Part2 「どろどろとじめじめ」 その6
「あ」
――などと、考えているうちに。
がむしゃらだった大貴の、不細工なジャンプでばたばたさせていた片足は、いつの間にやらワニもどきの大口を「抜けて」。
その「先」を、踏んづけた。
そこは、人で言う唇なのか鼻なのかは正確にわからない。とにかく門歯のやや上、口内との境界を飛び越えて間も無くの位置だ。
そこに、都合良く、偶然、幸運にも、足が掛かる。
「――ッ!!」
これだけ幸運が降ってきたのだ。
少しくらい、自分でどうこうする気概を見せなければ。
でなくては、不幸にもゲームオーバーになったプレイヤーに申し訳が立たない。
せめて、この場から逃げおおせるくらいはやってみせなければ――。
左胸がちかちかと点滅し、青々とした輝きに赤黒さで濁りが混じった。球体関節が軋み、バックパックからも白煙が伸びる。
「――っんんのぉぉぉおおおおおおっ!!!」
それは、ちょうどプロレスの三角跳びの要領であろうか。
飛び乗ったコーナーポストの頂点、もといワニもどきの鼻先にやや体を起こし、膝を曲げ、腰を落とした。
あのカエル達と同じだ。膂力と足回りのバネの軋みに身を任せ、後は解き放つ。
ドンッ――。
小さな衝撃が靴底で走り、大貴の体は跳ね上がった。ワイヤーをリリースし、右腕の小手でぷちんと小気味良い音が耳を刺す。
体のいい踏み台にされたワニもどきは大きく仰け反ってその場に倒れ、大貴は真上に突き上がった。
『右腕を一度打てばワイヤー弾の次弾がリロードされます』
「おうっ……!」
『一度の装備で三回可能です。それ以降は武器を仕舞い一定時間装備を控えるか、戦闘フェーズのエリアから離脱する必要があります』
「……おうっ?」
なんか気軽に切って――今まさに、壊れたテレビを叱りつけるかのように右腕をはったたき、耳にかしゃんと次弾が再装填されたらしい音が引っかかったのを確認した――繋ぎ直してしまったが。
一瞬気もそぞろになってしまった大貴に向け、地上で爆発音が轟いた。
ペッパーの長く広い孤月の一閃が隅に見え、しかしそれにも劣らぬ爆発力。先のカエルの一匹だ。
強く高く跳躍し――来る。
戦慄する――ここはワニもどきを踏み台にして、助走までつけた大貴のジャンプの高さだ。
あいつは。この位置まで、あいつは立ち高飛びで届き捉え突き抜けるというのか。
ゴーグルに表記されるカエルのレベルを確認する。二桁であることは辛うじて理解できるが、数字は知れない。
カエルが大きく速く動きすぎているのだ。数字がぶれる。読めない。それに集中してなどいられない。
この程度の「幸運」では足りないのだ。ユニットの力――単純なこのマナン属という体の性能だけでなく大貴自身の運用スキルを加味した総合力――の貧弱加減を埋め切るには。
『サーチ、シム、エスト、エンド』
ごんごんとした鈍い音を押しのけ、耳でニルが囁いている。反響する音圧は大貴の頭だけでなく、四肢をまんべんなく柔らかく包むように叩き込んでいる。
モンスターの力ではない。間違え様なくペッパーのもの。
戦っているのだ。見なくても十分理解できる。
あの圧力、存在感、衝撃。
一級品のそれらを間近で味わったためか。強い独特な波長を示すそれは、一撃一撃に特殊な色を乗せている。
あるいはそれが強者の条件なのか。とにかく――。
振り向かず、大貴は再びワイヤーを打った。弦が飛び、鏃が貫く。
カエルが迫る。
既に是非はない――大貴は左手を握った。紫色のラインがほのかに輝き左胸のクリスタルと同調する。
この左腕h修復し強化してもらったフレームだ。どこまで通用するのだろう――?
疑問と一緒に左拳を振りかぶった。投げ捨てる。振るい去るのだ。
力、強く――紫の帯にエネルギーの奔流が渦を巻き。
交錯――。
骨身に振動と熱がじんと滲んだ。
爪先が空を掻く。手のひらが風を掴む。肩が熱気を切っている。
――爪先から肩口まで。大貴の左腕を「なぞり」、カエルは明後日の方向にかっとんでいく。
その背を大貴の視線は追った。天井に貼りつくカエル。その目と目が合う。
――諦めていない。
カエルがびしゅっ、と舌を伸ばした。空中の大貴を捕まえようとする。
まんまと大貴の腕に舌先が絡みついた。唾液がべたべたとしたたり、しかし固く結ばれる。
カエルが天井を離れる。舌を引き、大貴との空間を舐めとった。
大貴よりも大きな体がのしかかり取り付いた。落ちる。
いや――すでに落ちていた。ワニもどきをジャンプ台に見立てた跳躍は、カエルが追走を始めた頃にはとっくに頂点だったのだ。
「ぐるしっ……!」
まだ密着されただけだが――自分より大きいものに覆われる、というのは圧迫感が強い事態だ。常識に支配された精神は息苦しさを否応無く覚える。
そして――右腕のワイヤーを引いた。
ぐんと体がひっぱられる。離れゆく天井に向け。
(このまま天井にぶつけて……!)
――引き剥がしてやる。
だが右腕の悲鳴は無視できなかった。ニルが明確な言語に翻訳する。
『オーバーフォース。ライトアームマウントに過大な荷重を確認。このままでは破損します』
――要はワイヤーを伸ばしている【スレイプニル】ごと、肩から右腕が千切れると言いたいらしい。
是非はない。万全のもとでさえ話になるかどうかもわからないのだ。片腕でどうにかなるはずがない。
手首を振ってワイヤーを切り離す。重力に引かれ、大貴とカエルは落ちていく。
自由落下する。
あっけなく、抵抗もできず、大貴は落下する。
――もっとも。
一度ワイヤーで釣って「バランスを変える」――その状況を作り上げるだけで、十分だった。
片腕を失ったやじろべえのように、モノは重みが偏ればそちらに倒れていく。
重心の寄っている方から落ちるのだ。
ワイヤーが一度大貴とカエルを吊り上げたことで、カエルの重心は大貴を覆い被さる形から崩れていた。
片腕のやじろべえは、その時点で立てられていた。
手を離せば――ワイヤーを切れば――重い方を下に、地に落ちる。
大貴は鋼の体だ。しかし腹に粘液を溜め、大貴以上の膂力を誇る高い密度の筋肉を持ち、それを押し潰せるだけ巨体であるカエルの方が、重い。
――激突。
真下のカエルの粘液を溜め込んだ丸々とした腹はいいクッションになってくれた。弾力に逆らわずに一度空を跳ね、大貴は無事に――自分でも意外なほど――着地した。
手首を振る。また――最後の鏃がセットされた。
絡められた舌の締めは随分弱くなっている。しかし未だ離れない。
せいぜい、力任せに思い切り引き剥がせば離れなくもなさそうだ、というほど。
――削れ切れていないのだ。
落下と同時に大貴の膝も腹に突き刺さっていたはずだ。内臓も傷ついているだろう。しかしそれでも、このゲーム世界では彼は生きている。
『アラート。敵ターゲット接近』
言われなくても、である。なにせ敵に囲まれたステージなのだから。
しかしまた空に逃げても追撃される。
今のようなワイヤーアクションは期待できない。残弾がないのだ。時間で復活するそうだが、敵の接近にそう長々と切れ間はない。それだけで生き残るのはまず無理だ。
「……へっ」
軽く乾いた笑いを吐き捨て、大貴は腕に絡まる舌を掴んだ。両手でしっかり押さえると、舌のホールドが一層弱まるのを感じた。
鏃を飛ばし、ワイヤーでカエルの頭をふんじばった。これで「固定」は良好だ。
敵ユニットとの距離はそろそろ10メートルに入る。スピードがあがる。一気に突進してくるのだ。先のカエルがそうだったように。
歯を食いしばって、へその下からぐっと力を込め、踵からつま先まで砂埃を上げて地面を掴み――左胸のクリスタルが、静かに、強く、熱を上げて。
「うわあああああああああああああっっっ!!」
地面に倒れるカエルを、動かした。
地面を削り、砂煙をあげ、唾液が周囲に飛び散った。大貴以上の巨体が地面を転がって、やがて、離れた。
大貴を支点に、カエルがまわる。ぐるんぐるんと丸々とした巨大な体躯が空気を叩き、重々しく風を切った。
重量感。カエルの体。大貴の振り回し方。いくつかの要素のおかげで、それはさながらハンマー投げの様相をとっていた。
片腕ではカエルと自分の重ささえ支えきれずに千切れてしまうが、両腕に負荷を分散できれば多少他のものを――敵ユニットを巻き込んでも十分構わず殴り飛ばして回せ続けていけるはずだ。
――しかし、パワーはそこまで長くは持ってくれない。
胸のクリスタルの青は紫色に濁り始めている。真っ赤に変わってパワーダウンしてしまえば最後、へたれた大貴は四方から的になる。
そして、それまで敵も手をこまねいているはずもない。
来るぞ。回転は単調だ。周期は覚えられる。
ハンマーの切れ間を狙って突進。あのカエル達なら容易だ。
――既に見えている。
ゴーグルの端に赤いターゲットマーカー。重なる敵ユニットは、身を構えて。
「いああああああああああああああぁぁぁぁっ!!」
ガンッ、と激しい音を立ててハンマーのカエルが地面に落ちた。重く、しかし柔らかい体躯がバウンドを見せる。
大貴と水平に飛んでいたハンマーに勾配が生じ、高く、上昇する。
リズムが狂った。また一度、周囲の敵ユニットが後ずさる。
――逃がさない。
「ッッッ、ぁあああ!」
支点の足に荷重を掛ける。フレームが軋み、地面が抉れた。
必死にバランスを保ちつつ、視線は遥か彼方に集中させた。
パワーが足りていなければ意味がない。出し惜しみも手加減も必要ない。ただ全力を尽くすのだ。
的は敵ではない。狙う場所はその奥。
穿ち、貫き、撃ち抜けるイメージを。乗せて。
最後のワイヤーを切り捨てた。
ハンマーは低く放物線を描き、浅い虚空を突き進んだ。
眼前のユニットを押し破り、巻き込み、弾き飛ばし――敵の山の中、ようやく静止した。
両腕が、膝が、じりじりと震えた。奥歯をかみしめ、へたり込むのをぎりぎりで耐え抜く。次が迫るとも限らない。倒れるわけにはいかない。
あからさまな隙はみせられない。せめて、隙だらけでない姿をさらすのだ。そうすれば、運が良ければ一秒くらい延命できるかもしれない。
そして、ふいに頭の奥でラッパの音が響いてきた。
『レベルアップです。よく負けますが、たまの当たりがばかになりませんね。さながらフィーバーと言いますか、ガチャを2度回して目当てのSSRを連続で引き当たるくらいの当たりです』
「……よくわからないな」
『とにかく、レベルアップです。劇的に』
「へぇ……」
左胸の熱を気にしつつ、大貴は右腕の小手を光に変えた。
視線を走らせる。敵は山ほどいる。騒然としているが、戦意が消える様子はない。
次の武器を。ゴーグル上で眼を動かし、別のモードを選択する。
ワイヤーの弾数復活までは別の装備を使わなくては――。




