逆に楽しそうでもある。足を使って歩くことが面白いのかもしれない。
たぶん、なんでも面白いのだ。ピノなのだから。
俺とピノは、チェルキー誘導されるまま、塔の管理室と思われる場所に移動した。壁に一切の細工が施されていない、むき出しのレンガと漆喰を固めた円形の部屋で、掃除用具などが置いてある。
「さあ、あなたがたはそこから飛び下りなさいな」
チェルキーが示したのは、壁と床の一角が崩れた穴だった。
風が吹き込んで来る。外につながっている。
「……ここから飛び降りるって……ここ、地上からどのぐらいの高さなのですか?」
「さあ……でも、死ぬほどの高さではないわ。だって、下をご覧なさいな」
俺が首を伸ばしてその穴から外を見ると、城の中から水路が伸びる、ちょうど真上であることがわかった。
「いざ、という時の脱出経路でもあります。だから、助かる確率の方が高い、というのはわかりますね?」
水路の幅は、1メートルほどだ。随時水が流れているわけではなく、必要な時だけ排出するものだろう。だが、おかげで部屋から水路までの高さが5メートルほどに収まっている。地面は、さらにその下、15メートルはある。
「つまり、あの水路に飛び降りて、走って逃げろと」
「できないとは言わせませんよ。この国の王族さえ、有事には想定しているルートなのですから」
「……そうですね。ピノ、行こう」
『うん』
ピノは、きらきらと目を輝かせて俺の手を握り、それだけでは満足できなかったのか、抱きついて来た。
俺はピノの体を片腕で抱き、穴から身を乗り出した。
真下を見ると、水路に水はなく、部屋の位置からずれているのではないかと思われる。
「……本当に、王族が使う逃走用のルートなのですか?」
「せっかく私が苦労して調べ上げたのに、信用できないとでも言うのかしら?」
「いえ……しかし……余りにも危険では……もし逃走が夜であれば、水路に乗れずに確実に地面まで落下します」
「そう……いい情報ね。今後の参考にするよう、伝えるわ」
俺がピノを抱いたまま、本当に飛び降りていいものかどうか迷っていると、チェルキーが背後で指を鳴らした。
狭い部屋に、武装した鎧が二体、入って来た。
「……本当に、逃がしてくれるつもりがあるのですか?」
「もちろんよ。あなたがたがここから逃げて、二度と噂にも上らない。私はそれを望んでいるわ。苦労して準備したのだし、ここで結論を出すつもりよ。その結果、城の外で生きられるかどうかまでは、関与しないわ」
「城の外で生きようと、この場で死のうと……あるいは、地面に激突して死のうと……ですね。はじめから、殺すつもりだったわけですか」
「……殺したいとは思っていないわ。でも、死んでくれるのが、後腐れなく済む一番の方法ね。いいのよ、死体で見つかっても。無理心中を図った男女の美談として語り継いであげる」
「……ピノ……ごめん」
俺は、ピノを守れなかったのだろう。鎧の男たちが攻めかかって来た。訓練された者の動きだ。その動きは力強く、迷いはない。
ピノを抱いたままでは戦えず、ピノを犠牲にしてしまうかもしれない。俺は、背後に飛んだ。
足元はなかった。
浮遊感とともに、女の笑い声がきこえた。
空中に投げ出され、俺は両腕でピノを抱え込んだ。
まっすぐには落ちなかった。背中が、何かに激突した。
飛び散る石の破片と背中の痛みから、水路にぶつかり、俺の背中が水路を破壊したのだと理解した。
俺とピノはさらに落ちた。
水路を破壊して、行き過ぎたいま、下には地面しかない。
空を飛ぶ魔法は覚えていない。もっと僧侶のレベルを上げていれば、ダメージを吸収する魔法も覚えていたのかもしれない。
だが、俺は勇者しか上げていない。勇者の特徴は、強い体と恵まれた魔力による敵の蹂躙にある。
俺はピノをしっかりと抱いたまま、とにかく背中から落ちることだけを心がけた。
スキル、「ガマン」を発動させる。
どう考えても、数秒しか落下しない。スキルの効果が切れるまでには落ちる。そう判断し、その考えは、結果的に正しかった。
俺は、自分の背骨が折れる音を聞いた。内臓が破裂する感覚を自覚した。
とっさにスキル、「オウキュウテアテ」を発動し、一命は取り止める。
腕の中で、ピノが動かない。
ピノは無事だろうか。
俺は体を起こそうとした。
だが、動かない。
俺が最後に見たのは、城から飛び出して来た衛兵に掴まれ、運ばれるピノの姿だった。




