36 長く潜る。強く、なる
懐かしく感じた原因がわかった。
力を実践形式で試されるのは、剣奴となったばかりのころ、オークのブウとやって以来なのだ。
思い出して、胸が悪くなった。
俺が思い出して胸焼けを起こしていると、ドディアがすでに動いていた。
尖った白い槍先をつけた槍と、腕に丸い木の盾をつけている。動物の皮を着ている以外には、腕と足にも、動物の皮を舐めした防具をつけていた。どうして動物の革とわかるのかといえば、まだ毛皮状態だったからだ。
ドディアは素晴らしい脚力で、一飛びで俺の頭上に達した。
穂先が俺の顔をかすめる。だが、俺も勇者レベル9だ。ドディアの動きは、空中から落ちてくるときでさえ、ゆっくりにしか見えない。穂先をかいくぐり、銅剣を握った拳を、腹を狙って突き上げる。
空中で、体勢が変えられるはずもないのに、俺の拳を盾で防いだ。器用な女だ。
空中で回転しながら、ドディアは地面に降りる。今度は体勢を低く構え、地面を滑るように近づいてきた。
槍を構え、下から突き上げる。
俺は伸び上がってくる槍を銅剣で抑え、足で踏みつけた。
ちょうど、足もとにドディアの顔がある。
とっさに蹴り上げようとして、躊躇した。女の顔を蹴るのに、罪悪感があったのだ。
だが、俺はすぐに自分の甘さを呪うことになる。俺が蹴るのを躊躇したことを知ってか知らずか、目の前にあった俺の足に、ドディアは思い切り噛みついたのだ。
たまらず、俺は倒れて転がった。
もう片方の足で蹴りつける。ドディアは離さない。
足元で、何かが折れる感触がした。
足を見ると、ドディアが鼻から大量の血を流して、俺の足にも噛み付いている。鼻血を流しているようにも見えるが、俺の足からも大量に血が流れている。どちらの血かわからない。
「待った! 勝負は終わりだ。あんたら、ダンジョンに行きたいんじゃなかったのかい。こんなところで、大怪我してどうするつもりだ!」
エスメルの当然の叫びに、俺は我に帰った。
だが、ドディアは我には帰らなかったのだ。俺の足から口を放したと思った次の瞬間、飛び上がって襲いかかってきたのだ。
俺は拳で迎え撃った。
「やめろって言っただろ!」
「こいつを止めてくれ!」
「無茶言うな! 巻き込まれるだろうが!」
勇ましい割に、エスメルは荒事が嫌いなのだろうか。冒険者でバードなので、ある程度は戦えないと困るとは思うが。
「自分でなんとかしなよ」
魔法使いのメルが、冷たく突き放してきた。たぶん、メルならなんとかできるのだ。そういう口調だった。確かに魔法使いなら、ドディアを大人しくさせる魔法も知っていそうだ。だが、俺は、冷たくされてまですがるほど、心が折れてはいなかった。
魔法を使おうかとも思ったが、また妖術師だと言われるのも嫌だったので、ドディアを組み伏せ、殴りつけた。
以前の世界でも、小柄な女を押さえつけることぐらいはできただろう。だが、たぶん殴れはしなかった。平気で女を殴れるようになったのは、これまでの剣奴としての辛い生活があったからだ。俺はこれほどまでに仕打ちをうけているのに、人を殴ってはいけない理由なんて存在するはずがない。無意識のうちに、そういう思いが募っていたのだろう。
気がつくと、ドディアは顔中を血だらけにして、地面に伸びていた。
俺は、その隣で腰を下ろす。
「やれやれ、酷い顔だね。ただでさえ、この子がいると力を使い続けなんだ。あんまり、無駄な喧嘩はしないでもらいたいね」
僧侶のシルビスが、ドディアの隣に座って、魔法を詠唱し始めた。やはり、その言葉だけは理解できない。魔法を発動させるための音の集合なのだろう。言葉としては、意味を成さないのだ。
「まっ、よくやったよ。あんたがあの時、蹴るのをやめてくれなければ、ドディアは死んでいたかもしれない。随分、冷静だったね」
シーフのムーレが、ドディアに噛まれた俺の足を見て、顔を歪めた。
言われて気がついた。俺の足には、まだ鉄球がついたままだ。ダンジョンについたら外してくれることになっているが、それまでは規則上も外してはいけないらしい。奴隷が逃亡することを考えたら、当然の措置ともいえる。
「ああ……いや、冷静だったわけじゃない。鉄球のことは忘れていた。ただ、女の子の顔を蹴るのは、いけないことのような気がしただけだ」
「……女の子? はっ、面白いことを言うね。ドディアが起きたら、直接言ってやりなよ。顔を真っ赤にして怒るよ、きっと」
エスメルが腹を抱えて笑った。メルもムーレも笑っている。どうやら、仲間内では、ドディアを女の子と呼ぶのはお笑い種のようだ。
「遠慮しておくよ。足におもいっきり噛み付かれた段階で、そんな気持ちもなくなった」
「そりゃそうだ。随分、傷が深いね。さすがは獣人族か……シルビス、こっちの治療も頼めるかい? このままじゃ、ダンジョンに連れて言っても、役に立たないよ」
「今すぐ、かい? ちょっと待っておくれよ。神力がもたないよ」
「神力ってなんだい?」
初めて聞く言葉だ。僧侶のシルビスは、丸い腹を突き出した。自慢げ、ということだろう。
「僧侶、神官、クレリックが使う治癒魔術は、別名神聖魔術っていってね、選ばれた、特別な人間しかつかえないのさ。魔法とは違う。魔法を使う時に必要な魔力とは別ってことで、神力って呼ぶんだよ」
「同じものだけどね」
魔法使いのメルが、唇を尖らせて横を向いたまま言った。今回の突き出た唇の原因は俺ではない。魔法使いを見下したシルビスにある。
「そうか……治癒魔法って、大変なんだな。これぐらいはいいよ。自分でやる。オウキュウテアテ」
俺は、スキルを使用して傷を直した。オウキュウテアテはMP消費がなく、HPを5だけ回復させるスキルだ。本当に瀕死で、MPも尽きた場合の最後の手段だ。僧侶になった時に習得していた。
俺の使用する魔法は、この世界の常識とは違う。だから、人前で使うと、妖術師と呼ばれて恐れられる。
魔法は使っていない。無意識に、スキルならいいだろうと思っていたのだろう。俺は、とくに警戒もせずにオウキュウテアテを使用していた。
「……なるほど。妖術師の疑いをかけられて、死刑囚になったっていうのも、わかるね」
俺が自分の傷を癒したのを見た直後に、エスメルが言った。ただでさえ鋭い目が、さらに険しくなっている。白い顔が、複雑に歪んでいた。
「あっ……今の……普通はできないのか?」
「ああ。できないね。ゴブリンと話をするのも、できることじゃない。街の中でやれば、間違いなく妖術師だと疑われる。妖術師ってのはね、魔物の一種なんだよ。人間は、魔物から身を守るために、様々な武器を作り出した。それでも、魔物は強い。人間は追い詰められた。追い詰められて、どうにもできなくなった挙句に、ようやく発明されたのが、現在の魔法だ。神聖魔法も同じことだ。とにかく、魔法言語で魔力を変質させ、様々な現象を引き起こす。それができるのも、一部の選ばれた人間だけだ。魔物達が使う不思議な力に対抗するには、少し足りなかった。威力も弱いし、詠唱に時間もかかる。でも、前衛が引きつけ、後衛として魔法を使用することで、はるかに格上の魔物にも対抗することができると証明された。それだけ苦労して、ようやく手に入れた魔法の力を、あざ笑うかのように、強い魔物達は妖術を連発する。人間の姿をしていても、本来とは違う魔法の使い方をすれば、憎まれるのは当然さ。魔物の中に、人間の姿をした奴がいないとは限らない。あんたが、魔物の仲間じゃないと、だれが保証できる?」
「……そうだな」
「ねぇ、あんた、どうしてそんなことができるの?」
シーフのムーレが、丸い顔で俺を覗き込んだ。
「どうして、と言われても、俺にもわからない。森でオオカミに襲われて、死にかけた。必死で抵抗しているうちに、覚えたんだ」
俺は嘘をついたが、魔法を覚えるきっかけについては嘘ではない。カロン少年が死にかけ、俺が入り込んだのがきっかけなのだ。つまり、そこからこの世界とは違う魔法を覚えたのだと言っても、嘘ではないのだ。
「魔物、じゃないんだよね?」
「ああ。でも……証明はできない。さっき、エスメルが言っただろう」
「そいつ、魔物じゃない」
突然、鼻の治療を終えたドディアが起き上がった。気絶していたと思ったが、目はしっかりと開いていた。
「そうなの?」
メルが尋ねると、ドディアがしっかりとした声で言った。
「匂い、違う。男。臭い」
なんだか失礼なことを言われた気がしたが、ドディアは俺が弁解する間も無く、気絶するように背後に倒れた。
俺が覗き込むまでもなく、エスメルがまぶたを押し上げる。
「眠った。さっきも、本当に起きていたのか疑わしいね。でも……ドディアがそう言うなら、人間なんだろ。妖術を使う、不思議な人間……ひょっとして、えらい拾い物かもしれないよ」
「でも……そいつは剣闘士だよ。私たちの仲間にはできない」
メルは相変わらず俺を見ようとはしない。ずっと、横を向いたまま話している。
「でも、こうして外にも出たがる。カロン、といったか。奴隷の名前は覚えなくてもいいことになっているけど、覚えておくよ。今回の働き次第では、また雇ってやる。私たちは、できるだけ強くなりたいんだ。どうして、あんたがダンジョンに潜りたいか知らないが、役に立つなら、妖術師でもなんでも関係ない」
「強くなりたいのなら、目的は俺と一緒だ。よろしく頼む……の前に、役に立つところを見せないとならないな。頑張るよ」
女達から差し出された手を、俺は掴み取った。
こうして俺は、本来の力を出して一緒に戦える仲間を得た。
前回来たのと同じダンジョンなのは間違いない。話を聞けば、ダンジョンというのはそう多くはないらしい。
潜れば潜るほど強い魔物が出て、捕まえれば高く売れるが、怪我どころが死ぬ場合も多く、冒険者たちでも魔物の捕獲を専門にする者は多くないそうだ。ただし、ゴブリンや大土蜘蛛など、需要がいくらでもある闘技場のやられ役を専門に狩る冒険者は少なくない。ドギーもその内の一人だという。
もっとも、ドギーが捕まえたゴブリンは、ほとんど俺が捕まえさせてやった連中だ。
前回は7日ほどでダンジョンの入口にたどり着いたが、今回は借りた馬車を近くの村に預けて来たため、余計に3日ほどかかった。
ダンジョンから歩いて3日の距離に街がある、というと危険に感じるかもしれないが、街道沿いの宿場街である。城壁のようなものもない。俺たちが歩いて1日に30キロほど移動すると考えれば、100キロ近くも離れていることになる。脅威に感じるほどではないのだろう。
王都からダンジョンまで10日かけて移動した。闘技会から闘技会のあいだは30日間だが、俺は次回の闘技会は出場しない旨を興行主のゴラッソに告げてある。戻るのに10日かかることを計算し、闘技会の組み合わせが決まる開催日の5日前には戻っている必要があることを考えると、ダンジョンには35日ほどしか潜れない。
俺が心配してエスメルに尋ねると、ダンジョンの中に住み着くつもりかと驚かれた。
普通は、ダンジョンの中を隅々まで調べるようなことはせず、目的の魔物が出現するところにまっすぐに向かって、捕獲してまっすぐに帰ってくる。道中で戦闘を行うにしても、一回の探索で、5日から長くて10日ぐらいしか潜らないらしい。ちなみに、ダンジョン内に罠と呼べるものはほとんどないらしい。魔物は思考が単純で、罠を仕掛けて人間を殺すより、直接噛み付くことを選ぶため、罠のことは心配しなくてもいいと言われる。
だが、逆に問題がある。
俺は、強くなるためになるべく長く、ダンジョンに潜りたかった。それを告げると、エスメルは苦い顔をした。
俺がダンジョンに潜りたがっていることは、雇われる前から知っていた。それを知って、雇ったのだ。それでも、まさかずっと潜り続けたいと言い出すとは思わなかったらしい。
「私は、賛成。長く潜る。強く、なる」
ドディアだった。エスメルも、ドディアは俺と同じ目的で、つまり魔物の捕獲ではなく強くなるためにダンジョンに潜りたがっていると言っていた。
ちなみに、ドディアとは初対面の一戦以来、むしろ仲良くなっていた。
俺が何をするということはないが、ドディアがずっと俺のそばにいるようになったのだ。口数は少なく、言葉も片言だが、俺のことを気に入ったらしい。男そのものが嫌いらしかった初対面の時とは、随分変わったものだ。
「……仕方ないね。深く潜れば潜るだけ、強い魔物に遭遇するんだから……あんたたちが気がすむまで、つきあうよ。でも……これ以上は危ないと思ったら、私の判断で引き上げるよ」
「ありがとう。助かる」
「エスメル、いい奴」
俺とドディアが口々にいうと、エスメルを含む四人が、とても嫌そうにした。どうやら、強くなるためにダンジョンに挑み続けるというのは、一般的な方法ではないらしい。




