Part2 「星の屑」 その6
「……ああ、ごめんなさい。少し驚いたの。よくここ、わかったね」
「あんたがいるとしたら、あんな傾いた灯台じゃない。最初に出会った袋小路はモンスターに破壊されて、もうなくなっている。だったら、もう、ここしかない」
「なるほど。あなたもなかなか、勘がいいみたいだね」
そこもまた、廃墟同然だった。
かつてこの場で暴れ回ったプレイヤー達の姿形の名残さえなく、刻まれてきた栄光の歴史も瓦礫に埋れた。
原型を辛うじて残しているのは、ただ。
鳥居のような正面ゲートと。
その奥の闘技場のメインステージのみだ。
そしてその中央には。
赤い翼を頭に広げた、よく見慣れた女性アバター。
――かつて、水前寺絢音だったもの。
「いくつか、確認させてくれないかな?」
「ああ。いいよ」
「ありがとう。じゃあ、ねぇ」
アバターは人差し指で唇をなぞった。絢音が考える時のクセだ。
ただの模倣――ではない。大貴の直感が告げていた。
かつて水前寺絢音だったあれは、今もまだ絢音なのだ。それと同時に、別の属性も持ち合わせている。
混じり合っている。溶け合っているとは思わない。分離が不可能とは思わない。これは直感であり願望だ。
同居している。ふたりの属性が互いに成立している。
大貴は直感を信じた。彼女のあり様を断定した。
「……そう。じゃあね。たしか、あなた、このイベントを終わらせに来たのよね」
「ああ。そうだ」
――そうでもある。
「じゃあ、私がボスじゃないってわかった上で、どうしてここに?」
「このゲームを狂わせているのはあんただ。なら、あんたを抑えられればイベントは終わる」
「どうしてそうするの? 彼との約束を守って?」
ジンのことを知っている。
彼女と離れた後のことだろうに。それだけジン――運営側の動きを彼女はマークしていたということか。
「私なら、あなたをここで幸せにしてあげられる。前にも言ったとおりに。
この世界で友達を作って、探検をして、見つけたものでなにか大きなものを作らない? 私が歌って、あなたがステージを彩るの。きっと毎日が楽しくなるわ。痛いことも、苦しいことも、なくしてあげる」
「……今度はあいつの記憶でも読んだのか?」
「違うわ。――あなたのよ」
彼女はまたクスリと笑った。指先のひとつが頬を指している。
「プレイヤーの記憶データの殆どのバックアップは取れているわ。そのために色んなゲームのセキュリティを壊して記憶領域を奪ってくるのが面倒だったけれど、ちゃんとプレイヤー分くらい確保できてる。
あなたの記憶だって、ちゃんと全部データ化できてる」
「……なにを言ってる?」
「仮に今、現実のあなたの身体が蒸発したとしても、その瞬間、バックアップに切り替わる。あなたはこの世界で永遠に生き続けられるの」
なんだか、急に話がぶっ飛んできた――。
記憶のデータ化。バックアップ。死んでもここで生き続けられる。
現実感がない。想像ができない。だが不思議と――彼女は真に迫っている。
「私なら、あなたに永遠をあげられる。永遠に、あなたを幸せにできる。どう? それでも――?」
「悪いけれど、おまえの言っていることがよくわからない。永遠とか、幸せとか、イメージができないよ。
でも、あんたが本当のことをいっているのはわかる。よくわからないけれど、あんたができると言うなら、その永遠の幸せはここにあるんだ。きっと、俺はあんたの手を取るだけで幸せになれるんだろう」
――それでも。
呼吸する。細く、体に空気を招き入れる。ゲームとして、本来必要のない動作。しかし、大貴は、多くのプレイヤーは、この世界でそうしてしまう。
重力に引かれてリンゴが落ちるように。
雨の中で傘を差すように。
暗闇で目を凝らして前に進むように。
こうして身体から切り離されても、人間は肉体を忘れられない。骨に支えられ血が流れ肉に暖められた体に、この魂は引き寄せられている。
人間として、藤林大貴は直感しているのだ。
人である以上、この世界には長くは留まれない。
血肉を持った人間に、この場の永遠などあり得ない。
「できないんだ、俺には。あなたの誘いは受けられない。俺はまだちゃんとした人間じゃないからわからないのかもしれないけれど、あなたの言う永遠が、俺が幸せに生きるたったひとつの方法かもしれないけれど。
人間に永遠はあり得ない。人間は死ぬ。生き抜いて死ぬんだ」
「……生き抜くって? それ、楽しい? 幸せ?」
「わからない」
「だったらなんでっ!? どうして私じゃだめなの? なんでっ……!」
「俺は納得したいんだ。想像できないイメージを信頼できない相手から聞かされたって、それがいいだなんて納得できない。
ジンさんらとの約束を守らせてもらう。――おまえを抑えて、ログアウトだ」
「……私を抑えるって、どうするつもり?」
「さあ? どうしてやろうかな……?」
「できっこないわ」
「できるさ」
「どうやって?」
「そうだな……例えば、俺があんたの思惑をことごとく裏切ってみる、っていうのはどうだ?」
これはニルの推奨だ。そして、大貴も同意した案でもある。
この眼前のアバターは、正しく支配者だ。フィールドをワープし、大貴の体をゲームオーバー時に入れ替えてみせる。
裏取りできているわけではないが、ペッパーの様子を見るに「願いを叶える」というのも、満更嘘でもないだろう。
彼女は、ことこの場においては万能とも思える力を持っている。
だが。結局ゲームの根底はいじれていない。ジンの考えがその論証だ。
――彼女にしてみれば、現在のゲームに疑問を持たせること自体があってはならないのだ。
でなければ、プレイヤーは現実に帰ってしまう。忘れようと来たこの場でそれを思い出し、彼女の叶えられる領分から逸脱した願いしか聞けなくなってしまう。
プレイヤーに向けて公正に警笛を鳴らし、彼女に反旗を翻せるのは本来の管理者、即ち『騎士団』をおいて他にいない。
彼女の最善は、『騎士団』をプレイヤーから隔離することだった。隔離フィールドに閉じ込めるなり、そもそもアクセス権を剥奪するなりをすべきだった。
最善がわからなかったはずはない。彼女には、最善の行動を取ることができなかったのだ。
――それが、ニルの意見。
また別に、大貴も思うことがあった。
あの【異形】の軍勢だ。あの独善さを排した扱いやすい人形にしているところを見ればわかる。
生の感情をむきだしにして戦う本物の【異形】を御することができないのだ。あの傲慢さを飼い慣らす力がない。だからこそ、あの軍勢は【異形】のデッドコピーであり、大貴でもいなせるのだ。
それは、この場で万能を誇るはずのゲームマスターとして、あってはならない現実だ。しかしそれがまかり通っている。
したがって、結論はひとつだ。
彼女は未だ、真の意味で支配者ではないのだ。
ただ、この『ガーデン・レイダース・ネットワーク』のイベントのひとつに寄生しているに過ぎない。根底を覆すことができていない。
彼女が真に支配者となるには、このイベントを強制終了する他はない。
システムを切り離し、再起動し、あらゆるデータを見直し、自分というコントローラに備えられたスイッチのみで全てを繋ぐアップデートを自ら行わなくてはならない。
文字通りのリスタート。それで彼女の支配者は完璧になる。
だが、大貴達はログアウトが可能になるはずだ。イベントを終え、ゲームサーバーを一度インターネットから切断する。その間ならば。
たとえ一時的にでもプレイヤーにログアウト権が戻るなら、大貴にとってみれば十分だ。退路を確保する。あとはひとりひとりの自己判断の領域だ。永遠でもなんでも、勝手にすればいい。
――大貴には、顔も知らないすべての人の意思まで決定できる力も、その重みに耐えられるだけの精神もない。
大貴自身の人生に限ったとしても、ここであの手を取らない理由が正しいことだとは断言できないでいる。
だが――理由は後からでもついてくる。
それを信じる勇気さえ持てるなら。信じ続けられるなら。
「……なるほど。よく気づいたものね。いえ、よくも教えたわね」
彼女は笑った。絢音のものよりアクセントが強い。
違う、と大貴は身構えた。あれは作り笑いだ。明確に、大貴は強い感情を差し向けられている。
眼前のアバターが脳を指差す。口端。歪め、嫌悪感と不快感を織り交ぜた声を出す。
「それ、役に立ってる?」
「それって?」
「サポートAI」
「……そういう言い方を、するな」
語気を強めた大貴を、彼女は声を上げて嘲笑した。
なにを言っている。それが何で、どうやってできたのかをおまえは知らないのか? 話さなかったのか? おまえのそれは、まさか隠しているのか――?
不思議と、彼女の言わんとする内容が伝わってくる。表情から。仕草から。語意に表われる不快感が風に乗って絡みついてくる。
「……じゃあ、いいわ。これで最後。最後にひとつ、いいかな?」
彼女は最後、と強調した。
これを最後に、なにかを仕掛ける気だ。動悸が強まる。危うくエネルギーの激流が零れ出た。肩口から紫電が瞬く。
「あなたは、どうしてここに来てくれたの? たったひとりで。それは――やっぱり、この子のため?」
わかりきった質問だった。
そんなことを聞かれるとは予想をしていなかった。思わずぽかんとする大貴の脳裏で、ニルが呆れ返っている。
『それ、結構意外ですよ。まず間違いなく予想できません』
「なるほど。……じゃあ悪い。それは『切り札』だ。簡単には見せられない」
大貴は答え、彼女は笑った。
――『反転した』。大貴はそう印象を受けた。
口が裂けるかというほど大きく広がり、腸の奥から自分の魂を吐き出しているかのようなものだった。声が波打つ。手足が空をもがく。
しかし目は、大貴を見据えている。睨みつけてくる。――狂気で、射殺してくる。
「――ぁぁっ、だめよ、そんな」
片手の指先が大貴を呪った。左胸が貫かれたような悪寒が走り。
「そんなこと言われちゃったら――期待、しちゃうじゃない、私」
天上から鎖が幾重も降りてきた。それらはステージに突き刺さり、その奥から、なにかを引きずりあげる、
それは、よく知る姿だった。
そして、大貴は戦慄した。
それが真であると直感したのだ。
【異形】がいる。対峙した経験のある大貴にはわかる。拳を受けた左腕が震えている。
外のデッドコピーとは訳が違う。
この【異形】は、本当に、本物なのだ。
「じゃあはじめましょう。私とあなた、ふたりにとって全てに等しい、この子を賭けた魂の戦いを。
さぁ――不可能を可能にしてみせてよね」
【異形】が引きずり上げた鎖を引き千切る。金属片がステージ上に無数に散らばった。
震える左拳を強く握り、大貴はメインステージに向けて地面を蹴った。
これが、正真正銘、最後の戦いだ。




