17 巡る因果2
「これが新しく考案された包帯か」
イレーニアが留学先で手に入れた包帯を手に、ロベルトは感心したように言った。
「光沢がなくて絹とは違う手触りですから、昔はあまり注目されていませんでした。ですが木綿に似た軽い生地が作れると知れ渡って、産業にならないかと開発されていたのです」
「君が言う通り、軽いな。触った感触も悪くない。患部に巻くには最適か」
「綿花を育てる面積よりも狭い範囲で、綿花よりも長い糸を生産できます。さらにサテラの木は、この領によく生えているでしょう?」
「曲がりくねっていて、建材にも工芸品にもならない木だな。根が硬くて開墾の敵だ。そんな扱いに困る木が食料になるとは」
ロベルトは箱の中でサテラの葉をかじる虫に視線を移した。丸々と太った芋虫を見ても、ロベルトは動じていない。
日課になったお茶の席で、イレーニアは虫を飼ってもいいかと話を持ちかけていた。判断材料として包帯を持ってきたのは正解だったようで、感触を確かめているロベルトに忌避する表情はない。手首に巻いて動かしてみたりと、積極的だった。
「事業計画もよく練られているし、俺としては異存はない。ただ、条件が一つ。領地の今後に関わることだから、資金は君の財産ではなく、こちらから出させてもらう。責任者は君のままでいい」
「融資していただけるということですね。でも、領地のお金で私が運営することになりますけど、よろしいの?」
「サテラの木が群生している村がある。昔は鉱山があって栄えていたが、近年では産出量が半分以下に減って、閉山を検討していた。今のうちに新たな産業を根付かせて、住民の生活が低下するのを防ぎたい」
村の名前を聞いたイレーニアは、うなずくだけにとどめた。鉱山の仕事が減って、お金を稼ぐために女性が近隣の町へ流出していると問題になっていた。まともな仕事が見つからず、体を売ることが増えているとボルタ・ロゼの騎士たちが報告している。
少し調べただけで手に入った情報だ。各地を視察しているロベルトの耳に入っていないわけがない。
「できることなら、あの村出身の者を優先的に関わらせたい」
「虫への嫌悪感を乗り越えられるなら、男女問わずできる仕事です。私としては、包帯や生地の作成まで、その村で完結させたいですね」
「機織り機の購入なら伝手があるが……包帯用は構造が違うのだろうか」
「基本の構造は同じです。織り方が少し違いますが、機織りに慣れた人であれば問題なく生産できるかと」
「方針は決まったな。虫の調達はどこから?」
「それなら適任がいます。ジータというメイドなんですが」
ロベルトの顔がわずかに強張った。
「彼女はロベルト様のお役に立ちたくて、強硬策をとったそうです。軽率だったと深く反省してましたから、解雇ではなく活躍する機会をあげたいのです。この虫を見つけてきたのはジータなんですよ。触れるのも平気なようですし、採集と飼育を任せてもよろしいですか?」
「メイドの人事権は君とメイド長にある。君たち二人が納得しているなら、その通りに。その……彼女はそれでいいのだろうか」
「しっかりと意思を確認いたしました。やりたくないという言葉は出てきませんでしたよ」
ジータはやりたくないと態度に出していたが、はっきり言っていない。勝手にやりたくないのだと察して、勘違いだったら可哀想だ。彼女から申し出てくるまで、保留しておこうと決めている。
「それとも……また寝室に侵入されることを警戒しておられますか? 大丈夫です。彼女は屋敷ではなくて現地へ赴任してもらいましょう。採集中に魔獣に襲われないように、女性の騎士を護衛につけますね」
「そこまで考えているなら問題はないか……ないよな?」
最後の一言は小声だった。何かを見落としている気がするのに、発見できない。そんなもどかしさが見え隠れしている。
イレーニアが言っていることは間違いではないが、事実を全て明らかにしていない。その隠しているところに引っかかっているらしい。
――なんだか旦那様と知略で勝負している悪女になった気分だわ。
自分よりも先にジータが寝室へ入った。清掃の仕事ならなんとも思わなかったが、恋愛感情で暴走したと聞かされて、少し意地悪なことをしてしまった。そう素直に告白したら、きっとロベルトを困らせてしまう。
やり口の陰湿さを反省しているが、後悔はしていない。感情で動くなんて自分らしくない、書類上の妻なのだから、もっと謙虚にしようと改めて思った。
* * *
ダリオは新たに追加された予算の項目を目で追いながら、率直な気持ちをエルマに言った。
「虫の捕獲と飼育に、あの問題をおこしたメイドが抜擢されてるけど、左遷って認識でいい?」
「理由の三分の一は左遷でよろしいかと」
「残りは?」
「商売の知識に乏しく、武力で反抗することがない。かつ命令を遂行してくれる人材が必要でした。ジータは庭荒らしの件で、自分が常に監視されていると勘違いしています。イレーニア様を裏切ったら、即座に処罰されると思っているでしょう。現時点では彼女が最も適任です」
「たとえばなんだけど、もし彼女が滞在先の村から逃走したら?」
「逃げられませんよ」
この返答は予想外だった。ダリオが聞き返すと、エルマは同じ言葉を繰り返した。
「逃げられないように、しっかり教えましたから。勝手に村から出て行ったり、屋敷で知ったことを誰かに教えたら、場末の娼館に売り飛ばすぞって。あの村から近い町には、そこそこ大きな夜の店が並んでますからね。ちゃんと社会見学として街の風景を見せてから、村へ行く予定です」
仕事で知った機密を漏らさないよう、契約書に署名させることと同じだとエルマは言う。契約をよく理解していない相手には、違反すればどうなるのか言って聞かせるよりも、見せるほうが早い。
「あ。現地を見せるのは、連れて行く女性騎士の案です。イレーニア様の発案ではありません。独断なのでイレーニア様には言わないでくださいね」
「そ……そうなんだ」
うっかり喋ったらシメられそうな気がする――ダリオは沈黙を選んだ。
「他にも聞きたいことはございますか?」
「そうだね……イレーニア様って、実はロベルト様が好き?」
「えっ今更ですか?」
明らかに可哀想なものを見る目を向けられた。ダリオは視線に耐えられなくなって、書類から天井へ顔を向ける。
「まあ、イレーニア様からお気持ちを打ち明けることはありませんので、距離を保ったまま離婚なさるのでしょう」
「いや、でもさ。裏庭でかなりいい感じの雰囲気だったような?」
「異性が苦手で白い結婚を持ちかける人に対して、あからさまな感情をぶつけろと? なかなか酷いことを言いますね」
「でもなぁ……ロベルト様も、イレーニア様にはあまり苦手意識を持ってないんじゃないかな? 世間の新婚夫婦と比べると距離があるけど、以前のロベルト様なら二人きりで同じ空間にいるなんて考えられなかったわけで」
「慣れてもらえるよう、イレーニア様が立ち回ったということでしょう」
「だからさ、その先も乗り越えられるような気がするんだけど」
「それは無理です」
エルマはあっさりと言いきった。
「旦那様の感情に変化がなければ、平行線のままでしょう」
「僕らが協力しても?」
「下手に手を出すと火傷しますよ」
余計なことをするなと言われたような気がした。エルマは容赦がない。
「なぜ二人の関係を変えようとなさるのか、理由をお聞きしたいのですが」
「ロベルト様には、ここで潰れてほしくないんだよ。領地改革が軌道に乗ってるし、僕も今の立場から降りたくない。王都で政治闘争をしながら文官やらなくてもいいからね。イレーニア様が嫁いできてから、いい意味で屋敷の中に緊張感がある」
ロベルトの言う通りに二人が離婚したとしても、また縁談を持ちかけられる。辺境の守りを盤石にするために、今度は政治面で影響力を持っている家から相手が選ばれるかもしれない。それがイレーニアのように理解してくれる女性である保証など、どこにもない。
ダリオから見たイレーニアは、理想的なところにいた。国境に異変があれば、彼女の実家から支援を得られる。辺境の改革にも積極的で、離婚する予定にも関わらず知識を出し惜しみしない。
何より、ロベルトが自分から歩み寄る姿勢を見せているのが大きい。ベランジェールと破局したばかりの頃とは別人のように――飾りではない笑顔を女性に向ける日が再びくるとは思わなかった。
傷が癒え始めている。
良い兆候だからこそ、イレーニアにはこのまま留まってほしい。勝手な願いだが、それが最も円満な結末だと感じていた。
「ダリオ様は旦那様と長く親交があるそうですね」
「そうだよ。だから肩入れしたくなる。イレーニア様がロベルト様を嫌っていないなら、このまま夫婦でいてほしいと思ってる。駄目かな?」
エルマは長く沈黙してから、そうですねとだけ答えた。侍女らしく多くを語らない。職業柄もあるだろうし、ダリオを信じきっていないからだろう。それはそれで構わない。お互いの主人に危害を加えなければ、敵になることはないからだ。
エルマと別れたダリオは、ロベルトの執務室へ向かった。ノックをしてから入ると、じっと机の上に視線を注ぐロベルトが見えた。
「追加された事業の予算配分ですが、今年は税収の増加が見込めそうなので赤字にならずに済みそうです。それでも余裕はありませんが」
「ああ。わかった」
どこか上の空なロベルトは、机に広げていた紙片のうち、一枚をダリオに見せた。
「夜中にボルタ・ロゼ領を駆け抜けようと思ったら、やはり領地の境にある森に宿営地を設けるのが最適だろうな。集めた物資の備蓄も兼ねて」
「あ、それですか。近隣の町とか村にも寄らずに、ってことですよね? ギリギリまで森に隠れながら移動して、難関のボルタ・ロゼ領を抜けたら、王都まで一気に行けそうですね」
ダリオは紙片の文字を確認してから、ロベルトに返した。概ね予想通りのことしか書かれていない。
「いよいよ動きますか?」
「今しかない」
「イレーニア様にはなんと?」
「魔獣の討伐とだけ知らせる」
「拗れますよ?」
「ここで巻きこんだら、離婚後の縁談に響く。彼女の父親も了承済みだ」
「仕事が早いことで」
呆れと皮肉を込めた言葉は、ロベルトには聞こえていなかった。