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電脳コンプレックス  作者: みそおでん
第三章 「きみをしること」
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Part1 ゲームの裏側 その5

 さて。


 信頼できる『友人筋』に頼んでローラー作戦を敢行した。検査機は手持ちのスマートフォンで十分のはずだ。Wi-Fiの探索はそれでできる。


 被害タイトルにソーシャルゲームがある手前、スマートフォンで受信出来ない道理もない。


 あとは「強制的に受信状態にされるWi-Fi」を発信している車両を探し出せればいい。おそらく電気自動車だ。ハイブリッドカーの可能性も残っている。


 普通乗用車でも機材を別途積めばもちろん可能だが、かなり目立つ。ノートパソコンを使ったとしても電源や発信機材を持ち寄る必要がある。無論それを見せてはすぐに職質だのを受けることになる。


 普段から街を走り回っているはずの車で、それはできない。そもそもハイブリッドカーが全盛の今はガソリンエンジンはそれだけで目立つだろう。


 『友人筋』には一応、「電気自動車をチェックしてくれ」とは言ってある。断定したのは簡単のため――ありていに言って、ただの勘である。一台一台丹念に調べるのが厳密解だが、そこまで人員確保できない都合、どこかで妥協しなければ結果は得られない。


 これは賭けだ。


 なら一応、保険も掛けておく必要がある――。


 連絡を着け終えた携帯電話をしまい、巧は河川敷を歩き、水前寺の家まで戻ってきた。家の中には起きないふたりと――いるはずだ。先に帰った――。


「随分と、遅かったな」


「……父さん?」


 なぜここに、という言葉が出かかって、寸前で呑み込んだ。田中から事情の連絡はあったのだろう。絢音に愛情が人並みに残っているなら、この人が家にいるのは自明の理だった。


「母さんなら、少ししたらまた来るそうだ。気になる要件が入ったそうだ」


「……本当に絢音を心配しての決断、なんですよね?」


「馬鹿なことを言う。でなければ、誰も昼間に帰ってこないさ。株取引でもしているよ。私たちは金儲けばかりに固執して人間性を失くした人間扱いかい――?」


 余裕に満ちた表情で父親はそう言っている。


 もっとも、父親がやっているのはコーヒーの焙煎だ。古いラジオを鳴らしながら、ダイニングの角で腰を下ろし、コーヒーカップを手に取っている。


 ――絢音を助ける気はないのだ。自分にそのためのカードはないと。


「……これから、どうなさる気ですか?」


「どうもしない。いや、どうもできない。私に技術はないからね。なにかできるとすれば投資かな。……そんな長い目を見ていては、あの子は助からないだろうね」


「だったら――」


「だから、だよ。私には考える時間が必要なのさ。コーヒー一杯くらいの時間でいい。なにができるのかを考えて、なにができそうかを考える。動くのはその後かな。動き出してから考えては、手足も心もが重くなる」


 そう言って、父親は巧にコーヒーを勧めた。新しくコーヒー豆を挽き、フィルタに敷き詰め、お湯を流し込む。濃い香りと深い湯気が立ち昇る。カップにコーヒーがなみなみとつがれていく。


 コーヒーを父親は向かいの席に置いた。巧を誘っているのだ。ラジオは音楽を鳴らしている。少し前に流行ったポップス。サビが過ぎ、曲がそろそろ終わってしまう。


「……おまえは、絢音のために動いてくれているんだな」


「はい……そうしているつもりです」


 席に着き、コーヒーカップを口元で傾ける。舌先に苦味が僅かに刺激を打つ。熱いコーヒーが胸を満たし、胃の輪郭を熱で囲っていく。


 ラジオが言っている。曲名とバンド名。曲がフェードアウトする。


 そして、番組の雰囲気がガラリと変わった。静かなバックミュージックと、抑揚のないDJの声。ニュースの時間です。そう言っている。


「助けられそうか?」


「……ケーブルを引き抜くよりもスマートな方法を探しています」


 最初にラジオはサイバーテロの話をしている。7社の13タイトルのネットゲームが乗っ取られた事件。ようやく犯人が声明したメッセージについて言及している。


 『私はここに、楽園を創り上げた』と切り出されたその声明は、一見実現可能であるが故に訝しむ声が強いのだとDJは伝えていた。


「……私は、特に最近、あの子のことを見てやれていないからな」


「そうですね」


「家にもロクに帰らず、仕事、仕事、だ」


「そうですね」


「あまりに思い通りに事が進むものだから、ついついのめり込み過ぎたみたいだよ。楽しい時間はあっという間だ」


「そうですね」


「巧」


「はい」


「私には、絢音がなにを望んでいるのかよくわからないんだ」


「そう思われるのももっともです」


「わかるはずがないな。私は女性じゃない。若くない。足だって動く。でも想像はするんだ。だがどうにも、実像が掴めない」


「ええ……わかります」


「一緒にいても、わからないものか?」


「俺は絢音じゃないんです。かと言って、父親代わりも恋人代わりも友達代わりもできない。あいつの本当の気持ちはわからない。それでも――わかるものはあります」


 ラジオは伝えている。犯人の声明だ。


 『私は楽園を創り上げた』。


 『私の王国は全ての人の望みを叶える楽園だ。入国した全ての人の人格・記憶・思考を保存し、物理的な制約を捨て、この王国で永遠と願望を手に入れることができる』。


 『既にハードディスク容量の確保は整った。私に、あなたを迎え入れる準備はできている』。


 『さぁ――遊びましょう』


「あいつは歩けないからこそ、現実の辛さは知ってたし、それで人のいろんな顔を見てきました。俺なんかより、ずっと苦渋を舐めてきたでしょう。

 あいつが現実はもう嫌だ、逃げたいって言うなら俺はもうこの件に関してなにも言う気はありません。――だからこそ、このままにはしておけない」


「それは、なぜ?」


「あいつは俺に、ゲームに入った最初の日に言いました。『やっぱり違う。あの場所は綺麗すぎる』って。

 なら、俺がすべきことは――もう一度あいつを起こしてやることです。……絢音を起こして、どちらかを選ばせてやることなんです」


「向こうを絢音が選んだら?」


「尊重します。俺に、あいつは治せない。せいぜいあり金はたいてハードディスクを犯人に買い与えてやることしかできないでしょうね」


「そうだな……我々は、そうするしか、ないか」


 コーヒーを飲み干して、父親はテーブルに肘をついた。両手を握り、祈るようにしてため息をつく。


 父親の心中をなにが満たしているか、巧にはよくわかった。巧が抱えているものと同じものだ。


 無力感である。


 現実というものは、人の足首に重たいそれを括り付けて荒涼とした大地を歩かせるのが大好きらしい。人は好きな方向に歩いていけるが、どうしてもそれを引きずって歩かなければならない。


 それを跳ね返せるのは自信か、鍛えた万能か、引きずってでも歩き続ける覚悟か――どれにしろ心の問題だ。おそらく人は、なにかを成すためには、歩き出すためには、心を強く持てなければ駄目なのだろう。


「絢音は――」


「ん?」


「俺の知る限り、心の弱い人間じゃありません。身体ほどに弱くない。あのゲームをはじめてからは本当にそう思うようになりました。

 絢音がパソコンが苦手だから、インドアのコミュニケーションツールのひとつとして紹介したんですが、あいつは本当に呑み込みが早かった。すぐに俺を追い抜きましたよ」


「……おまえを? 絢音か?」


「ええ。あの世界で最も重要なのは、反射神経や身体の使い方のノウハウや知識じゃない。まず『強く想う』ことです。勝利なんかをね。それがあの世界では頭に入ってくる情報を拡張し、体感時間が引き伸ばされる。

 絢音はそれが特に上手かったんです。想うことにかけてなら、心の強さなら、あいつはきっと、誰より強い」


「…………そう、か」


 弱く俯く父親を前に、巧は残りのコーヒーをぐいと煽った。空のカップを置き、流しで洗ってから、一言入れてダイニングを後にする。


 向かったのはリビングだ。そこには、『サイバー・ブルース』をつけた藤林大貴と、絢音を中に閉じた【エッグ】が――。


 ――開いている。

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