23 ミノタウロスに突っ込むな
ミノタウロスの防具は、手足と胴体、急所を守っているが、全身を隙間なく埋めるものではない。そんなものを装備されたら、さすがに誰も倒せない。
俺の魔法『ザン』により、むき出しの太腿に、幅3センチばかりの裂傷が走った。血が吹き出る寸前、避けた筋肉の繊維が見えた。深さも同程度ありそうだ。あまりにも綺麗な傷は、刃物によるものではなく、魔法によってつけられたことを印象付けた。
当たりどころが悪ければ、一撃で致命傷になりかねない。その意味で、これまで使い慣れてきた『ボヤ』よりも殺傷力が高いといえる。MPも、一回の使用で5も消費する。これまで使用した魔法では最大だ。
俺の『ザン』からわずかに遅れて、ミノタウロスの太腿から鮮血が迸った。
近くにいた俺と、数人のゴブリンに頭から血がかかる。
観客の声援が爆発したかのようだ。
だが、俺は意外なほど冷静だった。ミノタウロスでも血は赤いのだと、妙なことに関心しながらも、俺は一気に後退した。
手傷を負ったミノタウロスの動きが読めなかったからだ。傷に怯むような、可愛げがある化け物だとは思えなかった。
だが、俺とは別の判断をした一隊がいた。血まみれのミノタウロスに5人のゴブリンが一丸となって襲いかかった。
「やめろ! 下がれ!」
間に合わない。ゴブリンたちのうち、2人は俺の声を聞いて止まったが、残りの3人は、踏みとどまることもできず、一瞬でミノタウロスの戦斧に薙ぎ倒された。
1人のゴブリンが頭を飛ばされ、2人がひどい傷を負いながら吹き飛ばされる。2人のうちの1人が、俺の足元に転がった。
ゴブリンの血が舞い、観客は再び熱狂した。どちらを応援しているのか、もはやわからない。
ミノタウロスが吠えた。俺も吠えたくなったが、足元に転がるゴブリンに目を向けた。
顔の半分が砕かれ、辛うじて生きているに過ぎない状況だ。いつ死んでもおかしくない。反対側に吹き飛んだ1人も、同じことだろう。
俺は、傷ついて肉がむき出しになった顔に手を当てた。傷に触れるのが怖いとか、気持ち悪いといった感情は、この世界ですっかり摩耗してしまったようだ。
「オウキュウテアテ」
MPを使用しない、僧侶のスキルである。転職すると、能力値は転職後の能力値になってしまうが、スキルと魔法は引き継ぐらしい。『オウキュウテアテ』は、MPを使用せずにHPを5だけ回復させる優れたスキルだ。死者に使用しても効果がないことと、一度使用すると再使用に5分ほどかかるのが欠点だ。
実際には、死者に使用できなくて、5しか回復しないという段階で、かなり使えないスキルだ。僧侶の初期スキルらしいので仕方がない。数字にすると小さな変化だが、『オウキュウテアテ』をしたゴブリンは明らかに安らかな表情になった。
「ゴブリン王……これは……」
「俺の力だ。生命力を少しだけ回復するし、連発はできない。お前はもういい。よくやった。離れて休んでいろ」
「まだ、やれます」
ゴブリンは全員が戦士だ。その言葉にいつわりはないのだろう。ゴブリンのことをよく知れば知るほど、俺は無駄に死なせたくはないと思った。
「命令だ。俺に任せろ。信じろ、俺はなんだ?」
「我らの、王でございます」
「なら、従え」
ゴブリンは起き上がり、深く頭をさげてミノタウロスから遠ざかろうと背を向けた。
ミノタウロスは咆哮を終え、次の犠牲者を探していた。
ゴブリンたちは、ミノタウロスの武器が届かない距離で警戒している。1人だけ、背を向けていた。俺が手当をしたゴブリンだ。
ミノタウロスが飛んだ。俺の、すぐ後ろにいるゴブリンを狙い、戦斧を振り上げた。
俺がいるすぐ側である。背を向けたのは、ゴブリンの責任だ。だが、下がるように命じたのは俺だ。傷を癒したのも俺だ。
自分のしたことを無駄にさせないために、俺はミノタウロスが突進する軌道上に移動した。
「コンシン」
スキルを発動させる。ミノタウロスは戦斧を振りかざしたまま、ゴブリンを狙っていた。俺がその前に入ったので、戦斧を振り上げた体勢のまま、俺と正面から激突した。
俺とミノタウロスの体がぶつかり、重い音が響く。
観客が静まり返った。ミノタウロスの突進を正面から受け止めた俺に、さすがに驚いているのだろう。
凄い力だった。スキルを発動していなかったら、弾き飛ばされていただろう。
俺の武器は短い。お互いに接近していれば、それは利点になる。
「ザン」
ミノタウロスの首元に、深い傷がパックリと空いた。結局武器は使わなかったわけだが、短い武器を持っていたから出来たのだと、観客に思わせるのが重要なのだ。
先ほどとは比べものにならない大量の血が吹き出た。ミノタウロスの体がゆらいだ。
俺はミノタウロスを弾き飛ばし、同時に反対方向に転がった。さすがに堪えられなかったのだ。
余りにも多くの血の量に、客席が酔ったような歓声を上げた。だみ声の悲鳴は、俺が死ぬほうに賭けていた奴だろう。いい気味だ。
まだ無傷の俺は、直ぐに起き上がった。さっきのザンが、致命傷であることを祈っていた。
だが、ほんの少し俺より遅れただけで、ミノタウロスは立ち上がっていた。止血するまでもなく、首筋の血も、太ももの血も止まっている。切り口が鮮やかすぎて、血管が収縮し、意外と出血が少ない、ということもあるかもしれない。
だが、俺にはそうは見えなかった。ミノタウロスが化け物だと、全身で主張しているように見えた。
さらに咆哮した。ミノタウロスの咆哮に恐れず、ゴブリンの一団が突進した。
隙を見つければ攻めろと、散々練習していた。ゴブリン達はなにも間違ってはいない。問題は、俺がミノタウロスの力を甘く見ていたことだ。
突出したゴブリン5人のうち、一撃で3人が転がった。俺は、今度は止めることをしなかった。その余裕がすでになくなっていた。
正直、ミノタウロスが恐ろしくなっていた。オオカミのボス、バッキラ戦を思い出す。あの時も、魔法を使いきる寸前、最後の一撃で倒したのだ。
この世界のゲームバランスは、実に巧妙、であって欲しい。
「ミノタウロスに突っ込むな! 近くで威嚇だけするんだ」
「おうっ」
ゴブリン達の反応も、心もとなくなってきた。指示そのものが弱気になっているので、これは仕方がない。俺は三度、ミノタウロスとの距離を詰めた。
地面にゴブリン達が転がっている。
まだ生きているのかもしれない。だが、スキルはまだ使えない。MPは温存しなければならない。
ゴブリン達をなぎ払っていたミノタウロスが、俺の接近に気づいた瞬間、顔を動かさずに戦斧を横に薙いだ。
俺は忘れていた。ミノタウロスの、というより、牛の視界の広さを。
ミノタウロスの死角に飛び込んだと思った。だが、ミノタウロスにははっきりと見えていたのだ。顔も動かさず、ゴブリン達に向き合ったままで、俺の体に戦斧を叩きつけてきた。
俺の胴体を守る革鎧はやすやすと裂けた。幸いにも寸前で踏みとどまった。俺の鎧を切り裂き、俺の腹の肉を数センチ抉っただけで、戦斧は通り過ぎた。
俺の血が地面に撒き散らされる。観客が湧いた。さすがに、腹が立つ。
「ガマン」
傷を一瞬で直しては、やはり怪しまれる。俺はスキルを発動させ、ガマンした。まさにガマンだ。痛みを堪え、さらに距離を詰めた。剣を逆手に持ち替え、俺に対して斧を振ったために体勢が低くなった、その肩に飛びついた。
逆手の剣を振り上げる。
「ザン」
ミノタウロスの肩が裂ける。俺は、その傷口に剣を突き立てた。
唾を巻き散らし、ミノタウロスが咆哮する。さすがにこれは堪えたようだ。斧を投げ出し、俺の背中を掴んで引き剥がそうとした。俺は目一杯の力で剣を握り、ミノタウロスの体にしがみついていた。
「今だ! 攻めろ!」
ゴブリン達に総攻撃を命じる。俺を引き剥がそうと躍起になっているミノタウロスに、ゴブリン達の持つ武器が突き刺さる。銅製の安物ではあるが、一応は金属でできた武器を所持していた。
ミノタウロスの全身を覆うほどの血が流れ、突き立てた剣ですら滑り、俺は空中に投げ出された。
地面に落ちる。
背中を打った。
スキル、ガマンがまだ効いているとは思えなかったが、俺はすぐに起き上がった。すでに全身が痛い。だが、寝転んでいる余裕があるとは思えなかったのだ。
案の定、血まみれのミノタウロスが、俺の目の前にいた。
もはや武器すら持っていない。巨大な手で、俺に掴みかかる。
俺は大きく背後に飛んだつもりだったが、実際にはほとんど動いていなかったようだ。体力の限界なのだろうか。HPにはまだ余裕があると思っていたが、体が動かなかった。
だが、俺にはミノタウロスの両手は届かなかった。
途中で止まっていたのだ。ミノタウロスの右手に5人、左手に5人、ゴブリン達が全身で抑えにかかっていた。
悔しそうなミノタウロスの咆哮を聴きながら、俺は剣を握り直した。
振り下ろす。
「ザン」
ミノタウロスの眉間が割れ、血が吹き上がる。
まだ、倒れない。
俺はさらに同じことを数回繰り返した。
俺を殺そうと、ミノタウロスは暴れ続け、ゴブリンを振り払う。
転がったゴブリンを踏みつけるミノタウロスに、スキルの待機時間が経過したことを確認した俺が、渾身の力で地面を蹴る。
「コンシン」
俺の体が地面を離れ、暴れるミノタウロスの頭上近くに達した。
「ステミ」
剣を振り下ろす。
「ザン」
2つのスキルと魔法が合わさった攻撃は、ミノタウロスの首から肩にかけて、深く傷を作った。
地面での着地に失敗し、俺は地面に崩れ落ちる。
まだ、安心はできない。
俺が身構えた時、ミノタウロスがゆっくりと振り向いた。
まだ終わらないのか。
俺がそう思った時、ずっとぐるぐると回転するように周囲を探っていた目玉が、この時は動いていないことに気づいた。
俺は、剣を握ったまま様子を伺う。ゴブリン達も動かなかった。
やがて、立ち尽くしていたミノタウロスの膝が折れ、不自然に、地面に崩れた。
大量の血が地面を染め上げ、ミノタウロスは最後まで目を見開いたまま、死んでいた。
俺が、血まみれの剣を振り上げる。
歓声と怒声が上がった。俺が生き残ったことに怒っている連中がいるのだろうか。いや、実際には多いだろう。俺が死ぬほうに賭けた人間のほうが、ずっと多いはずだ。
だが、それでも歓声が圧倒していた。人間が、ゴブリン達を率いているとはいえ、ミノタウロスを倒したのだ。どんな剣闘士でも勝てなかった化け物を倒したのだ。喜ばない人間はいないだろう。
俺は、歓声が収まるまで剣を掲げていた。
闘技場で試合前に声を張り上げていた男が、俺の勝利を宣言する。再び歓声が爆発し、俺は客席に向かって腰を折った。
地面に、大量のゴブリン達の死骸が転がっていた。だが、まだ生きている者達もいる。被害は、およそ半分だろう。俺も気がつかないうちに、死んでいたゴブリンも多かったのだ。
まだ、息があるゴブリンもいるかもしれない。俺なら、瀕死のゴブリンでも助けられるかもしれない。だが、試合が終わった後で、たぶん俺以外の人間が使用できないスキルを使うのは躊躇われた。俺は、まだ動けるゴブリン達に、生きている者を運ぶよう命じただけで、闘技場を後にした。
背後では、いつまでも歓声と拍手が俺の背を追いかけてきた。




