14 辺境の騎士たち2
報告が終わり、デルネーリは近くの町へと去っていった。屋敷に泊まらないのかとロベルトに聞くと、懇意にしている宿があるのだという。一階が酒場になっている、ありふれた宿だ。そこで飲むのを楽しみにしているそうだ。
――贔屓の女性がいるのでしょうね。
一階を酒場にしている宿は、主に男性向けだと知っている。あえてロベルトが隠した事実を指摘するような、野暮なことはしない。
「まだ日が高いな……君は普段、何をしているんだ?」
珍しくロベルトから予定を聞かれた。
「最近では裏庭の手入れでしょうか。今日は苗木が届いたので植えようかと思っていたのです」
「一人で?」
「いいえ。いつも誰かが手伝ってくれます。特定の使用人ではなくて、手が空いている者が自然と集まって。それぞれの仕事の邪魔にはなっていないはずです」
「ならば今日は俺も手伝おう」
聞き間違いかと思った。今まで冗談を言っているところは見ていないので、これも本心から出た言葉だろう。
「……よろしいのですか?」
「イスに座るのは飽きた」
「力仕事になりますよ」
「君よりは体力があるつもりだが」
「汚れてもいい服装に着替えてくださいね」
「そんなに汚れるのか」
「真っ白なシャツが汚れてしまったら、洗濯をするメイドが大変ですから」
「それもそうだな。考慮しよう」
ロベルトはさっさと執務室を出て行ってしまった。イレーニアを手伝うことは、もう確定しているらしい。いまさら断ると、叱られた子犬のように目に見えて落ちこむかもしれない。それはそれで見てみたいわと悪魔的な囁きが聞こえたが、全力で無視した。
室内に残っているダリオを振り返ると、いいんじゃないですかと先に言われた。
「いつも疲れた顔で内務を片付けて、生き生きとした顔で視察へ行くのがロベルト様です。王子って身分じゃなかったら、間違いなく体を動かす仕事に就いてますよ」
「ダリオは違うのね?」
「僕は身も心も文系なので」
上着の内側にナイフを隠し持っているような膨らみがあるが、指摘するのは避けた。ロベルトの側近として辺境までついてきたのだから、隠し持っている特技があっても不思議ではない。
裏庭へ行くと、すでに着替えを終えたロベルトが待っていた。下級騎士から鎧を取り去ったような、素朴な格好になっている。しかし顔立ちが王族そのものなので、変装して密かに町へ遊びに行く途中にしか見えない。
なにより、表情に落ち着きがなかった。変化に乏しいなりに、期待に満ちた目でイレーニアを見つめている。
「早いですね」
「自分から参加すると言いだして、待たせるわけにはいかない」
「その服、ロベルト様が朝の鍛錬でよくお召しになっているものですか」
「よく知っているな」
「朝の散歩のときに見かけました」
偶然発見したかのように答えてしまったが、本当は鍛錬をしている情報を聞きつけたら、必ず遠くから見学している。ロベルトの剣捌きは見ていて飽きない。重いものを持って、よくあんなに機敏に動けるものだと、いつも感心している。
久しぶりにロベルトが帰ってきたということは、また見学できるわね――イレーニアは脱線しかけた思考を、笑顔を浮かべることで断ち切った。
「では始めましょうか。植えたい苗木は、こちらです」
一時的に鉢へ入れていた苗木を見せたところ、ロベルトは首を傾げた。
「不思議な香りがする」
「森や街道で、魔獣が嫌う香を焚いたことはありますか? あれは複数の材料を混ぜ合わせてあります。そのうちの一つが、この木の樹皮です」
「取り寄せたのは、香にするためか?」
「それもありますが、花の香りが好きなんです。お風呂に浮かべると浴室いっぱいに香りが広がって、とても気分が落ち着きますよ」
「……なるほど?」
香りが体に及ぼす影響は、ロベルトにはいまいち想像しにくかったようだ。花が咲けば分かることだなと、一人で納得している。説明する手間を省いてくれる、いい旦那様だ。
ロベルトはイレーニアが持っていた鋤を優しく奪った。
「どこに植える?」
「あ……では、この辺りを掘ってください。深さはこの鉢と同じくらいで」
「わかった」
穴を掘るロベルトの手つきは、慣れたものだった。この人の職業は何だったかと、少しだけ疑ってしまう。動作だけなら農夫や鉱夫に混ざっていても違和感がない。
「以前にも似たようなことをなさっていたの?」
ロベルトは作業を続けたまま、淡々と答えていく。
「この領地を任された最初の年は、魔獣対策ばかりをしていた。とにかく人手も資材も、何もかもが足りなかった。もし隣国に攻めこまれていたら、数日で落ちていただろうな」
ほとんどの領地では魔獣への備えとして、町の周囲に高い壁や柵を設けている。ところが辺境は時間をかけて壊れていった領地だ。崩れた壁を補修する余力がなく、人を集めようにも魔獣被害で減ってしまった。
「使えるものは何でもかき集めていたら、レーアの木を見つけた」
「棘がある植物ですよね。果実は食用になったはず」
「そう。森の中で大きく育っているものを、村の周囲に移植した。急場しのぎだったが、防護柵としてはうまくいった。冬の食糧にもなって、飢える領民の数も減ったしな」
「まさかロベルト様も植樹を?」
「人にやれと言うより、自分で動くほうが早い。それに俺が穴を掘っていたら、指揮下の騎士たちも動かざるを得ないだろう?」
最初の穴掘りは散々だったと、ロベルトは自嘲気味に言った。
「やったことがなかった。見様見真似で始めたら、領民から下手くそだと笑われた」
「それはまた、正直ですね」
「ああ。だが呆れつつも、俺ができるようになるまで教えてくれた。領民は正直だよ。それにお節介で、大きな流れに翻弄されやすい」
穴を掘り終わったロベルトは、鉢を近くまで運んできた。
「この先は? 植物ごとに手順が違うらしいが」
「肥料を先に入れて、根は少し切って……私がやりますね」
ロベルトには肥料を入れてもらっている間に、大きな剪定バサミで詰まっている根を切った。苗木を穴に入れると、イレーニアが苗木を支えてロベルトが土を隙間に入れるという役割分担が自然にできていた。
黙々と作業をしているロベルトが、どうしても気になる。もっと過去のことを聞きたい。噂で聞いていた辺境と、実際に見た領民の生活が違っていた理由が、ここにある。
ロベルトは苦労を言わない。領地に尽力することが当たり前と受け止めて、功績を誇らない。だから現地を知らない人から、辺境は変わっていないのだと思われている。イレーニアが実家にいた頃と同じように生活できているのは、ロベルトたちが地道に努力してきた結果なのに。
――知ってどうするの?
ふと冷静な心の声がした。
イレーニアは期間限定の妻だ。書類に名前を書いただけで、ロベルトは結婚生活を続ける気がない。
赤の他人に戻るのに、ロベルトや領地に深く関わろうとするのは意味があるのだろうか。愛着が湧いて離れられなくなる。何も残らない、虚しい結末になると知っていて、それでも突き進むほど自分は愚かだっただろうか。
考え事をしている間に、植樹が終わっていた。
「他にやることは?」
「他、ですか?」
「庭はまだ未完成だ。今日の作業が苗木を一本植えるだけとは思えない」
ロベルトは剥き出しの土が目立つ花壇を見回した。
「手伝ってくださるのは嬉しいですが、あれこれとロベルト様に指示を出して、酷使するかもしれませんよ?」
「それは楽しみだな」
ロベルトは挑戦的な笑みを浮かべた。イレーニアが遠慮をして言ったことが、彼のやる気を刺激したらしい。
――あら。精悍な笑いかたもできるのね。
それともこちらが本性だろうか。貴族らしい上品な微笑みよりも、こちらのほうがずっといい。イレーニアは不覚にも体温が上昇したことを認めた。