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3 辺境までの道

 辺境伯とは一度も顔を合わせないまま、結婚式の前日になった。イレーニアは夫となる人物について、まだよく分かっていない。


 何度か手紙のやり取りをしたものの、当たり障りのないことが綴られるだけで、まるで報告書を読んでいるような印象だった。イレーニアとの結婚をどう思っているのか、まるで読み取れない。だが手紙を出せば必ず返ってくるので、一応は婚約者として認識されているのだろう。


 リオネラが話していたことについて、それとなく周囲に探りを入れてみたところ、身分違いの恋愛をしていたのは事実だと証言が得られた。ロベルトが社交界に相手を連れてくることはなかったが、仲睦まじいところは目撃されていたらしい。旅の踊り子だという相手は、ロベルトに王位を継ぐ意志がないと知るなり、さっさと出国してしまったという。


 別れる間際の出来事は、語る人によってまちまちだった。リオネラが言う通り、真実は本人たちにしか分からないのだろう。


 イレーニアは父親が一人になる頃合いを見計らって、もう一つのことを確かめたくて書斎へ向かった。快く出迎えてくれたヴェネリオに、さっそく話を切り出す。


「ロベルト様はどのような方なのでしょうか。手紙では人柄が読み取れませんし、尋ねる人によって印象が変わります」


 ヴェネリオはしばし考えたのちに、穏やかに言った。


「様々な噂があることは、俺も掌握している。だが、真実を述べているのは、ほんの一握りだけだ。いいか、発言者がいくら真実を語ったとしても、人々の間を流れるうちに、内容が歪んでいってしまう。嘘を見抜けるだけの事実を知らないうちは、信じないように」

「では辺境伯が立場を利用して謀反を起こそうとしていると言うのは、嘘と信じてもよいのでしょうか?」

「……どこでそれを聞いた?」


 わずかにヴェネリオが動揺したように見えた。彼は騎士団長という立場から、様々なことを知る立場にある。もし辺境に不穏な動きがあれば、何らかの形で問題解決に関わっているはずだ。


「お前はその話を広めてはいけないよ。明確な証拠もなしに、人を裁くことがあってはならない」

「ええ、もちろん私から言いふらすことはしません」


 明確な答えを求めていたイレーニアに対し、ヴェネリオから返ってきたのは一般的な忠告だった。


「ですが不穏な話のどこまでが真実なのか、判断する材料に欠けております」

「不安なまま嫁がせてすまない。だが第一印象というものは、意外と当たっているものだ。手紙に書かれていたのは、無機質な報告だけだったか? 辺境伯は言葉を飾ろうとしないだけだ」


 ヴェネリオはロベルトを信用しているらしい。ふとリオネラが、どこに敵が潜んでいるのか分からないと言っていたことを思い出した。誰を信じればいいのか分からなくなってきた。


「何かあれば連絡しなさい。辺境は我が領地の隣だ。いつでも助けに行く」


 娘を心配する父親そのものの顔でヴェネリオは言うが、いまいち彼の立ち位置が不明だ。王家からの打診でイレーニアの嫁ぎ先を決めたなら、王からの信頼は一定以上ある。だがヴェネリオの部下はどうだろうか。


 ヴェネリオは武勇だけでなく政治的な駆け引きも得意だ。軍事には素人のイレーニアから見ても、騎士団をうまくまとめていると思う。だが従順そうに見せかけるのは、そう難しいことではない。騎士団やその上の国に忠誠を誓いながら、裏切りに加担する者だっているだろう。


 新たに疑う範囲が広がっただけだった。ヴェネリオは王宮で知られている真実を明かしてはくれない。母親に聞いたところで、結果は同じだろう。あちらは社交界の噂など気にするなと言うだけだ。


 * * *


 翌日になり、ようやくイレーニアはロベルトに会えた。


 高位貴族の結婚は教会で誓約する前に、国王の謁見が待っている。王城に両親と共に呼び出されたイレーニアは、謁見の時間がくるまで控室に通された。両親は到着して早々に、別の部屋に通されている。


 慣れない場所で緊張しながら待っていると、控えめに扉を叩く音がした。イレーニアが返事をすると、静かに開いた扉から騎士の正装をした男が入ってきた。


 一目でロベルトだと思った。背は高く、やや細身のせいか威圧感は感じにくい。国王と同じ亜麻色の髪を一つに束ねている。青い瞳は王妃譲りなのだろう。黒を基調とした正装は似合っていたが、彼自身の雰囲気は文官のような柔らかさがあった。


 腰の剣は服装に合わせて下げているのかと思ったイレーニアだったが、室内に入ってきたロベルトを見て、すぐに考えを改めた。歩き方に違和感がない。左側に重りがあっても姿勢が崩れておらず、明らかに剣を扱い慣れている者の動きだ。


 目が離せない。相手のことをもっと知りたい。慣習に則って手紙だけの交流をしていたのが悔やまれる。


 ――予想外だったわ。


 まさか自分が一目惚れを体験するなんて、夢にも思わなかった。見た目だけで恋をするなんて馬鹿馬鹿しいとさえ考えていた。だからなのか、好きという気持ちよりも、まだ驚きのほうが大きい。


 今日からこの人が自分の夫になる。嬉しさと恥ずかしさで混乱しそうだ。誰かのことで頭が一杯になる苦しさもある。幸せなのは間違いないのだが、今の心理状態を表せる言葉が見つかりそうになかった。


 イレーニアがソファから立ち上がると、ロベルトは挨拶はいらないと言って、首を横に振った。高すぎず、低すぎない、落ち着いた声だ。


「ロベルト・デル・オルドーニだ。今日から君の夫になるらしい」

「イレーニアと申します。ボルタ・ロゼ家より参りました」


 夫婦になるとは思えないほど、他人行儀な紹介だ。初対面だからかと納得しかけたイレーニアに、ロベルトは君も災難だったなと言った。


「留学から帰ってきたばかりなのに、俺のような社交界の笑い者と結婚することになるとは。想像もしていなかっただろう?」


 ロベルトの声にはイレーニアへの同情がにじんでいた。


 己の境遇を悲観しているようには見えない。リオネラから聞いた、逆恨みで周囲に害をなそうとしている辺境伯の印象とは全く違う。


「二年、我慢してくれ」


 困惑しているイレーニアに、ロベルトが提案してきた。


「君に妻の役割を押し付けることはしない。寝室には絶対に近寄らないし、決して君に不利なことはしないと誓う。夫婦として過ごした時間がないなら、君は傷物にならず、俺の有責で離婚できる。離婚後は可能な限り、君が望む良縁を用意する。だから二年間は、我慢してほしい」

「そんな……でも」

「俺が辺境に即戦力が欲しいと要請したのが、原因なんだろう。ボルタ・ロゼ家から戦力を送ると申し出てもらえたのは助かる。だが君を犠牲にして成り立つ約束になってしまったのは、こちらの調整不足だ」


 援助の理由づけに、イレーニアと結婚することになり、ロベルトも困惑しているという点は理解できた。


「何度かもらった手紙から、君の人となりは理解したつもりだ。だからこそ、俺の不名誉な過去に巻き込むことはしたくない」


 ロベルトは、己と結婚する相手は不幸だと断言している。イレーニアに対する謝罪と、夫婦になる気はないという決意ばかりを伝えてくる。


 それでは困るのだ。


 ロベルトという人物を知るには、書類上の妻という立場では不十分だ。帰国してから聞いた評判だけで、彼を判断したくない。


「……ロベルト様」

「会ってすぐに、こんなことを言って申し訳なく思っている。今は理解できなくとも、すぐに俺の悪評を聞けば納得するはずだ。そろそろ時間だな。謁見の間へ行こうか」


 イレーニアがうまく反論できないまま、時間がきてしまった。


 たった数分の間に人を好きになって、失恋まで味わった。正確にはまだ失恋ではないのだろうが、一緒になる未来はないと宣言されてしまったのだから同じことだろう。


 謁見は最初に結婚の報告と聞いていた通り、新たに夫婦となる者の顔と名前を、国王に覚えていてもらうためのものだ。イレーニアの両親は、謁見の間で他の文官たちに混ざって控えていた。ここでは婚姻による家の繋がりは、政治の一部と捉えられている。


 国王への報告は、呆気ないほど簡単に終わった。国王とロベルトは血の繋がった親子だが、公の場では親しみより形式を重んじた謁見だった。


「オルドーニ家の復興と、ボルタ・ロゼ家との婚姻を寿ぐ。永く王国の礎たれ」


 そんな国王の言葉で謁見は終わり、休憩する暇もなくイレーニアは結婚式場となる教会へと連行された。


 揺れる馬車の中で一人座っていると、虜囚にでもなった気分だ。急いで連れていかなくても、イレーニアは逃亡を図ったりしない。それとも結婚に前向きではないロベルトを逃さないためだろうか。


 もうすぐ夫となる人は、謁見の間を出てすぐに別れた。準備に時間がかかる花嫁と別行動になるのは仕方ない。頃合いを見計らって教会へ来るはずだ。イレーニアを気遣ってくれたロベルトなら、花嫁を放置しないと思いたい。


 ――来なかったら留学先に家出しましょう。


 帰国してからずっと、イレーニアは政治の道具として扱われて鬱憤が溜まっていた。みな申し訳ないとか、可哀想と気遣うそぶりを見せるだけで、イレーニアが黙って従うことを望んでいる。


 本当の意味でイレーニアの味方はいない。彼らの頭の中に、この結婚は不幸なものであるという共通認識でもあるのだろうか。なぜかイレーニアは将来を悲観していることになっていて、腫れ物を触るような距離感を保とうとする。


 ロベルトの悪評について尋ねても、曖昧に濁されている。それなのにイレーニアが知っているはずだという前提で話が進んでいく。これでは正しい判断などできない。


「まあいいわ。辺境へ行けば、中央の噂なんて入ってこないし」


 過ぎ去った過去のことを、いつまでも気にしたところで仕方がない。ロベルトが致命的な誤りを犯していたなら、まず辺境伯の候補にすらなれなかったはずだ。謀反の疑いがかけられているらしいが、そんなものはロベルトだけでなく、貴族なら一度は通る道だ。


 馬車が教会に到着すると、待機していたボルタ・ロゼ家のメイドたちに迎え入れられた。手際よく花嫁衣装に着替えさせられ、髪を整えられていく。化粧が終わってから鏡を見ると、綺麗に整えられたイレーニアが映っていた。


「相変わらず見事な腕前ね、あなたたち」

「ありがとうございます」

「このドレス、とても一ヶ月で用意できるものじゃないと思うけれど……」

「いつかくる日のためにと、奥様が仕立てさせたものです」


「お母様が留学中にやたらとドレスの好みを聞いてきたのは、そのためだったのね」

「とても楽しみにしておられましたよ」

「肝心の夫が乗り気じゃない結婚なのが申し訳ないわ」

「で、でも、今のお嬢様を見たら、きっと辺境伯様も気に入りますよ」

「そうなるといいわね」


 なんせ初対面で白い結婚を持ちかけてくる相手だ。綺麗に着飾っただけで態度が変わるとは思えない。


「とにかく、あなたたちの仕事ぶりを見せつけてくるわ。我が家のメイドは優秀なのよって」

「お嬢様はもっとご自分の外見に自信を持ってもいいと思いますが……」


 メイドたちは着飾ったイレーニアを綺麗だと褒めてくれる。だが素直に受け取ることができなかった。


 イレーニアの周囲で常に称賛されていたのはリオネラだ。彼女は騎士の制服もドレスも両方とも似合う。綺麗とか、凛々しいという言葉は、リオネラのためにあった。


 学院でも社交界でも、常にリオネラと比較されてきたのだ。自分が一番になれないことなど、とうに知っている。彼女が現れたとたんに、手のひらを返した男もいた。


 同じ赤い髪なのに、リオネラなら情熱的な炎の色と称賛され、イレーニアはリンゴ色に似ていると、一段も二段も下げた表現をされる。イレーニアの金の瞳は生意気な猫のようと言われ、なぜかリオネラの緑色を引きあいにされることが多い。


 イレーニアは暗い思い出を振り払った。こんな日までリオネラのことを思い出すなんて、どうかしている。


 挙式の時間が近づいてくると、ロベルトが迎えにきた。花婿らしい正装をしたロベルトは、誰もが見惚れそうなほど様になっている。


 イレーニアを見たロベルトが、口を開くのをためらっているように見えた。


「心にもないことを仰るつもりなら、おやめください」


 そう先周りをすると、ロベルトは気まずいのか視線を逸らした。


 誰かに花嫁を褒めてこいと、けしかけられたのだろうか。夫婦になる気がないのに、無駄に喜ばせないでほしい。こんな日に言われたら、自分が特別な存在なのだと勘違いしてしまう。


 イレーニアが綺麗に見えるのは、ドレスとメイドたちの努力の成果だから。


「参りましょうか」

「その前に」


 ロベルトは部屋から出ようとしたイレーニアの前に立ち、真っ直ぐ見下ろしてきた。


「君は美しいな」

「お世辞は不要です」

「いや、本気だ」


 不覚にも胸の奥が熱くなった。好きな人に褒められて、嬉しくないわけがない。


「白いドレスに赤い髪がよく映える」

「私はこの色が嫌いです。リンゴのようだと、よく馬鹿にされておりましたので」

「赤は勝利の色だ。俺は好んで身につけている。リンゴも嫌いではないな」


 辺境伯の感性がよく分からない。


 嫌いと言われるよりはいいが、書類上の妻を褒めて、どうしたいのだろうか。妻の機嫌を損ねたら、辺境へ騎士を派遣してもらえなくなると思っているのか――イレーニアは深く考えることをやめた。どうしても良くない方向へと思考が向かってしまう。


 聖堂に入る前に、イレーニアはロベルトの腕に手をかけた。入り口から祭壇まで腕を組んで歩くのが慣習だ。当然ながらロベルトも知っているはずなのに、なぜか驚いた顔で離れた。


「あの……」

「……すまない。他人に触れられるのが苦手なんだ。君は悪くない」


 もう大丈夫だと言い、ロベルトはイレーニアの手をとった。そのまま何事もなかったかのように歩きだし、祭壇へと向かう。


 ――前途多難ってやつかしら。


 できることなら、事前に教えておいてもらいたかった。

 招待客の視線を浴びながら、イレーニアはそっとため息をついた。

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他にも異世界ファンタジーとか書いてます。暇つぶしにどうぞ。



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