エピローグ:影の一幕
――そんな、光景を。
巧は見ていた。少し離れた場所から。
知らずに大貴がステージに飛び込んだときに蹴り飛ばされたベンチの影からである。
どうにも瓦礫から逃げられずにリスタートして、絢音を探してここまで来たのだ。大貴も同じ答えに至っていたことに苦笑しつつ、響く泣き声に耳を傾けた。
元来――藤林大貴はそういう人間だった。
吐き出さず呑み込み、耐えて忍んで生きていくタイプの『いい人』だ。大方、それで学校ではいいように弄ばれているのだろう。見ていて、不器用すぎて気の毒になる。
だから純粋に喜んでいた。今まで一線を引いていた絢音に感情をぶつけられるようになったことに。
これで安心だ。横を抜けて行く大男に道を譲り、巧もまた身を翻した。
そして。
「……白兜に赤い天秤座の印……」
正面から近づいてくるアバターに奥歯を軋ませた。
赤の天秤のレリーフを胸元に刻んだアバター。
それは、『騎士団』――『ガーデン・レイダース・ネットワーク』の管理運営局員だ。それも白い鎧。これはNPCでなく有人であることを示していた。巡回ロボット的に作業する黒兜のNPCではない。
「……この先に用ですか?」
「黙秘する。どきなさい」
大男と同じく脇を抜けようとした白兜に、巧は腰の剣を引き抜いた。白兜の顔つきが変わる。
「今いいところなんです。見逃してください」
「私の関与する話ではないな。邪魔をするなら最悪アバターの無期限凍結を通達する。わかったらさっさと――」
まて、と巧は口をついた。無期限凍結。ガーデン・レイダース・ネットワークにおける終身刑だ。
それがいきなり、白兜の口から出てきた。ありえない。重過ぎる。
事例は『サイバー・ブルース』の危険使用や規約を無視し削除されたユーザーの再三再四の登録を受けて、というものだ。別のゲームでは、中高生相手に詐欺や性犯罪をはたらいた犯人グループがそうなったと聞いている。
大貴に行ったそれは、あくまで配布パッチを拡張したものだ。『危険使用』の範疇には当たらない。
別の要因。別の事件が関わっている。
なにか、巧でない誰かが、それを起こしている。このイベントの最中に。
だか、それはなんだ?
「――なるほど、思ったより早かったな」
「なに?」
「おや……もしや偶然だったのか? 凄いな、なかなかくじ運がいいな、おまえ」
まさか「その件ならば俺の仕業だ」――などと言いすぎようものなら逆効果だ。
あざとすぎず、隠しすぎず、言葉を選ぶ。
今はいいところだ。この先には行かせられない。引き留める。あるいは突き返す。巧自身を犠牲にしてでも。
それに、なにより、興味がある。プログラムを組んだ経験があるプレイヤーのひとりとして。
実際になにが起こり、なにを問題視しているのかは、巧には推して知る他ない。
白兜が出張り、無期限凍結をちらつかせるまでの急事。しかしイベントは中止されない。
この状況から読み取れ、かつ相手をほどよく挑発できる文句は――?
「……気に入ってもらえたかな? 【フュエル】は? 見てくれ、文字通りいい【燃料】になったろう?」
「貴様……!」
白兜が奥歯を鳴らした。『食いついた』。
テーブルの上で拳を固め、巧は弱く口端を吊り上げた。
ついでに内心で嘲笑する。こんな安いのに釣られるな。なんだよ【フュエル】って。適当なそれっぽい単語で釣れるものだ。相手も冷静でないのだろう。
それとも――この座標に何かがあるのか。
考える巧の前に、白兜が拳を固めた。腕を振り、小手との隙間から白刃が飛び出す。
「……なぜだ! なぜ! あんなことをしたッ!」
「なぜ? それは、ここがなんなのか理解した上で言ってるのか?」
「ふざけるな! 人の命が掛かってるんだ! それを――ッ!」
は、と危うく惚けた声をマイクに吹き込みかけた。
人の命?
馬鹿な、ゲームシナリオでもあるまいし、そんなことが実際に――。
――いや。
巧はヘッドセットを乱暴に剥ぎ取り、ソファーから絢音の【エッグ】の前に飛び出した。
液晶画面。【日本語】で書かれた注訳。
――アメリカの最大手メーカー『レッドリズム社』の製品が、表示できるはずもない表記だ。
日本語化パッチなど組み込んでいない。
必要がなかった。幼い頃は巧も絢音も海外で育った。日本より向こうの方が馴染み深いほどだ。
「……なるほど」
頭髪をぐしゃぐしゃとかきむしり、巧は液晶画面に視線を流す。白兜が『マスター』を取り押さえていた。ぶんと画面が暗転する。おそらく『ヨミ』に送られたのだろう。
IPなど既に割っているはずだ。巧の住所は会員登録の際にきっちり打ち込んでいる。ほどなく警察が来る可能性すらある。事が巧の想像通りなら。
技術的にそれが今の巧に実現可能かはわからない。だが、否定材料はない。自供に等しい台詞も何度か吐いている。――まぁ、調べられれば虚言とわかるのだが。
巧を【サイバーブルース】のユーザーと踏んだのか、マスターの送られた『ヨミ』はただの空間に過ぎなかった。
白兜、ゲーム運営用アバターのみが擁しているスレイヴシステムだ。プレイヤーの動作を封じ、ペナルティを課す。仮に巧が【サイバーブルース】を使用しプレイしていたのなら、この時点でなんのアクションも取れなかっただろう。
この状態になったアバターは無力だ。仲間と連絡も取れず、一切の行動が制限される。
――もちろん、ゲームの中のみでの話だ。
巧をなにかの犯人として扱う気なのなら、あまりに軽率で無計画な拘束だ。現実に、巧の行動はゲーム内以外では何ら支障はない。
『管理者』である白兜さえ、所詮ゲーム内では1アバターに過ぎない。ルールから外れた行動はできない。
「まったく……また、なかなか」
――思えば。そう巧は反芻する。
考えてみれば、藤林大貴が絡めばいつも「こう」だ。何気ない日常が大事件に発展する。
あの男にかかればただの河原の散歩が酷く捻じ曲がってややこしくなり、今もこうしてゲームをするだけなのに一徹明けに底知れない面倒事に片足を突っ込みだしたりしている。
とにかく――ゲームで動きが取れない以上、巧は大貴に言伝のひとつも渡せない。今の状況を知らせることも、アドバイスさえ渡せない。
探さなければ、別の何かを。そして――。
巧は一度、大きく大きく、ため息をついて。
――やってやる。やってやるさ。
そう、心に決めた。




