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【第41話】エンドロール


「待って! レイ! 行かないで!」

 

 エレナの声が響く。だが、レイの視界にはもう、エンドロールのような光の粒子が降り注いでいた。


「レイ! 行かないで!」


 エレナが叫び、光の渦へと飛び込んだ。


「エレナ!? 馬鹿野郎、戻れ!」


 ガルドの制止の声も届かない。彼女は、急速に希薄化していくレイの体を、魂のすべてを懸けて抱きしめた。


「……エレナ? どうして……君まで消えちまうぞ」


 光の奔流の中で、レイの声が、ノイズ混じりの意識の中で響く。


「嫌……! あなただけが消えるなんて、絶対に嫌! ……レイ、お願い、嘘だと言って。私の記憶を繋ぎ止めてくれた、あの温かい手は……全部、幻だったの?」


 エレナの瞳から、光の粒子となった涙が溢れ出る。


「幻じゃない。……君を守りたかった。それだけは、真実だ」


「だったら……だったら、どうしてそんなに冷たい言葉で、最後にするの? ……私、ずっと言えなかった。あなたが、世界の仕組みと戦っているその背中を見るたび、胸が張り裂けそうだった」


 エレナは、レイのノイズだらけの胸に顔を埋めた。


「レイ。……あなたが好き。世界がどうなろうと、あなたが私を忘れても……私は、あなたを愛してる。……だから、行かないで……!」


 彼女の魂の叫びが、崩壊しかけたレイのシステムに、ありえないほどの高熱バグを発生させた。


 レイの視界に、編集室のモニターが浮かぶ。そこには、エレナと過ごした無数のフレームが、愛おしい記録として輝いていた。


(……俺は、何を迷っていたんだ。ボツにするかどうかなんて、どうでもいい。……俺も、君に……)


 レイは、実体を持たないはずの手を、エレナのほほへと伸ばした。今度は、すり抜けなかった。彼のノイズが、彼女の光と混ざり合い、一時的な実体を作り出していた。


「エレナ。……俺もだ。……君を、愛してる。……この世界のどんな記述よりも、君という存在が、俺のすべてだった」


 レイは、エレナの唇に、静かに自分の唇を重ねた。


 それは、接吻というより、お互いの存在データを完全に融合させる、最終的な結合マージだった。


 レイのノイズが、エレナの光を包み込み、エレナの慈愛が、レイの崩壊を優しく止める。


「……温かい……」


 エレナが微笑んだ。彼女の身体もまた、レイと共に、虹色の光の粒子へと変わり始めていた。


「……ああ。……最高の結末エンドロールだ!……だけど、君は連れていけない!」


 レイはエレナを抱き寄せ、その感触を魂に刻みつけるように力を込める。しかし、その直後。レイの瞳に、編集者としての冷徹な「意志」が宿った。

 

「え……? レイ、何を――」

 

 エレナの目が見開かれる。レイの右足の結晶体が激しく明滅し、彼の周囲に展開されていた融合プロセスが強制的に中断された。

 

『直人様!? 逆シークエンスを開始するのですか!? それでは、あなた一人にすべてのシステム負荷が集中し――』

 

「ARIA、最終命令だ! 彼女の固有IDを『生存』に固定しろ! 俺の全リソースを転用して、彼女を現実の座標へ射出する!」

 

『……! 了解しました。……さようなら、エレナ様』

 

 レイの左腕のノイズが巨大な翼のように広がり、エレナを優しく、だが拒絶するように突き放した。

 

「嫌……! 離さないで、レイ! 一緒に行くって言ったじゃない!」

 

「……俺は編集者だ。ヒロインをデッドエンドに連れていくような無能な書きライターに、なりたくない!」

 

 レイの姿が、急速に遠ざかっていく。いや、エレナの体が光の速さで「下層の世界」へと押し戻されているのだ。

 

「君が生きるこの続きこそが、俺の見たかった物語だ! ……愛してる、エレナ。だから――生きろ!」

 

 レイが最後に浮かべたのは、かつてないほど人間臭く、晴れやかな笑顔だった。

 

「レイ!! ──ぁあああああ!」

 

 エレナの叫びが、次元の壁に遮られて消える。

 

 一筋の流星となって、エレナは仲間たちが待つ新しい世界の地平へと落ちていった。

 

 ……静寂。

 

 光の渦に呑み込まれたレイの意識は、底のない情報の海の底へと沈んでいく。

 肉体の感覚はない。右足の結晶体も、左腕のノイズも、ここではただの符号に過ぎない。自分という存在が、薄いインクのように世界に溶け出し、消えていく。

 

(……ここまでか。まあ、上出来だろ。ボツ同然のシナリオを、ここまで盛り上げたんだ。……あとは、あいつらが……)

 

 諦めにも似た安堵が、レイの思考を停止させようとしたその時。

 

「俺はどこで間違えたのだろう?」

 

 不意に、その声が響いた。

 

 情報の海の底。

 暗黒の空間に、一脚の使い古された「オフィスチェア」が浮かんでいた。

 

 そこには、一人の男が座っていた。

 

 レイのような若者ではない。もっと疲弊し、目の下に深い隈を刻み、無精髭を生やした……「現実の世界」のどこにでもいる、冴えない中年の姿。

 

 男は、手元にある古いノートPCの画面を見つめながら、力なく呟いた。

 

「設定は完璧だった。伏線も張った。キャラクターも愛していた。……なのに、どうして俺の書く物語は、いつもこうして『破綻』するんだ?」

 

 レイは言葉を失った。

 その男の顔に、見覚えがあったからではない。

 

 男が叩いているキーボードの音。

 ディスプレイに表示されている「未完成のシナリオ」。

 

 そこには、今まさにレイが体験してきた『第40話:上書きされる創世記』の文字が刻まれていた。

 

(……こいつが、俺の「中身」か? あるいは、俺を書き出した「創造主」なのか……?)

 

 男はレイの存在に気づく様子もなく、ただガリガリと頭を掻きむしり、Enterキーを叩く。

 

「ダメだ。……やっぱり、この『主人公』じゃ、世界は救えない。……全削除オールデリートだ。また最初から書き直そう」

 

 男の手が、無情にも「削除」のコマンドへ伸びる。

 

 それこそが、この世界の真の「管理者」の正体。

 「飽き」と「絶望」に支配された、一人の孤独なクリエイターの心象風景だった。

 

「待て……。勝手に終わらせるんじゃねえよ」

 

 レイは、消えかかった右足の一歩を踏み出した。

 もはやデータ上の「レイ」としてではなく、一つの確立した「意志」として。

 

「物語は……もう、お前の手の中だけにはねえんだよ」

 

 男が、弾かれたように顔を上げた。その瞳には、自分が作り出したはずのキャラクターが、文字の羅列を突き破って実在していることへの驚愕と、恐怖が混じり合っている。

 

「バカな……。バグか? それとも、書き込み制限リミットを超えた演算エラーか……?」

 

「バグで結構だ。……あんたが絶望して投げ出した文字の隙間で、俺たちは必死に生きてたんだ。エレナの涙も、ガルドの熱い握手も、全部あんたにとってはキーボードの打鍵音に過ぎなかったのかよ」

 

 レイが歩を進めるたび、彼の身体から銀色の文字が剥がれ落ちていく。右足はすでに光の粒子となって消え去り、左半身を覆っていたノイズも、暗黒の虚空へと霧散し始めていた。

 

 一歩、また一歩と、レイの輪郭が薄れていく。

 

「あ……ああ……。待ってくれ、消えるな! 今、コードを修正する! お前を救うルートを書き足すから!」

 

 男が狂ったようにキーボードを叩き始めた。だが、レイは静かに首を振った。

 

「……いいんだ、これで。自分の結末エンドロールくらい、自分で選ばせてくれ」

 

 レイの身体は、もはや胸から下が存在しなかった。宙に浮く上半身さえも、テレビの砂嵐のように激しく明滅し、背後の闇に溶けかかっている。

 

「あんたがこの物語を愛してくれたことには感謝するよ。……だけど、ここから先は、俺がエレナに託した『自由』の領域だ。誰にも……創造主にさえ、触らせない」

 

 レイは最後に、男の震える手の上に、ノイズと化した右手をそっと重ねた。

 

『直人様……座標固定、完全解除。システムとのリンク率、0.00パーセント。……さようなら。本当に、最高のメインエディターでした』

 

 ARIAの震える声が、レイの脳内で静かに途切れた。

 

 「……じゃあな、作者さん。……いい物語だったぜ」

 

 レイが微笑んだ瞬間、彼の存在を繋ぎ止めていた最後の「一文字」が崩壊した。

 

 激しい閃光が走り、オフィスチェアに座る男の視界を真っ白に塗り潰す。

 

 ……沈黙。

 

 次に男が目を開けたとき、そこにあったのは元の暗い部屋だけだった。

 

 ノートPCの画面には、何も映っていない。

 ただ、カーソルだけが暗闇の中で、心臓の鼓動のように規則正しく点滅している。

 

 男はしばらくの間、自分の掌を見つめていた。そこには、レイが最後に触れた場所だけが、奇妙な熱を持って残っているような気がした。

 

 男は震える指をキーボードに乗せ、消去するはずだった物語の末尾に、震える手で最後の数行を書き加えた。

 

  『観測者は去った。

 

  しかし、風の音に、誰かの笑い声に。

 

  確かに、彼は今もそこに「記録」されている。』

 


 次回、最終回


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