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21 分岐点3

 馬車の中で力なく座るロベルトには、かろうじて意識があった。腹部の傷は深いようだが、適切に止血を済ませてある。顔色がすぐれないのは、出血以外の理由もありそうだ。


「毒を持つ魔獣にやられたと思われます」


 付き添いの騎士が心配そうに言った。彼自身も怪我をしていたが、自力で歩ける余力はあるようだ。


「襲ってきた魔獣の種類は?」


 イレーニアが尋ねると、騎士は思い出しながら数種類の名前をあげた。


「姿を確認できたのは以上ですが、どの魔獣がロベルト様を傷つけたのかまでは……」

「全て領地に生息している魔獣だったのね?」

「それは間違いありません」

「分かった」


 イレーニアは集まっていた使用人を振り返った。


「エルマ、今から言う薬と薬草を持ってきて。あなたたちは、ロベルト様を寝室へ運んで。寝台には寝かせずに、ソファに傷口を上にして寝かせるのよ。それから、誰かロベルト様の寝室に熱湯を。ポット一杯分だけでいいの。ええと……あなたは、私と一緒に来て。運んでもらいたいものがあるから」


 落ち着かない様子で見守っていた使用人たちは、明確に指示を出されると即座に動いた。不安なままでいるよりも、イレーニアの命令に従うほうが精神的に楽だからだろう。


 付き添いの騎士は、レアンドロと一緒に森へ戻ることにしたらしい。副隊長のセルモンティに、ロベルトを送り届けたことを伝えるためだそうだ。砦にも治療を受けられる設備があるし、父親が治癒師を連れてきているだろう。


 自分の部屋に入ったイレーニアは、必要なものが入った箱を使用人に預けた。一人で運べないこともないが、重いので移動が遅くなってしまう。


 急いでロベルトの寝室へ向かうと、ちょうどソファに移動させられているところだった。協力してくれた使用人たちには礼を言い、指示があるまで通常通りに過ごすよう言い渡しておく。


「ロベルト様。最初はこれを飲んでくださいね」


 箱の中から小瓶を取り出し、蓋を開けた。ロベルトの口元に寄せ、少し傾ける。困惑している青い瞳が見えたので、安心させる目的で微笑んだ。


「毒の巡りを遅らせる薬です。飲まないと次の治療に移れません」


 観念したのか口に含んだロベルトは、ひどい味に苦労しつつも飲み下した。


「該当すると思われる魔獣毒の解毒剤を投与します。痛みますけど、我慢してください」


 ロベルトはうなずいて、目を閉じた。

 頼んだ材料を持ったエルマが合流した。彼女はイレーニアの手順を知っている。箱に入れていたナイフを渡すと、黙って刻み始めた。


 使用人が湯を持ってくると、刻んだ薬草を入れた陶器の器に少しだけ注ぐ。青臭い独特な香りが鼻につく。よく潰して成分を出し、エルマから軟膏を受け取った。


 器の中で軟膏と混ぜ、清潔なガーゼの上に塗った。


「失礼しますね、ロベルト様。苦情は聞きませんし、拒否権もありません」


 返事を聞く前に、ロベルトが着ているシャツのボタンを外した。よく鍛えられた体幹はなるべく見ないようにして、包帯で止血している腹部に目線を落とす。


 血がにじんでいる。包帯を外し、赤黒くなったガーゼを取り去った。


 解毒薬を患部に垂らしながら、魔術で効果を早めた。薬はうまく体内に浸透し、患部の腫れが引いていく。


「エルマ、針と糸」

「こちらに」


 トレイに乗せた針と糸を、エルマが恭しく差し出す。


 ロベルトは薬の影響で眠っている。手早く傷口を縫い合わせ、軟膏を染み込ませたガーゼをあてた。エルマと二人がかりで新しい包帯を巻き、別の傷に取り掛かった。太ももの治療はためらったが、治療行為だから許してくれるだろうと楽観的に考えることにした。


 あらかた治療を終えると、家令のベニートにロベルトの着替えを頼んだ。


「着替えが終わったら、ベッドに運んであげてね」


 使った道具の洗浄をエルマに任せ、イレーニアは自分の部屋に戻った。


 ロベルトの治療は終わったが、毒の影響はまだ残っている。怪我で体力も落ちているだろうし、滋養をつける目的で薬を調合することにした。


 手順は全て指先が覚えている。


 出来上がった薬を持って、またロベルトの寝室へ入る。そばについていたベニートと交代し、ベッド脇にイスを運んで座った。


 ロベルトの呼吸は安定している。顔色も悪くない。うっすらと汗をかいているのは、回復している兆候だ。水で濡らした布で額や首のあたりを拭ってやると、心なしか表情が和らいだ気がした。


 まさか治療がきっかけでロベルトの寝室へ入るとは思わなかった。


 ――今なら殺せる距離ね。


 対象は深く眠っており、目撃者もいない。もし急死したとしても、使用人たちは魔獣の毒が原因だと思うだろう。ロベルトを襲った魔獣の種類については特定されていない。イレーニアが毒つきのナイフで暗殺したと疑う者が、どれほどいるだろうか。


 ――馬鹿馬鹿しい。


 イレーニアは妄想を切り捨てた。

 今のロベルトを暗殺すると、困るのは辺境の人々だ。リオネラたちは喜ぶだろうが、辺境の未来に責任をとってくれるとは限らない。


 ――あの人たちが辺境に何をしてくれるの?


 辺境のために尽力しているのはロベルトだ。辺境伯となった最初のうちは、自分の目で領地の荒廃ぶりを確かめ、私財を投入して改革に努めてきた。税を取り立てるようになったのは、最近になってからだ。


 一度も辺境を見たことがないくせに、オルドーニ領の領民は可哀想だと同情する人たちとは違う。


 イレーニアはスカートに隠したナイフをなでた。

 殺せるわけがない。そんなこと、もっと早い段階で知っていた。


 * * *


 再び訪問してきた商人は、リオネラから砂糖菓子を預かっていた。受け取らないわけにはいかず、玄関ホールで立ったまま会うことにした。


「辺境伯様の調子が悪いと聞きましたよ」

「どこで? 夫なら元気よ」


 商人は、はなから信じていない様子で笑った。


「弱っている今が行動をおこす機会では?」

「常に護衛や使用人が近くにいるのよ。あなたは知らないでしょうけど」

「いやいや、夫婦なら二人きりになる時間なんていくらでもあるでしょう。夜とか」


 相変わらず下品な男だ。イレーニアは無表情のまま、どうすればこの商人を効果的に追い詰められるのか考えていた。


「リオネラ様たちは、あなたが辺境の水に染まることを恐れておられます。ご自身の潔白を示さなければ、あなたも我々の敵だと思われますよ」

「私が行動するのは、今ではないのよ。ここは最適な場所とは言えないわ」

「おや。そうでしょうか」


 イレーニアはわざとらしくため息をついた。


「ここは夫の味方と、それ以外が明確に分かれているわ。彼に何かあれば、必ずそちらの仕業だと露見するわよ。世間に首謀者だと知られるのは嫌なんでしょう?」


 だから構成員ではないイレーニアを使おうとしているのだと指摘すると、商人は困った顔をした。


「改革の先導者は常に正しくあらねばならないと、リオネラ様が申しておりました。初めて世間に名を知らしめるのは、華々しい活躍の時だと決まっているのです」

「そう。壮大な夢ね」


 人の暗殺を企てておきながら、正しい姿と豪語するなんて理解できなかった。きっと言葉を尽くして説明されたとしても、ロベルトの死と華々しい未来を結びつけることはできないだろう。


「とにかく、リオネラ姉様に伝えなさい。私が決着をつけるから、今は手を出さないでって。もうすぐ建国記念で王都へ行くから。私が動くのは、その時よ」

「ええ、もちろん伝えますとも。ですが、せっかく遠路はるばる来たわけでして。何か褒美があってもいいのではないかと」


 下心しか見えない。イレーニアに酌でもしろと言いたいのだろうか。


 イレーニアは控えていたレアンドロを呼んだ。近づいてきたレアンドロが下げている剣を引き抜き、商人の喉へ向かって突きつけた。


「私ね、いま最高に暴れたい気分なの。特別に案山子役をさせてあげましょうか?」

「あっ……いえ、用事を思い出したので、このあたりで……」


 急に態度を変えた商人は、呆気なく帰っていった。


「自分から挑発してきたくせに、ちょっと剣を向けただけで逃げるなんて情けないわね」

「どう見ても構えかたが素人じゃなかったからじゃないですかね」


 剣を貸してくれたレアンドロは、率直に自分の意見を述べた。


「だって中途半端な構えをしたら、剣を教えてくれたお父様が悲しむわ」

「怒るじゃなくて悲しむってところが、娘に甘い父親って感じがしますね」

「もう。私のことはいいのよ。それより、アレを追いかけて、誰と接触するのか確かめてきて」

「相手を確かめるだけでいいんですか?」


「アレは伝書鳩だけが仕事じゃないわ。捕まえるのは、もっと先になるでしょうね。でもね、もしボルタ・ロゼ領で不埒なことをしたら、捕まえてお父様に届けてあげて。方法は任せるわ」

「かしこまりました。お嬢様からの贈り物として、リボンを結んでおきますね」


 きっと荒縄と同じ材料で作った、暴れるほど結び目が絞まるリボンだろう。ボルタ・ロゼの騎士たちは、訓練用に魔獣を生け取りにすることがある。元気な獲物の扱いには慣れていた。


 静かに玄関を出ていくレアンドロを見送り、イレーニアはロベルトの様子を見に行った。

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他にも異世界ファンタジーとか書いてます。暇つぶしにどうぞ。



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