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【第35話】デバッグ・チェイス


 魔導都市ヴィンセントを包囲した巨大な魔法陣から、無機質な純白の光が降り注ぐ。それは慈悲深い救済の光などではない。触れたものの存在定義を根こそぎ奪い、無へと還す「消去の光」だ。

 

 INITIALIZINGイニシャライジング FORMATフォーマット

 DELETINGデリーティング ALLオール SEGMENTSセグメント

 

 視界の端に流れるログが、この空間の余命が数分も残っていないことを告げていた。

 

 「レイ、早くして! 街の門が……出口がもう消えかかっているわ!」

 

 エレナの悲鳴が響く。彼女が指差す先、かつて堅牢な石造りだった街の正門は、いまや輪郭を失い、半透明のノイズとなって虚空に溶けかかっていた。

 

 崩れ去る石畳の破片が、重力を無視して空へ吸い上げられていく。逃げ遅れた市民たちが光に触れた瞬間、悲鳴を上げる暇もなく、まるで古い映像が消去されるように掻き消えていく光景が、レイの網膜を無情に焼いた。

 

 レイは奥歯を噛み締め、震える手で「オーバーライト・ペン」を正門の座標へと向けた。

 

 「……ちっ、書き出しが追いつかない。ミラの魔力供給があっても、この空間そのものの論理隔離が強固すぎる!」

 

 「文句を言っている暇があったら手を動かしなさい! 私の杖が焼き切れるのが先か、あなたの脳が溶けるのが先か……賭けてみる?」

 

 ミラが額に大粒の汗を浮かべ、限界を超えた術式を維持しながら叫ぶ。彼女の背後では、ライオネル達が不完全な姿のガルドを支えていた。

 

 ガルドの身体は、いまだブロックノイズが走り、時折周囲の景色と混ざり合って透けて見える。

 

 「……行け……。レイ……オレを……置いて……」

 

 ノイズ混じりの、途切れ途切れの音声がガルドの口から漏れる。その声さえも、時折再生速度が狂ったように引き延ばされ、低く歪んでいる。

 

 「黙ってろ! お前を復元するのにどれだけの精神負荷を割いたと思ってんだ! ここで捨てたら、俺のこれまでの仕事は全部『ボツ』になんだよ!」

 

 レイは叫びながら、ペンの出力を最大にまで引き上げた。

 

 (どこだ……。この隔離空間のどこかに、管理者が設定し忘れた穴があるはずだ。完璧な消去なんて、この世には存在しねえ……!)

 

 かつてテレビ局の編集室で、数千時間の素材の中からわずか一フレームのノイズを探し出していた時の集中力が、レイの意識を極限まで研ぎ澄ませる。

 

 その時、聖獣ルクスが激しく吠え、光り輝く前足で虚空の一点を指し示した。

 

 「ルクス!? あそこか!」

 

 ルクスが示したのは、門のすぐ脇。崩壊する世界の中で、不自然に「変化しない」空間の裂け目だった。周囲のテクスチャが剥がれ落ちる中で、そこだけが真っ白な「無」として固定されている。

 

 「フィリス! あの座標にも魔石を叩き込め! 物理干渉でいい、衝撃でパスをこじ開ける!」

 

 「了解っ! とっておきの特大品!」

 

 調合師のフィリスが投げた虹色の魔石が、ルクスの示した「裂け目」で炸裂した。

 

 爆発の衝撃と、レイのペンによる座標上書きが重なった瞬間、バリバリと空間が割れるような音が響き、ノイズの壁に一筋の亀裂が走る。

 

 「……開いた! 全員、あの穴に飛び込め!」

 

 「逃がさない……」

 

 背後から、凍りつくような冷徹な声が響いた。

 

 振り返れば、そこには人影があった。しかし、それは人間ではない。全身が銀色の回路図のような文様で覆われ、顔には目も鼻もない滑らかな仮面のようなものをつけた存在。

 

 「不規則対象は、ここで削除されるべきです。存在の再構成は、許容されません」

 

 エージェントが指先を向けると、レイたちの足元の床が瞬時に「存在しないもの」へと書き換えられた。

 

 「うわあぁっ!?」

 

 崩落する広場. レイたちは辛うじてミラが展開した浮遊魔法で宙に浮くが、エージェントは容赦なく次の一手を放つ。

 

 その指先から放たれたのは、光の矢ではない。空間そのものを立方体状に切り取る「消去領域」だ。かすめるだけで、対象の存在情報は強制的に初期化される。

 

 「全員、ガルドを連れて先に行け! ここは俺が食い止める!」

 

 「馬鹿を言うな! お前一人を残して行けるか! 盾はないが、俺の剣で……!」

 

 ライオネルが剣を構えるが、エージェントの体躯に剣筋が触れる寸前、金属音が響くことさえなく剣の先端が霧のように消滅した。

 

 「……なっ!? 俺の愛剣が……消えた……?」

 

 「物理法則の通じる相手じゃねえんだよ、こいつは! いいから行け! 俺には……これがある!」

 

 レイは「オーバーライト・ペン」を、自分自身の心臓に突き立てるような仕草で見せつけた。

 

 (自分自身の変数を一時的に書き換える。脳のニューロンが焼き切れるリスクは百も承知だ……だが、そうでもしなきゃ、この強引なデバッグからは逃げ切れねえ……!)

 

 レイの瞳から、濁った銀色の光が溢れ出した。

 

 「時間軸……強制引き延ばし。……ここからは、俺の独占編集の時間だ」

 

 レイの知覚速度が、一気に加速する。

 

 秒間30フレームから、無限フレームへ。

 

 降り注ぐ消去の光も、エージェントの冷酷な追撃も、すべてが凍りついた静止画のように停滞する。その代償として、レイの視界には激しいノイズと、自分自身の精神が摩耗していく「残り時間」が赤く明滅し始めた。

 

 (熱い……脳が、溶けそうに熱い……!)

 

 視界の隅に、身に覚えのない警告が並ぶ。

 [ WARNINGワーニング: COREコア TEMPERATUREテンパチャー CRITICALクリティカル]

 [ UNAUTHORIZEDアンオーソライズド ACCESSアクセス DETECTEDディテクテッド... ]

 

 レイは苦悶を押し殺し、停止した世界の中でエージェントへと迫る。

 

 エージェントの防壁が、レイの接近を感知して自動迎撃の術式を展開しようとする。だが、加速したレイのペンはそれよりも速い。

 

 「……範囲選択。属性書き換え。……お前の『不可侵』、解除してやったぞ」

 

 レイがペンの先をエージェントの胸に押し当てると、その銀色の肌が泥のように溶け始めた。

 

 「ぐ……が……ッ!?」

 

 感情のないはずのエージェントから、初めて苦悶のノイズが漏れる。存在の基幹コードを直接書き換えられたショックで、その輪郭がガルド以上に激しく震え、崩壊していく。

 

 「今のうちだ、飛べ……ッ!」

 

 レイは加速状態を維持したまま、仲間の背中を出口の「亀裂」へと向かって突き飛ばした。

 

 ライオネルとガルドが、ミラとエレナが、そしてフィリスとルクスが、次々と次元の裂け目へと吸い込まれていく。

 

 最後に残ったレイが、自分自身の身体を投げ込もうとした瞬間、足首に冷たい感触が走った。

 

 「……不規則対象……逃亡を……許容……せず……」

 

 胸を穿たれ、半壊したはずのエージェントが、その腕を伸縮させてレイの足を掴んでいた。その指先から、黒い「消去ノイズ」がレイの身体へと這い上がってくる。

 

 「チッ……! しつこいんだよ、デバッグ部隊が……!」

 

 背後では、ヴィンセントの街を完全に飲み込む「純白の爆発」が始まっていた。

 

 レイは迷わず、掴まれた自分の足首の「座標」をペンで指定した。

 

 「トリミング……実行!」

 

 レイが叫ぶと同時に、彼の存在情報の一部が強制的に切り離された。激痛と共に自由になったレイの身体が、黒い亀裂の中へと滑り込んでいく。


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