22 必ず死ぬ奴はいる。だが、全員は死なない。
ドギーは約束を果たし、俺は結局、2時間かけて僧侶レベル5に上がった。メディの上位魔法であるメディカという魔法を習得した。HPを100回復させるが、MPの消費が10と大きい。僧侶レベル5のMPが16しかないので、一度使えばしばらく休憩しなければならない。戦闘中に使うとすれば、よほどの緊急時だろう。
だが、僧侶レベル5になった俺は、僧侶の力を堪能することなく、すぐに勇者に転職した。勇者レベル5である。HPもMPも80ある。勇者が優遇されすぎなのではないかとすら思う。
いずれにしろ、間に合った。
俺は闘技会当日の朝を、多少はゆとりを持って迎えることができた。
剣奴による前座の試合は5試合と決まっているらしいが、剣闘士による試合は内容によって増減するらしい。
今回は、俺とゴブリン対ミノタウロスというカードが盛り上がりすぎてしまい、他の試合を組むのを避けたらしい。人気者になったものだ。そんなに、俺が殺されるのを見たいものなのだろうか。
試合の前に、装備を整えさせられる。前回は、普段着ているボロでそのまま闘技場に放り出されたことから考えると、格段の違いである。なにしろ、アイテムとして『ボロ』と表示されるほどのものなのだ。かつて、俺は服ではなく『布切れ』と表示されるものを着ていたが、それよりひどかったのだ。
やはり、俺は剣闘士になったのだ。最低5試合を経験しなければ剣闘士にはならないと言われていたので、随分早く感じる。
俺は、動物の革で作られた丈夫そうな鎧を着せられた。感慨深く撫でてみる。ヘルムはない。戦っているのが誰か、わかる必要があるようだ。殺されるのが俺だと、はっきりわからなければいないらしい。
剣も、訓練で使うのは木剣で、前回の試合では銅剣を渡された。鍛造されたものではなく、鋳型で抜いたなまくらである。
今回は、鉄の剣だ。俺の腕ぐらいの長さがある。というと、短いかもしれない。ロングソードではないし、長剣と呼ぶには長さが足りない。だが、使いやすそうで、俺は気に入った。ただ、材質が鉄なのは間違いないが、これも鋳型で抜いた剣のようだ。
鍛造という技術がないのか、剣闘士でも、高価な武器は使わせないのかは、わからない。
それになんと、左腕に盾を装着してくれた。盾があれば、相手の攻撃をふせげるかもしれない。これでは、俺が生き残ってしまうのではないかと、俺は支度を手伝ってくれた兵士に聞いてみた。闘技場には、剣奴以外の奴隷は立ち入れないので、俺の手伝いは奴隷ではない兵士がしてくれた。自由民というらしい。俺に教えてくれたところでは、簡単に死なれるより、できるだけ時間をかけて、苦しんで死んでくれたほうが盛り上がるのだということである。
聞くんじゃなかったと思ったが、後の祭りである。
準備が整うと、一緒に戦うゴブリンたちと鉄格子一枚隔てて面会する。
ただ面会させてくれた、というわけではない。出番を待つのは、殺し合いをする闘技場と扉一枚を隔てた暗い部屋だ。試合前に速やかに観客の罵声を浴びるために、すぐに出られる場所に移動させられたところ、同じ試合に出るゴブリンたちと面会したというだけである。俺がゴブリンたちを扇動して逃げることを警戒しているのか、鉄格子で区切られていた。
ゴブリンたちは厳密には奴隷ではない。それ以下の扱いである。闘技場で死ぬか、人間にはやらせない重労働に着かせるのが普通で、気に入らなければ殺したところで、だれも気にしない。
奴隷は思うのだ。ゴブリンよりはましだと。
なんとなく俺はゴブリンの味方をしたくなった。何しろ、鉄格子一枚を隔てて俺を王と仰ぎ、ひれ伏しているのだ。だが、俺は人間だ。幼馴染のファニーを探すという目的もある。俺がゴブリン王であり続けることはできない。
その時は、ゴブリンたちを裏切ることになるかもしれないので、金持ちになったら買い取って自由にしてやろうと誓う。もっとも、現在俺の隣にいるゴブリンたちがその時まで生きている可能性は、俺がこの試合に勝てる確率と同じくらい低い。
目の前の扉が開き、目が太陽の光に焼かれる。
俺は、2度目となる、闘技場の土を踏んだ。
俺が先頭で現れると、歓声と罵声が半々ぐらいで聞こえた。若干、歓声が多いだろうか。
続いてゴブリンたちが姿を見せ、一斉に罵声に変化した。
俺は、先ほどの誓いを破った。この瞬間、自分がゴブリンでなくて良かったと思ってしまったのだ。
俺の想いなど知らず、ゴブリンたちは俺を囲むように場所を陣取り、訓練したように5人ずつで固まる。これが、数を数えられずに実行しているので、なかなか不思議なものである。
対戦相手はまだ出てこなかった。
俺は、鉄の剣を握りしめた。汗ですべる。俺は、手に汗をかいていた。緊張しているのだ。
闘技場を揺るがすような大声が響く。俺の紹介を始めた。歓声が湧く。俺は、こんな時にどうするのか、理解していなかった。だから、高いところから俺を見下ろしている観客に向かい、できるだけ優雅に見えるように気を使いながら、礼をした。どういうわけか、闘技場が笑いに包まれた。何か間違ったのだろうか。
次に、ゴブリンの紹介かと思えば、ゴブリンはただ存在のみが伝えられ、ついで俺の対戦相手であるミノタウロスについての実況に移った。
ミノタウロスはまだ登場していない。それなのに、過去の試合の実績や、闘技場に連れてこられるまでの、身の毛もよだつような残虐に行為が説明される。少し、脚色が強すぎるのではないかと思う。
人間の男を殺し、女を犯し、子供を食らったなんてことが、実際にあったとは思えない。そんな化け物は早く殺さなければいけない。
俺がでてきたのとは、反対側にある扉が開いた。
それがでてくると、歓声も罵声もなく、ただ悲鳴が上がった。
同感だ。俺も悲鳴をあげたかった。
扉が開き、陽の光の中にゆっくりと現れたのは、巨大な人型だった。ただし。頭部のみが違う。首から上が、牛そのものだ。
身長は二メートルを優に越えており、手にしているのは戦斧と呼ばれる凶悪な破壊力を持つ武器だ。
背が高いだけではない。盛り上がった筋肉は、醜怪さをまとうほどたくましく、人間が鍛えてもここまでの筋肉にはならないのではないかと思える。
全身に日光が当たるまで進み出ると、立ち止まり、牛の頭をした巨大な人影は、ぐるぐると目玉を動かしていた。牛の視野は広い。首を動かさなくても、闘技場の全体が見渡せるのかもしれない。
『剣闘士、ゴブリン王カロンと対峙するのはミノタウロス。幾多の剣闘士をその巨大な斧で屠り、血をすすり肉を食らってきた化け物は、果たして今日もゴブリンの王を食らうのか。それとも、ゴブリンの王は人ではないところを見せるのか。いざ、勝負が始まります』
どこから実況しているのかわからないが、拡声器を使っているわけでもないのに対した声量で、俺が死ぬのを祈ってくれる。たぶん、俺が死ぬ方にかけているのだろう。
俺が周囲を見ると、ゴブリンたちはがたがたと震えていた。これまでの訓練では、一度も見たことがない反応だ。
ゴブリンに弱者はいないはずだ。これまでの会話で、俺はそう確信していた。ゴブリンという種族そのものが弱者だという見解は置いておき、ゴブリンは生きるために戦い続けることを強いられる。体が弱ければ、生き残れない。体が弱まれば、死ぬ。
男でも女でも関係ない。生まれた以上、生きるために戦い続ける。それを当然のこととして受け入れてきたから、とにかく沢山子供を産み、数を増やすことこそが正義だと信じて疑わなかったのがゴブリンたちだ。
だから、死ぬ覚悟ができていないゴブリンなんかいないし、死ぬことを恐れない。そのはずのゴブリンが、ミノタウロスを前に、怯えている。
死ぬのが怖くなったのだろうか。訓練して勝てると思っていたのが、幻想だと思い知らされ、怖くなったのだろうか。
俺は、ゴブリンたちに知恵をつけてしまったかもしれない。ゴブリンにとっては、それは必ずしも幸福なことではなかったのだろう。
だが、ここで見捨てることはできない。俺も死ぬことになるし、まだ勝てないとは決まっていない。
「落ち着け。訓練通りに」
「はい」
ばらばらと返事があがる。まだミノタウロスは闘技場を目玉だけで眺め渡している。俺は言葉を続けた。
「必ず死ぬ奴はいる。だが、全員は死なない。最後まで立っている奴が誰かはわからない。少なくとも、あいつではない」
「おおっ」
ゴブリンたちが唱和した。だが、まだ足がすくんでいる。
俺は剣を掲げた。
観衆の悲鳴が、声援に変わる。さすがに、この状況で俺に罵声を浴びせる人非人はいなかった。あるいは、少ないだけかもしないが。
ミノタウロスが叫ぶ。身の毛もよだつ咆哮だ。俺も足が震えた。
バッキラと戦った時も、これほど恐ろしくはなかった。思えば、あの時はまだ、この世界が現実だという実感が、本当にはなかったのかもしれない。
この世界で経験を積み、俺はこの世界の人間になったのだろう。
だから、怖いのだ。
勝てるはずがない相手に見える。事実、その通りなのだろう。俺を取り巻いている大勢の観衆もそう思っているのだろう。
だが、俺は勇者だ。昨日、僧侶から勇者に戻った。現在勇者レベル5だ。それに、仲間もいる。1人ではない。
剣の切っ先をミノタウロスに向ける。
「俺に続け!」
俺は叫んで飛び出した。
背後から、ゴブリンたちの雄叫びが聞こえる。ゴブリンたちを突っ込ませるのが常道だろうとは思っていた。俺が真っ先に倒されれば、ゴブリンたちでは時間稼ぎにしかならないはずだ。だが、俺は先頭を切った。
俺でなければならないのだ。
怯えて足をすくませるゴブリンたちに、普段の力を出させて、ミノタウロスに立ち向かう力を与えるには、ゴブリン王と仰がれる俺が立ち向かわなくてはならないのだ。
正面で、ミノタウロスが戦斧を振り上げた。
俺よりもはるかに立派で、戦いに長けていただろう多くの剣闘士を屠ってきた斧が、俺に向かって振り下ろされる。
俺はとっさにスキルを発動させて斧を受けようとした。だが、頭の中には、頭を割られて地面に転がる俺自身の姿しか思い浮かばない。
俺は避けた。
地面に転がり、かわした。
俺がいたはずの地面に、ミノタウロスの斧が突き刺さる。
観客が湧いた。
一撃で死ななかったことを歓喜している。
だが、俺が勝つとは誰も思っていないだろう。俺が簡単に死なず、無様に嬲り殺されるのが見たいのだ。
俺は、それほどお人好しではない。
地面に転がった次の瞬間には立ち上がっていた。
ミノタウロスの正面に、ゴブリンの一団が突っ込もうとする。
ミノタウロスはすでに戦斧を持ち上げていた。
俺に、腹を見せていた。
俺は突進した。
剣を振り下ろした。ミノタウロスの体には届かない。狙い通りだ。
俺は、剣を振り下ろし、空振りしながら、魔法を発動させた。
オオカミを従えた魔物バッキラを倒し、レベルアップして習得しながらも、一度も使用する機会がなかった魔法だ。
「ザン」
剣の軌道に合わせ、触れていないはずのミノタウロスの体が裂けた。
次回、本格的にミノタウロス戦です。




