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それほどチートではなかった勇者の異世界転生譚  作者: 西玉
獣人の娘と深き闇

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44 ドディア、あんたの大事なものは、失われちまった

 ダンジョンの地下30階には、階段と扉しかなかった。

 俺が代表して扉を開け、松明を掲げて踏み込むと、丁寧に並べられた椅子の列と、際奥の演台のような台、その向こうの大きな椅子が目に入った。


 まるで、結婚式場と、それを見守る玉座のようだ。

 大きな椅子は空だった。

 それどころか、一切魔物がいない。


「メル、ミノタウロスは何匹いたんだ?」


 答えは予測できたが、念のため尋ねておく。


「1匹だよ。そっちの椅子に座っていた」


 なるほど、やはり、玉座ということだろうか。

 俺は、丁寧に並んだ椅子の間を進んだ。左右の二列に並び、真ん中が空いていたからだ。

 どう見ても、結婚式場だ。

 警戒はしながら進んだが、どうやらこの部屋には魔物がいないようだと感じる。


 部屋のあちこちに骨が落ち、血糊が付着していた。このダンジョンの使いっ走りであるアナグマモドキが集めてきた獲物のなれの果てだろう。随分年月が経っているらしく、いずれも干からびていた。

 奥まで進む。


「空振り、か。どうする? 下に行くのか?」


 俺が振り返ると、すぐ後ろにはいつもの通りドディアとコボルトがいた。その頭越しに、エスメルを見る。少しばかり年はいっているが、整った顔をした美人は、苦虫を噛み潰したような顔をした。ここにミノタウロスがいることを期待していのだろう。


「仕方ない。儲けがスケルトンだけじゃ、つまらないしね。こんなとこまで潜ってきたんだ。もっと奥まで行こうじゃないか」

「なら、少し休ませてくれ。MP……魔力が底をついている」


「へぇ。あんたにも、限界があるんだね」

「そりゃそうだ」


 俺が認めると、メルがなぜか嬉しそうだった。

 ドディアとコボルトは、安全だと思って油断しているのか、二人で奥に進んだ。興味深そうに演台の周りを漁っている。

 最初はコボルトはドディアを嫌っていたが、最近では戦いの腕を認めたのか、あるいは人間の匂いになれたのか、一緒に行動することが多くなった。


 コボルトのことをドディアは弟だと思っている。つまり、コボルトの個体の見分けができていないのだ。それでも、ドディアが気に入っているのならと、仲間たちも問題にしていない。

 俺は椅子の1つに腰掛けて、ドディアたちを眺めていた。

 ガーゴイルの相手を俺がしていたときは、二人ともすることがなかったのでつまらなかったのかもしれない。他のメンバーは楽ができると喜んでいたが、この二人は感覚が違うようだ。


「ドディアも少し休みなよ」


 ずっと動き回っているドディアに、エスメルが声をかける。


「わかった」


 ドディアは、休む時の指定席は俺の上だ。どうしたわけか、これだけは変わらない。

 ドディアが俺の上に座り、コボルトも休憩を取ろうとした。たまたま、演台の近くにいた。

 だから、その近くの椅子に腰掛けた。

 その時だ。変化が起きた。


 椅子に腰掛けたコボルトが突然の遠吠えを始めた。

 まるで、意識を奪われたかのように白目を剥き、体を震わせた。


「メルビス、あれは?」

「呪いだ」


 エスメルが尋ねたのは、神聖魔法の使い手である僧侶だった。即座に言うと、俺に向かって叫んだ。


「ドディアを行かせるんじゃない!」


 仲良しのコボルトの異変に、ドディアが俺の膝を蹴って飛び出そうとしたのだ。

 さすがに素晴らしい脚力だったが、俺の前から飛び出す前に、俺はドディアの体を捕まえた。


「離せ!」


 俺の腕に、ドディアが噛み付く。このダンジョンに入って、もっとも痛いと感じた瞬間だった。


「ドディア、やめな。呪いに巻き込まれる」

「助ける」

「ダメだ。危険だ。カロン、絶対にその手を離すんじゃないよ」


 エスメルの言葉は強く、ドディアの口は血で染まった。ドディアの口を濡らしている血は、当然俺の腕から吹き出ている。

 ドディアの犬歯は牙と呼べるほど長く、顎は普通の人間より強い。


 だが、俺は離さなかった。この世界の呪いというものを、俺は知らない。僧侶であるメルビスが断言するなら、近づいては危険なのだろう。

 王の椅子の上で、コボルトは震え続けた。がたがたと体を震わせ、ほぼ人間と同じ形態をしていた上半身が剛毛に覆われる。

 体がさらに肥大し、2本だった腕が、4本に増える。

 俺は、あれを知っている。


「……バッキラ」


 俺が森で会い、オオカミの群れを引き連れていた魔物だ。あの時、ボヤを連発し、紙一重のところで勝利できた。この世界に来て、もっとも厳しい戦いのだったかもしれない。

 だが、あの頃より、今の方がずっと俺は強い。負けるはずがない。そうは思っても、俺の体は震えた。強敵だ。その思いが、俺の体を動かなくした。


 だからだろう。俺は、力を抜いてしまった。

 気づかなかった。

 俺が失態に気づいたのは、駆け出すドディアの尻を見た時だった。

 組み伏せていたはずのドディアの尻を見ている。ドディアは、床を蹴ってコボルトだったものに向かった。

 コボルトに行きつく前に、ドディアの体が弾かれる。


 玉座に座る新しい主人を守るかのように、鋼鉄の鎧が椅子の周りを取り囲んでいた。

 弾き飛ばされたドディアが、脇腹から出血しているのを俺は見て取った。

 叫び、突進する。

 俺はさすがに、それ以上ただ見ているわけにはいかないと思った。

 床を蹴り、飛びかかるドディアを空中で抱きしめしめる。


 俺の背中が、硬いものにぶつかった。

 鎧の1つだろう。

 中身が何かはわかない。

 だが、俺を踏みつぶそうと足を上げた。

 俺は、ドディアを抱いたまま、大きく下がった。


「ごくろう、よくやった」


 俺の前に、エスメルが立ちふさがる。その先に、目と鼻の距離に、鋼鉄の鎧がいる。


「エスメル、下がれ。危ない」

「心配ない。どうやら、あれは玉座に座る主人の護衛のようだ。近づかなければ、攻撃はして来ないはずだ」


 俺の腕の中で、まだドディアはあばれている。

 その先で、鎧たちは動かない。玉座の周囲、元の位置に戻った。玉座に腰掛けるコボルトだった魔物は、ただ光る目で俺たちを睨んでいた。


「おいっ! コボルトっ! 俺がわからないのか!」


 バッキラは動かず、口も動かさない。俺は、バッキラとは話さなかった。話ができない魔物なのか、その余裕がなかったのかは、今となってはわからない。

 エスメルが振り返り、ぬけ出ようとするドディアの頭に手を置いた。


「ドディア、あんたの大事なものは、失われちまった。取り戻したいかもいれないけど、今あんたは、もっと大事なものがあるんじゃないのかい? あんたを傷つけないために、あんたに噛み付かれて、傷だらけにされても、まだ離さない。そんな男が、あんたのおかげで血まみれだ」


 エスメルがドディアの頭をごりごりとしごく。ドディアの目が、床に落ちた。コボルトから目を離した。もう大丈夫かとも思ったが、油断はできない。

 俺は、ドディアを持ち上げて結婚式場のような玉座の間を退出した。






 大きな扉を閉め、その扉に背を預けて、俺は床に座った。ドディアから手を離すが、ドディアは暴れなかった。

 俺の首もとに顔を埋め、首に腕を回して、抱きしめた。ドディアの腕はかなりの筋力だったが、勇者レベル15の俺は、だき潰されることなく耐えた。

 ドディアが、声を殺さずに泣いた。俺の服がドディアの涙で濡れる。


「メル、あの鎧は、なんだい?」

「わからない。私たちが以前きたときには、あんなものはいなかった。突然出てきたようだし、あれも呪いなんじゃないかな」

「俺が以前見たバッキラより、だいぶ小さかった。玉座の主人になったばかりの魔物の護衛か、世話をするために出現して、魔物が十分に育ったら消えるんじゃないかな」


 俺が言うと、メルビスが魔法をとなえる。俺の腕に空いた傷口を塞いでくれた。


「それはあり得るだろう。では、やはりこのダンジョンは、誰かが管理しているってことかねぇ」


 メルビスに治療を任せたのは、どうせ次も戦うのは俺なので、自分のMP回復を優先させたのだ。


「まだダンジョンの中にいるなら、おそらく人間じゃないね。人間の魔力でできることじゃない。でも……このダンジョンは古い。仕掛けだけ作って、製作した奴は中にはいないってことも考えられるよ」


 エスメルはしばらく考え込んだ。ウロウロと動き回る。


「……バッキラか……確かに強い魔物だけど、ミノタウロスほどじゃないし、まだ小さい。ミノタウロスほどの値はつかないし、闘技場に出しても三試合ぐらいで潰されるだろう。ミノタウロスほど、人気が出るとはおもえないしね……そもそも、捕まえてもドディアがいたら、売ることができない。カロン、魔力はどれぐらいで回復する?」

「俺の方は……全快までは三時間欲しい」


 1分でMPは1回復するようだ。現在のMP量からして、全快まで3時間は必要だ。


「……どうしてそんな具体的な数字が出るかは置いておくとしよう。普通は、何日かかかるものだがら……カロンの魔法はもう使えないかと思ったけど……」


 エスメルが視線を送った先は、メルだった。魔法使いだ。メルは、唇を尖らせいた。メルは、魔力を使い切ると数日は回復しないのだろう。前衛と一緒に行動することが前提で、あくまで補助なのだと考えるなら、それが当たり前の仕様だと言える。


「ごめん」

「カロンが謝ることはない。それに、メルの魔力が少ないわけじゃないことも、よく知っている。まあ、金輪際一緒のパーティーにはなりたくないが……カロンと一緒だってことは、カロンが満足する狩場に行くって意味だからね……今回稼がせてくれる奴を、邪険にはしない」


 まだ、稼げるかどうかはわからない。だが、エスメルは稼ぐ気満々だ。つまり、結論が出たのだ。


「下に行くんだね」


 僧侶のメルビスが、嫌そうに舌を出した。


「ああ。こうなったら、行けるところまで行ってやろうじゃないか。カロンも、それが望みだろう?」

「ああ」

「そういえば、カロンの目的を聞いていなかったね。ドディアの目的はわかった。どうして、カロンはダンジョンにこだわるんだい?」


「強くなって、闘技場で活躍して、自由になりたい」

「ははっ! それだけの強さがあって、街の中で自由に生活したいってのがわからないね」

「助けたい人がいるんだ」

「……女、だね」


 質問ではない。エスメルは真っ直ぐに俺を見た。俺は、頷くことしかできなかった。

 エスメルは肩をすくめる。


「わかったよ。ドディアには、あんたのことは諦めさせる……仕方ないよ。どこまででも強くなって、助けに行きたいって、よっぽどの事情があるんだろう……カロンなら、これ以上強くなりようなんかないと思うけど、本人が納得していないなら、好きにするがいい。そこまで強く思っているなら、ドディアに諦めさせるしかない」

「できるのかい? あんな調子のこの子、初めて見たよ」


 メルビスが、俺に抱きついて、泣きながら眠ってしまったドディアを指差した。


「奥の手があるさ」


 エスメルがメルを見ると、魔法使いは姉と同じように肩をすくめた。たぶん、心変わりをさせる魔法的なものがあるのだ。






 それから3時間、俺たちは扉の外で休憩をとった。中からコボルトだったバッキラの物音も聞こえず、突如出現した鋼鉄の鎧の足音も聞こえない。

 侵入者が中に入ってこなければ動かないのか、あるいは少しでも記憶が残っていて、俺たちのことを見逃そうとしているのかもしれない。


 俺が知る限り、コボルトはゴブリンと並んで最弱の魔物の一画だ。それが、玉座に座って護衛がつき、体もたくましくなっていかにも魔王っぽくなったのだ。俺たちと一緒に地上に戻りたいと言い出すとは思えなかった。

 ゴブリンも連れて来て玉座に座らせれば、きっと恐ろしい鬼になるのだろう。


「ちょうど、ドディアも起きた。行こうか」


 俺は、自分のMPが満タンになったのを確認して口を開いた。俺に抱きついて眠っていたドディアが、顔を上げたのと同時だった。


「そうかい。中の奴が大人しくしてくれていてよかったよ」


 うたた寝をしていたエスメルが伸びをする。階段を見張っていたメルも立ち上がった。

 俺は、ドディアを抱いたまま立ち上がる。ドディアは扉を見つめていた。


「ダメだ」


 俺がドディアの視界を妨げるように立ちはだかる。ドディアは俺の手をとった。噛みつかれるかもしれないと緊張したが、先ほど噛み付き、今はメルビスの魔法で塞がった傷のある俺の肌に口を寄せ、舌を出して舐め上げた。


「ごめん、なさい」


 ドディアの小さな声に、エスメルの顔がほころんだのがわかる。

 俺はドディアの頭を撫でてから、階段に向かった。もちろん、下へ。


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