67 パパは王様だよ。怖いよ
俺は、砂浜の上にいた。
俺が上陸した島には、岩場ばかりで砂浜はなかったはずだ。別の島にうち捨てられたのだろうか。
体が冷たい。波に洗われている。
俺は、生きているようだ。
目を開ける。
暗かった。
何かに、視界を塞がれていた。
口も塞がれた。
生暖かい空気が、口の中に入る。
俺の口を塞ぎ、視界を奪っていたものが離れた。
目があった。
女の顔に見えた。
「キャァ。気づいていたの?」
「いや、たった今……気づいた」
驚いて飛び退ったのは、とても綺麗ですらりとした体をした……下半身が魚の女だった。
「……人魚?」
「ええ。あなたは、人間ね。人間が生きてこられるところじゃないはずだけど、丈夫なのね」
「……ここは、どこだ?」
意識は戻ったが、まだ体が動かせない。全身に力が入らない。HPの問題とは思えない。カロン少年の肉体にダメージがたまっているのを感じる。
「ここは、海底の王国アトラよ。どうして、こんなところに来たの? 海底に落ちてくるのは、みんな死体なのよ」
「来たかったわけじゃない……連れてこられたんだ。はっきりと見ていないが、巨大な吸盤を持った……生物で……タコの親分、かな」
「クラーケンかしら? クラーケンを怒らせるなんて、凄いわね。海の生物を、よっぽどいじめたの?」
「クラーケンというのか。聞いたような名前だ……海の生物を……か。うん、いじめたな。かなり……ひどく。一つ答えてくれ。あんたは、海の民か?」
「なにそれ? まあ、答えてあげるけど……違うかしらね。海の民というより、海底の住人かしら」
「……そうか。よかった。俺は……命の恩人を殺さなくてすむ」
俺は体が動かないまま、目を閉ざした。時間が経てば回復する。体の感覚から、そう理解した。
人魚はピノと名乗った。お姫様なのだという。だが、お姫様の割には適当な名前だ。俺がそう言うと、腹を立てて俺の顔に水をかけた。俺は、まだ体が動かなかったのだ。
ピノは実に楽しそうに笑い、俺の周りを転げ回った。
しばらくして、俺はようやく体を起こした。まだ体が重く、寝ていたかったが、体が半分水に浸かった状態で寛げるほど豪胆ではない。
俺が起きると、ピノは俺の前に顔を突き出した。大きな目で俺を見つめている。焦点が合わないほど近い。
「……どうした?」
「キャハハ……やっぱり、面白い顔」
「そうか?」
「うん。まるで、人魚みたい」
俺は、人魚みたいな顔らしい。本物の人魚に言われて、どう反応していいものかわからない。人魚みたいだから面白い顔だということは、自分の顔を見ても爆笑するのだろうか。鏡というものを見たことがないのだろうか。
ちなみに、俺が横たわっていた砂浜は、だいぶ水浸しで、砂もゆるいらしく、人魚のピノは自由に砂の中に潜り、顔を出していた。
水中も土中も同じように泳げるなら凄い能力だろうが、それでは人魚なのかモグラなのかわからなくなる。
「顔を笑われたのはショックだが、助けてくれてありがとう。ここは……海底の王国だと言ったな。どうやって、地上に戻ればいいんだろう?」
俺は、この世界に染まってしまったらしい。海底の王国自体には、驚かなくなっていた。高度な文明や独特の文化を見せつけられれば違ったのかもしれないが、砂しかない風景を見せられて、ここが海底の王国だと言われても、驚きはしない。俺は、この世界でもっと不思議なものを……思えば、それほど見ていないような気もする。
「地上に戻りたいの? なんで?」
ピノは、俺が起きてからせわしなく泳ぎ回っていた。マグロが泳ぐのを止めると死んでしまうように、止まると死ぬのかと思えたほどだ。だが、そんなはずはない。俺の肺に空気を送り込んだ時、泳ぎながらだったはずがない。
現に、今も泳ぎをやめて、俺の前に顔を出している。
わざとなのだろうか。静止する時の顔の位置が、あまりにも近い。唇を突き出せばキスができてしまうぐらい近くで、俺の顔をじっと見るのだ。見えているのは、どうせ皮膚の一部か眼球ぐらいしかないだろうが。
「『なんで?』って……さあ……なんでだろう」
「キャハハッ……理由がわからないなんて、変なの!」
楽しそうに言って、ピノはまた泳ぎだす。ピノの態度はとにかく、どうして俺は地上に戻りたいのだろう。
地上でやりたいことといえば……ファニーを助けに行くことぐらいだ。だが、この世界の来てからの俺の経験を、カロン少年の思いは上回っているのだろうか。あまりにもこの世界で色々なことを経験しすぎて、ファニーへの思いが薄れつつあるのを感じる。
ファニーのことがなければ、俺が地上に戻る理由は……一つあった。
「俺は、戻らないといけない。ホライ・ゾンの部下なんだ」
「……えっ?」
それまでずっと楽しそうだった自称人魚姫のピノが突然止まり、俺の顔の前に来ることなく、少し遠くから、俺の顔をじっと見ていた。
俺は、カロンと名乗った。海の民を皆殺しにしたのだ。罪を隠すことはしたくないし、罪を公にすることも、ホライ・ゾンの呪いとは関係がなさそうだった。
名前を名乗り、ホライ・ゾンに施された呪いのことを語り、海の民を虐殺したことを告白した。
「悪い人……なの?」
「ああ。そうだ。ホライ・ゾンに命令されれば、逆らえない。俺は、海底の住人に対する命令は受けていない。だから、いまは何もしない。でも、俺を助けるべきじゃなかった」
「……いまは、何もしない?」
ピノは、俺の言ったことを繰り返した。俺が頷くと、安心したように、また俺の前に来た。顔がとても近いのだ。
「なら、いいや」
「いや、よくないだろ。俺のこと、信用しないほうがいい」
「本当に悪い人は、そんなこと言わないよ」
「だからって、安心するな。お姫様なんだろ。俺のせいで、国民が死ぬかもしれない」
「キャハハ! 私の国の人たちは大丈夫。だって、みんなとっても強いもん」
「……そうか」
ピノが何を基準にしているのかわからないが、俺は強くは見えないらしい。まあ、そうだろう。剣闘士だった期間にかなり鍛えたが、まだ十代半ばの少年の体だ。海底に住んでいるような連中には、ひ弱にしか見えないのだろう。
「じゃあ、パパを呼んでくるね。じっとしていて」
「ああ」
ピノは身を翻し、優雅な放物線を描いて水の中に落ちた。下半身は本物の魚類で、本当に魚のように動くのだと、俺は今更ながら感心した。
人魚のピノを送り出した、と思ったが、水面から濡れた顔を突き出して、目の前にいた。
「いっちゃうよ」
「……うん。わかっている」
「止めないの?」
「すぐに、戻ってくるんだろう?」
「うん。でも、パパは王様だよ。怖いよ」
「……俺は別に、娘さんをくださいとか言う予定はないから、怖いパパでも大丈夫だ」
「……わかった」
だが、俺は勘違いをしていた。わかっていなかったのは、俺の方だったのだ。
俺は、人間大で二足歩行のタツノオトシゴに槍を突きつけられ、砂地から上がった。
歩くうちに地面は砂から石に変わり、石畳に変わり、巨大な建造物の中に入った。
ピノはついてこなかった。人魚の下半身は完全な魚であり、王の間にいくための専用の通路が別にあるのだそうだ。
俺はピノと別れ、四人のタコのオトシゴ兵とともに、長方体の岩を几帳面なほど丁寧に積み上げた建造物の中を進んだ。
タツノオトシゴとは言うが、ここまで大きければ、もう龍でいいのではないかと言いたくなる。だが、本人たちがオトシゴだと名乗っていなかったので、俺も突っ込まなかった。
建物は入り組んでおり、とにかく巨大だった。入り組んでいるのは、柱ではなく壁で天井、あるいは上階を支える構造のため、強度を考えてのことだろう。
逃げるにしても、迷いそうだ。
どうして、自分でも逃げることを考えていたのかわからなかったが、俺は逃げることも想像していた。
タツノオトシゴ兵は隙なく槍を構えていたが、俺にはスキル、ガマンがある。何度か刺されても、ガマンしているうちに回復魔法で直してしまうという必勝法が使えるかぎり、ただの兵士では相手にならない。
通路も一本ではなく複雑に分岐していた。方角が分かるスキルとかは習得していない。そんなものがあればいいが、たぶん実装されていない。
誘導されるままに通路を行き、そろそろ飽きてきた頃、大きな広間に行き当たる。
拓けた場所で、天井が高い。
円形のドームになり、光源がなんなのかわからないが、光に満ちていた。
眩しくてすぐにはわからなかったが、俺が入った場所の反対側に、玉座らしいものがある。踏ん反り返った巨大な魚がおり、左右に綺麗な人間の顔をした女たちが並んでいる。
その中に、ピノを見つけた。
ピノがお姫様だというのは本当なのだろう。ただし、お姫様はたくさんおり、そのうちの一人だということだろう。人魚は、玉座に座る魚の子供しかいないのだろうか。
玉座の魚、とはいっても、ごくふつうに食卓に上る種類ではない。
頭部はごつごつして不味そうで、タツノオトシゴ兵を凶悪にしたような顔をしている。体は銀色の鱗にワカメを編んだような服をまとい、胸ビレが発達したのか、錫杖を握っていた。
足は二股に別れ、尾びれが発達したものと見えるが、足が指ではなくヒレ状態だった。
半魚人、というより遥かに魚よりだ。まさしく、魚人なのだろう。魚の種類としては、リュウグウノツカイが近いだろうが、あの魚はごつごつした顔をしていなかった気がする。何より、ツノが生えている。
「貴様が……ホライ・ゾンの使いか……」
俺がドームの中央まで進むと、玉座の魚が口を開いた。
「それは、間違ってはいませんが、正しくもありません」
俺は、魚の言葉を訂正した。
「ふむ……まずは、平伏せよ。王の御前である」
魚が直接そう言ったかと思うと、俺は8本の腕に掴まれて、無理やり膝をつかされた。そんなことをしなくても逆らう気はなかったが、感じが悪いので、少し抵抗した。
人間の王に恩赦をもらえなかったことを思い出す。王という種類の奴は、好きになれない。
「よろしい。そなたの発言を説明せよ」
「はい。俺は、ホライ・ゾンの命令を受けて、海の民を皆殺しにしました。休んでいると、クラーケンに海の中に引きずり込まれ、息ができずに倒れていたところ、そちらのピノ姫に助けられました。俺が命じられたのは、海の民を殺すことです。海底の住人を、ではありません。海底の住人については、なんら命令を受けていないので、使いか、と聞かれると、そうではないと申し上げたまでです」
「ふむ……海の民を皆殺し……とな。危険な人間だ。殺すのがよいであろう。お前たち、どう思う?」
魚が王だとして、大臣とかはいないのだろうか。王は、左右に並ぶ人魚たち、つまり自分の娘に聞いたのだ。




