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9 ベランジェール

 ロベルトが領地で発生した問題を片付けるため、屋敷を出立した。氾濫しやすい河川の工事関連だと聞いていたイレーニアは、帰ってくるのが早くても一週間はかかるだろうと予想していた。


 ようやく慣れてきたころに、ロベルトが屋敷にいない。立場がほぼ対等な話し相手がおらず、イレーニアはとたんに暇を持て余していた。


「ああ……薬草園の手入れがはかどるわ……」


 暇すぎてやることがなく、趣味と実益を兼ねた薬草園に入り浸っている始末だ。


 ときおりため息をついて作業をしていると、使用人たちからロベルトがいない寂しさを紛らわせていると勘違いされた。どうやら彼らの間では、イレーニアはロベルトを慕うあまり、理不尽な結婚生活だろうと黙って受け入れていることになっているらしい。


 否定をすると、それはそれで面倒だ。


 ロベルトがいるときは、領地運営について意見交換をしたり、参考になりそうな外国の法律を探したりと、充実した毎日だった。領地に関する資料を読みつつ、現地へ視察に行ったロベルトから補足してもらったりと、順調に辺境伯の配偶者として活動していた。


 彼がいない間は執務室に入る理由が乏しくなる。補佐のダリオに領地のことについて質問があるといえば入室できるが、嫁いだばかりの女性が軍事の資料を探していると知られたら、曲解されてロベルトに報告されそうだ。


 おそらくダリオはイレーニアを信じきっていない。それは構わない。主人に害をなす者を排除するのも、補佐の仕事だ。むしろ、とことん疑って脅威ではないと判断してもらいたい。その判断が早ければ早いほど、ダリオは別のことに労力を注げる。


「それにしてもロベルト様は甘いというか……いまいち真意が読みにくいわ」


 辺境伯の配偶者が代行できる権限について、ロベルトが一通り教えてくれたことを思い出した。必要なときが来たら行使するといいとロベルトは言っていたが、期間限定の妻に与えるものではないだろうと、イレーニアは思う。もしイレーニアが自分の贅沢しか考えない女だったら、取り返しがつかないことになっていたのに。


「政治が苦手だなんて言うから、覚悟していたのよ?」


 見ていられなくなって口を挟んで、ロベルトから嫌われる覚悟だ。


 自称政治が苦手な夫は、王都の中枢で働く官僚には負けるかもしれないが、決して他人から馬鹿にされるような政治手腕ではなかった。領地全体をよく見ているし、無駄な改革は避けている。効果が出るまで時間はかかるだろうが、地に足をつけた、堅実なやり方だ。


「奥様……」


 スカートについた土を払っていると、メイドがイレーニアを探して薬草園へ来た。作業を中断させることに罪悪感があるのか、弱々しい呼びかけだ。


「その、少々、困ったお客様がお見えになったのですが……」

「あら。私に?」

「いえ、旦那様のお知り合いなのですが、不在だと伝える前に屋敷の中へ通してしまったメイドがおりまして……」


 説得しようとしても、理由をつけて居座っているのだという。


 ロベルトの不在時はダリオに指示を仰ぐが、肝心の補佐役は所用で近くの町へ出かけてしまった。使用人の一人を伝令にして呼び戻しているが、いつ戻ってくるのか分からない。


「以前に旦那様が懇意にされていた女性です」

「……そう。それなら、私が相手をしましょう」


 イレーニアはふと自分の服を見下ろした。土で汚れても目立たないように、控えめな色のものを選んでいる。昼間に客を出迎えても、失礼にはならない範囲の服装だ。


 あまり待たせるのも良くないと判断して、イレーニアは客間へ向かった。ところが客はおらず、ソファの近くには紅茶のカップが放置されていた。中身は減っているように見えない。客は口をつけることなく、どこかへ行ってしまったらしい。


「いないわね」


 イレーニアを呼びにきたメイドも困惑している。


 他の使用人に聞いてみようと廊下へ出ると、上の階が騒がしいことに気がついた。


「上にいらっしゃるようね」

「……申し訳ありません。接客係が引き止められなかったようです」


 賑やかになった上の階へ行くと、イレーニアの部屋から複数人の声が聞こえてきた。


「イレーニア様……」


 部屋の前にいた新人らしきメイドは、蒼白な顔でイレーニアの名を呼んだ。


「すいません……あの、引き止めたのですが、お客様が勝手に……」

「いいのよ、予想はしていたから」


 室内にはエルマを含むメイド数名と、家令のべニートがいた。イレーニアの個室なので、他の男性使用人たちは廊下で待機していた。まだ刃物が出てくるような、物騒な事態にはなっていないようだ。


「ですから、それは奥様の私物です! 勝手に持ち出そうとするのはおやめください!」


 入ってきたイレーニアには気づかず、エルマが部屋の奥にいる誰かを諌めている。


「うるさいわね。夫婦だっていうなら、夫の不義理を妻が始末するのが当然でしょ。私は傷ついているの! これは慰謝料ってやつよ」


 勢いに気押されそうになったが、イレーニアは声の主がいる方へ向かった。貴金属を保管している続きの部屋に、件の客人がいるようだ。


「ここはお客様が来る部屋ではないわ」


 イレーニアが声をかけると、ようやく気がついたエルマが申し訳ありませんと言った。


「……あなたは?」


 客は若い女性だった。露出が多く、派手な色の服を着ている。両手に持っているのは、イレーニアが留学先で見つけたものを入れた小箱だ。


 女性は突然現れたイレーニアを無遠慮に眺めた。視線が顔から服装に移り、あからさまに馬鹿にするような笑みを浮かべた。彼女にとって見た目の華やかさが富の象徴なのだろうかと、イレーニアは半ば無意識のうちに分析していた。


「使用人が何人来たところで、意味はないわよ。私はロベルトに会いにきたんだから」


 そう女性が言い放つと、エルマを始めとした使用人たちの視線が冷ややかになった。あと一押し、きっかけがあれば女性に殴りかかりそうな気配だ。


「ロベルト様は領地の視察で不在にしています。用件なら、妻の私が聞きます」

「妻? この人が? 嘘でしょ。地味すぎ」


 女性の声は小さかったが、イレーニアの耳には届いていた。

 同じく聞こえていたエルマが口を開く前に、女性はベランジェールと名乗った。


 芝居がかった動作で旅の踊り子と自己紹介する姿は、優美で人の視線を惹きつけるものがある。王族の前で芸を披露したというのは、事実だと裏付けられるほど洗練されていた。


「奥様、私とロベルト様が恋愛関係にあったことはご存知? 少しだけすれ違いがあって離れていたの。まさか結婚していたなんて知らなかったわ」

「風の囁き程度の噂なら」

「私はね、とても傷ついているんです。だって、ようやく結婚してあげる気になって会いに来たら、他の女と結婚していたなんて……」


 ベランジェールは悲しそうに目を伏せた。涙こそ出ていなかったものの、悲劇に翻弄されて疲れているように見える。自分が他人からどう見られているのか、正しく理解していなければ、こうはいかない。


 イレーニアは感心していた。従姉妹のリオネラは性格が行動に現れて人々を魅了しているが、ベランジェールは計算し尽くした行動で同等の効果を引き出している。自分に関係がなければ、もう少し観察してみたいところだ。


「ベランジェールさん? 私はあなたの方から別れを切り出したと聞いているわ」

「ちょっとした駆け引きですよ、奥様」


 ベランジェールはことさら『奥様』という単語を強調した。


「お見合いで結婚する貴族のご令嬢には理解し難いかもしれませんが、恋愛ではよくあることです」


 あなたには分からないでしょうけど――イレーニアはベランジェールが省略した言葉を正しく受け取った。


「ロベルトって真面目すぎるでしょう? 言葉通りにしか受け取ってくれないし、ちょっと頼りないっていうか。私と結婚する気はあったみたいだけど、将来が不安になってもおかしくないじゃない。でもね、まさか駆け引きに気がつかないなんて……つまらない(ひと)だと思いません?」


 媚びる視線の中に、イレーニアを世間知らずと侮る光が見える。本気でこちらを見下していることは、嫌でも伝わってきた。


「今のあなたに、ロベルト様を呼び捨てにする特権はありません」


 ベランジェールはあからさまに気分を害した顔になった。


「それは彼が決めることじゃないの?」

「それから、私の部屋を漁る権利もありません」

「私、傷ついてるって言ったでしょ。結婚する気にさせておいて、約束を破ったんだから。貴族様には分からないでしょうけど、旅をするのはお金がかかるの。隣の国からここまで、私がどうやって来たと思ってるの? ここは物騒な田舎なんだから、護衛を雇うお金もいるのよ」

「それは大変でしたね」

「それだけ?」


 イレーニアの感想は、お気に召さなかったようだ。驚きから怒りにベランジェールの顔が変わる。


「苦労してたどり着いたのに、それだけなの? 普通なら、妻のあなたが夫に代わって慰謝料を払うものでしょ!」

「そう言われても、私が自由にできるお金はありません。ロベルト様もしばらく帰ってきませんし」


 話し合いでは解決しそうにない。どう話を誘導しようかと悩むイレーニアは、ベランジェールが抱えたままの小箱に目をつけた。そっと小箱を取り上げて蓋を開けると、ベランジェールが興味深く注目してきた。

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他にも異世界ファンタジーとか書いてます。暇つぶしにどうぞ。



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