【第4話】境界の編集者
俺たちは、昨日遭遇した凶悪な魔物の縄張りを大きく迂回し、さらなる深層部へと足を踏み入れていた。
見上げる空は巨大な樹々に遮られ、湿り気を帯びた空気は肌にねっとりとまとわりつく。
差し込むわずかな光さえも、この世のものとは思えないほど紫に淀んで見えた。
ここは「魔の森」の最奥。
ギルドから下された特例任務である危険調査が、いよいよ本格的に始まる場所だ。
周囲からは鳥の鳴き声ひとつ聞こえず、ただ自分たちの重い足音と、森が吐き出す不気味な静寂だけが支配している。
魔物の巣窟に足を踏み入れた瞬間、緊張感が一気に高まった。
「……来るぞ」
ライオネルの低い声が、開戦の合図だった。
茂みが大きく揺れ、異形の影が次々と姿を現す。
硬質な外殻に覆われた多脚の魔物――ランクB指定の「シェイド・クローラー」の群れだ。
戦闘が始まる。
ライオネルは鋭い呼気と共に重厚な剣を振るい、先頭の魔物を一刀両断に切り裂く。
飛び散る体液が枯れ葉を溶かしていく。
ガルドは岩のような体格で盾を構え、仲間を守るために前面で攻撃を受ける。
魔物の鋭い爪が盾を削る嫌な音が響くが、彼は一歩も引かない。
ミラは魔導書から強力な魔法を放ち、敵を弱体化させる。
「大気の理、凍てつく檻となれ!――フリージング・バインド!」
地面から噴き出した氷柱が魔物の足を止めた。
フィリスは味方を強化し、戦闘の流れを調整する。
「皆んな、身体が軽くなるわよ!スピードを落とさないで!」
軽快なステップで戦場を駆け回り、鼓舞の旋律を響かせる。
そしてエレナは回復魔法で仲間を支える。
「聖なる光よ、癒やしの雫となれ……ヒール!」
彼女は絶え間なく慈愛に満ちた光を放ち、最前線で傷つく仲間を支え続けた。
完璧な連携に見えた。
だが、ここは魔の森の深層部。
現れた個体の一撃は、俺たちの予想を遥かに上回るほど強力だった。
その瞬間だった。
乱戦の最中、ライオネルの剣筋を潜り抜けた一体が、あり得ない角度から跳躍した。
死角から、魔物が跳びかかる。
反応が、遅れた。
身体がすくみ、逃げる術も持たない俺の視界を、魔物の鉤爪が埋め尽くす。
「レイ!!」
ライオネルの声。だが――間に合わない。
ドンッ――!!
鈍い衝撃。
内臓が押し潰されるような感触と共に、衝撃が全身を突き抜けた。
視界が、弾ける。
(え!?……)
俺の身体が、浮いた。
次の瞬間、地面に叩きつけられる。
息が――できない。
胸が潰れたような痛み。
口の中に鉄の味が広がり、地面の泥が頬に触れる。
視界が急速に暗くなっていく。
周囲の喧騒が、水の中に沈んだように遠のいていく。
………………
…………
……
「レイ!! しっかりして!!」
遠くで、エレナの声がする。必死に俺の名を呼ぶその声さえも、やがて途切れた。
(やばい……これ……)
思考が、途切れる。
意識が――沈む。
そして――静寂。
そこには、何もない場所だった。音も、光も、感覚もない。
ただ漆黒よりも深い「無」が広がっている。
ただ――
「何か」が、ある。
それは、言葉では表せない圧倒的な密度のなにか。
形もない。
だが、確かに「意識」だけが存在している。
俺という存在の断片が、霧散せずに辛うじて繋ぎ止められている。
(ここは……どこだ……?)
問いかけても、返答はない。
だが次の瞬間――
「見られた」
心臓を直接掴まれたような、強烈な不快感。
ぞくり、と背筋が凍る。
(なんだ……今の……!?)
理解できない。
だが、本能が告げている。「これは見てはいけないものだ」と。
その瞬間――意識が、引き戻される。
「――――ッ!!」
俺は大きく息を吐き、身体を跳ね起こした。
「はぁっ……はぁっ……!!」
激しく咳き込み、肺に空気を流し込む。
生々しい痛みが全身を駆け抜け、自分がまだ生きていることを実感させた。
「よかった……レイ……!」
エレナが、すぐそばで涙を浮かべている。「ヒール……間に合って……」その手は、まだ震えていた。
ライオネルが低く言う。
「……危なかったぞ」
ガルドも頷く。
「あと少し遅れていたら、助からなかった」
レイは答えられない。ただ、呼吸を整えることしかできない。
(……今のは……なんだ……)
あの「場所」。あの「視線」。
次の瞬間。
レイの視界に――「ノイズ」が走った。
(……っ!?)
景色が、わずかに歪む。魔物の動きが――「二重に見えた」。
(……ズレてる……?)
ほんの一瞬。
魔物の動きが、「遅れて」重なる。
まるで――
「一度……切り離されて……」
「あとから……重なったみたいな……」
心臓が、大きく鳴る。
(さっきの……あれと……繋がってる……?)
「レイ! まだ動けるか!」
ライオネルの声で現実に引き戻される。
「あ……ああ……大丈夫だ……」
そう答えながらも――胸の奥に、確かな違和感が残っていた。
「何かに触れてしまった」その感覚だけが、消えない。
一時は優勢だった攻撃も徐々に通用しなくなり、遂にエレナが倒れてしまう。
「キャーっ……!」
今度は、エレナが致命的な攻撃を受け、血が頬を伝い、呼吸が次第に弱まっていく。
地面に倒れた彼女の瞳から光が失われていく。
俺の胸に切実な願いが湧き上がる。
「……助けたい、絶対に助ける!」
次の瞬間、レイの視界に――また「ノイズ」が走った。
(痛っ!?)
その瞬間――頭の中に突然、幼少期の記憶が鮮明に蘇る。
あれは俺が五歳の頃、愛犬ルクスと森に入り魔物と遭遇したときだ。
俺は突然現れた魔物に払い飛ばされ、頭を強打して意識がもうろうとなる。
そんな俺を守ろうと愛犬ルクスが必死に戦い、傷つきながらも魔物を追い払う。
俺の側まで来て頬を舐めてくれたルクスは、俺の腕の中で息をひきとった。
その後の事は覚えていない。
翌朝、目が覚めるとそこは自分のベッドだった。
いつものように愛犬ルクスに頬を舐められ起こされる。
頭が混乱する。
あの時の出来事が夢だったのではないかとも考えた。
今まではそう思っていた……。
だが……今! 全部思い出した。
あの時、死にかけたルクスを抱きしめたとき、無意識に力を発動させていたこと。
まるで撮影された映像を編集するかのように、事象を操作していたこと。
そうか、これが記録スキルの正体だったのか。
記録したものを自在に操作できる能力。
無意識でも発動していた力。
今、エレナを救おうとする切実な願いの中で、自分のスキルの使い方と重要性がはっきり理解できた。
まだ手探りではあるが、元の世界で慣れ親しんだ俺の編集スキルで、必ず救ってやる!
レイが手を伸ばすと、世界が再びノイズに包まれた。
視界が変容する。
かつてテレビ局の編集室で何万回と眺めた「ノンリニア編集機」のタイムラインが、脳内の仮想空間に展開された。
世界が「プレビュー画面」に見える。
エレナの生命維持データがオーディオレベルのように激しく上下し、彼女が貫かれた瞬間が、タイムライン上の「NGカット」として赤く点滅している。
(落ち着け。やることはいつもと同じだ。あの一瞬、あのアクションだけを『トリミング』する……!)
俺は脳内のジョグダイヤルを回すように、意識を数秒前へと逆回転(バックワード)させた。
エレナの身体を貫いた触手の軌道、飛び散る血液の放物線。
そのすべてのフレームを精査し、彼女が負傷する直前のイン点と、貫かれた直後のアウト点を正確に打つ。
(致命傷のカットを削除! 前後のカットを違和感なく『ディゾルブ』で繋ぐ!)
致命的な損傷という「ノイズ」をタイムラインから抜き出し、直前の健全な状態のバックアップ・データをそこに「ペースト」する。
物理的な時間は止まったまま、俺の意識の中だけでレンダリングが走り、現実という名のマスターテープが書き換えられていく。
「いけ……繋がれ……!」
気づくと、エレナは再び息を吹き返していた。
深かった傷も、まるで元に戻ったかのように修復されている。
さっきまで溢れていた鮮血は、逆回しの映像のように傷口へと吸い込まれ、白い肌が何事もなかったかのように再生された。
その奇跡をパーティーの仲間はもちろん、エレナ本人さえも気づいていない。
俺は深く息をつき、胸の中でそっとつぶやいた。
「記録する力、これが俺のスキルか」
秘密裏に、静かに、確実に――俺の能力は、絶望の尺を削り、希望の画を繋ぎ合わせていた。
◇
【専門用語の補足】
・デリート(delete)
削除する、消去するという意味。不要な要素を取り除く操作。
・トリミング
動画や画像の不要な部分を削除し、必要な部分だけを切り出す作業。
・ディゾルブ
前のカットが消えていくのと同時に、次のカットが重なりながら現れる切り替え技術。映像を滑らかに繋ぐことができる。
・ペースト
コピーしたデータを指定した場所に貼り付ける操作。
(第5話へ続く)




