53 我に傷を負わせる者が、人間の中にいたか
闘技場に続く通路は、一本道だった。
脇道もなければ扉もない。牢から出れば、闘技場しか出口はない。そのような作りになっている。
闘技場の地下牢に入れられたら、出るには闘技場しかない。そう作られているのだろう。
牢まで連れてこられた時は、そのような印象はなかった。一方通行の扉になっているのだろうか。
階段を登れば、その先は闘技場だというところまで来て、通路に人影がいるのがわかった。
エルフのロマリーニだった。
「結局、逃げなかったのですね」
俺が近づくと、闘技場の従業員が真剣な顔で見つめてきた。
「この戦いが最後だ。終わったら、逃げるつもりだ。手引き、してもらえるかな? 駄目なら、何人か殺すことになるかもしれない」
エルフが俺を逃したがっているのは知っていた。俺を逃して、エルフたちが恐れている魔王という存在を討伐させたいらしい。できれば関わりたくはないが、ファニーを助けた後であれば、手伝ってもいいとは思っていた。
「過信は禁物ですよ。今日の相手には、カロンさんでは勝てない、と誰もが思っています。せめて、殺されないことを祈ります」
「……そうか」
「生き延びられたら、死体を装って街から出します。しばらく窮屈な思いをしていただきますけど、構いませんね。王都には、未練もないでしょう」
「ファニーの居場所は?」
ファニーの名前を出した途端、ドディアが俺の足に噛み付いた。痛くはないが、くすぐったい。ドディアは、寝ている時に聞いたことを、全て覚えているのだろうか。
「王都にはいないことは突き止めています」
「ならば、未練はない。自由民になって金を稼ぐって方法は、諦めた」
「それがいいでしょう。死なないでください。カロンさんは、まだ強くなるのでしょうから」
「ああ。そのつもりだ。それから……この子を頼む」
俺の足を舐めていたドディアの頭を撫で、持ち上げて、エルフに渡そうとする。ドディアが体をくねらせ、俺の手から逃れた。
「ドディア、この先は駄目だ。多分、俺でも生きて帰れるかどうかわからない。そういう相手だ」
「カロン、死なない」
「ああ。死なない。だから、待っていてくれ」
「死なない」
「わかっている」
ドディアが俺に組みついた。何をしたいのだろうか。
「死なないでほしいと、そう言っているのでしょう」
「ああ、そうか。なら……言い方が違ったな。ドディア、必ず生きて帰る。だから、待っていてくれ」
ドディアの頭をごりごりと撫で、エルフに預けた。
「相手が何者か、わかっていますか?」
「さあな。大方、隣の牢に入っていたやつだろう」
「ええ。その通り、最強の兵士、竜兵です。人間種というより、魔物に近い。ドラゴンの血を引くと言われる化け物です。気をつけて」
気のつけようもない。だが、恐らく力を隠して戦える相手ではない。
俺はエルフに礼を言い、ドディアの頭を撫でてから、闘技場に踏み出した。
いつになく、闘技場は観客で一杯だった。
俺の名を呼ぶ声が響く。大勢だ。大勢の人間が、俺の名を連呼している。
初めてのことだった。
周囲を取り巻く10000人以上の人間が、俺の名を呼んでいる。
これは、気持ちがいい。
だが、この逆は今までもあった。俺を呪い、対戦相手を褒め称える声は、聞いたことがあった。
つまり、俺は死ぬと思われている。あるいは、相手を殺せれば、奇跡だと思われている。
俺は、アイテムボックスから新品の鋼鉄の剣を取り出した。
防具は、剣奴時代と変わらぬ丸い木の盾だけだ。他の剣闘士はそうでもない。きちんと防具を着ている。俺も、着ようと思えば持っていなくもない。騎士を殺して装備を剥がしていた。だが、それを着ることはなかった。着方もわからない。
対戦相手の姿はない。
俺が出て来た反対側の扉が開いた。その瞬間、観客席が静まり返った。期待か、恐怖か、いずれにしても、それほどの相手だということだ。
普段使用している、通常の扉ではない。地面に穴を開けるように、階段がむき出しになり、その奥から、重い足音が聞こえた。
どっしりとした重い体を思わせる足音と共に、頭部が見えた。
鋼鉄の兜を被っているが、陽の光を受けても反射はしない。兜は、黒く錆びていた。
観客席が、悲鳴で包まれる。人間が血まみれで倒れても、ただ興奮して雄叫びをあげる観客が、悲鳴をあげて静まり返る。
その者は、大きかった。体躯は2メートルを優に越え、肥大した筋肉は防具からはち切れんばかりだ。
兜と同じく錆びた防具で胴体と腰回りを覆っている。手甲とすね当てもつけているが、露出も多い。露出もした肌は、強固な鱗で覆われていた。
「リザードマンか?」
「うわははははっっ!」
俺が尋ねると、その者は大声で笑いだした。
「おかしなことを言ったか?」
二人の声は互いにはっきりと聞こえた。観客が黙り込んでいたからである。いつもは声を張り上げて選手を紹介するアナウンス役の男も、この時は黙っていた。はじめから、煽る必要もないということだろう。
「そのような侮辱を受けたのは初めてだ。我は竜兵、ドラゴンの申し子よ。トカゲ人間と一緒にするとはな。それより貴様……獣人ではないのか?」
「どうして、獣人だと思った? ああ……あれか」
俺とこの男が話している間、起きている時はドディアがうなり続けていたのだ。俺のことを獣人だと勘違いしたのも無理はない。
なるほど、ドディアが唸っていたのは、本能みたいなもので、ドラゴンを感じ取っていたというわけか。
「俺が殺されると思っている奴が多い。どうだ? 人間たちの期待を裏切ってみないか?」
「面白い。だが、我にも誇りがあるのでな。わざと負けろと言うのなら、それは飲めん」
「なら、仕方がない。実力でねじふせる」
俺は、鋼鉄の剣を構えた。
「カロン、やっちまえ!」
観客席から、大きな女の声が響く。声だけで、エスメルだとわかった。バード、つまり吟遊詩人だ。声で飯を稼ぐ職業だけに、声量は凄まじい。竜兵が視線を向ける。口を開けた。
「やめろ! 観客に手を出すな」
「なら、お前が受けろ」
言いながら、首を俺にむける。口から、まっすぐに炎が伸びた。
俺は木の盾で受けたが、腕が焦げた。肌がひりつく。ただのこけおどしではない。十分な攻撃手段だ。
「戦闘開始!」
すでに俺は攻撃を受けていたが、ようやく試合開始が叫ばれた。
こちらが攻撃の手を一瞬だけ迷う隙に、竜兵が目の前に迫っていた。
後退する。俺も勇者レベル16だ。肉体能力で引けをとる相手はそうはいないと思う。だが、さすがに怖い。
俺は盾を構えたまま、真っすぐに下がった。俺がいた場所を、竜兵の腕が行き過ぎる。
空気が悲鳴をあげたような音がした。
さらに竜兵は距離を詰める。
「ザン」
俺の、防御したままの姿勢から、斬撃が飛ぶ。突然、竜兵の肌が裂ける。だが、それだけだ。ミノタウロスの体に深い傷を刻んだ魔法が、ただ一筋、皮膚を傷つけただけで終わった。
竜兵の腕がかすめた。俺の肌が裂け、血が舞った。
俺は追撃を恐れてさらにさがった。だが、竜兵は立ち止まっていた。俺が「ザン」の魔法で傷つけた一筋の線に指を当てていた。
「……ほう。我に傷を負わせる者が、人間の中にいたか。ますます面白い」
「大怪我をしないうちに、降伏したらどうだ?」
「がはははぁぁっっっっ! 我は死んでも、負けは認めない。それが、ドラゴンの血を引く者の定めよ」
「戦闘狂め」
「褒め言葉だと受け取っておこう」
逃げていても駄目だ。勝負するしかない。俺は、静かにスキルを発動させる。まだ、竜兵は元気だ。だが、竜兵が疲れてくるとは思えない。俺の体がついていけなくなるほうが早いに違いない。
出し惜しみは命取りだ。俺はスキル、コンシンとブキイリョクバイを発動させた。
「今度はこちらから行く」
「おう。来てみろ」
俺は鋼鉄の剣を構え、闘技場の地面を蹴った。
自分の力が上がっているのがわかる。瞬く間に距離を詰め、体の加速と体重をそのまま剣に載せる。
竜兵は、想像通り逃げなかった。
俺の振り下ろした剣を拳で受ける。
剣が食い込む感触がはっきりと伝わる。
剣がめり込み、血が噴き出る。だが、そこまでだ。拳で止められた。竜兵が拳を突き上げる。俺は剣で防いだ。
体が浮いた。
跳ね上げられ、地面に落ちる。
スキル、ガマンを発動させる。竜兵が距離を詰めていた。俺が身構えると、消えた。
視界にいない。ならば、上か後ろだ。俺はとっさに前に出た。
俺がいた場所に、竜兵の足がつき降ろされる。地響きがあがる。
振り向きざま、剣を振る。
竜兵の足を薙いだ。ふくらはぎすら、硬い。俺は剣を引き、突き刺した。
だが、竜兵もじっとはしていない。足を上げ、振り下す。俺の鋼鉄の剣を踏みつける。
「ビリ」
「ぬっ?」
竜兵が警戒して下がった。放電で青白い光が走り、竜兵の足を焦がした。だが、その反応が、俺にあることを思い出させる。
「ボヤ」
「くっ……」
相手の防御力に関係なく、ただ対象を燃やすのが、もっとも早い段階で習得した「ボヤ」だ。直接燃やすので、表面がどれだけ硬くても、火や熱に強くても関係ない。関係があるのは、ただ耐久力と生命力だ。この世界にきて同時に手に入れたこの魔法で、俺は敵うはずのない強敵バッキラを倒すに至った。
「ボヤ」
「このっ!」
効果的だが、威力は弱い。俺のボヤに関わらず、竜兵は突進してきた。
拳を振り上げ、打ちおろす。
すでに木の盾は、最初に火であぶられたせいもあり、粉砕されていた。俺は腕で受けた。ガマンがまだ利いていると思う。堪えることはできた。
だが、骨が折れる音がした。
吹き飛ばされ、地面に転がる。
「オウキュウテアテ」
俺は多少でも傷を癒し、咄嗟に距離をとった。視界にさえ収めて入れば、ボヤは届くのだ。接近する理由がない。
「ボヤ」「ボヤ」「ボヤ」……。
オオカミなら三回で死んだボヤも、竜兵にはまるで効いていないように見える。
俺は逃げながら魔法を放ったが、たちまち追いつかれた。
「カウンター」
竜兵が拳を突き出す寸前、俺はスキルを使用した。
拳をもらいながら、懐に入り込み、鋼鉄の剣を突き立てる。竜兵は、硬い鱗の上から胴当てを着ている。剣が刺さるイメージはない。だが、スキルの力か、カウンターの名称通りに相手の力をも利用したからか、鋼鉄の剣が竜兵の体に突き刺さる。
血が吹き出た。
胸が割れた。
剣が折れた。
俺は、折れた剣を持ったまま、飛び退った。これで終わりではないだろう。だが、傷は負わせた。
アイテムボックスから鉄の剣を取り出し、竜兵の反応を待った。
竜兵は、俺に向かってゆっくりと振り向いた。
「我の皮膚を破り、痛みを与え、剣を突き刺す。いずれも、人間たちには成し得なかったことだ。かつて……我は、ただ騙された。腹が減っていたから、うまいものがあるという甘言にのり、人間たちを信じた。その結果、罠に落ちて身動きがとれなくなった。牢に閉じ込められた。いつでも逃げることはできたが、あのような間抜けな自分を戒めるために、この場で人間たちを相手に退屈していようと決めた。これほど楽しめたのは初めてだ。では、そろそろ本気を出すことにしよう」
はったりだ。俺は、そう思いたかった。ただでさえ、全てにおいて上回られているのだ。これ以上の本気など、ないと信じたい。
竜兵が地面を蹴った。そう思った瞬間、俺は跳ね飛ばされていた。高速道路でトラックに跳ね飛ばされたらこんな感じだろうか。何が起きたのか、全くわからない。俺はただ宙を飛び、地面に落ちた。
空が暗くなる。上に竜兵がいる。
「ビリ」
魔法を使いながら、地面を転がる。
肩を踏まれた。肩の骨が砕けたのがわかった。足をつかんだ。
「ザン」「ザン」「ザン」
「うっとうしい」
足首から血を吹き出しながら、竜兵は俺を蹴り上げた。
地面に落ちる。全身が痛む。
怪我をしただけではない。筋肉が悲鳴をあげているのは、スキルに体が追いついていないのだ。
「メディカ」
体が癒される。全ての傷が同時に塞がるが、完治はしない。
「がはははっ! さすがは噂の妖術師。しぶといわ」
「なぜ……それを知っている。ずっと……地下牢じゃなかったのか?」
まともに、俺は言葉も発せない。
「兵士たちが教えてくれたのだ。妖術師だから、なるべく惨たらしく殺せとな」
「……そうか」
もはや、強がる気力もなかった。
MPがあるだけ使い切り、それでも勝機が見えなければ、俺は死ぬ。
仕方がない。俺は、ここまでだ。
「行くぞ」
「ボヤ」
さらに連続で使う。さすがに、もうMPの底が見えてきた。竜兵は揺るがない。俺は再び跳ね飛ばされた。
地面に転がる。
「カロン!」
その言葉が、俺の名前だと理解するまでに時間がかかった。それほどまでに、俺は意識がもうろうとしていた。
竜兵が追い打ちをかける。そう思って身構えた。だが、追撃は来なかった。
俺の前に、小さな背中があった。
「……ドディア?」
「カロン、死なない」
「ああ……我に向かって吠えていたのは、こっちの娘か」
竜兵に立ち向かおうとしてたドディアは、明らかに震えていた。




