12 嵐の後に
「なぜ相談もなく屋敷から追放したんですか。しかも領地に立ち入り制限までつけて」
ベランジェールを国境へ送りだしたあと、イレーニアはダリオに権限を使ったことを伝えた。急いで屋敷に戻ってきたダリオは、疲れを滲ませた声で戸惑っていた。
「なぜって、そうすることが最善だったからよ。ロベルト様がお戻りになるまで、あと何日かかるの? その間、誰が彼女のお世話をするの? 面と向かって罵倒された私は嫌よ。命令すれば使用人は引き受けてくれるけれど、本気で嫌がっていることをやらせたくないわ」
それともダリオがベランジェールの相手をするのかと問うと、明らかに勢いが落ちた。
「あなたはベランジェールという女性のことを知っているわね?」
「それは……まあ……ロベルト様が辺境伯となる前から仕えてますので……」
ダリオの生家は公爵家だが、四番目の息子なので家を継ぐ可能性は限りなく低かった。そのため幼い頃から、ロベルトの側近になるよう教育されたそうだ。お互いに継承順位が低く、また実の兄弟よりも一緒に過ごす時間が多かったため、身内のような親近感を抱いていた。
ベランジェールが現れてから別れるまでの経緯も知っており、イレーニアが真相を知るには最適な人物だ。
「彼女は領地に富をもたらす存在? 逆よ。手遅れになる前に手を打っておかないといけないの。ロベルト様と彼女のことは、社交界では醜聞に分類されているのよ。二人の仲が再燃したなんて話が流れてからでは遅いの」
「それで追放ですか」
「ダリオも無関係ではないのよ。ロベルト様の代理で面会しただけなのに、後から暴行されたと事実でないことで騒がれたら困るでしょ?」
「えっ……いや、そんなこと……あるんですか?」
ダリオは否定しかけて、途中で自信がなくなったらしい。恐る恐る尋ねてきた。
「女性であることを武器にしている相手ですから。それくらいのことは平気でやると思っていたほうがいいわよ」
ロベルトの補佐といえども、社会的な地位は高い。近づいてくる者は身分や性別に関係なく警戒が必要だ。本人の実力とは違うところで、失脚するのは望ましくない。
ダリオはベランジェールのことを大胆だなと評価し、慌てて否定してきた。
「褒めているわけじゃないですよ。悪い意味で身分を恐れていないと言いますか、他の人なら萎縮してしまうところを、平気で踏みこんでくる。その行動力が、僕らには新鮮に見えたんですけどね。確かに、物理的に距離をおいたほうが今後のためか」
「僕らということは、ロベルト様も彼女のことを刺激的で好ましいと思っていたのね?」
「奥様、過去のことです」
否定しなかったということは、そうだったのだろう。人は自分にない要素を持った他人に惹かれるときがある。
心の中にドス黒いものが渦巻いた。
ダリオの名前を呼ぶと、びくりと肩を震わせて、さっと目を逸らされる。失礼な男だ。
「そろそろ昔のことを聞いてみたいわ」
「勘弁してください。ロベルト様に口止めはされてませんが、あまり許可なく喋るのもどうかと……」
「今までの女性関係を教えてくれないと、心の準備ができないわ。もし初対面の人に旦那様の愛人だと自己紹介されたら、どうすればいいの?」
「ロベルト様に愛人はいません。そのような心配は無用です」
「ほらね、そういうこと、一度も話してくれなかったでしょう? 愛人はいないってことを、誰も否定しなかったんですから。私ね、あの女性がここへ来て名乗るまで、ロベルト様が本気で結婚を考えていた相手の顔も名前も知らなかったのよ。誰に聞いても、余計な配慮をして隠してしまうから」
「もう終わったことですよ。僕が言うのもおかしなことですが、ロベルト様が結婚したのはイレーニア様です。いまさら過去に付き合いがあった人が出てきても、無関係です」
「もし私が彼女と同じ言葉を口にして、ロベルト様を傷つけてしまったら? そう思うと不安で」
「う……」
「私とロベルト様の結婚には領地の事情も絡んでいるし、険悪な関係になるのは避けたいわ。だから」
イレーニアは悩む補佐役に、淡々と提案した。
「私が事前に知っておくべきこと、もっとあると思わない?」
「……そうですね」
ダリオにはイレーニアを納得させるだけの反論を持っていなかった。
うまく言いくるめてロベルトの過去を聞き出したイレーニアは、ベランジェールを追い出したことに誤りはなかったと再認識した。
要約すると、自分を愛しているなら王位を継げ、贅沢をさせろという内容のことを、ベランジェールは言っていた。そのくせ彼女自身は、貴族に課せられた義務を果たす気など全くない。見事なまでに自分のことしか考えていない。
「彼女は本気でロベルト様に感謝すべきだわ」
もしロベルトが暴力的な性格だったなら、王位の簒奪を口にした時点で斬り捨てられていただろう。
「あの、もしかして、本気で怒ってます?」
「怒らない理由がある?」
「なんか、すいません」
ダリオは自分が怒られたかのように項垂れた。
「ロベルト様は、彼女のどこに惹かれたの?」
「いえ、最初からあんな感じだったわけではなくて」
「淑女の皮を何重にも被っていたわけね。彼女、演技は得意そうだったし。で、あなたたちは本性を見抜けずに、ロベルト様が密会するのを協力していたと」
「すいません。もうその辺りで許してください。最初は無害な女性そのものだったんです。犯罪歴とかも無くて。ロベルト様が会うことに問題はあるのかと、立場が上の人たちに尋ねたら、問題ないだろうと返答が……」
「ロベルト様の足を引っ張りたい人なら、そう言うでしょうね」
「ええ、そのことに気がついたのが、辺境に移動してからでした」
ダリオは自らを無知だったと、あっさり明かした。
「王位から遠かったとしても、ロベルト様は王族です。良くも悪くも人が寄ってくるということを、深く理解していませんでした」
騙された悔しさの反動で、今は生家の伝手を利用して情報を集めているそうだ。イレーニアのことも、当然ながら調べているだろう。どのような評価になっているのか興味があったので、また折を見て追求してみようと思った。
「彼女の話題は、これぐらいにしておきましょう。追放したことをロベルト様が不快に感じたとしても、怒られるのは私だけよ」
そんなことよりも、ダリオには聞きたいことがまだあった。
「この屋敷以外にいる、ロベルト様の側近を知りたいわ。領主の妻が、夫の部下のことを何も知らないなんて、情けないもの」
「ああ、それぐらいなら喜んで」
ダリオは快くうなずいた。早くベランジェールの話題から逃げたいという魂胆が透けて見える。
「領内の地理と一緒に教えてもらえると、早く覚えられるのだけど」
「そうですね……王都に呼ばれたときに、領地のことを知らないなんて言えませんからね。ロベルト様の執務室へ参りましょう。おおよその位置がわかる、簡易的な地図ならお見せできます」
詳細なものはロベルトの許可がなければ、金庫から出すことすらできないそうだ。
厳重に保管するのは当然だ。細部まで描きこまれた地図があれば、辺境のどこに布陣をすれば有利に戦況を動かせるのか見当がつく。情報を秘匿することの重要性は父親から飽きるほど聞いている。