52 今度は無理だ。相手が悪すぎる。
俺が闘技場の地下室で、久しぶりにゆったりとした時間が経過するのを楽しんでいると、突然壁の向こう側から呼びかけられたのだ。
『どうした? 驚いているようだな』
俺は、ただ黙っていた。一声も発していない。どうして、壁の向こう側から 驚いたと思ったのか。
ドディアが騒いだからである。
「グルルルルルルルッ!」
森の中でオオカミに遭遇した時を思い出した。この世界に来たばかりの頃である。あの頃は、俺はオオカミにとって餌同然だったので、威嚇されたりはしていない。オオカミから見れば、威嚇する必要もない相手だったのだろう。結果的には、俺が勝ったが。
俺は、あえてドディアを止めなかった。
『そういきり立つな。もっと冷静な奴かと思っていたが、どうやら野獣のような奴らしい。巨大な獣か? それならそれで、面白い』
牢の中にいるのかドディアだけだと思い込んでいる時点で、壁を透視できるとか、やたらと五感が鋭い、ということはなさそうだ。
「面白い? 何がだ?」
俺はドディアを手招き、抱き寄せながら、声が聞こえてくる壁に背を預けて尋ねた。ドディアはまだ唸っている。今までは何の反応もしなかったのに、急にどうしたのだろう。
『ほう。やはり、普通にも話せるな』
神経に障る声だ。ドディアは、その声が聞こえる度に過敏に反応する。確かに不快な声だが、我慢できないことはない。ドディアに聞こえて、俺が聞こえていない声があるのかもしれない。ドディアは獣人だ。音の可聴範囲が人間とは違うのかもしれない。
「あんたは、もう少しおとなしい声は出せないか? その声は、頭が痛くなる」
嘘は言っていない。ただ、俺ではなくドディアが、だが。
『はっ。やはり獣族か。我輩は獣族の天敵だからな。我輩の声を聞いて、頭が痛くなるのは防衛本能よ。我輩のせいではない。恨むなら、そのような体質になった先祖を恨むのだな』
「……あんた、いつからそこにいる?」
どうやら人間ではないらしい。声からして納得だし、こんな場所に閉じ込められていることからも、まともな人間だとは思えなかったので、いまさら驚きはない。
天敵というぐらいだから、自然界で使う普通の意味なのだろう。宿敵ではなく天敵、つまりドディアの種族では絶対に勝てない捕食者ということだ。そんな奴が、たぶん魔物が、牢に入れられて、俺に話しかけている。俺は、純粋に興味を持った。
『昔だ。時間は数えていない。もう、随分出ていない』
「こんな場所では、訓練もできないだろう。体が鈍らないか?」
『その言い振りからすると、獣の純然たる魔物ではなく、獣人か?』
「まあ、そんなところだ。どうしてそう思う?」
『魔物であれば、訓練などしなくとも、体が鈍るということはない。人間に近い種族では、体をうごかさなければ、力が落ちるらしいとは聞く』
「……そうか。なら、あんたは魔物なのか?」
『分類すれば、そうなるだろう』
「どうして、こんな場所にいる?」
『随分、知りたがるな。我輩の声は、頭が痛いのだろう』
俺は、ドディアの顔を覗き込んだ。壁に向かってうなり続けている。歯を食いしばっている。このままでは、歯を傷めてしまう。
「そうだな。あんた、ずっとここにいるなら、まだ話しをする機会はあるだろう。今日は、一眠りさせてくれ」
『そうまでして我輩と話したがる奴も珍しい。長い間退屈していたところだ。いつでも、声をかけるがいい』
「ああ。そうさせてもらう」
俺は話しを辞め、ドディアをなだめるのにしばらく時間を費やした。
魔物は、ごろごろ生活していても、筋力が低下しないらしい。うらやましいことを聞いたが、逆に鍛えたからといって、筋力が上がっていくこともないらしい。強くなりたい俺にとっては、微妙なところだ。
俺はずっとドディアと一緒だったのに、隣の房に二人いることに気づかなかったのだから、耳がいい魔物ではないのだろう。
ドディアが常に片言で、特に話しをしなくても、俺にべったりくっついていれば満足しているということを除いても、一人ではないことぐらいは察してもおかしくない。そのことからもわかる通り、俺はまだドディアを抱いていない。抵抗があるわけではないが、ドディアが満足そうなので、無理に関係を保とうとは思わない。ドディアは獣人族らしいので、人間とは違って年間の発情期が決まっているのかもしれないが、本人に聞いてもわからなさそうなので、黙って弾力に富んだ体を抱きしめるだけで満足しておく。
ドディアが寝ている間、ドディアを部屋の反対側の壁際に寄せて、俺は時々金属をこするような声をした魔物と話しをした。少し話すとドディアが起きてしまうので、話せる時間は短かったが、牢の中で他に何もすることがないのだ。
壁の向こう側の話は、俺にとって貴重な情報源でもあり、暇つぶしでもあった。
その結果、詳しくはわからなくとも、俺の隣の牢にいる魔物が、かなりの実力者で、仲間を守る為に戦いに挑み、結果として捕まったのだとわかった。
実に勇敢で、胸が熱くなる話だったが、魔物と人間側で、人間側が敵になって語られているのだと思うと、どう反応したものか悩ましかった。
この世界には数多くの人間の国があるらしい。闘技場の従業員であるエルフが言ったように、魔王と呼ばれる存在が暗躍しているのは本当らしい。
人間の力を警戒してあまり表立っては姿を見せないが、十分に力をつけるか、人間を破滅させる算段がついた段階で、表に現れるだろうと語った。
俺は、どうせ信じないと思って、異世界から来た人間で、勇者をしていると言うと、意外にも真剣に聞いてくれた。
どうして捕まったのかと問われたので、魔法を使ったら妖術師だと思われたのだというと、魔物は大層おもしろがった。
『人間というのは面白いな。自分が信じるものと矛盾するものは、全て否定しようとする』
「魔物は違うのか? そんなことはないだろ? ある程度知恵があれば、そう変わりはしない」
『そうかもな。だが、人間ほど愚かでも脆弱でもない』
「俺は、この世界の人間をよくは知らない」
『ヴァハハハ。本当に異世界人か? そんなことがあるのか?』
「ほらっ、お前だって信じない」
『……むう。一本取られたようだな』
その時、ドディアが起き上がってきたので、俺も黙った。
俺は、やることがなかった時に、久しぶりにステータスを確認してみた。ずっとごろごろしているので、ステータスが低下しているのではないかと心配したが、そんなことはなかった。だが、ステータス通りに体が動いてくれるかどうかはわからない。肉体の限界を超えた力の反動が恐ろしい。そのために、牢の中でも筋力トレーニングは行い、ドディアがとても不思議そうに見つめていた。
さらに、使用できるスキルと魔法を確認する。
ほとんどが普段から使用しているものばかりで、珍しいものはない。種類もそれほどは多くないのだ。
だが、これまで気にしてこなかった、補助魔法を習得していたのには驚いた。
俺は、ゲームの時は攻撃を優先して、絡め手はあまり使わない。対人戦でないかぎり、通用するまで強くして、十分に強くなってからボス戦に挑み、力技でねじ伏せる、というプレイスタイルだ。対人ゲームでないかぎり、それが普通だと思う。
補助魔法という項目があるのは知っていたが、実際に使用したことは、これまでほとんどなかった。習得していることすら忘れていた。
せっかくなので、というか、暇なので確認しておく。まず、「フラッシュ」がある。何度も使用しているが、「フラッシュ」が補助魔法だということを忘れていた。
俺は心の中で魔法に対して謝罪しながら、他を見る。
「トウシ」と「ヒツジ」という魔法がある。「トウシ」は投資ではあるまい。透視だ。俺は、いままで使用しなかったことを後悔した。この力があれば、かなり色々なことができる。さすが、バーチャル想定のゲームだ。
俺は、さっそく、ドキドキしながら、俺の上で眠っているドディアにトウシを使用してみた。
ドディアの服が、薄く見えた。ついでに、服を着ていない部分は皮膚の内側が見えた。筋肉や血管がそのまま見えたのだ。
俺は、そのまま隣の壁を見る。扉が開いているので、実際に見に行こうと思えば行けるのだが、俺だけ歩けるのはルール違反なような気がして、いままで見に行ったことはなかった。
だが、壁をトウシできれば、どんな奴と俺は会話をしていたのか、見ることができるのではないか。そう思い、壁を見つめた。
壁の、内側が見えた。
レンガの壁の内側は、やはりレンガである。
俺は気がついた。この魔法は、対象を透明にして見せてくれるのではないのだ。ただ、見た物質の内側を見せてくれるのだ。
道具が壊れたら分解せずにどこが悪いのかを調べることができるし、怪我をしたら、体内の破損箇所を見分けることもできるだろう。
期待したのとは違ったが、色んな場面で役に立ちそうだ。問題は、物質の中身を見られても、俺自身にそれを有効に生かす術がないことか。
もう一つの「ヒツジ」を使ってみる。
何も起きない。どこからか生きたヒツジが出てきて、ジンギスカン料理になってくれる魔法、ではないらしい。俺はドディアをゆり起こした。
「カロン?」
「ヒツジ」
ドディアの前に、ヒツジが舞う。ドディアは睡魔にいざなわれて、こてりと俺の上に頭を落とした。
どうやら、相手を眠らせる魔法らしい。わかりにくい名前だが、相手を眠らせる、というのは魔法の定番だ。いま確認しておいて、よかったかもしれない。
一体何日が経過したのか、俺にもわからなかった。
食事を届けには毎日来てくれる。味はまずいが、量は少なくない。闘技場に出るのに、ひょろひょろでは格好が悪い、ということだろうか。
俺の牢の前で騎士が死んでいたことについては、どうなったのか、特に音沙汰もなかった。
ある日、兵士たちが俺の檻の前に立った。初めてだった。飯を持たずに兵士が訪れるのは。
「これから、お前には殺し合いをしてもらう」
「いよいよか」
「ああ。場所は闘技場だ。お前が勝てる見込みは、今度こそない」
「それは、やってみなければ分からないさ」
俺はうそぶいた。兵士に向かってドディアが唸る。
「だが、今度は無理だ。相手が悪すぎる。俺たちも、あれを出すのは反対したが、王命だ。できるだけ苦しんで死んでくれ」
兵士の目が、俺の隣の牢に向かった。その視線の動きは一瞬だったが、それが何を意味しているのか、俺にはすぐにわかった。
どうやら、俺は姿も知らない隣人と殺し合わなければならないらしい。
剣闘士になったときから、承知していたことだ。
「なら、俺の死に様、よく目を開けてみておけよ」
俺は立ち上がる。ドディアを連れてだった。
兵士が扉をあけようとしたが、俺はすでに開いていることを知っている。俺が内側から開けると、兵士は驚いて下がった。あわてて、逃げるように出て行った。
どうやら、俺のことは化け物だとでも思われているようだ。俺は、ドディアを連れて牢を出た。出口は二つある。どちらも、闘技場につながっている。
俺は、あえて隣人の前を通らないルートを選んだ。殺し合うのが避けられないならば、互いに知らないままでいるほうがいい。俺はそう思い、ドディアとともに闘技場に向かった。
闘技場編、最後の戦いが始まります。




