24 華やかな一夜の裏で
建国記念行事の後に行われた夜会は、昼間の厳かな空気とは反対に煌びやかだった。各地の領主や王都に住んでいる貴族が集まり、ホールのあちらこちらで談笑に興じている。
最初に国王夫妻に挨拶を済ませ、続いて王太子と軽く世間話をした。隣国から嫁いできた王太子妃は、懐妊を公表したのち、大事をとって夜会には参加していない。
王族に会うのは結婚式以来だ。緊張していたイレーニアに、王太子はこれからもロベルトを支えてやってほしいという内容のことを言っていた。王家には三人の男子がいるが、幸いなことに兄弟仲は悪くない。
二番目の王子――ロベルトの次兄には、君の夫が馬鹿なことを言い出したら遠慮なく殴るといいと、お墨付きをもらった。ロベルトはイレーニアがどう解釈したのか知りたい様子だったが、気がつかなかったことにした。いざという時の手段は、多ければ多いほどいい。
どうしても外せない挨拶を済ませて会場を二人で歩いていると、少なからず遠巻きにされている空気を感じていた。敵意からくる疎外ではなく、どう話しかければいいのか分からないという、きっかけを探る視線ばかりだ。ロベルトはベランジェールと破局してすぐに辺境伯となって王都を離れたので、彼の現在に関する情報に乏しいのだろう。
「……あまり快適とは言えないだろう? こうなると理解していたから、君を巻き込みたくなかった」
「いいえ、快適よ。酔ったふりをして、夫婦生活について根掘り葉掘り聞いてくる人がいませんから」
呆気に取られたロベルトだったが、こちらを気にするくせに動かない周囲を視界の端で観察して、意地悪そうに微笑んだ。
「君のおかげで楽しめそうだ」
「どういたしまして」
その光景が仲睦まじく映ったのか、それとも知り合いと談笑しているところがきっかけだったのか、名前だけは知っている人たちからも話しかけられるようになった。
大半は当たり障りのない話題で終わったが、一人だけ棘を隠さない者がいた。
「贔屓の商人から聞きましたよ。オルドーニ領で魔獣が暴走したとか。辺境伯自ら指揮なさって沈静化したそうですが?」
高齢の男がこちらを案ずる言葉を選びつつ、探りを入れてくる。彼はボルタ・ロゼ領の隣にある領地で、最近まで領主をしていた。息子に家督を譲って隠居していると、イレーニアの母親経由で聞いている。
――現領主が聞くと角が立つから、このお爺さんが出てきたのね。
隣国と接するオルドーニの街道は、ボルタ・ロゼや彼の領地を経由して王都に通じている。ロベルトが領地を安定化させたことで商人の流通が増え、多少なりとも恩恵を受けているはずだ。
領地の税収が減るのを避けたい気持ちは理解できるが、今まで交流を避けられていた相手から『お前の領地管理能力は大丈夫なのか』と聞かれて、気分がいいわけがない。
「ご心配なく。そちらの流通に支障が出る前に、片付きましたので」
ロベルトは挑発に乗ることなく、穏やかに返した。王宮でロベルトがどう振る舞っていたのか、ようやく垣間見ることができた。慎重でそつがない。付け入る隙を見せないところは、彼を操りたいと思っていた者たちには、さぞ目障りだっただろう。
「それならいいが。魔獣だけでなく隣国の侵攻への備えも、お忘れなきよう」
「おや、オルドーニ辺境伯ではないか」
聞き覚えがありすぎる声がした。イレーニアと同じ赤毛――ヴェネリオがワイングラスを片手に機嫌よく立っている。
「バローネ侯もご一緒でしたか。取り込み中でしたかな?」
「貴公には関係ないこと――」
「先日の魔獣討伐について、説明を。物流が途切れると、王都の流通に障りがありますので」
バローネはヴェネリオが苦手なようで、会話から閉め出そうとした。反対にロベルトは内容を明らかにして、ヴェネリオが介入するきっかけを作る。
「おお、あれですか。良き訓練になりましたな!」
ヴェネリオは周囲に聞こえやすい声で言った。
「やはり騎士は戦ってこそ価値を示せるというものです。ロベルト様は兵を鼓舞しつつ勇敢に戦っておられました。教師の一人として鼻が高い。なんなら今からロベルト様の武勇伝をお聞かせいたしましょうか」
「い、いや、儂は」
「何、遠慮なさらずに!」
バローネの背中を強引に押して誘導し、そこそこ大きな声で言うものだから、興味を惹かれた人々が集まってくる。ヴェネリオはイレーニアたちに向かってニヤリと笑い、そのまま適当な位置へと移動していった。
「……バローネ侯は君の父親が苦手なのか」
「彼の息子と私を婚約させようとしたとき、私がクマのように大きな人でなければ嫌ですと拒否したそうです。そんな理由で不成立となるのは可哀想と判断した両家は、子供達の親交を深めるために一ヶ月ほどご子息をボルタ・ロゼ領の騎士団で預かることとなりました。私は当時、わずか四歳でしたので全く覚えておりませんが」
ところが子息は歳が離れたイレーニアのご機嫌をとるよりも、騎士団で心身ともに成長するほうに楽しみを見出してしまった。その結果、王都の騎士団に入ってしまい、家には帰らないと宣言までする始末。息子のバローネ侯は説得を諦め、二番目の息子に領主教育をすることとなったらしい。
後継を騎士団に取られる形となったバローネ侯はヴェネリオを恨んだものの、正面からぶつかるほどの気概は持っていなかった。さらに長男よりも次男のほうが領地経営には向いていたらしく、事情を知らない者たちから、羨ましい、子供の才能を伸ばす良き父親だと賞賛され、本当のことが言えなくなってしまったという経緯がある。
知らなくても特に支障のない確執を聞いたロベルトは、自分の体を見下ろし愕然として言った。
「熊のように大きな……身長はともかく横は……熊を倒せる男では駄目か?」
「駄目ではありませんが、何の話ですか」
「気にしないでくれ。拒絶理由ではないなら、それでいい」
隠されると余計に気になる。休憩するふりをして外へ連れ出し、追求してみようかと計画していると、軽い足取りで二番目の王子が近づいてきた。
「ロベルト。兄弟だけで話せないかと、兄上が」
ちらりと送られた視線で察したイレーニアは、ロベルトから離れた。
「友人たちのところへ行ってきます。どうかお気になさらず」
「身の危険を感じたら、すぐ逃げてほしい」
「さすがに王宮の中で荒事はないと思いますが」
「なるべく早く探しに行く。だから彼らに話しかけられても、挑発しないように」
「それはあちらの出方次第でしょうか」
「イレーニア」
「殿下が待ちくたびれていらっしゃいますよ」
「待たせておけばいい」
実の弟から雑な扱いをされたにも関わらず、王子は面白そうに微笑んでいた。
「愛妻と引き離して悪いね。じゃあ義妹よ、また後で」
王子はロベルトの肩を掴み、やや強引に会場の奥へ引きずっていった。
「心配性ね」
嬉しいが、今は浸っている時間はない。イレーニアは目立たないように会場を抜け出した。
挨拶回りをしている最中に、二度と見たくない顔がうろついていると気づいていた。華やかな表舞台の影で動き回る、ネズミのような男だ。貴族らしい服装をしているが、あの不快な視線は同じだった。
「気がついていただけましたか、辺境伯夫人」
「目の前を走り回っていたら、嫌でも視界に入るわ」
「あの方がお待ちです」
そう言って男は薄暗い廊下を指し示した。
「あなたと行くの? 二人だけで?」
「嫌なら仲間のメイドをつけましょうか」
男はイレーニアに待つよう言い、会場へ入っていった。すぐに戻ってきた男の後ろには、気が弱そうなメイドがいる。不安そうな態度だ。本当の仲間には見えない。言葉巧みに誘い出したのだろう。
もし逃げようとすれば、メイドを人質にされそうだ。男の脅威にならず、イレーニアにとって足枷になる、最適な人選だった。
ニヤつく男に案内されつつ廊下を進んでいく。男はイレーニアを退屈させないためか、やたらと話しかけてきた。
「実は私も学院の出身なんです」
「そう。商人の姿は変装だったのね」
「商人に旅芸人、騎士の従者もやりました。平民なんでね、特に演技をしなくても潜入できるんですよ。おかげで経験した職業は豊富です」
平民で学院に通っていたということは、親が裕福だったり学力の高さを理由に学費を免除されていた可能性が高い。どちらだろうと、イレーニアは興味が持てなかったので、どうでもよかった。
「私が通っていた時は、辺境伯様も在籍されていましたよ」
ちょっとそこ詳しく――イレーニアは猛烈に興味をそそられたが、この男と取引をするのが悔しくて諦めた。絶対に何かを要求してくるはずだ。
「お話ししましょうか」
「結構よ」
結婚する前のロベルトのことは、彼の兄やダリオに聞こうと決めた。特にダリオはロベルトとの付き合いが長い。ちょっと尋問すれば簡単に喋るだろう。辺境へ帰るのが楽しみだ。
速攻で拒否をしたイレーニアに、男は苦笑するしかなかった。
「まあ、同学年といっても、あちらは私のことなど覚えていないでしょうね」
「あなたは、いつから憂国の一人として活動しているの?」
男は自分のことを聞かれたのが意外だったようで、目を丸くした。
「いつからでしょうね……学院にいた頃は、リオネラ様を見ているだけで幸せだった。声をかけていただいた。名前を覚えてくださった。そんなふうに一つ満たされるごとに求めることが増えていって……リオネラ様の望みを叶えるために動くと、距離が近づいた気がしました。いつしか、リオネラ様に仕えることが生き甲斐になっていったのです」
大切な思い出を語る男は、リオネラを思い出してうっとりとした。
「リオネラ様は全てにおいて完璧です。美しいだけではなく、知性と教養も、魔術の腕も。それなのに決して驕るところがない。あの方がいる現在こそ、生きている価値がある時代だ」
男はそこで言葉を切ると、ふとイレーニアの存在に気がついたように付け足した。
「ああ、もちろん夫人も魅力的だと思いますよ」
イレーニアの前でリオネラを褒める男はだいたい、おまけのようにイレーニアにも褒める言葉を投げつけてくる。リオネラのところで賛辞の情熱を使い果たし、イレーニアに辿り着くころには消し炭になっているのに。目の前にいるから、とりあえず綺麗と言っておけば、機嫌を良くしてくれると思っているらしい。
君も魅力的だと思うよという言葉には、リオネラには及ばないけれどという言葉が付随している。
心が伴っていない褒め言葉が、どれほどイレーニアを傷つけるのか、彼らは想像したこともない。彼らにとってイレーニアの価値とは、リオネラと繋がるための踏み台か、手紙の配達人ほどしかない。
この男はイレーニアの心の傷をえぐるのが上手い。
「さて、こちらです」
それなりに高い身分の者があてがわれる控室だろう。男が扉を叩くと、内側から帯剣した護衛が出てきた。
「リオネラ様への客人を連れてきた」
護衛は喋らず、ただうなずいて身を引いた。
「さあどうぞ」
どさくさに紛れて腰に触れようとした男を睨んで制し、イレーニアはメイドに言った。
「あなたはここで帰りなさい。巻き込まれたくないならね」
礼を言ってから急いで廊下を戻っていくメイドを見送り、明るい室内へ入った。





