19 分岐点2
イレーニアとの結婚が決まるよりも前のことだ。ロベルトは不審に思って調べ始めたことがある。
武器や建築資材の一部が横流し、もしくは隠されていることは以前から掴んでいた。辺境までは届いているのに、砦などの末端へ行くまでに消えている。運搬しているものの特殊性を考えると、騎士団の中に犯人がいるとしか考えられない。
そんな経緯で始めた調査が、まさか結婚というおまけまでついてくるとは思っていなかった。
「やはり怪しいのはデルネーリ隊長の周辺かと」
密室にした執務室で、重苦しく口を開いたのは、セルモンティ副長だった。元は国王直属の騎士団に所属していた騎士だ。ロベルトを軍事面で支えるために抜擢された人材で、辺境の騎士団の中では最も信頼している。
辺境伯となって領地に来たときから、現地の騎士団からはあまり歓迎されていない空気を感じていた。予定ではセルモンティを隊長にするつもりだったが、彼らの反発を避けるために、デルネーリのままにしておくなどの対抗策をとることにした。おかげで表面上は問題なく運用されていたのだが、やはり水面下では不穏な流れができていたようだ。
「目的は俺の失脚か」
「おそらく」
長い間、辺境伯不在で緩やかに衰退していった領地だ。国境が近いので防衛面はかろうじて維持されていたが、それ以外は当然のように不正が行われていた。
急に取り締まりを厳しくしたところで、全ての不正が消えるほど簡単な話ではない。今まで楽園にいた者たちは取り分が減ることを警戒し、厄介な責任者――ロベルトを賄賂漬けにするか、辺境伯の地位から引きずり降ろす行動にでた。ところがロベルトに応じる気配は微塵もなく、籠絡しようと近づいてきた者は片っ端から捕まえていく。後に残ったのは正直者と用心深い不正者だけだ。
デルネーリは昔から派手な遊びを好んでいた。本人は独身だから金が余っていると言っていたが、給料以外に資金源がありそうだ。
「デルネーリと共に甘い汁を吸っていた者が、ロベルト様の命令と偽って、何かしらの行動に出る可能性が高いですね」
ダリオが嫌悪感を隠そうともせず、装備品の資料を眺めている。報告された数と、実際に保管されている数が合っていない。文官として王都で仕事をしたことがあるダリオによると、不正の仕方が杜撰すぎてすぐに気がついたそうだ。狡猾な中央の役人は、もっと巧妙に偽装すると言っていた。
それはそれでどうなんだとロベルトは思ったが、今は関係ないので聞き流しておいた。中央のことは父親や兄たちがうまくやるだろう。
「デルネーリの行動ですが」
セルモンティが地図の一点を指した。
「ロベルト様から辺境伯の地位を奪うなら、隣国を刺激するよりも王都へ向かって兵を動かして、王位の簒奪に見せかけるほうが最も被害が少ないでしょう。自分たちが死んでしまっては元も子もありませんから、交渉なく本気で戦ってくる相手は選ばないはずです」
隣国へ侵攻すれば、確実に相手は戦いを選ぶ。たとえ兵を引いたとしても、そのままオルドーニ領へ攻めてくる可能性が高い。しかし国内であれば、まず交渉を持ちかけてくるだろう、もし攻撃されたとしても早々に降伏すれば命までは取られないと計算しているようだ。
「問題は王都までの通り道となるボルタ・ロゼ領ですが、ここを全力で駆け抜けて隣の領へ入ってしまえば、簒奪の意思表示ができるかと」
「ボルタ・ロゼ領の騎士たちは血気盛んだからな。境界付近に武装した集団がいれば、まず足止めしてくるだろう。さらに俺が集団の中にいないと知ったら、偽装だとすぐに気がついてくれる」
領主であるヴェネリオは、騎士団の運用について教えてくれた教師でもある。生徒が自分の教えとは違う行動をしていたら、まず真意を問いただそうとしてくるだろう。
デルネーリはロベルトとヴェネリオの関係を知っている。だからこそボルタ・ロゼ領で捕まってはいけないのだ。
「各地の砦でも警戒が必要でしょう。本命の目的を達成しやすいように、反乱を起こしてロベルト様を足止めしてくるかもしれません」
「根回しが必要だな。父上は当然のこととして、ヴェネリオ殿に協力を仰げないかと」
「交渉の伝令が必要なときは僕が行きましょう」
ダリオが自ら立候補した。
「書簡のやり取りだと、デルネーリ派の騎士に情報が漏れるかもしれません。筆頭補佐の僕なら、辺境伯の結婚相手を探すという理由で、いつでも領地を抜け出せますし」
「……なぜそこで俺の結婚の話に?」
「やだな、例えですよ。それぐらい身軽だって意味です」
呑気に笑うダリオに釣られたのか、セルモンティまで顔がニヤけている。
「ダリオ殿の行動理由はともかく、彼を伝令に使うのは私も賛成です。デルネーリ派に見せたくない書簡は機密文書扱いにできますし、特使の権限もあるダリオ殿なら持っていても怪しまれません。こちらはもう少しデルネーリの不正について調べておきましょう。特に盗んだ物資をどこへ隠しているのか気になります」
「現段階では推測も混ざっています。もっと証拠を集めて彼の部下ごと捕まえないと、お互いに協力しあって逃げ道を作られるでしょうね。今まで取り締まりの網に引っ掛からなかったのは、他の役人と比べて協力者の数が多かったからです」
密会を終えてヴェネリオらと連絡をとったところ、すぐに色良い返事が返ってきた。辺境が抱えている問題は彼らも気になっており、不自然ではない程度に支援する機会を探っていたという。
だからなのか、イレーニアとの結婚が仄めかされて入籍するまで、ロベルトの意見は有って無いようなものだった。
* * *
デルネーリ率いる騎士たちを追っているときから、やけに魔獣が多いと感じていた。魔獣は興奮しているのか、森の中を騒がしく動き回り、ロベルトたちの気配を察知すると襲いかかってくる。巡回任務であれば退却して原因を探るのだが、デルネーリたちの背中が見えている今は、立ち止まっていられなかった。
なんとかデルネーリは捕縛したが、一部の騎士は取り逃がしてしまった。ロベルトは連れてきた騎士を二つの組に分け、片方に追跡を命じた。
「首謀者は捕まえたものの……沈黙したままなのが不気味ですね」
セルモンティが囁いた。視線だけデルネーリの方に向け、警戒している。
縛られて地面に座っているデルネーリは、普段の態度と変わらなかった。自分は間違ったことをしていないと確信しているのか、それとも別の企みが成功すると思っているのだろうか。武装を解かれ、縄をかけられた瞬間から喋ることを止めてしまった。
「デルネーリ。武器や資材の隠蔽は、お前の指示か」
近づいて呼びかけると、デルネーリはうっすらと笑った。ようやく気がついたのかとでも言いたげだ。
「盗んだ資材で森の中に宿営地を作ったのは、王都へ進軍するための下準備だな。誰の指示だ」
「さあ? ご自慢の情報網で調べたらどうです?」
ようやく口を開いたかと思えば、返ってきたのは安い挑発だった。
「貴様っ……この期に及んで」
デルネーリを見張っている騎士が、不敬な態度に憤る。ロベルトは身振りで、挑発に乗るなと示した。
彼らが作っていた宿営地には、武器の他に水や食料なども備蓄されていた。数日分は余裕があっただろう。一度に購入すれば、嫌でも目立つ。だがオルドーニ領で食料の買い占めがあったとは聞かない。砦などに搬入された食料に手をつけた様子はなかったので、どこか他の領地から運んできたはずだ。
隣のボルタ・ロゼでも不自然な買い占めはなかったと聞く。もっと遠いところから運ばれてきたのに、証拠が一切ないのはおかしい。
――商人に偽装して荷馬車で運んできたか。
デルネーリたちは辺境から出ていない。運搬させた実行役と資金を提供している支援者が必ずいる。そいつは遠いところから、ロベルトが失脚する様子を眺めているのだ。
「憂国の鷹か?」
デルネーリは答えない。こちらをあざける笑みで心を隠して、煙に巻こうとしている。嘘をつくことに慣れきった、自然な笑顔だ。
国内の憂慮を排除するという名目で行動する集団――憂国の鷹には、以前から目をつけられていた。辺境伯の役目について高説を書き記したものから、地位の返上を促すものまで、匿名で手紙が届くことがあった。ロベルトには効かないと察したのか最近では大人しかったのだが、単に手段を変えただけだったようだ。
「俺の足を引っ張るために、わざわざご苦労なことだ。無駄に終わったな」
「無駄かどうかは、まだ結果が出ていない」
デルネーリの視線がロベルトの後方にそれる。
背後がにわかに騒がしくなった。商人の幌つき馬車が封鎖されているはずの街道を疾走している。御者台に座った男は、引きつった顔で馬を止めようとしているが、興奮した馬は止まりそうにない。
――馬車?
憂国の鷹が支援したのは、水と食料だけだろうか。デルネーリは何かを待っている。指揮官は作戦が失敗しそうな時に備えて、あらかじめ複数の打開策を考えておくものだ。
「あの馬車を止めろ!」
ロベルトの声に反応した騎士が、己の馬に乗った。
馬車の荷台から樽が落ちてきた。中に詰まっていた粉を撒き散らし、ロベルトたちの周囲に甘い香りを漂わせる。
荷台にいた男女の顔が一瞬だけ見える。
胸の奥に残っていたものが、再び痛みを与えてきた。
「――ベラ」
「ロベルト様!」
セルモンティがロベルトを押しのけ、襲いかかってきた影の間に割りこんだ。鈍い金属音で現実に戻されたロベルトは、手にした剣で敵の肩を狙って振り下ろす。ロベルトが斬りつけた敵は、逃亡していたデルネーリの部下だった。混乱に乗じて近づいてきたようだ。武器を取り落とし、肩をおさえて再び逃げようとしたところを、周囲の騎士が昏倒させた。
デルネーリがナイフを片手に、後ろへ下がった。騒動で監視の目が緩んだ隙に、縄を解いたらしい。デルネーリは懐から小さな袋を出し、自分の体に振りかける。
「じゃあな、王子様。魔獣の餌になってくれ。俺は沈静化してから、あんたの遺品を持って王都へ行くよ」
馬車が来た方向から、咆哮が聞こえる。甘い香りは魔獣"寄せ"だと理解するより早く、ロベルトは周囲にいる騎士へ告げた。
「セルモンティと三名でデルネーリを追え! 残りは魔獣に対処しろ!」
あの馬車は魔獣を誘いながら、ここへ来たと思われる。運び屋は積荷のことを知らなかった可能性が高い。あの怯えで引きつった顔を見れば、狂った作戦と知りつつ引き受けたとは考えにくい。
セルモンティは連携を考えて三人選び、デルネーリを追いかけていった。
馬車は騎乗した部下が追いかけている。進行先は領地の境にある砦だ。もし討ち漏らした魔獣が行ったとしても、安全圏から始末できる造りになっている。
逃げている時間はない。
「森の中へ入れ! 術士、防壁の結界を。皆は前に出すぎるなよ。防壁と木を盾にして、確実に息の根を止めろ」
周囲から呼応する声が上がる。
ロベルトはイレーニアからもらった小袋を取り出した。袋の口を開けて匂いを確かめ、左手に握りこむ。
半透明の膜が張り巡らされたとき、耳障りな咆哮をあげて魔獣の集団が見えた。
「ずいぶんとたくさん集めやがって……」
どこかから呆れた声があがった。
よほど強力な薬を使ったのだろう。興奮しきった魔獣は、結界にぶつかっても勢いを落とさず、その場で暴れ回った。最初こそ順応できてきたが、魔獣の数が増えてくると次第に押されるようになってきた。
「ロベルト様、防壁がもう限界です!」
膜の表面にひび割れが見える。防壁を越える個体も現れてきた。
ロベルトは握ったままだった小袋を上に投げ、落ちてきたところを切り裂いた。中に入っていた粉が周囲に散り、味方に降り注ぐ。
「全員、備えろ」
ガラスが割れるような音と共に、魔獣がなだれこんできた。
ひたすら目の前に現れる敵を斬り、不利な状況になっている部下を助ける。時間の感覚はとうに消えた。怪我をした熱さはあるものの、痛みは感じない。
どれほど長く戦っていたのか、唐突に森の中を氷の矢が降り注いだ。
「婿殿、無事か!」
よく通る、力強い声がした。
現れた集団が散開し、次々と魔獣を屠っていく。オルドーニ領とは違う武具を身につけている。
「ボルタ・ロゼ家の……」
「あとはこちらが引き受けよう」
戦斧を手にしたヴェネリオがそばに来た。彼の部下は細かい指示を受けることなく、森の中を走り回って魔獣を駆逐していた。
「来て、下さったんですか」
「ボルタ・ロゼ家の地を通過しようとしている不届者の件、知らせてくれたことに感謝する。レアンドロからきな臭い話も聞いていたのでな。盟約に従い、加勢に参った」
立ち止まったせいなのか、体がふらついた。ヴェネリオに支えられたとき、ロベルトは自分が脇腹から出血していることに気がついた。いつ怪我を負ったのか、全く心当たりがない。
「許しをもらえるなら、最速で治療できる場所へ運ぶ。いかがかな?」
ヴェネリオは空いている片手で、緑色の石を差し出してきた。透明度が高い石の中央には、魔術由来の品であることを示す印が見える。
これにロベルト自身の魔力を注げば、石に封じられた力を使う許可を出したことになる。
「まだ、逃亡者が」
「我々が引き受けよう。俺は教え子を助けたいと思う以上に、結婚したばかりの娘を寡婦にしたくない」
そういえばヴェネリオの髪は、イレーニアと同じ色だなとロベルトはぼんやり思った。
――礼を言わないと。
イレーニアが渡してくれた粉は魔獣"避け"だった。ほんのわずかだが魔獣の勢いが衰え、結果としてヴェネリオたちが到着するまで持ち堪えることができたのだ。
ベランジェールたちが撒き散らしていたものとは香りが違ったから、信じて使う判断を下せた。
ロベルトは緑の石に手を置いた。手袋越しなのに冷たい感触が伝わってくる。無性にイレーニアに会いたくなって、そのまま意識が遠のいた。





