Part2 「どろどろとじめじめ」 その5
「伏せてろやぁぁああああっ!」
暗闇を突き抜け、ペッパーが怒鳴った。
出会った時の稲妻が頭を掠める。それはあまりにも雄弁だ。全力の【危険信号】。
ほとんどヘッドスライディングの勢いで身を伏せた。地面を腹でガリガリ削り。
オレンジ色の炎熱の光線が、大貴の頭上を貫いた。
熱がジッと大貴の四肢の温度をあげる。目の前でちかちかと警告をなった。ぞっとするようなエネルギーの激流が、ペッパーを原点にして、空を焼き。
そしてそれは、一回転した。
壁面の岩肌はどろどろと溶けて、マグマのように赤黒く発光した。地面さえも焼き焦がし、近くにいたらしいモンスターの残骸が火種に変わった。
起き上がった大貴の四方を、そんな絵面が取り囲んでいた。
手からぶすぶすと白煙が細く幾重も立ち昇った。黒焦げた小手を投げ捨て、ペッパーは気だるく手首を振った。
「さぁて、これで灯りに手が塞がらないぞ」
そのためだけに――そう大貴は口をつきかけたが、かと言って自分に「より地味で簡素に周囲を明るくする方法」など思いつくはずもない。しかも周囲のモンスターも片付けられて一挙両得。合理的だ。
『――そうとも限りません。さすがに規模と影響が大きすぎます。スニーキングミッションが基本のこの敵拠点でこの暴れ様は包囲網を敷かれる可能性が極めて高いでしょう』
「……と、いうと」
『敢えて俗で短くわかりやすい単語をチョイスしますと――「フクロ」です』
「それって――」
口を開きかけた大貴の眼前がまたちかちかと点滅した。ゴーグルの液晶が敵影を表示。その分布を赤いマーカーで告げる。
それは、ぐるりと。
大貴とペッパーを取り囲むように。
――「叩き」ってことですかぃ。
「どっ……どうするんだよっ!?」
ゴーグルの表示の赤は秒刻みで太くなっていく。これを突破して逃げ延びる、というには、大貴にはとても不可能だ。
大貴の明確な勝利経験など、特に今日はグランゲイターとの1体1しかない。今回はあれよりサイズは小さいが、その分物量が段違いである。
「決まってる。時間稼ぎだよ」
「はぁっ……!?」
「騒いで騒いで騒ぎまくって、ボスの方から寄ってくるまで暴れまわるんだよ。……天の岩戸みたいにな」
「それ、なんか違わないか……?」
「いいから察しろ。――きそうだぞ」
「おいっ……」
だからって、これは。
大貴に言葉を発する暇さえ与えない。ペッパーは踵をかえし、腰から小振りの剣を抜いた。
片手をポケットに突っ込み、ゆっくりと、砂埃を踵から引いて、真正面へと歩いていく。
「キミにはわからないかもね。
今――オレはまったく負ける気がしないんだ」
それは割とさっき【異形】にやられてゲームオーバーになった人間の台詞なのか――?
大貴は問いを脳裏に膨らませ、ペッパーは剣を構える。刃には紫電が巻き、淡く光の帯が絡み。
一閃。
音もなく、大きな兆候もなく、しかし放たれたその一刀は深く、長く、広く、遠い。
剣刃は数倍にまで膨れ上がったような錯覚さえ覚えた。紫電の剣撃は虚空を断ち、10メートル以上離れた敵の胴さえスライスした。
眼前の敵が一気に崩れ落ちた。萎縮する敵も見えるが、牙や爪、あるいは砲や刃を突きつけ警戒する敵の方が数多い。
ペッパーは前進する。静かに持ち上がった靴底は、また砂利を踏み、砂埃を上げる。
敵は一瞬体を震わせ――。
一斉にかかった。
ペッパーも地面を蹴り上げる。一挙手一投足に紫電が光り、瞬くような身のこなしで敵をいなし、かわし、斬り突き捨てる。
光の薄霧をあげるどこか儚げなモンスター達の死に様になど目もくれない。そんなものを機関銃の引き金を引いて立ち昇る硝煙程度にしか感じていないのだ。
――おそらく、この場に連れて捨て置いた大貴もまた。
――すべて、自分のためなのだ。
彼女はあの【異形】と刃を合わせに来たのだ。それだけが関心であり目標。それ以外のものは「阻むもの」と「妨げぬもの」のみ。
大貴は後者。たまたま、ペッパーに害を与えないだけの路上の小石、というわけだ。
このペッパーというキャラクターはつくづく――己に忠実なプレイヤーなのだろう。
(……それってトーシャと同じか?)
考える大貴の頭を警告音が殴りつける。雑念に緩んでいた集中を引き締め直した。
ペッパーに向かっているのがすべてではないのだ。むしろ、見るからに弱そうな大貴から狙うのがこの手の定石のひとつでもある。来る方が道理である。
『撃破の必要はありません。まず避けて、ペッパーの射線におびきよせればよいのです』
ニルの提案は現実的だ。倒せないならせめて逃げ切るのだ。目標のハードルは(手頃ではないが今までのものの中では)良心的な高さになってくれた。
「……やってみるか」
大貴は右手にぐっと力を込めた。ゴーグルの液晶画面に浮かぶ武装選択画面を視線で追って【スレイプニル】のモードナンバーAをセレクトする。右腕に光が灯り、弾けると銀色の手甲が装備された。
迫ってくるのは視界に収まるだけで3体。角の生えたカエルのような身なりのもの。ワニのような顎を持ったもの。いずれも大貴と同じか、それ以上の体格だ。
接近し、殴るか蹴るか噛み砕くかはこの際どっちでもいいが、対象を粉微塵に破壊することに特化している身体的特徴が見て取れる。
そして――羽を持ったものはひとまずいない。
「シッ!」
鋭く息を吐き、スナップを効かせて右腕を放った。手甲の先からビュッと矢が走る。細いワイヤー矢尻に結び、ぐんぐんと伸び。
ワニのようなものの首に絡みついた。
二足歩行のワニもどきは両足を踏ん張り、両手でワイヤーを握る。他の二体はそれを振り返る素振りさえ見せない。
見つめているのは一点。捕食し蹂躙するため、大貴ただ一人にフォーカスしている。
――ハッキリと理解できる。
彼らは今、この場では有象無象だ。
『ネィクド』に攻め入りなだれ込んだ統率力もここまでの空間を地下に掘り上げた協調性も見えない。
彼らは一人一人が捕食者であり狩人。狩る自分以外は全て敵。それが本能に刻まれているのだ。
――統率者は。
ここにはいない。ペッパーの言うとおり、ボスはいない。
だが、ここで損害が大きくなれば、出張らざるを得ない。上の陽動とは勝手が違う。悪巧みの腹の奥で虫が暴れているのだ。引き裂きかねないほどの勢いで。
無視できない。できるはずがない。初手から今までは、このためなのだ。この場所のため。穴を広げ、街を落とし、灯台を沈め、【灯】を貶め蹂躙するための。
この場をかき乱すことは、即ちそれを乱すも同じ。
許せるはずがない――。
「ギッ……!」
奥歯を思い切り噛み締め、力比べに全身のフレームが悲鳴をあげる。二体のカエルが脚力を活かして砲弾のように滑空し、大貴に頭から突っ込んでくる。
「ァアアッ……!」
右腕を中心に全身が軋む。高周波の波紋が体の中で反響を繰り返していた。震える片腕を体に引き寄せる。
これは綱引きだ。姿勢を低く、より低く寝かせ――。
駄目だ。あの滑空を避けるほどには低くならない。
振動と力みが両足を地面に溶接する。足の裏が離れない。
動けない。となれ――。
「――ぶぅぁあっ!?」
――せめて脳内だけでもクールに決めてやろうと思った大貴の淡い決意をよそに、足から生じる最大静止摩擦力は揺らぎ、大貴の鋼鉄の体はあっさりと、つるりと滑った。
それで直撃すれば、無様なだけの記憶でこのゲームともども終わっていたのだが。
地面にバックパックを打ち付けるように転んだ大貴はカエル達の滑空する肉弾を鼻先でかわした。すれ違いの風に耳を痛めるが、それでも体力ゲージは無傷同然だ。安いものだが。
片腕のワイヤーはなおも体を引いているのだ。ワニもどきに絡めたままなのだ。
――吸われていく。
ゴーグルの「ワイヤーリリース」のコマンドに目玉を転がす。しかし、やったところでこの崩れた姿勢を狙われるのがオチだ。
――乗るしかない。この波に。
歯を食いしばって体を起こす。靴底が地面をひっかく。砂埃が荒々しくあがる。熱を溜め。
跳び上がった。
両足を掻くような不細工なジャンプ。万全なら身長の倍は越えるグランゲイターの鼻先まで跳べる膂力を持っている今の大貴だが、引きずられながらの不恰好な体勢からでは、ポテンシャルも十分発揮できるはずもなく。
右腕のワイヤーはキキキと金切り声をあげて小手の中に巻き取られていく。大貴の辿る放物線をぐわんと捻じ曲げ、インボリュート曲線を描かせる。
さながら中心に吸い寄せられる渦巻きのように、螺旋のように、引力のように。
ワニもどきの大口が近づく。大貴の胴回りよりも余裕で広く、果てがあるはずの奥には暗闇が広がっている。この引力の起点であるかのように。
――吞まれてはいけない。
危険信号が悲鳴を上げた。逃れる。大きく距離を取るのだ。離れる。そのために。
――どうすれば?
ワニもどきの牙まで残りわずか。動きにレールを引いているのは右腕のワイヤー。大貴が動かせるのは。




