34 ゴブリン使いに、恩赦は必要ない
俺は、家畜が囲われている小屋に向かった。まだ剣闘士達が戦っており、時間があったからだ。
エルフの従業員も背後にいる。俺を1人にしないつもりらしい。よほど信用がないのだ。
俺が家畜を見に来たのは、俺と一緒に戦ったゴブリンたちを見舞うためだ。
ゴブリンは通常魔物と分類されるが、亜人としても扱われることがある。ある程度の理性を示したゴブリンは亜人である。この街では、亜人は奴隷もしくは家畜としてしか存在を許されない。俺に従って戦ったゴブリン達は、もはや魔物ではなく家畜なのだ。
自由民に引き取られれば奴隷になれるが、あえてゴブリンを引き取る自由民がほとんどいないため、ゴブリンには奴隷の道すら遠いのだ。
「リン」
ゴブリン達はまとめて檻にいれられていた。俺が姿を見せ、声をかけると、ゴブリン達で動けるものは、檻の中から平伏した。
声をかけるまではぼうっと座っていたので、やはり人間を見た目だけで判断できるほど、見分けがついてはいないらしい。
「リンはどこだ?」
俺と同棲をしていたゴブリンのリンは、雌であるが、同時に戦士である。ゴブリン王だと信じている俺が戦いに赴き、同族たちが一緒に戦うというのに、ただ待っているということができる雌ではない。ゴブリンはすべてが戦士なのだ。
俺が呼びかけても、誰も動かない。リン、というのが誰なのか、わからないのだろう。
「エルフさん、このゴブリンは、俺と闘技場で戦ったゴブリンか?」
「確かにこの闘技場で働いているエルフは私だけなので、エルフと呼んでいただいても問題なく伝わります。ですが、エルフは種族名ですので、できれば名前でお呼びください。カロンさんも、いちいち人間さんと呼ばれるのは嫌でしょう」
「……ごめん、名前を聞いていなかった」
「出会ってから一月はたちますが……まあ、いいでしょう。名乗っていなかったかもしれません。ロマリーニとお呼びください」
「ロマリーニさん、このゴブリンは……」
「最後まで言わなくても、質問の内容は覚えています。間違いありません。カロンさんに率いらせるためだけに、ゴブリン狩りが行われましたからね。現在、闘技場にいるゴブリンは、これで全部です」
「……俺と一緒に生活していたゴブリンは?」
「私に、ゴブリンを見分けろとおっしゃるのですか? カロンさんこそ、そのゴブリンとは情を通じたのでしょう。常軌を逸した行為だとは思いますが、そのことの是非を問う気はありません。ただ、カロンさんが見分けられなければ、誰にもできないでしょう。目印などはありませんか?」
「目印なんかない。戦いに出て、目立てば真っ先に狙われると思って、あえて特徴がないようにしていたんだ」
「それでは、わかりませんね」
ロマリーニと名乗ったエルフは、檻の奥に対して侮蔑の視線をなげかけていた。
エルフから見れば、特別なゴブリンなどいないのだ。俺は、ゴブリンたちにもう一度呼びかけた。
「リン! いるなら答えてくれ。リン!」
「先ほどの戦いでのゴブリンの死者は10人です。カロンさんが冒険者に雇われて外に出ている間も、あのゴブリンは楽しそうでしたよ。何を言っているのかわかりませんでしたが、あれほどのんびりと生活しているゴブリンを見たのは初めてです。あれは十分に生きたでしょう。カロンさんが、ゴブリンしか愛せない体なのでなければ、戦いの中で死んだことを、祝福してあげたほうがよろしいでしょう。ゴブリンにとって最悪の死は、生きたまま動物の餌にされることなのですから」
「……ああ」
俺は、崩れ落ちていた。ゴブリンたちに、特別な愛着を感じ始めていた。その直後に、俺がもっとも親しく触れ合った、1匹が死んだ。死んだとは限らないかもしれないが、ここにいないのであれば、死んだと考えるしかないだろう。ゴブリンの見分けは、俺にもできない。誰かが探すことは不可能だ。
「そろそろ、全試合が終わる頃です。剣闘士たちに王が会いたがるかもしれません。カロンさん、控え室に行かれるほうがいいでしょう」
「……わかった」
俺は目を拭った。こみ上げた涙を拭き、今まで世話になったゴブリンに、深く頭を下げた。
俺は、再び闘技場に呼び出された。王が謁見を許した剣闘士の中に、俺も入っていたらしい。
俺が呼び出されて姿を見せると、観客からはブーイングが上がった。
俺の他にも、数人の剣闘士がいた。勝ち残り、動ける状態の剣闘士は全員が呼び出されたのかもしれない。
王が、貴賓席から警備を従えてゆっくりと降りてくる。
俺は、王の姿にトランプのキングを思い出した。顔つきといい、老いた様子といい、頭の王冠といい、いかにも、王様という出で立ちだったのだ。
剣闘士たちが一斉に膝をつく。俺も、少し遅れたがすぐに真似をした。遅れたのは仕方がない。初めてのことで、作法を知らなかったのだ。
王は俺たちの前をゆっくりと歩き、付き随うものに話しかけた。
剣闘士の名前が呼ばれ、ある者は自由を与えられた。自由民となる宣言がされると、観客から祝福の声が上がった。ある剣闘士には、もともと自由民だったのか、褒賞が与えられた。
俺には、恩赦がくるだろう。
期待して待った。
王が、俺の前に立った。
王が、従者に囁いた。
従者が、俺の名前を呼んだ。俺は顔を上げる。これまでの剣闘士も、名前を呼ばれれば、顔をあげた。
だから、おかしなことはしていない。だが、俺が顔をあげた途端、王が動いた。 これまで、穏やかに剣闘士たちを見ていた王が、顔を強張らせて、従者の腕を掴んだ。
驚いて振り向いた従者に向かい、王が囁く。従者は頷くと、俺の名を再び呼んだ後、言った。
「ゴブリン使いに、恩赦は必要ない」
俺が最後だった。従者は背を向けた。すでに、王は貴賓席に向かって歩き出していた。
俺の恩赦は見送られた。
理由はわからない。俺は、ゴブリンを使うから、処刑を免れてこの場にいる。同じ理由で、恩赦が与えられず、およそ半年後に処刑される。つまり、一時的に大衆の娯楽のために、少しだけ生かされたということだ。
剣闘士たちが喜びあっている。俺は、その場からしばらく、動けずにいた。
国王の前に引き出された剣闘士たちのなかで、唯一なにも得ることがなかった俺は、ただ観客の罵声を浴びて闘技場の中に戻り、自室に戻った。
ビジネスホテルのシングルルーム並みの広さしかないが、個室を得られるというのは実に快適で、同棲していた小さな愛人をも失ったいま、あまりにも、広大だった。
俺がなんとなく落ち込んで寝台の上で天井を見上げていると、扉が開かれた。ノックしてから入って来た。奴隷の俺の部屋にそんなことをするのは、一人しかいない。
「残念でしたね」
エルフのロマリーニだ。闘技場で働く唯一のエルフ族である。
「あんたにとっては、どうでもいいことではないのか?」
俺は体を起こしたが、やはり気分がささくれ立つような苛立ちは感じていた。試合には勝った。その結果、初めて人間を殺した。友達を回復させたことを、エルフに責められた。俺に従い、体を捧げた俺の愛人を失っていた。いつ失ったのか、さっぱり気づかなかった。それぐらい、簡単に失った。
やはり、ゴブリン王などと名乗るべきではなかったのだと、俺は後悔した。俺は、自分が愛したゴブリンの見分けもできないのだから。
「どうでもいいこと、ではありませんよ。私はたぶん、カロンさんを探していたのです。だから、このまま死罪になられては困ります」
「……俺を探していた? どういうことだ?」
俺は、カロンという少年の体に入った、別の存在だ。この世界の存在ですらない。エルフは、俺が死罪になっては困ると言った。俺が殺されるのを見届けるために待っていたのではないだろう。
何かを知っているのだろうか。俺は、エルフの言葉を待った。
「カロンさん自身を、ということではなく、カロンさんのような力を持った人を、という意味ですけどね。医療所で、カロンさんは尋ねたでしょう。どうして、私がカロンさんに付きまとうのか。それをお話しするという約束でしたからね。それをお話ししようと思います。現在、エルフ族は世界各地に散らばっています。様々な国に出入りし、エルフ族の優れた能力で、多くの役職を得ています。特に、人間の国にね。なにしろ、単一種族としての人間の根の張り方は、羨ましいほどですからね」
「多くの役職って、闘技場の従業員がか?」
「そうですね。この国では、闘技場、冒険者組合、王宮騎士団の3つに接近しています。私の受け持ちは、もちろん闘技場です。私たちは、力のある存在を探していたのです。私の故郷を救い、平和をもたらすことのできる力を持った存在をね」
「……故郷? エルフのかい?」
「はい。この国ではありません。国境をいくつも越え、山と谷をなんども渡った先にある、神聖な大地です。あらゆる清らかなものは、その大地から生まれたと言われる神聖な大地が、魔王の配下によって侵略されてしまいました。神聖な大地を管理していたエルフの王は、必死に抵抗を試みましたが、魔王の配下の力は強く、エルフたちは人間に助力を請いました。ですが、人間たちにとって、神聖な大地はただの綺麗な土地にしか見えなかったようです。協力は得られず、ただ自らの防備を固めるばかり。なんとか、エルフ族は奴隷にしないことと、エルフが見出した者を、本人の承諾を得て、対魔王として連れ出すことだけは賛同を得られました。だから、私はカロンさんに近づいたのです。あなたは多分、私たちが期待を寄せるだけの力と、可能性を持っていると思ったのです」
俺は、エルフの話を聞きながら、自分が意味もなく口を開けていたのに気づいた。突然の話に、戸惑って頭がついてこなかった。
「対魔王?」
「正確には、エルフ族の土地を汚しているのはその配下ですが、配下を倒せば、当然魔王の反感を買いますね」
「俺が?」
「ゴブリン王を名乗り、実際にゴブリンを従えた人間など、他にいません。不思議な回復魔法だけでなく、私が見るたびに、驚くほど強くなっていく。恐ろしいほどです」
「ただの奴隷だ」
「その上、死刑囚です。ですが、私が求めているのは、個人としての強さです。身分も経歴も必要ありません。むしろ、高い身分などはないほうが好ましいぐらいです」
「……それなら、ダメだな。俺は確かに奴隷だが、奴隷になってまで街に入ったのは、幼馴染の女の子を探すためだ。この街からは、離れられない」
「……ほう。その女性は、どのような方です? 探すのに、力を貸せると思いますよ」
俺は、アイテムボックスからファニーの肖像画を取り出した。カロン少年が、山の中でオオカミに殺される前に、自分の部屋の壁に書いたものだ。アイテムボックスから取り出す、ということ自体、かなり特殊だと思うが、エルフは細い目をさらに細めただけで、なにも言わなかった。
「奴隷だ。俺より二年早く、奴隷として買われた。王都にいると思う。だから、俺は自由になって、この子を探しにいく。途中で金を貯めて、この子を買い取るつもりだ」
それが、カロン少年の望みだと信じているからだ。カロン少年から体をゆずられた(本人の承諾は得ていないが)以上、最低でもその程度はしなければならないと感じていた。
「……王都にいるという保証は?」
「王都以外では、奴隷の取引は規制されているはずだ。その子の名前はファニー、ちゃんとした巡回で買い取られたから、王都にいるのは間違いない」
「取引が王都に限定されているだけで、別の街に連れていくのは自由ですよ」
「……なにっ?」
考えていなかった。ならば、ファニーがどこにいるのか、王国中を捜しまわらなければならないということになる。
「まあ、どの道、まずはカロンさんが死刑囚から自由民になるという、とても高いハードルがあるわけですが」
「そうだな」
「そのハードルをカロンさんがクリアする間に、私が探しましょう。エルフは、強い人間を探すために、冒険者組合と王宮騎士団に渡りをつけています。一人で探すより、ずっと多くの情報が集まってきます。その子を見つけて、買い取って、どうする予定ですか?」
「……いや、そんな先のことまでは考えていないけど……」
「カロンさんなら、恩のあるエルフ族を助けたいと思うでしょうね」
恩に着せる、ということか。
「あまり、本人の目の前で言うこととは思えないけどね」
俺は、つい笑っていた。この世界に来て、強くなれそうだとは感じていた。現に、普通の人間が達することができない程度には、すでに強いのだ。
強くなったその先の目標、というのも、考えるべきなのだろう。
「俺が助ければ、ファニーはきっと俺に惚れる。ファニーが俺に、エルフを手伝えって言えば、そうなるだろうな」
「なら、できるだけ早く見つけ出して、根回しをしなければいけませんね。ああ、ご心配なく。エルフが人間の女性に、性的な興奮をおぼえることはほとんどありません。人間が、特殊なのですよ」
「……わかった」
エルフのロマリーニが俺に向かって手を伸ばしていた。俺は、その手を取り、硬く握った。




